百休庵便り

市井の民にて畏れ多くも百休と称せし者ここにありて稀に浮びくる些細浮薄なる思ひ浅学非才不届千万支離滅裂顧みず吐露するもの也

『糸杉と星の見える道』を見、ジーンときました。

2021-11-20 14:42:18 | 日記
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 R3.11.16 BS日テレ『ぶらぶら美術・博物館』『ゴッホ展』で紹介された『糸杉と星の見える道』を見、オイラはジーンときました。(写真上は 当該TV画面を撮影したもの、写真下は『Art pedia』 画像の転載です。)

白く輝いている星は、金星 か シリウス か。1890年4月30日ごろは、非常に強く光っていたと。ゴッホさんが ピストル自殺されたのが、同年7月29日。ですから、この絵は ゴッホさんの最後の 最後の 作品。

馬車に乗っているのは、ゴッホさんと 忘れられない彼女 ?。散歩してる 2人の男性は、ゴッホさんとゴーギャンさん。プロヴァンスでの楽しかったコトを想い浮かべながら・・・糸杉は 天に昇ってく階段 ? 、、、一筆一筆の塗り跡は、今まで ゴッホさんが歩んで来られた 足跡のひとつひとつ?。はたまた、魂が 思いの数々が 細胞のひとつひとつが、天に向かい 立ち上っている様(さま)?、、、死が 、限りなく 意識されてる作品かと。そうですね。ポール・ゴーギャンさんの遺作『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』と、ほとんど同じ位置付けの絵画であろうと考えています。

「こりゃぁ、賢治さんの『銀河鉄道の夜』と おんなじ じゃぁ~」。オイラは 唸りました。相違している点は、ジョバンニと違って ゴッホさんは、底知れぬ 孤独の淵に 沈んでしまっていること。そう思いますと、何だか ジーンときちまって、泣けてきたのです。そして、とてつもなく、この絵が 愛おしくなってきたのであります。37歳で命を絶った、わが日本を こよなく愛して下さった ゴッホさんですから、なほさらです。もう、見るたんび、泣けてきます。

こんなふうですから、同じ絵を ふたつ 並べました。図録も 今日、東京新聞さんへ 注文しました。当然、ゴッホさんの作品の中で、否、あらゆる画家さんの絵の中で、イチバン 好きな絵 になっています。勿論 本稿は、折に触れ 見たいため、こしらえたものです。、、、なんでも、東京の人は ええですね。直ぐに 見に ゆけるんですから。

  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

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 R3.11.20 BSテレ東『美の巨人』『縄文土器』で紹介された、この 新潟県・笹山遺跡出土『国宝 火焔型土器』の 独創的かつ圧倒的な意匠の見事さ・美しさに、初めて見た訳ではないですのに、ほとほと感嘆させられましたので、、、、それに、何や ゴッホさんに通じるものがあるように思われましたので、付け加えます。

  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

 注文していた図録が届きましたので、下の画像を付け加えます。~ R3.12.3 ~
まずは、チラシです。↓

図録表紙です。↓

図録に載ってる絵を撮りました。↓

人物の描き込まれている部分をアップしました。↓
 
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長嶋さん、文化勲章おめでとうございます & 篠塚さん、素敵でした & NHK 名曲アルバム『ライムライト』

2021-11-06 12:40:35 | 日記

 めちゃめちゃ 嬉しいです。長嶋さん、おめでとうございます。(産経新聞記事を撮影)

 ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ 

 オイラがそうであるように、長嶋さんのファンなら どなたさんも、篠塚さんが好きなのでは と思うのですが、R3.10.30 NHK-BS1『レジェンドの目撃者』『攻守のスペシャリスト 篠塚和典』は、その期待に 十二分に 応えてくれる内容でした。
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どこへでも打ち分ける バッチングもそうですが、包み込むような守備、何とも 好きでした。

高3のドラフトの年、氏は 肋膜炎を患い、選手生命の危ぶまれる局面に 遭遇してられますが、

いち早く病院の主治医さんにTELし、大丈夫だ との確信を得た長嶋さんは、病院関係者宛て、

他球団から問い合わせがあったら、ダメだと答えてほしい旨 頼んでおられたんだそうな。

で、周りはみんな反対でしたが、

ミスターだけが、「俺が責任を持つから」と押し切り、ドラフト1位指名されたのだと。

これを入団3か月後、耳にした篠塚選手は、「終生、絶対に長嶋さんに恥をかかせちゃいけない」と 誓われたのだと。


氏は番組で、このように仰ってられました。「長嶋さんという存在があったからこそ(称賛いただけた)守備も打撃もできた ということなんです」と。

 ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ 
      
 R3.11.1 NHK-BSP『名曲アルバム』に、チャップリンさんの『ライムライト』が登場、
   ( ↓ この白い建物が、チャップリンさんの住まわれた お屋敷です )

たいへん嬉しく視聴しました。字幕によりますと、
.
氏は、氏の最後の作品である 本映画を撮り終えた 63歳のとき、

スイス・レマン湖畔の町 ヴヴェイに居を移され、そこで 終生 お暮しになられたとの由。
...

そうなんか、『ライムライト』という映画は、チャップリンさんの遺作とも称せる作品だったんかー。道理で あんなにも ひしひしと、胸に迫り来るものがあったんだーー。大いに納得です。


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二上山さんを仰ぎつ 當麻寺さんに参拝、中将姫さんと大津皇子さんを偲んできました ~ R3.10.22 のこと

2021-11-01 16:30:29 | 日記


                 當麻寺さんのHPからいただいた『當麻曼荼羅』です。
 R1.10.5 付け当ブログ『折口信夫さん原作 『死者の書』感傷・観賞録』で触れていますが、
今藤政太郎さんが中心となって創られた長唄『死者の書』にインスパイアされ 展開した それに関連するアイテムは、今も強くココロに刻まれていまして、

R3.9.12 付け 産経新聞『ええねん!この本』という記事で、スタンダード・ブックストアの中川さんて方から、上島秀友さん著『小説 大津皇子 二上山を弟と』という本の出版を知るや否や、直ぐ様 購入し 読み了えてるといったふうに、
.
二上山さん・當麻寺さん・大津皇子さん・中将姫さんといった、切なくて えもいわれぬ哀愁を漂わせるアイコンが、ココロのデスクトップに しっかと張り付いちまってる オイラに、同居している長男から 先日、それを見透かしたかのように 

「22,23,24日の3日 使える "JR西日本 秋の乗り放題切符" があるんじゃが、22日の金曜日は仕事なんで、要るんなら使ってもええよ」という耳寄りな呼掛けがあったのです。結果正式発表は 12月なるも、仕事上 取得が所望されている二つの資格試験の自己採点結果に、明るい光を見出したことに気を良くしてのことかと思うのですが、コチトラーは すぐにコロナウイルスが如く、ヤッター !!! と 取り付いたという次第。

     プラットホームの 端っこから撮った、夢にまで見た二上山

JR天王寺駅に隣接、近鉄『阿部野橋駅』で『橿原神宮前行き』準急に乗り『當麻寺駅』到着。

         駅を出てすぐの所に「當麻寺 700m」と書かれた案内板がありました
.....
雄岳・雌岳 あるいは 俱舎峯・唯識峯 と称される二つの頂からなる二上山は、不多神山 二神山 尼上ケ嶽 白銀峯 二乗峯などと呼ばれ、天皇さんの霊力は、"天の二上" から湧き出る ”天つ水” により得られると信じられていた など、極めて神聖なる お山さんとして、古来より 崇め奉られてきたとのことですが、

実際に 仰ぎ見ますと、そう感じさせる神秘的な何かが、惹きつけて止まない何かが・・・貴賤 問わず、いにしえ人の 歓び哀しみ・情念 が凡て 集約されているかのような、とても奥深いものを包み込んでいるように感じられるのです。特に、お寺さんと お山さんの間に、ままならない 人の世の、数限りない恩讐が、行き交い 行き交い 漂っているふうに・・・・

そう感じさせるのは、太子様および ご一族のかげろひと、次のお三方にあるかな と思います。
  大津皇子さん ・・・・・・ 663 ~ 686
  石川郎女 (大名児) さん・・ 年代不詳(但し大津皇子と同世代でなくば 話が成り立たない)
  中将姫さん ・・・・・・・ 745~775
年代は このようですから、中将姫さんは、石川郎女さんとは ほぼ 3世代 離れているお方かと。さすれば、オイラは思えてしょうがないのです。ひょっとして、彼女の生まれ変わりではないだろうかと。『死者の書』を著わされた 折口信夫さんも、そのように感じられてたのではないでしょうか。憶測ですが・・・
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それにしましても、中将姫様の美しさって、ハンパないです。ツムラさんが広告塔として使いたくなるの、よぉ~く 分かります。なお本段落の画像は、ネットから拝借・編集しています。
なお、上方に掲示してます『中将姫物語』は、当地で購入し、帰りの車中で読み了えた本です。
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                         何とまぁ ええ 〇〇 だことか・・・
帰り路、当寺近くに建つ『葛城市相撲館「けはや座」』さんに立ち寄りました。日本の国技である相撲は、垂仁天皇さんの前で行われた、野見宿禰(のみのすくね)さんと當麻蹴速(たいまのけはや)さんの 力較べが発祥とされてます。勝負は、けはやさんが絞め殺されてしまうのですが、当地が けはやさんの出身地ということで、当相撲資料館が設けられている とのこと。
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館内に 本物サイズの 土俵が誂えられてましたが、その大きさに びっくり仰天しました。

素晴らしいお顔の 大好きだった柏戸関の写真がありましたので、撮らせていただきました。


今回 當麻寺さんにお参りしたお陰で、H15.2.12 函物として完成をみてから 約19年、 当『待月百休庵』として取り揃えたい調度品が全て 揃えられたのであります。そのファイナルが、

當麻寺さんで購入してきた当寺のご本尊『當麻曼荼羅』のミニチュア。この上下部分を 取り置きしていた細竹に貼り付け、掛け軸として お床の壁に吊るせたことです。
..

