百休庵便り

市井の民にて畏れ多くも百休と称せし者ここにありて稀に浮びくる些細浮薄なる思ひ浅学非才不届千万支離滅裂顧みず吐露するもの也

天野 忠さん、バンザーイ !!!! 

2021-04-03 20:17:43 | 日記
 相当 昔から産経新聞紙上に連載『坪内稔典(としのり)(俳号:ねんてん)』さんの『モーロクシリーズ』で、『天野忠』さんという詩人さんを知って以来、 徐々に徐々に嵌っていき、ついに ほとんどの単行本を手にするに至りました。 
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     ご存知、春告鳥:ウグイス 。( R3.3.18 NHK-E『美の壺』『うぐいす』より )
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何故ここに "うぐいす” の写真があるのか、それは 忠さんが 亡くなられた後 発行、つまり 最後の詩集が『うぐいすの練習』という本で、オイラは 欲しくて欲しくて堪らず、主たる古本販売WEBサイトのチェックを日に数回、それを 数か月続けた結果、奇跡的に手に入れたという 特別 強い思い入れの本に 肖 (あやか) ってのこと。

まず、天野忠さんの何がそんなに惹きつけたのか申しますと、捻典先生が紹介して下さった次のような詩が、可笑しくって可笑しくって堪らなかったからであります。

        【長い夜の牧歌】より

    秋                  考えごと

  色がこんなに黒いのに         ねながら
  日傘をさすのは気がひけるねえー    人生について考えていたら
  鏡を見てばあさんが          額に 蠅がとまった。
  ひとりごとを呟いている。       長いこと休んで
  ひる寝のうす眼をあけたら       それから パッと
  日傘をさして             元気よく飛び立った。
  表へ出て行った。           どうやら考えがまとまったらしい。
  しずかだー
                     俺はまだだ。
  蝉は
  みな死んだ。

昔むかし何かで「詩は文章芸術の頂点である」旨 識らされたことがありまして、「そうか、詩っちゅうのは イチバン頭のええ人の手掛けるジャンルなんや」「どおりで、何を言うとんか サッパリ 解からんのじゃ」と思いまして、以来、一流の詩人さんの詩は ワカランのが当たり前 と思い続けて来てたのです。

ところが その岩盤概念が ひっくり返るどころか、クスクスクスクス笑えるという まさに異次元世界にまで、すっ飛んでったのです。日本を代表する詩人さんの詩を読んで笑えるなんて、なんちゅう贅沢なことやろう・・・チュウさんが好きになった所以です。

で 『好機好齢者』のご指定を承ったりしますと、「もう 老後なんじゃよ。老後の楽しみを楽しむことぉ、今こそやり抜くべきなんや。すぐに始めんと、時間が無うなってしまうど~」と思った次第。で 取り掛かったひとつが、忠さん作品を味わい尽くすということなのです。まずは 作品の全容を、河野仁昭さん著『天野忠さんの歩み』から、拾ってみました。

  * 印は入手済 
         < 散文集 >         < 詩集 >
H18 (2006).10  【天野忠随筆選】*
H10 (1998).02                【うぐいすの練習】*
H08 (1996).10  【草のそよぎ】*
H06 (1994).10  【耳たぶに吹く風】*

