秋田ぐらし akita life

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イザベラ・バード 六郷で葬儀に参列

2017年05月09日 | 日記
横手を発ったあと、山が眺められてときおり雪をかぶった鳥海山頂が垣間見えるとてもきれいな地域をとおりました。」その後、当時、増水で橋がこわされた川を渡し舟で渡り、六郷に着く。そこではまた大変な勢いで、野次馬が押しかけて窒息する思いをする。
警察官のとりなしで、裕福な商家の葬式に参列することになるのだが、この葬儀の様子は詳細に書かれており、当時の葬儀の様子がうかがえる。
少し引用すると「未亡人はたいへんな美女で、遺体のそばに座っていますが、その位置は使者の両親にすぐ下座で、そのあとに子供たち、親戚、友人が青と白の翼のような衣装をつけて並んで座っています。未亡人は顔を白塗りし、唇を朱砂で赤く染め、髪は念入りに結って彫刻を施した鼈甲のかんざしで飾っています。衣装は空色の絹の美しい着物と白い上質の縮緬の羽織、金色の刺繍を施した緋色の縮緬の帯で、未亡人というよりも婚礼の日の花嫁のようです。実に衣装の美しさや青や白の絹地が多いせいで部屋は葬儀というより祭りがあるように思えます。」そのあとに、野辺おくりや僧侶への謝礼額など、こと細かに観察している。
この商家はどこか、バードが書いた「大きくて、構が立派で、境内に立派な杉の木がある」寺はどこか、推定の根拠は『イザベラ・バード紀行』に詳しいが、葬儀は仁井田家の葬儀で、寺は本覚寺であるそうだ。
「六郷の寺院はとても立派で、その装飾では堅牢さと品のよさで優れている点は別として、ローマ・カトリック教会とほとんど変わりませんでした。」と書いてあり、六郷の寺の美しさをたたえている。



イザベラ・バード 横手の宿

2017年05月09日 | 日記
横手の宿屋はバードの気に入らなかったようで、横手の印象は「醜くて臭く、わびしくて、汚くて、じめじめしていて、みじめったらしい町です」とひどい書きようである。「人々はわたしを見ようとお風呂から飛び出してきました。男も女も一様に一糸まとわぬ姿で、です。」と人々の様子もひどい書きようである。
宿の様子は「宿屋の亭主はとても礼儀正しいものの、わたしの部屋は暗くて汚く、竹製のはしごを上って行きます。そして、癪に障るほど蚤と蚊がいるのです。」とあり、かなり悪い印象をもってる。
イザベラ・バードは「道中、横手では毎週木曜日に去勢牛が一頭屠られると聞き、夕食にステーキをとって、もうひときれを旅にもっていこうと決めていました。ところが着いてみると、肉は売り切れ、卵はひとつもなく、ごはんと豆腐のわびしい食事をしてどこか満たされない気持ちを味わいました。」と書いてあり、この満たされない気持ちが町や宿屋の印象を悪くしたのかも知れない。
くだんの宿は伊藤孝博氏の『イザベラ・バード紀行』によれば、横手の羽州街道筋での代表的な宿は、平源旅館と平利旅館が推定される。

翌朝バードは一人で神社に参拝し、神社のスケッチを残している。この神社がどこなのかはスケッチ絵を一見すると、横手の神明社と似ているとしながら、明治11年当時、神明社が現在の場所ではなく、郊外にあっ神社.pngて、早朝イザベラ・バードが一人で出かけるには少し無理がある。とすると、稲荷神社(大町)を見たのではないかとも推定される。現在の稲荷神社は敷地の狭い小社でバードのスケッチとは印象が違うが、当時もっと敷地が広かったはずでありスケッチの神社神明社か稲荷神社のどちらかであろうと推察される。