で、また機会がありますと、二上山 雄岳山頂に設えられている 大津皇子さんの墓所にお参りしてきたく思っています。そう言えば、上掲の上島さんの ご本を読んで初めて知ったのですが、
大津皇子さんの大津は、滋賀県の大津から来てるとばかり思ってましたが、そうではなくて、

百済救済(白村江の戦い)に臨むべく博多の "な (女ヘンに那) の国” の大津に滞在しているとき、大田皇女( 中大兄皇子 (天智天皇) さんの妃)さんから生まれたので、大津皇子と名付けられたとの由。ちなみにその前年、大伯 (おおく) の海(岡山の邑久の海)にいるとき生まれた姫君が 大伯皇女でありまして、その近くに住まうオイラにとりましては、より身近に感じられることでありますし、

さらに、天皇さんとなられるに相応しい、 非の打ちどころのない 素晴らしい男振りの方でいらしたという大津皇子さんに、大層 よく似たお顔立ちの 聖観音菩薩様が 薬師寺東院堂にいらっしゃるとのことで、一度 拝顔できたら とも思っています。

                 ウェブから頂戴した 当該 聖観音菩薩様の御画像です。

 < 追 伸 > R4.5.28 記
 7.16~8.28『奈良国立博物館』さんで『中将姫と當麻曼荼羅』という催しがあるようです。
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 < 追 伸 > R5.1.2 記
 R5.1.1 BS日テレ『ぶらぶら美術・博物館』のラストを飾りましたのは當麻寺さんでして、
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                 この3枚の、素晴らしい画像を得ることができました。


 < 追 伸 > R5.1.25 記 
 R5.1.21 BSフジ『にっぽんの道』『第2話 古代の文化が通った道 竹内 (たけのうち) 街道』で、この情景が映し出されました。
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 < 追 伸 > R5.12.3 記

 R5.10.2 BS11『京都浪漫』で、京都 永観堂 禅林寺さんの 国宝『山越阿弥陀図』が映し出されました。中将姫さんがご覧になられた 阿弥陀如来様は、こんなお姿だったのかもしれません。

 

 



 

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ハッとさせられ、もうウットリ…のモノふたつと、ニッポンが本気で立ち向かわないといけないコト ふたつ

2021-10-16 12:04:30 | 日記
 R3.10.5 NHK-BSP『アナザーストーリーズ』は、高松塚古墳壁画が取り上げられてましたが、オイラは そこに描かれている女性に ハッとさせられ、もうウットリ。生身の女性に相手にされなくなった代償でしょうか、それとも美的感覚の練達? or 老成?。とまれ、若い時分には無かった感性が育まれていることだけは、確かです。 
..

 R3.10.9 BS朝日『子供たちに残したい 美しい日本の歌』では、『ちいさい秋みつけた』が取り上げられてまして、岩手県北上市『サトウハチロー記念館』さんに掲げられている、ハチローさん自筆の書が映し出されていました。オイラは その文字とコトバに やはり、ハッとさせられ、もうウットリ。すばらしい・・・溜息 しきり であります。

「こころは やさしく ことばは 美しく」・・・何と素敵な 言葉であり 書だことか・・・


  ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 衆議院が解散され、実質 選挙戦が始まりました。国の有りようを問う選挙のはずなのです。オイラは、次の 2点について、徹底した議論を戦わせるべきではないかと思っています。

① 如何にして、間近に迫った中国の侵攻に立ち向かうのか。
台湾への侵攻は、わが国への侵攻とイーブン・イクォールです。どう備えるか、今すぐ考えるべきです。幼稚で馬鹿げた憲法のため 国が滅んじまっては、元も子もありません。一刻も早い対応が、今こそ求められています。

② 如何にして、国力アップを図るか。
.
 R3.9.18 付け産経新聞に出た 今堀守通経済部長さんの『なんでも「安い」日本が危ない』記事で示された、このデータを見、オイラは大きなショックを受けました。特に平均賃金の低さ。平手造酒じゃあるまいに なして、斯くも落ちぶれ果てちまったんじゃと。

OECDは、ドイツ、フランス、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、フィンランド、スウェーデン、オーストリア、デンマーク、スペイン、ポルトガル、ギリシャ、アイルランド、チェコ、ハンガリー、ポーランド、スロヴァキア、エストニア、スロベニア、ラトビア、リトアニアという 22のEU加盟国と、
日本、イギリス、アメリカ、カナダ、メキシコ、オーストラリア、ニュージーランド、スイス、ノルウェー、アイスランド、トルコ、韓国、チリ、イスラエル、コロンビア、コスタリカの、その他16か国から成る経済協力開発機構ですが、これら国々の平均より 20%も平均給与が低いのです。

日本ともあろう国が こんな体(低)たらく、嘆かわしいなんてものじゃありません。与野党問わず もう総力を挙げ、もちろん 少子化対策も含め、挽回に向けた あらゆる施策を討議し、国力UPに邁進せずして 何とするっ !!! であります。ヘノコだの モリカケだの サクラだの ガクジュツカイギだのと、未だ こんなんゆうとる野党って、国賊以外 何者でもないと思っています。

否、代議士先生の不作為ばかり責められません。元凶は、自分自身を含めた国民ひとりひとり および、それらが寄り集まった 大衆にあります。これが 劣化しちまってるからでしょう。R3.10.15付 産経新聞『モンテーニュとの対話』で、佐々木孝さん翻訳による、スペインの哲学者 オルテガさん著の『大衆の反逆』という本の中の、惚れ惚れする名文句が紹介されておりました。下は 当該記事の一部。



本当に 小気味好い 素晴らしい言葉でありますので、抜き出し、デジタル化するとします。

 ● 人間に対して為され得る最も根本的な区別は次の二つである。一つは自らに多くを要求して困難や義務を課す人、もう一つは自らに何ら特別な要求をせず、生きることも既存の自分の繰り返しにすぎず、自己完成への努力をせずに、波の間に間に浮標(ブイ)のように漂っている人である。

 ● むしろ現代の特徴は、凡俗な魂が、自らを凡俗であると認めながらも、その凡俗であることの権利を大胆に主張し、それを相手かまわず押しつけることにある。

 ● 大衆は、みんなと違うもの、優れたもの、個性的なもの、資格のあるもの、選ばれたものをすべて踏みにじろうとする。みんなと同じでないもの、みんなと同じように考えない者は、抹殺される危険に晒される。

記事執筆者である 文化部 桑原聡さんは、次のような言葉で 結んでらっしゃいます。

 ● この国は高貴な魂とは無縁の『大衆』の帝国に成り果てようとしている。

オイラは思います。このような大衆を粘り強く説き伏せ、場合によっては強行突破してでも、あるべき姿に持ってゆくのが、本当の政治家ではないかと。かの安保闘争における岸信介内閣総理大臣のように。

それから、靖国神社さんへは、天皇さんを始めとする他の皇族方さんも、総理大臣を始めとする閣僚の皆さん方も、全員 絶対に、参拝すべきであります。CHINA、KORIA、アメリカさん他が 何と言おうと、断じてお参りすべきであります。

彼らの魂胆は、日本人の心棒をふやけさせ、国家そのものを ふにゃふにゃに蕩けさせてしまうことにあって、その標的として ヤスクニが最も効果的なアイテムになってるということに、日本人全員が 一刻も早く気付かねばなりません。国のため 命を賭し戦っても、知らんふりされたんじゃ 誰だって そんな気、持てるわきゃない、極めて当然な帰結であります。本当に「世界は悪意に満ちている」のです。こんなん、イワンでもアタリマエなコト。それにしても現憲法の何とも 腑抜けて、間の抜けていることよ・・・

 この際です。鬱憤を吐き出します。民放BS放送を席捲した感のある通販業者、その主役の一角を占めてのが 英国・ダイソン社さんの掃除機や、アメリカ・アイロボット社さんのルンバ。世が世なら このような商品、日本の電機メーカーさんから発売されて然るべきシロモノ。ふた昔ほど昔、衰退の代名詞になっていた感のあったイギリス。されど さすが アングロサクソン、金融しかり創薬しかり、はたまた家電だってしかり・・・、やはりタイシタ民族です。そうそう、同じような位置付けの商品として、ロボット掃除機の草分け ”ルンバ” がありましたです。
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次の地震はどこで起きるか?& 斎藤茂吉さん作詞 信時潔さん作曲の『日本のあさあけ』という歌、皆様 ご存じですか?

2021-09-29 19:23:11 | 日記

 『MEGAQUAKE 巨大地震 2021~震災10年 科学はどこまで迫れたか~』という番組が、
R3.9.12 NHK-Gでありました。赤さ加減は発生確立を、白線は活断層を示しています。

  ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ 

 『街道東征』に続き、新保裕司さんが また素晴らしい楽曲を知らしめて下さいました。その歌は、斎藤茂吉さん作詞 信時潔さん作曲の『日本のあさあけ』。残り時間の少ないオイラの、何としても聴きたいという思いは強烈でして、5,500円という高いバリアなんぞ 難なく突破。その分、半額食品を買って食めば いいだけの話と期して。
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2枚組CD (全42曲) の最後に 収録されています。全曲、小山明子さん歌唱 (アルト) ピアノ伴奏:山田啓明さん。


       日本のあさあけ   斎藤 茂吉

       ひむがしに あかねかがよひ
       祖先(とおつおや) 生まれし国土(くにつち)
       あらた代に 今こそ映ゆれ
       見はるかす 小原(おぬ)も木原も
       香ごもりて 幸(さきは)ふごとし
       もろともに 祝(ほ)がざらめやも

       あたらしき 朝明にして
       峰々のとほきそぎへに
       雲はるか 常若(とこわか)の国
       むらぎもの 心さやけく
       澄みとほる 光こそ見め
       とことはに 和(のど)にあゆまむ

オイラは思います。めっちゃ素晴らしくも、演奏奏時間は たった 3分44秒という楽曲を 5,500円も出さないと聴けないなんて、これほどの悲劇、そうは無いねと。ここは『海ゆかば』『日本のあさあけ』を切り出した 廉価版 CDの発行が望まれます。

更に NHKさんの『名曲アルバム』でも採り上げていただけないかと、切に思います。それにしても、これほどの名曲が 70年近くも埋もれたまんまになっていたなんて、信じられないことであって、頗る悲しく 極めて残念なことでございます。

で斯くなる上はと後日、手持ちCD4枚の中から、これはという楽曲を抽出することとしました。
      
                             ( R3.10.2 追 )
以下は、当該情報をお教え下さった 新保裕司さんの R3.9.27 産経新聞『正論』記事です。お目通し下さいますと、甚だ幸せに存じます。


投稿 2時間後の今 見聞し、分かったことですが、You Tube に『日本のあさあけ』が出ていました。ぜひとも ご視聴あれ。

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江口玲さん、好かったです & 坪内稔典先生、ご指摘ありがとうございます & 高市早苗さん、頑張れー !!!