H05 (1993).10.28 ・・・ ご逝去 享年 84 ・・・・・・・・

H05 (1993).02  【春の帽子】*
H01 (1989).02                【万年】*
S64 (1989).01                【動物園の珍しい動物】*
S63 (1988).07  【木漏れ日拾い】*   
S63 (1988).03  【我が感傷的アンソロジイ】
S62 (1987).06                【長い夜の牧歌】*
S61 (1986).07                【天野忠詩集】文庫版*
S61 (1986).06                【続天野忠詩集】*
S58 (1983).09                【夫婦の肖像】*
S58 (1983).o6                【古い動物】* 
S57 (1982).08                【掌の上の灰】*
S56 (1981).06                【私有地】*    
S55 (1980).08  【そよかぜの中】*
S54 (1979).05                【讃め歌抄】*
S51 (1976).04                【その他大勢の通行人】*
S49 (1974).10                【天野忠詩集】*
S48 (1973).07  【余韻の中】*
S47 (1972).06                【酸素そのほか】*
S46 (1971).09                【人嫌いの唄抄】*
S45 (1970).12                【孝子傳抄】*
S44 (1969).10                【昨日の眺め】*
S43 (1968).06  【我が感傷的アンソロジイ】
S41 (1966).09                【動物園の珍しい動物】*
S41 (1966).09                【花の詩集】
S38 (1963).12                【しずかな人 しずかな動物】*
S36 (1861).10                【クラスト氏のいんきな唄】
S33 (1958).09                【単純な生涯】*
S29 (1954).06                【重たい手】*
S27 (1952).09                【電車】*
S25 (1950).04                【小牧歌】*
S22 (1947).07  【京都襍記】*
S09 (1934).11                【肉身譜】*
S07 (1932).05                【石と豹の傍にて】*
M42 (1909).06.18・・・ご誕生 (京都市中京区)・・・・・・・

      < 詩 集( 全 集 ) の 内 訳 > 
【天野忠詩集】
   『石と豹の傍にて』『肉身譜』『小牧歌』『電車』『重たい手』『単純な生涯』
   『動物園の珍しい動物』『しずかな人 しずかな動物』『昨日の眺め』
   『孝子傳抄』『人嫌いの唄抄』『酸素そのほか』『音楽を聞く老人のための小夜曲』 
【続天野忠詩集】
   『その他大勢の通行人』『讃め歌抄』『私有地』『掌の上の灰』『古い動物』
   『続掌の上の灰』『世界・演戯そのほか』
  

オイラが集めた単行本です。順不同です。
.
          『うぐいすの練習』と、綴じ込まれていた 夫婦写真( 忠さん 75歳 )
......................
【京都襍記】は、忠さんが編集のみ こなした 随筆集です(氏の文章は見当たりません)。

作品を いくつか転載させていただきます。

【その他大勢の通行人】より            【万年】より

   廊下                     蛇の話
                            
夜更けに                    長い長い蛇であった                
おばあさんが                  あんまり長いので
便所に立つ。                  蛇はうんざりしていた。
さっきからもぞもぞしていたが 
おじいさんも蒲団から出てくる。         寿命がきて
せまい廊下で                  蛇の頭が死んでから
ふたりは行きちがう。              だいぶんたって

一時間もしないうちに              しっぽはそれを知った。
床の中でもぞもぞして              うなずくように
おじいさんはやっと腹をきめる。         軽く二三度
さっきからおばあさんももぞもぞしていたが    しっぽは大地を叩いた。 
やっと腹をきめて                それから
のろのろと起きてくる。             ゆっくり
せまい廊下でふたりは行ちがう。         
                        死んでいった。
だまっている。
         

 【夫婦の肖像】より          【うぐいすの練習】より

  桃の花                 風習     

ある日ポロリと歯が抜けて       むかし
御飯の中におちた。          さる城主の殿様が
御飯の中からつまみ出し        病床で
てのひらに転がしながら        
 「長いことつれ添うてもろうて    「死ハ天下ノ風習ナリ
  ご苦労さん・・・」         予ハソレニ従ウ」 と云って
と頭を下げたら            おだやかに冥福したそうだが。
フフフ・・・と            
横で 古女房が笑った。        天下の風習とは
眼尻いっぱい黒い皺をよせて。     うまく悟ったものだ。
                   そのテでいくかな、儂も。
桃の花が咲いた
その朝。               一平民だが。