2021-09-17 19:21:15 | 日記
 R3.9.10 NHK-BSP『クラシック倶楽部』は、『江口玲 ( "れい" ではなく、"あきら" と読みます ) アメリカに心を寄せて』というタイトルの放送でして、その中で、ジョージ・ガーシュインさん作曲の『ラプソディ・イン・ブルー』と、 オイラが 殊のほか大好きな

ラフマニノフさん作曲『パガニーニの主題による狂詩曲、第18変奏』の、

江口さんご自身編曲の ピアノ曲が、演奏されました。オーケストラ版に 引けを取らない盛り上がりがあり、たいへん好かったです。もちろん CD にしており、楽しんでます。
     
     ⑥ の 3分24秒は、まさに 天国にいる気分です。

  ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ 

 以下は産経新聞 毎日曜日連載、坪内稔典(としのり)先生の R3.9.12『モーロク 満開』ですが、久方ぶり天野忠さんが取上げられてまして大喜びしたのですが、ひょいと気懸りなことが、
.
                  下段 ←|→ 上段      
既ブログ『天野 忠さん、バンザーイ !!!!』に 誤りがあるのではないか と気付いたのです。案の定、「蝉は/みな死んだ。」が抜けていまして、直ぐ追加しています。ただし 空白行まで 忠実に直せてません。この空白行、そして縦書き横書きという大きな違いがありますから、本当に味わうなら ・・・当たり前のことにつき 以下 省略です。

で、思ったのです。この記事って ひょっとして、オイラに 間違いを気付かせるために書いて下さったのではないかと。ネンテン先生、ご指摘下さいまして 本当にありがとうございます。

  ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ 

 いよいよ自民党総裁選挙の火蓋が切って落とされ、今日は 4候補さんの演説会。その中でも 高市さんが 断然、光ってました。オイラは思っています。日本人なら、まして自民党員なら、高市さん以外 考えられないだろうに とすら。

で、です。こんなオイラの気持ちに 見事に応えて下さってる記事が、昨日と今日の産経新聞に載ってまして、これはぜひとも皆様方に お読みいただかなくては と思った次第です。お目通しいただけますと、甚だ幸せに存じます。
 まずは、R3.9.16 の、櫻井よしこさんの『美しく勁き国へ』『総裁選特別編」記事です。


 続きまして、R3.9.17 の 西尾幹二さんの『正論』です。

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オトン供養:宮史郎さんetc.の歌  & これぞ本物!!『大阪締め』~ 大阪天満宮さん『天神祭り』『どんどこ船』 陣触れ ~

2021-09-13 21:02:31 | 日記
 松尾和子さん、当時は未熟で よく感じなかったですが、今では とてもよく分かります、その素晴らしさ!!! 。こんな歌い手さん、もう二度とお目にかかれないかも・・。それにしましても この『再会』は、本当に本当 !!! 、永久保存の価値ありです。スゴッ !!!
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    ( ↑ R3 .9.3 BS東テレ『徳光和夫の名曲にっぽん~吉田正生誕100周年SP』より)

            神野美伽さんの『花のように鳥のように』、素晴らしい歌でした。

       ( ↑ R3.9.4 BS朝日『人生、歌がある ~ 杉本眞人さんトリビュート』より)
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宮史郎さんの『女のねがい』。『女のみち』とともに、めっちゃめちゃ 好きじゃった オトン。上の 2曲も取り入れた CDを拵え、あの世の オトンに聞かせます。          
           ( ↑ R3.9.3 BSテレ東『プレイバック日本歌手協会歌謡祭』より)

    
 ”ふでDEまんねん” でのジャケット作りは タイヘンなので、ネックになってました。そこで、録音時のリストを そのまま使うことに 。かなり乱雑ですが、滞留させとくよか数段マシかと。現在 メルカリさんで、多色ボールペン数種 仕入れ中。(本段落、R3.9.17 追記)

 

 世界的なオーボエ奏者ハインツ・ホリガーさんと、そのお仲間さんたちのコンサートが、R3.8.31 NHK-BSP『クラシック倶楽部』で放送されまして、オイラは その中のある1曲に、ガツーンと頭を打たれました。

ホリガーさん作曲『Klaus-ur』。ディエゴ・ケンナさん吹かれる バスーン ( 別名:ファゴット) から発せられる、巨大船の汽笛が如き音が、耄碌しかかった我が脳ミソを、「ヴォワ~ン、こりゃ しっかりせんかー !!! 」と言わんばかりに 強烈にど突いてくれ、めっちゃめちゃ心地好かったのです。で、こちらの方は 既に CD にし 度々 聴いとるんですが、それにしても バスーンの音って 何と男性的なことか・・・それをだんだん失いつつある者にとりましたは、何とも魅力的に感じられるのであります。が、ふと 気付いたことがあります。それを 決定づけてるモノ。見て下さいますか、この角度と太さと長さ。これは 羨望のマト以外、何物でもござんせん。
 
  ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ 

 ”手締め”で一番の好みは、断然 ”一本締め” なのですが、H26(2014).11.14 付『 小津映画【浮草】で見た「手締め」への憧れ』で述べておりますように、その映画での 二代目 中村鴈治郎さん扮する旅芸人一座の座長さんの音頭による『大阪締め』に、何ちゅう味わいのある締めなんじゃろう と、心底 惚れ込んだ訳ですが、その憧れの『大阪締め』、この 本当のホンマモンを、R3.9.4 NHK‐BSP で放送 (H30年9月の再放送) された『発見!体感!にっぽん水紀行「祭りと人と水の都~大阪~」』という番組の中で、目にすることができたのです。

番組は、京都:祇園祭 東京:神田祭とともに 日本三大祭のひとつとされる、大阪天満宮さんの 1000年の歴史を有する 天神祭りが中心に据えられてまして、
....
お祭りの主役『どんどこ船』の出航に当たり、『大阪締め』で 景気付け (手打ち) が為されたのです。音頭を取られた方は、どんどこ船の構元であられる夏凪一嘉(なつなぎかずよし)さん。
. 
実は今日 このどんどこ船のあるは、夏凪さんのお父上:秀之助さんのお陰なのであります。と申しますのも、大東亜戦争の空襲で大阪市内は焼け野原になってしまい、各町内会で所有していた数ある どんどこ船も、全艘 焼失しちまったそうな。そこで 八百八橋や学校や郵便局を作った大阪商人の心意気やここに とでも申しますか、 どんどこ船を作って 寄進なさったんだと。
.
どおりで、ご立派な 親父さんのお血を引いてらっしゃってか、イイお顔 してらっしゃいます。では、その夏凪さんの音頭による "大阪締め" の場面、とくと ご覧くださりますか。

      「打ちましょ」 「ちょん ちょん」

      「もひとつせ」 「ちょん ちょん」

      「祝うて三度」 「ちょちょんの ちょん」 
この手締めで 身を引締め 景気を付け ココロひとつに、いざ !!! 、祭りに繰り出すのです。
.
なお この どんどこ船による行事は、大阪府さんの 無形民俗文化財 に登録されているとか。


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『 けっぱり先生 』、現わる !!! ~ NHK-ETV特集『コロナに負けない~名物校長と笑う学校~』( R3.4.24 放送 ) より

2021-09-02 16:57:33 | 日記
 4ヶ月半ほども前のネタで恐縮です。が、本稿 出来栄えは兎も角、それだけの時間 温めていた話題である ということではあります。まず、当稿の主人公 田畑栄一先生 ご自身がおっしゃるところの、” 根っこの体験 " から話しを進めさせていただきます。



中学教師となって 5年目、先生は初めて 不登校の生徒の在席するクラスの担当となりました。
希望に燃えていた先生は、学校に戻って欲しい一心で、幾度ともなく家庭訪問したのですが、
卒業まで 願いが 叶うことはありませんでした。


時が経って その 10年後、同窓会でのことです。「先生!、田畑先生、お久し振りです! 」と呼び掛けられたのです。見れば、忘れもしない かの生徒。「今日は先生に お礼を言いたくて来ました」、「先生が、何度も家に来て下さったのが 嬉しくて・・・それが今も 支えになっています」。先生は 生徒と手を取り合って、涙に暮れたそうです。

先生は思ったです。関わり続けてゆけば、現象として 顕れなくとも、心に響いているのだ。目に見える現象 それのみが 教育ではない。目に見えない心の進化も 信じなくてはならないのだ と。

関わり合うツールとしての定番は、将棋・碁・オセロ・トランプ・けん玉 等々で、実際 よく利用されてきています。しかし これらで 協調性・コミュニケーション能力・創造力・プレゼンテーション能力の涵養とか言った 教育効果が得られるかと言ったら、疑問は残ります。それらに資することのできるモノって 何か無いだろうか・・・実は それは 先生のすぐ隣にありました。

先生が深く愛してる漫才です。それに 今、学校では ”笑い” が あまりに軽視されている という思いもありました。漫才を採り入れ、笑いを取り戻すのだ。漫才は 人を笑うことでも 人に笑われることでもない、計算された言葉で 笑わせるのが漫才。漫才は言葉の芸術と言えるものなのだ。

それに マイクの前で堂々としゃべれるとしたら、プレゼン能力の向上は 計り知れないものがある。これほど優れた教材って 他に何かあるだろうか・・・・・6年前のことです。

直ぐ 吉本興業さんへ TEL しますと、「協力します」と、支配人さんから ココロヨイ返事。で、本背景のもと『教育漫才』というカテゴリー(カリキュラムとしたほうが妥当かも)を確立すべく検討に入りまして、その過程や内容については、番組で触れてないので 分からないのですが、結果的に このような本が上梓されるまでに 漕ぎ着けてられます。 


 番組タイトルに ” 名物校長 ” とある通り、既に よく知られた存在になられてる先生は、令和 2年、埼玉県越谷市立 新方 (にいがた) 小学校 ( 全校生徒 203人 ) の校長先生に赴任されます。ただし コロナ禍の折柄、実質的 始まりは R2.6.1 。2か月遅れのスタートとなりました。
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休校の影響は 予想以上でした。ペースが狂っちまって、集中できない子 チグハグな行動の子が多いように感じられます。中でも特に気掛かりは、笑わない生徒の多いこと。これは何とかしなくては・・・先生の動きに、一層 拍車が掛かります。

  校長室は いつも開放。安心できる部屋になるようにと、遊び道具も各種取り揃えてます。
  心の状態を見極めるため、授業に出たくない人は 校長室へ来なさいと 呼び掛けてます。

コロナだからこそ、今まで無かったものを作り上げよう。ピンチはチャンス と呼び掛けます。


 夏休みが明け、落ち着きを取り戻したかに見える 9月16日、校長先生は 6年生 41名に向け、提案しました。もちろん 5回目の 6年生の担任になってる 吉野学之紀先生と一緒にです。

歓迎行事や運動会など、大きな行事が中止になってしまった。が、嘆いてばかりいてはダメだ。まして小学校最後の大切な年。楽しい想い出を作らないで何とする。先生は ” 笑う学校には 福 来たる ” という 信念を持っている。笑いで直ぐ思い付くのは 何たって 漫才だ。

どうだろう、みんなで漫才をやろうではないか。それに漫才は芸術なのだ。みんなで挑戦して、みんなで 笑いあふれる 温かい学校を作ろうではないか と。

総合学習の時間に取り組むことと。まずは、くじを引いて

コンビを作ることからスタートします。

次はネタ作り。漫才の基本は ”3段落ち” 。
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普通のコト言って 普通のコト言って、3段目に落とす。このオチのところが勝負。
ただし この二つは絶対あってはならない。また 演ずるときは あくまで ”堂々と” やること。 


子どもたちは 生き活きと 作り出します。
..
そして何回も練習します。

大きな舞台で練習します。
..
受けたりとか 滑ったりとかし、修正して、訓練するに見合って、その繰り返しをやることにより、表情がすごく生き生きしてき、声にも張りが出始めてきます。

この発達過程はスゴイと思いました。先生のアドバイスがあるとは言え、丸っきり zeroから生み出すのです。みんなの前で 元気に発表するのです。オー・マイ・ガー !!! とはこのことか。
『漫才は言葉の芸術である』という発想に衝撃を受けたですが、この子供たちの適応力の素晴らしさにも同様に・・・・・スゴッ、感心しました。

R2年12月 4日、取り掛かって3か月目、いよいよ発表会 !!! 。

『新方小学校 漫才グランプリ』略称『 N-1 』。保護者の方々に参加いただき 開催です。

第1部は、教室於いての 全組参加の 発表会。
...
みんな 大熱演。出席された親御さんたちの 感動、如何ほどのものだったことかと・・・・
第2部は、会場を体育館に移し、保護者の皆さんの投票で選ばれた

この ↓ 上位 4組の皆さんが 大きな舞台で演技し、『N-1』の幕が閉じられたのでして、
...
見事、一大イベントを やり終えた生徒の表情は、それはそれは充実感に満ち溢れていました。

6年生たちの熱意は 3学期に最高潮に達します。彼等の発案で、全校文化祭が挙行されました。
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” 密 ” を避けるため、会場は 各教室を使った 分散開催です。

漫才は、5年生にも 4年生にも 拡がりを見せてます。きっと 良き伝統に育って行くのでは・・

6年生男子による ダンスは、一番の喝采を博しました。


卒業式を間近に控えた 3人の 6年生の、この 1年 振り返っての 感想です。






卒業式です。
..
                生徒から ”寄せ書き” の プレゼントがありました。


田畑栄一校長先生は、このようにも述べてらっしゃいます。

「日本全国が漫才学校になると、いじめや不登校とか自殺がなくなるんじゃないかと思います」

           【 教育漫才で、子どもたちが変わる。~笑う学校には福来る~ 】
NHK-Eテレ ETV特集『コロナに負けない~名物校長と笑う学校~』、素晴らしい番組でした。



 なお タイトルに『けっぱり先生・・・』と冠しましたは、オイラが独身時代に読み感動した、山口瞳さんの『けっぱり先生』から拝借したものです。田畑先生は、その けっぱり先生に とてもよく似かよってる先生だなぁと 思えたからです。で(実際 どうだったのか知る由もないのですが、番組の BGM がそうでした)惜しむらくは 卒業式に、合唱曲『旅立ちの日に』は 本当に素晴らしい楽曲で オイラも大好きな歌ですが、これに加えて もう1曲『仰げば尊し』を歌ってほしかった・・・・つくづく、そう思います。けっぱり先生は、決してうたってくれるな と仰せでしたが、周りの人たちから自然に、この歌が 朗々と湧き起こってきたように・・・・
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懐かしい日立市の映像 と 武満徹さんの素晴らしい歌の世界

2021-08-21 14:08:31 | 日記
 本日12時から再放送の、R3.8.15 オンエア NHK-BSP『 新・BS日本のうた SP 』、茨城県
日立市で催された吉田正さんの生誕100年記念コンサート。この中で、 オイラが社会人生活をスタートさせた S39年度と、給料いただきながら学生生活させてもらった S41年度の 計2ヶ年度を過ごした 日立市の現在の映像が流れ、オイラは それに めっちゃめちゃ 懐かしさと 嬉しさを覚えた有様でして、以下は、いつでもその感慨に浸れればとの思いで 留め置くものであります。

 神峰公園の遠望ですが、S41年5月連休前日の午後9時頃、この下から北へ向け、ひとつ上の友人と一緒に歩き旅を始めたところ 直ぐ様 ライトバンが拾ってくれ、岩手県一関市まで運んで下さったのでして、その日は同期入社で寮で同室 既に仙台近くにUターンされていた千田 (ちだ) さん宅に泊めていただいたのを、そして お祖母さんの言葉が一向に判らなかったのを想い出します。ところで、今 千田は どうしとるんじゃろうか。どうか達者でいてくれますように・・・

S40年の 2月上旬でしたでしょうか、朝10時ごろ、2段ベッドの上の段で目覚めましたらば、何や暑くてしょうがないものですから、無性に 泳ぎたくなりまして、海まで歩いてって入水したものの、痺れっちまい、早々に引き上げたのを思い出す日立の海です。そりゃ~冷たかったです。
                 多分 ↓ この下の白長の建屋がオイラのいた海岸工場?

オイラは専修学校(日専校)でなく、専門学校(日工専)卒業ですが、

吉田先生と同じ 日専校を卒業したはずの、ジェームス・ボンドによく似た顔をしてた 鈴木君、それから 高田君、今 どうしてられるのか。元気であられること、祈るばかりです。
 そして、番組には
 
我ら世代には 絶対的なヒロイン、吉永小百合さんも 重要な役回りで ご出演でござったです。
..
 なお当番組でオイラが取り置いた歌は、坂本冬美さんの『再会』のみ。悲しいですが 現時点、フランク永井さんや 松尾和子さんの歌を引き継げる歌い手さんは 見当たらない状況・・・そうなんですよねぇ、ついでに申しますと、桂銀淑さんの歌も 後継者不在で 寂しい限り。それと、石原詢子さんには ぜひとも 青江三奈さんの歌を受け継いでってほしいと思ってます。青江さんと雰囲気がとてもよく似通ってらっしゃいるので、特に。

 < 追 補 > R3.8.31 記
 以下は、2018.12.23付ブログ『 ユージン・スミスさんの叫びに胸を打たれました ~ NHK Eテレ『写真は小さな声である ユージン・スミスの水俣』より』からの転載です。海岸工場の現場写真、懐かしいものですから・・・

 最後に一つ、水俣病とは関係ないことですが、追記します。当番組で紹介されてたことですが、ユージンさんが『日立』という企業写真集を撮られてるということ。オイラが1年だけ在籍の 2,3年前のことですが、懐かしい職場(オイラは大電機)写真でした。
 

 さらに、2010.8.4 付ブログ『百休気まぐれ 8泊旅(12)【日立市】』も転載します。

 ここは、18~19歳に亘る1年間、人生なんて知る由もない新入社員時代と、20~21歳時 給料戴きながらの全寮制企業内工業専門学校(その昔 アメリカの雑誌「TIME」の表紙になったこともあります)時代の、都合 2年 を過ごした場所であります。
 海岸工場の周りを 車で2周しましたら、「ああ 工場のほうは ほとんど同じなんかなぁ」と確認したのでありますが、しょっちゅう行っておりました駅前の田所書店は、周りが変わり過ぎておりまして、車からは 分かりませんでした。
 次に 最初に入った寮の面影を偲ぼうと、兎平から坂道を上がったのでありますが、このほうも まったく見る影もなく変わってしまっておりまして、その昔 東洋一の音響設計だと、当時はその名を轟かせておりました、愚生が会社の音楽祭で、アカペラで「ダニーボーイ」を歌い「努力賞」をお情けで戴いた、栄えある創業者の名を冠された大劇場「小平会館」が、見る影もなく こじんまりと、鼠色に、地味に地面に伏せっているのが見えたっきりであります。
なお、がっかり度が過ぎまして、もうひとつの寮「茨専寮」には、時間のこともあったのですが、見に行く気になりませんでした。
 今 思いますに「志学寮」なんて、なんとも素敵な名を付けたものかと思われます。当時の会社の意気込みが よく伝わってくる名付けであります。東北出身の 寮の若くて可愛いマカナイさんに、陰ながら見守られながら、誰もが、同じ作業ジャンパーを着て、眼下に広がる雄大な太平洋や昇る朝日を拝しながら、毎日 元気に出勤していたものであります。
 次に向かいましたのは、旅行2日目に滞在しました郡山の市立図書館の電話帳で、入社時 お世話になった配属先の直ぐ上でありました先輩のお名前が、渡辺でなく渡部であったことに なかなか気付かず、ずいぶん手間取ったのでありましたが、何とか電話番号を特定でき、前夜 連絡が取れておりますお宅であります。昭和22年生まれの、旦那さんと同じ山形県出身の、芯から明るい きれいな奥さんの 温かいおもてなしを授かりながら、懐かしい先輩に、日立地区代表として、お会いいただいたのであります。愚生と同じように 56歳で早期退職されたとのことでありました。
 宮本という、素手での波乗りを教えてくれた、自転車で一緒に江ノ島まで行った同期のナイスガイに 特に会いたいと思っているのでありますが、下の名前の記憶を失ってしまっているため 電話番号帳では特定できず、また ひょっとして当地にきたら思い出すのではないかとの 甘すぎる一縷の期待も案の定 外れまして、あきらめざるを得ない状況にて、後ろ髪を引かれつつも、南に向かったのであります。
     
新入りのオイラの頭を押えている右側の人が 渡部先輩であります。何キロ先だったか忘れてしまいましたが、北に行ったところの海岸です。
     
     志学寮の きれいな ↑ マカナイさんたち。納涼大会かなんかです。
     
                    ↑ 当時の茨専寮です。
茨専寮から見た ↓ 日立茨城工業専門学校です。志学寮からも同じように太平洋が見えました。
     


 < 追 伸 > R5.6.13 記
 本日の NHK~BSP『プレミアム・シネマ』で、裕ちゃんの『嵐を呼ぶ男』が放映されまして、裕ちゃんの カリスマ性や スケールの大きさや 斬新さというものを 改めて認識しておりますが、中に たいへん嬉しい画面━━TVニュース場面━━がありましたので、ここに載せておきます。




  ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ 


 R3.8.16 NHK-Eテレ『クラシック音楽館』にて、大友良英さんプレゼンツによる 武満徹さんが創られた歌の特集がありました。武満さんの歌は、今や オペラ歌手さんや 数ある合唱団さんたちによって多く演奏されている人気楽曲となっているのですが、没後25年という節目に企画・創作・制作された 今コンテンツは、今までのどの演奏よか各ミュージシャンさんたちの感性が際立つ、インパクトのある、非常に優れた作品群でございました。

特に衝撃に近い感銘を受けましたのは、ボーカル&ギター:七尾旅人さん ギター:大友良英さん(ピックは黒いボルトでした)による『死んだ男の残したものは』。中でも、間奏部分のアドリブ的演奏のアンサンブル。それにしてもスティール弦の響き・切なさは 堪えられません。

さらに特段 目を引きましたのが、『めぐり逢い』での トランペット奏者 類家心平(るいけしんぺい)さんの、風船の如く ぷわ~っと ↓ 膨れる頬っぺた。

それにしましても、音楽的な才能と技量の豊かな方って、何と大勢いらっしゃる時代になったものかと、つくづく思います。ただし演歌の歌い手さんは、昔のほうが断然 上手と思いますが・・
  
   ↑ 上記 歌と、日本人作曲家さんの創られた楽曲で統一してます。
    (『めぐり逢い』であるべきを、『めぐり愛』と書いてしまってます )
  