 【うぐいすの練習】より           【掌の上の灰】より

  消化してから                習性

人間には誰でも自分の喰扶持というものが   生まれつき私は 
神様から授かっていて            ものごとを深く考えることがない。
一生かかってその分量だけは         ものごとを深く考える習慣が
食べ終わってから死ぬものらしい。      出来上がらないうちに
うちのおじいさんは             ものごとを深く考えない習慣が
むかしからずいぶん小食だったのに      出来てしまった。
このごろは私の二倍も食べるようになった。
                      そのためなのか
どうやら                  私はたいへん長生きをしている。
自分の喰扶持の残りを            たいへん長生きをしていることについても
急いで消化しているらしい・・・。      深く考えることはない。
                      つまり私はこの世のすべてをあるがままに
おばあさんは大層気がかりだ。        赤ん坊のように受け容れてきた。
「そんなに急がないで」           恍惚として
それなのにおじいさんは           ときどき 水洟と
皺だらけの顔をして             よだれをたらす。
「お代わり」と茶碗を突き出すのだ。


           【掌の上の灰】より

   文字                   秘伝 

文字は大事にせねばならない。        風邪をひいて  
文字こそ私たちの命をあらわすものだから。  あたりをはばかるほどに
書かれた文字の上をまたいではならない。   咳がとまらない
たとえ印刷された文字の上でも        そんなときは
踏んづけて通ることは乱暴至極である。    干柿とキンカンとを煎じるがよい。
むかしの人は                ドロリとしたその濃い汁を服めば
ビックリする程文字を大事にした。      たちまち咳がとまること請け合い・・・
泉鏡花という明治の文豪は          そう教えてくれたのは
指で空中に書いた文字でさえ         元ノビ、即ち忍び込み専門のコソ泥である。
きれいに消す真似をして清めた。       咳をして捕えられることをおそれて
十分に消したかどうか            日頃から研鑽に努めた
もう一度空中をたしかめたという。      その賜である由。

お判りか。


 【夫婦の肖像】より          【うぐいすの練習】より

  伴侶                 朗報

せめて十坪ほどの庭と         夜中に二回も三回も 
廊下のある我が家に住みたい。     トイレに立つ人に
云い云いして             よく効く薬、新発売 !!
四十年・・・・           
ふっくらしたばあさんになって     「二回も三回も」と「新発売」には
入れ歯をはずして           赤インクで二重丸で囲ってある。
気楽そうに寝ている。         散歩の帰りに儂はそれを見た。
ときどき
                   角っこの薬局の表に
いびきをかいている。         ペタリと新しい大きな貼り紙。
                   
小さな借家の             市場の往き帰りに
古い畳の上で。            うちのばあさんも見たに違いないのだ。
                   でも
                   まだ黙っている。  
       
                   儂も。


今後 団塊世代の方が、どんどん最終コーナー入りなさいますから、その分、忠さんファンも増えてくるものと。当稿が そういった方々の お役に立つとすれば、これほど嬉しいことはありません。ただ 詩集の場合、発行部数は極めて少なく、大規模 公共図書館さんですら蔵書ナシは有りふれたコト。とすれば 古本獲得は ますます難しく、、、厳しい競争、、止むこと、ナシです。


 < 追 伸 > R3.9.19 記
 これは 産経新聞週1連載、坪内稔典 (としのり) 先生の、R3.9.12『モーロク 満開』ですが、
久方ぶりに 天野忠さんが取り上げられてまして大喜びしたのですが、ひょいと気懸りなことが、
.
                  下段 ←|→ 上段      
既ブログ『天野 忠さん、バンザーイ !!!!』に 誤りがあるのではないか と気付いたのです。案の定、「蝉は/みな死んだ。」が抜けていました。

で、思ったのです。この記事って ひょっとして、オイラに 間違いを気付かせるために書いて下さったのではないかと。ネンテン先生、ご指摘いただきまして 本当にありがとうございます。

 < 追 伸 > R4.4.11 記
 新月舎さん発行 荒賀憲雄さん著『路地の奥の小さな宇宙ー天野忠の世界』という本を、ヤフオクで入手しました。その中に『続・掌の上の灰』に出ている『浴後』という詩の一部が、取り上げられていました。可笑しくて可笑しくてたまらないので、記します。実際は あと何行かあるのですが、これだけの方が 断然 面白いです。