   ↑ 直近 制作のCD。『豊後水道』『京都から博多まで』の阿久悠さん詞に感心してます。
    歳を寄せた宮城まり子さんの『ガード下の靴磨き』は、芸術の域まで達してられます。
    若き 藤純子さんの『緋牡丹お竜』に 痺れています。
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澤田瞳子さんの力量評価が遅過ぎです !!! & 目を見張った NHK名曲アルバム『星めぐりの歌』アニメーション

2021-07-21 21:38:09 | 日記
 R3.7.15 産経新聞『人』欄 記事です。
    
オイラは、一冊読んだだけで判りました。この方の力量。瞳子さんの頭の中には、日本の歴史を彩った主な人たちが 恐らくは、皆さん生きたまんま棲み続けているのではないかと。で、それらの方たちの行動をなぞることで作品が出来上がっているのではないかと。

第165回直木賞にノミネートされてることを知ったオイラは、絶対に取ると思ってました。何故なら、審査員の作家さん方を、とっくに凌駕してらっしゃるから。怖いのは、その先生がたの 敵愾心・嫉妬心 だけだろうと思ってました。

何しろ奥行といいますか、重層性が違うのです。司馬さんがよく使われる手 ”余談ながら” の対象になる話題を多分、数限りなくお持ちではないだろうかと思うのです。披露されないにしても、行間から滲み出るモノがあるのです。オンナ司馬遼太郎さんと言って差し支えないのではないかと思っています。

特筆すべきは、学生時代ご研鑽の賜物でしょう 飛鳥・奈良時代の事柄についてのご見識。歴史小説世界においては、従来 手薄であった時代だけに、瞳子さんの作品は、かなりの部分 その空白を埋めて下さっています。オイラが興味を抱いている時代なだけに、嬉しさ一入であります。

直木賞受賞となれば、古本が枯渇するやもしれません。オイラは、実在の人物をモチーフにした彼女の作品を蒐集することとしました。で 集めた本は、既読分も含め以下でございまして、今後 読むのが楽しみなことであります。なお『若冲』は 好きな画家さんでないのでスルーしてます。

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 今回、砂原浩太朗さんの『高瀬庄左衛門御留書』という小説もノミネートされてました。この小説、R3.2.21 産経新聞に文芸評論家の縄田一男さんの、まぁ これほど褒めそやした、かつ これほど名文の書評って 未だかって無かっただろうほどのプレゼンテーションがされてましたから、オイラは 万障繰り合わせて というふうな感じで手に入れ、読了してまして・・・


たしかに当初は、清冽さが あまりにも際立ってるものですから、オイラのような薄汚れた人間ですと、なかなか文章に入り込みづらいといった側面がありまして、そのウオームアップに 2週間ほど要してます。そして満を持し再参入、 平坦な道を延々歩いて行ったら いつのまにやらラストの、それはそれは見事な描写の 斬り合い になっていた という印象が残っています。なお オイラがここに取り上げた理由は、この縄田さんの書評を留め置きしたいがために他なりません。 

  ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ 

 R3.6.13 NHK-BSP『名曲アルバム+』で、素晴らしいアニメーションの『星めぐりの歌』が放送されました。惜しむらくは 3分という短かさ。ここは『種山が原』という名曲を織り込むなどし、ぜひとも 5分に仕上げていただきたかったなぁと思っています。
...
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【 聖徳太子様 ステイホーム 1400年遠忌 】 & 『音楽の友』誌さん掲載の「クラシック作曲家人気ランキング 2021.4」  

2021-06-26 20:17:39 | 日記

 ↑↓ 我が家の紫陽花の一部。↑ この大きい木は 5,6年振りに実をつけてくれた スモモ です。
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 『小学館イマージュ』さんの DMチラシの中にあった ↓ この写真を見るなり、オイラの中の ”ゼヒトモコレハノスイッチ” が入りました。えもいわれぬ "安らぎ" が 得られたからです。


西暦622年4月8日、48歳でご薨逝なされました聖徳太子様、年回忌法要は数えで行うシキタリでありますから、本年は ”1400年遠忌” という、たいへん大きな節目の年。本来なら、奈良国立博物館さん・法隆寺さんなどで開催される記念行事に行くつもりでした。何しろ太子様は、日本を日本たらしめて下さった 史上NO1の 偉大なる大恩人様なのですから。

R3.6.7 産経新聞にも 奈良県平群町『朝護孫子寺』さんの『聖徳太子像』が紹介されてました。


数年前のオイラなら、税・送料込み 253,000円のこの像をすぐさま注文したでしょうが、ネットショッッピングに長けた(依存症かも?)昨今は、ヤフオクさんやメルカリさんをチェック。で 後者に 45,000円で出品なさってらした、丹波篠山市にお住いの久井勝昭様から購入するに至りました。下は、当庵に居を移された 太子様像。


「縁は異なもの味なもの」とは、男女の間だけではないようです。久井勝昭さんから届いた荷物に、お礼および憲法改正を願う気持ちが認められたメモと、上掲 新聞記事が同梱されていました。氏の 国を想うお気持ちと お心尽くしに、これは 返礼しなくちゃ と思いました。

氏のコメントから、終活の匂いを感じたオイラは、我々シルバー世代と称されし者たちに残された時間というものは、今まで生きてきた どの時間よりも貴重な ”珠玉タイム” とでもいえる時間につき、そのQOLを高めるに資するモノは、増やしこそすれ 決して手放すべきではないといった趣旨の オイラの考えも 吐露させていただきました。下手なブログをやってます とも・・・

直ぐに返事を頂きました。何と 久井勝昭さんも『Ameba』さんでですが、『misumaru-7653』というタイトルのブログをやってられるのだと。さらに『篠山子ども未来塾』を主宰され、日本人として大切なものの伝承に努めてらっしゃるのだと。イイお方と知り合いになれました。ほんとうに ”縁” というものは不思議なものです。皆様方に ご覧いただけますと 幸甚に存じます。


  ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ 

 メモ替わりの留め置きです。これは R3.6.17 放送の NHK-Eテレ『クラシックTV』で示された
『音楽の友』誌さん 4月号掲載、クラシック作曲家さんの 人気ランキングデータです。ちなみに オイラは、ドヴォルザークさん ラフマニノフさん チャイコフスキーさん ショパンさん ベートーベンさん ドビュッシーさん ブラームスさん の順番になるのでしょうか・・・   

       
       
       
    プッチーニさんが どうして ベスト20 にランクインしないのか、不思議に思います。


コメント (2)
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この『古き事の記』は まさに国民栄誉賞もの !!! ~ 久松文雄さん渾身の大作MANGA 青林堂さん発行『まんがで読む古事記 1~7 』

2021-06-05 09:55:42 | 日記

 R3.4.30付 産経新聞『モンティーニュとの対話』で、オイラより ふたつ年上で、10年以上の歳月を懸け『古事記』の完全漫画化を成し遂げた 2年2か月後の 4月16日、77歳で旅立たれた 久松文雄 さんのことを知りました。
.
新聞の4コマ漫画すら見ようとしないマンガ嫌いのオイラですが、これは読まずばなるまいとの思いで取り寄せたです。もちろん 適う限り中古本で ですが。なお当書籍は、平成4年『神道文化賞』を受賞されてられ、

       S 18. 4.10   名古屋市でお生まれ
       H 21. 8.10  『まんがで読む古事記①』初版発行
        22. 4.16            ②
        23. 4.22            ③
        24. 7.15            ④
        23. 4.22            ⑤
        26. 8.10            ⑥
        31. 2.09            ⑦     ここに完遂なる       
       R03. 4.16   東京都でご逝去 
このような時系列で上梓されてますから、氏のライフワークといえる 大作でありましょう。

オイラは『古事記』に関する こんな本を持っていますが、文芸春秋100周年記念出版の三浦祐之さん著『完全口語訳 古事記』は、ほとんど手付かず状態です。多分、多くの方も 同じではないでしょうか。 そして、オイラがそうであるように、
.
  
   
読んだとしても、二柱の神様の このような会話部分だけを 何とか・・・・というふうな・・

    伊邪那岐命                   伊邪那美命            
「汝が身は如何にか成れる」           「吾が身は、成り成りて成り合はざる処
                        一処在り」
「我が身は、成り成りて成り余れる処一処在り」
「故(かれ)、此の吾が身の成り余れる処を以ちて、
汝が身の成り合はざる処に刺し塞ぎて、国土を
生み成さむと以為(おも)ふ。生むこと奈何」    「然(しか)善けむ」
「然らば吾と汝と是の天の御柱を
行き廻り逢ひて、みとのまぐはひ為む」  

......    
次の本も求めてますが、当該箇所を抜き出しているだけですから、実のところ不要でした。
.

完読しまして思うこと。スゴイ !!! です。完全漫画化というのが 特に !!!、特に !!! 。ですから 読んだ者の達成感・満足感が、ハンパじゃないのです。マンガにして下さったからこそ、上・中・下巻 総べて目を通せたのです。この功績たるや 前代未聞、どんなに称えても讃え過ぎることはありません。

さらに、言うなれば古事記には めっちゃエグイことが、実に生々しく書かれていたりするのですが、久松さんの描写は ちっとも嫌らしくなく、かつ 素直にして 品性がよく保たれているのです。

絵もスゴイです。特に風景。中でも大海原の描写の素晴らしいことといったら・・・オイラは、大袈裟でなく 北斎さん 魁夷さんより上手いのではないかと 思っています。

繰り返しますが、この本は もっともっと称えられて然るべきです。歴史に残る本。日本のスタンダードとも言える本です。漫画 大っ嫌い人間の このオイラが言うのですから、間違いないです。この本ほど、この ヒノモトの国の ”古き事のコト” を、広く識らしめてくれる本はないでしょう。

それと、読んでるときに思えました。稗田阿礼さんは、よくもまぁ これだけのことを覚えておられたものだと。さらに、日本人の心の中にある ”どんなものにも神様が宿っておられる” という感覚の根源は、まさしくココにあるのだ と。

日本の国土も自然も、、、凡ゆるモノの初めは 総て 神様ご自身なのでして、その神様が 多くに お増やしになられた ということですから、そこから神様の気配が察せられるのは 極めて自然なことであります。 


  ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ 

 < 追 伸 > R3.6.9 記
 タイトルとは まったく関係ないですが、ノート替わりです。

門の下 自動車の上で 子育てしていたツバメが、本日 全羽 巣立ちました。実は 2日前に 1羽 巣から出ていたのですが、また巣の中に戻ってしまってました。どうやら 兄弟 4羽 揃うのを待ってたようです。写真は 2日前 (R3.6.7) の様子。今年は 今のところ 納屋には戻って来ず、全体的に見ましても 飛び交ってるツバメは、例年に較べ 相当 少ないように感じてます。


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田中一村さん以来の感動でした ~ 渡辺省亭さんの花鳥画

2021-05-31 12:26:43 | 日記
.......
 「オオー、すっげえ !!! 」、オイラは 目を奪われました。こんな感覚、田中一村さんの絵に 初めて接したとき以来?、否、オイラの美的感性に より 沿った絵なので、それ以上かも。

R3.5.16 NHK-Eテレ『日曜美術館「孤高の天才花鳥画家 渡辺省亭」』で紹介された、
セイテイ さんの絵を見たときの、心に 稲妻が走り シャキッとさせられた 感覚というもの。

ホントなら 直ぐに 東京まで 観に行くところですが、今は 図録を求めるほかナシ と観念。なお それが、東京新聞さんのサイトからでしか取り寄せられないことに気付くまで、何日か要したりしたですが・・・

その荷を解くとき、さらに感動が待ち受けておりました。何と何と、当展覧会のチラシを 同封して下さっていたのです。

オイラは めっちゃめちゃ嬉しかったです。行きたくとも行けない者の心情、よくぞ 酌んで下さいました。東京新聞さんと言えば 朝日・毎日さんと同様、 その政治的信条には 嫌悪感すら覚えるオイラですので、悪いイメージしか持ち合わせていなかったのですが、このお心配りは 本当に有難く、深く感謝申し上げたいと存じます。

渡辺省亭さんは 当時 日本を代表する画家さんで、パリ万博に出品されたこの絵は、マネさんの弟子 ジュゼッペ・デ・ニッティスさんが購入し、筆法研究のため 模写を試みるも、まったく歯が立たなかったのだと。現在は アメリカ・フリーア美術館さんの門外不出のお宝であるとの由。

また パリのサロンで、サラサラサラっと この絵を画き上げ、ドガさんに進呈。
..
ドガさんといえば、言わずと知れた『踊り子』で有名なお方。そのお人が、終生 手許に置いてらっしゃったんだと。何と愉快な オハナシじゃございやせんか。江戸っ子だってねぇ 省亭さん、さぞかし お喜びになってらしたことでしょう。

これほどのお方であるに拘わらず、渡辺省亭さんの展覧会は今回が初めてなんだと。この高度に発達した情報社会にあって 信じ難いことでありますが、理由は、①画壇との関わりを持たなかったこと ②弟子を取らなかったこと ③戦災でかなりの作品を失ったこと があるようです。

本展覧会は、岡崎市美術博物館さん:5月29日~ 7月11日、佐野美術館さん:7月17日~ 8月29日 と巡回されますので、何とか実物を拝見したいものですが、行けますかどうか・・・いずれにしましても、素晴らしい絵が 埋もれていたものであります。

  ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ 

 < 追 伸 > R3.5.31 記
 タイトルとは まったく関係ないですが、ノート替わりです。
 R3.3.14 産経新聞『100年の森 明治神宮物語』内の 養老孟司さんご発言の一部、、英作家 チェスタトンさんのコトバ「保守主義は死んだ人を含んだ民主主義だ」に続いてのコメントが素晴らしいので、ここに留め置きます。


 
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『New Cinema Paradise』の素晴らしさに今頃気付くなんて・・・

2021-05-25 18:14:39 | 日記

 美し過ぎるので、それを主体としたCDを 4枚も作っています。↓ は そのうちの 2枚。
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昨年 7月6日、91歳で亡くなられた エンニオ・モリコーネさんが作曲された、平成元年 (1989) 封切、伊・仏 合作映画『ニュー・シネマ・パラダイス』という映画の音楽。

有り難いことに、R3.4.29 NHK-BSP『プレミアムシネマ』で 何回目になりますか 放送された  32年も前の映画。

今まで散々絶賛されていたのに 今頃 その良さに気付くなんて、めっちゃめちゃ鈍いか、当該光年 離れた惑星に棲む 生命体のようでありますが、まぁ 気付いたのですから、ヨシとしましょう。で 好かったトコは です、

如何なる場面に於いても、、そう、全編 通じ 流れている音楽の何と美しいことか。史上NO1と言っても差し支えないですし、内容的にも、壮年に達した人間なら誰しも 多かれ少なかれ抱くであろう 郷愁を、甘酸っぱく 共有できるストーリーっちゅうトコでしょうか。

そして アルフレード役のフィリップ・ノワレさんの演技、および 年老いたお母さんが 30年振り帰郷の息子 サルヴァトーレに発した「電話すると いつも違う女性が出るんだけど、あなたを心から愛する声を聞いたことがないわ。声で判るのよ。誰かを愛して 家庭を持ってくれたら、お母さんは すごく嬉しいわ」という会話。おっとっと、忘れちゃいけません。エレナの美しいことといったら・・・ひょっとして、これが ボディーブローとなって 効いてるのかも? です。

オイラが編集したCDには、映画から3シーン (左CD②と右CD①は同じ内容で、大晦日のカウントダウンから エレナの「やだ、父よ」まで収録) 、
           また、ヴェネチアに於ける エンニオ・モリコーネさん指揮の分、

  『Twinkle』さんのギターアンサンブル も取り込んでいます。

               そして、他の オイラお気に入り楽曲も併せて・・・
皆様、見づらいでしょうが 中身をチェックいただけますでしょうか。本当にキレイな楽曲ばかりのはず。なお CDジャケットの記述が エンリオ・モリコーネとなってたり 脱字があったりの、恥ずかしいトコが あったりするのですが・・・

 < 追 伸 > R3.5.28 記
 取って置きの コンテンツが 置いてけ堀 に なってました。

R2.12.19 BS日テレ『読売シンフォニックライブ』 最終回 での
  ヴァイオリン:長原幸太  読響コンサートマスター
         瀧村依里    第2首席ヴァイオリン奏者
    ヴィオラ:鈴木康浩  ソロヴィオラ奏者
         柳瀬省太    同 上
     チェロ:遠藤真理  ソロチエロ奏者
         富岡敬太朗 読響首席チエロ奏者
  コントラバス:石川滋   ソロコントラバス奏者
さん各位による、内門卓也さん編曲の『ニュー・シネマ・パラダイス』。
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なので、もう一枚 CD 作りました。なお オイラは、瀧村依里さんのファンであります。
   

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 < 追 伸 > R3.6.9 記

 オイラは落選したのですが、津山での 村治佳織さん奏一さんご姉弟のコンサートが NHK 『クラシック倶楽部』で放送されましたので、さらに BS11『京都夜桜中継』だったと思うのですが、古澤巌さんが ストラディヴァリウスで演奏された分も織り込み、CDを作り直しました。
   
中でも、古澤さんのヴァイオリンの 哀切極まりない響きには ぞっこんでして、① ⑧ にリピート。NHK『名曲アルバム』がソースの ⑪ ⑫ は どちらも素晴らしく、特に 『テネシーワルツ』の中の 畠山美由紀さんの歌は、失神しそうになるほど Good です。
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チベット『死者の書』~ 中沢新一さん著『三万年の死の教え』& ジブリ学術ライブラリー『NHKスペシャル チベット死者の書』より

2021-05-02 16:01:20 | 日記
 「こんな事、言うてもええんか、違うんでねえんやろか」と思わんのやろか・・・中国の虚栄心 剥き出しの報道官さんたち。中露北親密連携・・・それにしても自分たちは、どう見ても 世界名うての悪徳国家連合そのものやなぁと思わんのやろか・・・当事国の皆さん方。

北の核開発やミサイル発射実験は自国防衛のための必死の生業、日本人は爪の垢でも煎じて飲んだほうがいいのではと オイラは思っていますが、CHINAさんのやることなすことには憤慨に堪えません。今 日本車がえらい売れ行きを伸ばしているからと言うて、決して喜ぶべからず、感謝などもってのほか。ハニートラップに味を占めた、カートラップという中央政府の差し金による目眩まし戦術 に他ならないのではないでしょうか。

尖閣・台湾・香港・東シナ海・南シナ海・ウイグル・チベット・モンゴル等々、世界でも類を見ないほど多くの暴虐無尽な振舞いに、日本は確固たる態度を表すべきだと思います。現中国は、漢字や統治制度や仏教や論語を伝えてくれた 古き昔の中国とは遠く懸け離れた、品性のカケラもない 盗人猛々しい まったく別の国になっちまってると認識すべきであります。(ちなみに、R3.4.18『産経抄』によりますと、覇権 領土 理性 理念 共産主義 独裁 は、日本の創作漢字なのだと 。そしたら 今の 極悪国家、日本が道筋を拵えたような気がしてきたり・・・)

同時に仏教に於いては、今までは今までということで感謝申し上げ、今後は 中国サマサマといった精神的なクビキから脱すべく、中国は単なる中継地に過ぎないといった視点が必要かと思います。そもそも 仏教はインド北部 ヒマラヤ山麓で 生まれ・揉まれ・発展 熟成され 思惟的発展・思想的充実を見たのですから、その本拠地にまで踏み込んで 考える必要があるのではと。一言で申さば、”漢訳仏教からの脱却” を指向すべきではないか と思うのです。

そういう意味でオイラは チベット仏教に関心があり、中でも、すぐ近くに来た感のある ”死” について書かれてるという『チベット死者の書』に格段の興味があるものですから、中沢新一さん著『三万年の死の教え~チベット「死者の書」の世界』を購入し 目を通しましたら、この中の第二部は
...

『NHKスペシャル』の台本として最初に書かれたものであると知り、それを収めている『ジブリ学術ライブラリー』『NHKスペシャル チベット死者の書』 DVDも購入した次第。

以下は これらの中から、オイラが書き留めておきたく思った事柄の雑記であります。なお、本NHKスペシャルを 宮崎駿さんは大いに気に入られ、『もののけ姫』をお創りになってるとき、もう何回も何回も観られたそうです。

●『チベット 死者の書』は このようにして生まれた
 8世紀、パキスタン北部スワット地方(アフガニスタンとの国境近く)に在った ウッディーヤナ国の「乳の海」と呼ばれた湖で咲いた蓮の花の中から生まれた『パドマサンバヴァ(蓮から生まれた者の意)』は、後継ぎのいなかった国王に召され皇太子として成長、妃を娶り何不自由なく暮らしていたが、

深い真理の探究欲求が強烈に沸き起こり、策を弄し王宮を脱出。様々なグル(サンスクリット語で師匠の意)のもとで、仏教のあらゆる哲学思想を習得、密教に関しては第一人者と言われるまでに、そして諸国への旅を重ねることで さらに名声は拡大し、

チベット・チソンデツェン王の招きに応え、インドの高僧ボディサットヴァとともに 当地に仏教を本格的に根付かせる大事業に邁進。これには インドからたくさんの学者・成就者も加わり (ということは この時期 チベットには、仏教に関する最新・最高の知恵が集結していたと考えられる) 、今日残されているニンマ派 (チベット仏教の本流) の多くの密教聖典 (タントラ) が翻訳される。