    裸で
    向き合って
    私は
    あーあ、と云った。

    あなたも
    私を見て
    あーあ、と云った。

     ・
     ・
     ・
          
 さらに この本によりますと、『米』という作品ほど 一世を風靡したものはなく、好きな詩を一篇となれば必ず朗読されたものだと。ただ、ご本人はこの詩の高い世評には、疑問と軽い不満を持っておられたようで、これが代表作と思われるのは、困るんやけどなァと呟かれていた と 書かれていました。で、オイラはそのつもりで読んだことがなかったもので、ここに取り出しておくことを思い付きました。 

   米

   この
   雨に濡れた鉄道線路に
   散らばった米を拾ってくれたまえ
   これはバクダンといわれて
   汽車の窓から駅近くになって放り出された米袋だ
   その米袋からこぼれ出た米だ
   そのレ-ルの上に レールの傍に
   雨に打たれ 散らばった米を拾ってくれたまえ
   そして汽車の外へ 荒々しく
   曳かれていったかつぎやの女を連れてきてくれたまえ
   どうして夫が戦争に引き出され 殺され
   どうして貯えもなく残された子供らを育て
   どうして命をつないできたかを たずねてくれたまえ
   そしてその子供らは
   こんな白い米を腹一杯喰ったことがあったかどうかをたずねてくれ
    たまえ
   自分に恥じないしずかな言葉でたずねてくれたまえ
   雨と泥の中でじっとひかっている
   このむざんに散らばったものは
   愚直で貧乏な日本の百姓の辛抱がこしらえた米だ
   この美しい米を拾ってくれたまえ
   何も云わず
   一粒ずつ拾ってくれたまえ

             天野忠詩集(全集)『単純な生涯』より

オイラに 異論があるとすれば、” 愚直で貧乏な日本の百姓の・・・” の行(くだり)。理由は、お百姓さんを美化し過ぎということ。彼等だって人間、金持ちで ズル賢い人から 貧しいけれど 菩薩様のような方まで さまざま。それに こういう言い方、何や、都会の知識人さんの 驕りのように感じられたり・・・。やっぱり オイラは、市井の 何気ない生活の中での、惚 (とぼ) けたふうな 可笑しみのある語り口の方が、断然 好きであります。 


 < 追 伸 > R4.11.26 記
 2022.9.26 付『第1楽章終了時 20秒もの拍手・・・本場ドイツでの出来事 & 『産経抄』「しずかな夫婦」について & 産経新聞記事 2編』という本稿ブログに、天野忠さんに関する記事を載せてますので、転載しておきます。

 R4.9.21の『産経抄』に、35~50歳まで、仕事をするに当たっての先生であった 城山三郎さん(もちろん 氏の作品、主に経済小説でして、ほとんど読んでいます)および 現時点 一番好きな詩人さんの 天野忠さんという、オイラの人生に大いに関わって下さってるお二人が出てられましたので、「ここはひとつコメントせずばなるまいて」と、キータッチするものであります。
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城山さんが天野忠さんの『静かな夫婦』という詩について触れている書籍と、当該エッセー。

天野忠さんの『しずかな夫婦』という詩が掲載されている詩集『夫婦の肖像』、
   および ↓ 当該詩。
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で、上掲コラムの補足ですが、城山さんはタクシー運転手さんに、このように言いなすってられます。「広く世間に名を知られた人ではないが、質素な生活をし、よい詩を数多く残した詩人であり、そうした人にふさわしい住まいと分かって、安心した」と。

それにしましても、大好きな城山三郎さんが天野忠さんのファンであられたことは、ほんにもって、こころ躍る 嬉しいことにございます。ちなみに 城山さんが京都駅からタクシーに乗り訪ねられた先は、京都市左京区下鴨北園町93番地であります。

  
    
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