結局 パドマサンバヴァは当地に 55年滞在。ここを去るに当たり、今まで精励し体得し積み上げてきた 深い教え (テルマ) 全てを、信頼できる弟子に記録させ、秘密の場所に埋め、再び これはという人の出ずるを待つこととしたのです。
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実は この中のひとつのテルマが『死者の書(バドル・トドゥル) 』なのですが、実際 他にも 何千という おびただしい数のテルマが チベット全土に埋められたということでした、
   山や湖や岩のなかに隠されたテルマ ⇒ サテル(大地のテルマ)
   ダルマダーツ(法界:修行の場?)に埋蔵されたテルマ ⇒ ゴンテル(霊感のテルマ)
と言われているように、隠された教えの中にこそ、本当の、グルの深淵なる教えの真髄が 述べられているのではという予測から、以後の チベット宗教者の仕事は、これを探し掘り出すことになっていったと。

 ところで 果てしなく高い 澄みきった青空、神々しき世界一高い純白の山々 、地球上で最も神秘的な光景を映し出す この地の為せる業でしょうか、、、チベットの地でも 途方もない古い時代から (石器時代からとも・・・このことより著者の中沢新一さんは タイトルに ”三万年の" という言葉を付けたと) 、多くの修行者が奥深い真理の探究に挑んできており、そこで 延々 積み上げられてきた 大宇宙の生成をも取り込んでいる 深淵高度な教え が 『ゾクチェン』という呼称のもと 構築・伝承されていまして

本には 原=ゾクチェン と書かれていて、”原” はフィールドでなく 原始の原、オオモトのモト とオイラは理解してまして、古来から日本人に深く沁み込んでいる神道のような位置付けのものではないだろうかと思っているのですが、その特徴は、死のリアリティを見つめ続けることの中から、すなわち 死との共同作業を通して 生命存在の真理に辿り着こうという『メメント・モリ(死を思え)』という基本理念が根底に存在していることであると。そして 仏教がチベットに伝わる以前から、このような考えが基となった ボン教 という宗教が 広く浸透していたとの由。

●『死者の書(バルド・トドゥル)』の発見
 8世紀 パドマサンバヴァさんが 自身の手で編纂した、、中沢新一さんが「3万年の・・・」と形容されるほど深淵な教えの集大成が、チベット全土に埋められてから 約 600年後、折しも インドから 完全に仏教が失われてゆく15世紀に、ある修行僧の手によって再び地上に姿を現わすこととなります。

発見者は『カルマ・リンバ』さんという密教修行僧。何と彼は 夢の中に現れた何人もの女性から、極めて具体的な 日付まで指定された指示を受けたのだと。で このとき掘り出したサテルは、ゾクチェンに組する チベット的な死の教え を説いている『太陽と月の結合』と題された聖典(タントラ)の一部だったようで、

氏は「これだけでは完全に著わしているとは言えない。必ず行間を埋める如き副読本的なテルマがあるはずだ」と直感し、それをも とある山から掘り出すのであります。これは ゾクチェン系統とは別の、やはり歴史ある『マハーヨーガ』と称する、マンダラを採り入れたいわばビジュアル的な思想体系に属しているものなんだと。

このように、謂わば ”天の巻・地の巻” とも言える聖典をゲットされた カルマ・リンパさんは、これらをひとつに編集したことで、晴れて『チベット死者の書(バルド・トドゥル)』が完成を見たのだと。
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● 世界中に広まる『死者の書(バルド・トドゥル)』、
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 米国 (ニュージャージー州) に生まれた エバンツ・ヴェンツは、東洋研究の中心地であったオクスフォード大で人類学を学んだ後 、少年時代から惹かれていた人間の持つ 神秘的霊知力で 直接 神との接触を試みる『神智学』に熱中、特に輪廻の思想に取り憑かれ、チベット文明圏でもある インドのダージリンに滞在時、当バザールで 多くのチベット古文書を買い込んだそうな。で、その中に『バドル・トドゥル』があったと。

直感的に彼は察したことでしょう、これはたいへんな重要文書であるというふうに。チベット語のできない彼は 早速、英語の達人であり ラマ僧であり 学者さんである当地のチベット少年学校の校長先生に翻訳を依頼、さらに この完成度を高めるため リシュケシュ および プーリの哲学の師の校閲を仰ぎ、

ついに 1927年に『チベット死者の書』、1935年には『チベットのヨーガと神秘の教え』という本が オックスフォード大学出版局から出版されたのでした。ただし 中沢新一さんは、訳者・校閲者とも修行経験が無いゆえか、チベット特有のゾクチェン思想の理解不足のためか 誤訳が少なからずあり、原書の行間に滲む機微な情報、チベットの極めて古くからの精神の地層のようなものも掴み切れていないと。
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このような不完全な訳書であっても 氏は、この書が衝撃を以ってヨーロッパ思想界に受け入れられたというパイオニア的業績を、高く評価されています。”死” は対決し 克服するものであり 共存なんて思いもせず、科学技術第一に発展し続ける西洋にあって、高名な心理学者 カール・グスタフ・ユングさんが「魂の秘密を解き明かす生涯の伴侶に出会った」とのコメントを前書きに寄せられていて、

また当該NHKスペシャルのご担当プロジューサー 河邑厚徳さんは、ユングさんの『チベット死者の書の心理学』の中に、「出版の年以来、何年もバルド・トドゥルは私の変わらぬ同伴者であった。私はこの本から多くの刺激や知識を与えられたばかりでなく、多くの根本的な洞察をも与えられた」と記されていると。で、「英訳されてなければ、恐らくはチベット社会からも特殊な死者儀礼としていつかは忘れられていったかもしれません」とも 仰ってられます。

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そして時代は、アメリカに舞台に 西洋で ”第2の発見” と言われる様相を呈します。ベトナム戦争反対運動・虚無指向・ヒッピー・瞑想・LSD・ 2人のハーバード大学心理学教授の学術的同調といった風潮も反映して。
   ティモシー・リアリー        ラム・ダス(リチャード・アルパート)
    1920 ~ 1996             1931 ~ 2019
  LSD体験と            HIV・末期がん患者向けを主体とした『ダイイング・
  『チベット死者の書』記述の    プロジェクト』を立ち上げる。死をタブー化したり、                      
  完全一致を表明          死の現実から目を背けたりせず、あるがまま受け入
                   れ、生と死の本来の意味を取り戻すのだと。参考に
                   したのが『チベット死者の書』であると。                            
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● 『死者の書(バルド・トドゥル)』に記されていること
 お待たせしました。では実際の内容につきまして、実は 今までも総てそうでしたが、頭書記載コンテンツを主たる情報源とした オイラ流の解釈をご披露させていただきます。

まず コトバの意味は 次のようであります。
バルド⇒中間とか途中という意⇒存在とは中間であり過程であり途上であるということを示唆
トドゥル⇒耳で聴くことにより解脱するという意⇒死後も聴覚は機能しているとの前提を有す
なお 以後は、バルド・トドゥルを BT と記すこととします。

日本では死後、亡骸が幽体となって彼岸と此岸の間で彷徨うと言われていて、この期間のことを"中有" あるいは "中陰" 、彼岸に渡る 49日目を "満中陰" と呼んでおり、法要を営んだりしているのですが、

チベット仏教では死後、物質である肉体は滅びても、死者の意識の流れは途絶えることがなく、バルドの世界に入って行くと考え、バルドを無事通過させるため、すなわち人間として生まれ変わるように、息を引き取る直前から 49日間 毎日、死者の意識に向かい BT を読み聞かせ続けるといいます。

こういった行為を生みだしているのは、
・ 死の瞬間こそが人生の最も大切な時である
・ 死は悲しみの時ではなく、大いなる解放の時なのだ
・ 死とは私たち人間にとって 救いを得るための最大のチャンスなのだ
・ 死後の バドルの体験で、未熟だった者も純粋な生命そのものに出会うことができるのだ
・ だから死は全てを奪うものでなく、汝自身に本当の豊かさを与えてくれるチャンスなのだ
といった、チベットに古くから伝わる「死を想え (メメント・モリ)」 という思想が根付いているからこそと。オイラは、日本人が、ここにもあそこにも どこにだって神様が宿っておられると思うのと同じように、チベットの人たちには 死 が在るのかなぁと思えています。

前述してます通り バルドとは中間とか途中という意味ですから、生きてあるときも もちろんバルドで、【存在世界のバルド(ランシンバルド)】と呼ばれてますが、これにはさらに深い意味があり(中沢さんが 本の中で述べてられてますが、オイラは ここに書けるほど理解できてません)、DVDでは、

生命の本質は心であり、その心の本体は 純粋な "光" であるとのこと。それが 各々の身体の中で活動している状態を ”この世” と言うのだが、が、当然のことに本来の純粋な姿を現していないので 途中 (バルド) なのだと。

バルドは 四つに分類されます。ダライ・ラマさんの属する ニンマ派ではという注釈が付きますが・・・・
   ① 存在世界のバルド(ランシン・バルド)・・・死亡日~ 3日目
   ② 死のバルド   (チカイ・バルド)・・・・ 4日目~21日目
   ③ 心の本姓のバルド(チュゥニー・バルド)・・22日目~28日目
   ④ 再生のバルド  (シバ・バルド)・・・・・29日目~49日目 
..
②・・・ 死の瞬間、まばゆい光に包まれる。これは死者を解脱に導こうとする始まりの光だ。これに包まれるのだ。溶け込むのだ。そして護り本尊様 または 観音菩薩様 をイメージするのだ。死の瞬間こそ死者の心が 体という軛 (くびき) から放たれ、まったく自由に還って行こうとする 晴れがましい瞬間なのだ。そして この世に執着を持ってはいけないと諭すのだ。死者の耳は 機能しているし、意識は 体を離脱しているが、周りの世界を見ることもできる。

③・・・4日目、死体を小さく括り 護摩 (火葬) に付すが、体から離れている意識は、もっと明瞭に聞き分ける能力を持つようになっている。そして 生きてゆく活動を支えていた 二つの波動源・・・胸のあたりから穏やかな波動を送っていた 48の ”静寂尊” および、大脳あたりから激しい波動を送っていた 52の ”憤怒尊" ・・・から発せられる、様々な光や映像や音(オスクルと呼ぶ)と対面することになる。しかしこれらを怖がったり恐れたりしてはならない。死者の意識が投影されているのに過ぎないのだから と説く。

まず 紺青色の凄まじく眩い光、次いで もやっとした白い光が現れる。強い光は 大日如来様の叡智の光、弱弱しい光は天上世界を表す光なので、強い光にだけ集中するのだ。(何かで目にしたことですが、大日如来様は 英語で ”コズミック・ブッダ" と言うのだそうな。見事な訳に感心したです)
..
      強い光・・・・出現する仏様     伴う弱い光・・・種子の種類
  最初に 紺青色の光で 大日如来様が出現   白い光は・・・・天上世界の光 
  次の日 青い光・・・・金剛薩埵様が出現   白い薄明り・・・地獄に生まれる種子
  三日目 黄色の光・・・宝生如来様      青い弱い光・・・人間に生まれる種子
  四日目 赤色の光・・・無量光如来様     黄色の弱い光・・餓鬼にうまれる種子
  五日目 緑色の光・・・不空成就如来様    赤い弱い光・・・阿修羅
このように順次 出現するが、伴っている弱弱しい光には、決して目をくれるでない。惹かれてしまうと、そこで生まれる種子がまかれてしまうことになると。なお 岩波仏教辞典によると、金剛薩埵 (ーーさっとば or さった) は 普賢菩薩様と同体異名であるとの由。(なお菩薩とは菩提薩埵の略称ですから、金剛薩埵は金薩 (きんさつ) となるのでしょうか?)
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死者の胸のあたりに宿していた静寂尊との対面を済ませた八日目になると、今度は 大脳に巣くっていた あな恐ろしい憤怒尊(ヘルカ神)が次々と、凄まじい轟と光を伴い 現れてくるのです。

チベットのお寺の壁には、これらに恐れ慄かないために 多くの憤怒の神々が描かれていると。そして、これらもまた 死者の心に生まれた幻影であり、大日如来様が姿を変えているに過ぎないのだから、その如来様にだけ意識を振り向け、あらゆる幻影に打ち勝つのだ。それに 人の胸にあった美しく優しい静寂尊だって、大脳に行けば恐ろしい憤怒尊に姿が変わってしまう。そう どちらも私たちの本質なのであるが、この真実を掴むのは本当に難しく、大概の人は ここで失神してしまうのだと。しかし これから醒めた死者の意識は、一皮剥けた存在になっているのだと。

④・・・死後28日経つと、死者の意識に 現実の物質世界を捉える感覚器官が整い、自分には以前の体のイメージが備わっているように思え(これを”幻影と意識の身体(ギュマ・イ・キ・スク)という)、自由に動けたり 何でも通り抜けたりできるようもなるのだが、反面 意識を動かす物理力のようなものであるカルマの凄まじい疾風に翻弄されることとなり、孤独の中 たいへんな苦しみに苛まれる。それで 何にでも縋りつきたいと思うだろうが、観音菩薩様に向かって 耐え忍び、悪い再生となるのを防がねばならない。
..
とうとう 再生の時が近づいてきた。地獄のヤマ法王(シンジェ)が出てき、生前の行いにより再生先を決めようとする。戻っていた身体のイメージは 徐々に薄らいでいき、前方に薄い微弱な いろいろな光が現れ始める。              
  白い薄明り:天上の神々 その種子を宿していたところ:頭
  赤色    阿修羅                 喉
  青色    人間                  心臓
  黄色    餓鬼                  臍
  緑色    動物                  会陰 (えいん)                                                        
そして、次に生まれる世界の特徴が、次第に現れてくる。
  動物の場合:洞窟や岩穴や粗末な小屋
  餓鬼   :荒涼とした風景
これらには触れないで、優れたものや清浄なものに意識を向け、観音様による救いを待つのだと。

実はこの本によると、この段階は今まで再三あったチャンスを逸した者のための最後の機会のようでして、オイラには、そのチャンスとは 解脱なのか再生なのか、および それが何処にあって、どう対処すればよかったのか 分からないのです。

さらに DVDでは「生命の本体は心であり、その正体は純粋な光である。死とは その心が肉体から解放されるとき。それをBTで導けば、人間に生まれ変わる」とあるのですが、そもそも人間に生まれ変わるのがベストなのか、天上世界へのメニューも用意されているので、そこへは行けないのだろうか、行ったらどうなるのだろう、輪廻から外れるのだろうか?

いくら 死者に BT を読み聞かせても、 地獄のヤマ法王(シンジェ)が 生前の行いにより 再生先を決めるのであれば、どうしようもないではないか?。それであるなら、ヤマ法王さんにこそ お願いしなければならないのではないか? という疑問が残っていまして、

更に更に ”ポア" ということも、よく解らないことです。ポアとはチベット仏教だけに伝わる、意識を肉体から解放し阿弥陀仏の御座される浄土へ 生まれ変わらせる瞑想で、死の直後に起こること、すなわち BTの教えを、生きているうちに経験することが目的であって、修行方法は、頭の上に阿弥陀如来様の姿を想い浮かべる⇒意識を腹→胸→頭へと引き上げると。で この訓練を積めば、バルドを無事 通過できるのだと。ということは、天上世界への再生を試みる瞑想であって、人間への再生を目指しているものではないということ?・・・

本情報源の 締め括りは、このようでありました。
 『チベット死者の書』は死者だけではなく、生きている者たち全員に対し書かれていた。この経典には、死を想い死を見つめることだけが真実の人生を作り出すという、生と死の秘密が込められている。死ぬことが悲しいことだけではないように、生まれることが、それだけでは楽しいことではない。生と死の向こうにある心の本質を知ることができたら、生には意味があったということ。

 汝、よく聞くがよい。死は誰にでも起こることである。この世界から外に行くのは、汝ひとりではないのだ。この世に執着を残してはならない。執着しても この世に留まることはできないのだから。

 誕生の時には あなたが泣き、全世界は喜びに沸く。死ぬ時には 全世界が泣き、あなたは喜びにあふれる。斯くの如く 生きることだ。

  ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

本稿 閉じるにあたって、ぜひ これだけは記しておきたいと思う事柄があります。当該DVD収録の NHKスペシャル『死者の書』は、平成5年 (1993) 9月23,24日に放送されたもので、ロケは・・・1959年、中国の人民解放軍(人民虐待・殺戮軍とでも名前を変えたらどうかと思うのですが)のチベット侵攻があって、ラサ・ポタラ宮におられた ダライ・ラマ 14世さんは、ヒマラヤを超え インドに亡命、時のインド首相 ネールさんの計らいで、北部ラダック地方の都市 ダラムサラの一角に チベット亡命政府の設立を容認、現在に至っているのですが・・・まさに その地で行われているのみならず、ダライ・ラマ法王さんへの単独インタビューCDも付いている、めっちゃ優れものであります。

ところが、30年ほど後の NHKさんは、つい 2か月ほど前 R3.3.6 ですが、『中国秘境 謎の民「天空チベット タンカ絵師の郷 」』という、中国共産党のプロパガンダ映像としか思えない、とんでもない番組を作り放送しているのです。オイラのようなアホでも、ちょっと見ただけで、そういった類のモノであると判かります。 NHKさんの当該アーカイブを検索してみますと

四川省の北西、チベット高原東端にあるザムタンは、50人以上の絵師が修行する不思議な谷。仏教芸術やチベット医学などチベット文化の精髄は、寺院・門外不出のものだった。貧窮を極めるザムタン…チベット仏教・幻の宗派の転生活仏が、失われかけた秘伝の文化を郷の若者たちに継承させ、“豊かさ”をつかむための糧にしようと伝承所を開いた…。転生活仏と若い絵師たちの5年にわたる青春群像を高原の四季の映像とともに描く ・・・とあります。

思い返すだけで おぞましいですが、数場面だけ証拠画像を撮っております。

リンポチェとは、生き仏で かつ 位の高い僧侶さんのこと。異端とされ チベット本土から追放された少数教団チョナン派の 法王でありリンポチェの この方からは、高徳など、いや低徳すら感じられず、大いに違和感を覚えます。壁に貼っているポスターと深い因縁あり?

写真に残してないですが、最もオカシイと思えたのは、若く美しい ヒロイン的位置づけの女性が、今風の綺麗な服を装ったまんま、長いサラサラ髪をなびかせながら、ゴム手袋をはめた手で 家畜のウンチを丸め、壁にペタっと投げ付ける場面。こんな光景、有りっこナシ !!!

NHKさん、斯くも劣化しちまったですか。チベット・ウイグル・モンゴルなどの本当の姿を暴こうなんて気概を無くしちまい、世界中から爪弾きされている 中国共産党をヨイショするドキュメンタリーを作るなんて、日本の公共放送のやることですか?

「受信料 返せ~、慰謝料だって払え~」 と叫びたい気分。救いは、この番組を視聴された方が 多くはいらっしゃらなかったことかと。一度でも見れば 誰だって抗議の声を上げるでしょう。それにしても 中国共産党シンパサイダーさんの NHK侵食って、かなり深刻なレベルかも・・・

 < 追 伸 > R3.5.24 記
 あろうことか、中国共産党プロパガンダ作品のように思える番組が、先週の土曜日 再放送されました。かくなる上は、撮り損ねていた場面を撮影し、ここに曝けたいと思います。

 まずは、家畜のウンチを乾かし燃料とすべく、壁に投げつける場面。こんな余所行きの格好して、 こんなこと やるわきゃナイでしょうガ !!! と 糾弾したいです。
.
      舞台となった ザムタン という場所は こんなトコです。
..

下は、エンドロールが示す 制作スタッフ情報です。敵もサルモノ、さすがに この内容じゃ NHK表示は出せない と踏んだのでしょうか。巧みにカムフラージュしてる (?) かのようです。
.

  ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 < 追 伸 > R3.5.3 記
 R3.4.3 NHK-BSP『偉人たちの大臨終スペシャル~人生のしまい方』のなかで、臨死体験について たいへん興味深い説明がありましたので、そのあらましを記します。

 臨死体験は、時代・人種・宗教・年代 に関係なく
   ・ 魂が体を抜け出し遊離する
   ・ 非常に明るい光を見る
   ・ 死んだ家族や仲間と会う
   ・ 神様のような大いなる存在と遭遇する
といった事例に集約されるのだそうです。臨死体験の世界的権威 アメリカ ケンタッキー大学教授で脳外科医の ケビン・ネルソンさんによりますと、臨死体験は 脳の働きによるものだからなのだと。

死に臨むと 奥深くにある脳幹で、アセチルコリンという物質が大量に分泌され、

          覚醒状態と睡眠状態の切り替えが うまくゆかなくなり、

目は覚めてても夢を見る 夢うつつ状態になって、このとき脳内で 様々な錯覚が起きるそうな。

              視覚野で強い光を感じるという錯覚は、

               非常に明るい光を見るという 臨死体験となり、

                      大脳辺縁系の錯覚は

               死んだ家族や、仲間と会うという 臨死体験が起こるのだと。

                 魂が体から抜け出す幽体離脱だって

              脳の錯覚から生まれるのだと。
                         

視覚と自分の体の位置感覚を統合している部位である側頭頭頂接合部が うまく働かず

視覚と自分が立っていると感じる位置が ずれてしまうので,、離脱してるように感じるのだと。

と、いうことでしたが、オイラは思います。ずぅっと目を閉じたまま横たわっている 死直前の人が 幽体離脱体験した場合、感覚のずれであるとしたなら、その場の光景を俯瞰して見ることなど、不可能ではないかと。なにしろ 目をつむったまんまなのですから、感覚のズレだけでは説明がつかないと思えるのですが・・・

コメント (3)
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