横手の宿屋はバードの気に入らなかったようで、横手の印象は「醜くて臭く、わびしくて、汚くて、じめじめしていて、みじめったらしい町です」とひどい書きようである。「人々はわたしを見ようとお風呂から飛び出してきました。男も女も一様に一糸まとわぬ姿で、です。」と人々の様子もひどい書きようである。
宿の様子は「宿屋の亭主はとても礼儀正しいものの、わたしの部屋は暗くて汚く、竹製のはしごを上って行きます。そして、癪に障るほど蚤と蚊がいるのです。」とあり、かなり悪い印象をもってる。
イザベラ・バードは「道中、横手では毎週木曜日に去勢牛が一頭屠られると聞き、夕食にステーキをとって、もうひときれを旅にもっていこうと決めていました。ところが着いてみると、肉は売り切れ、卵はひとつもなく、ごはんと豆腐のわびしい食事をしてどこか満たされない気持ちを味わいました。」と書いてあり、この満たされない気持ちが町や宿屋の印象を悪くしたのかも知れない。
くだんの宿は伊藤孝博氏の『イザベラ・バード紀行』によれば、横手の羽州街道筋での代表的な宿は、平源旅館と平利旅館が推定される。
翌朝バードは一人で神社に参拝し、神社のスケッチを残している。この神社がどこなのかはスケッチ絵を一見すると、横手の神明社と似ているとしながら、明治11年当時、神明社が現在の場所ではなく、郊外にあって、早朝イザベラ・バードが一人で出かけるには少し無理がある。とすると、稲荷神社(大町)を見たのではないかとも推定される。現在の稲荷神社は敷地の狭い小社でバードのスケッチとは印象が違うが、当時もっと敷地が広かったはずでありスケッチの神社神明社か稲荷神社のどちらかであろうと推察される。
宿の様子は「宿屋の亭主はとても礼儀正しいものの、わたしの部屋は暗くて汚く、竹製のはしごを上って行きます。そして、癪に障るほど蚤と蚊がいるのです。」とあり、かなり悪い印象をもってる。
イザベラ・バードは「道中、横手では毎週木曜日に去勢牛が一頭屠られると聞き、夕食にステーキをとって、もうひときれを旅にもっていこうと決めていました。ところが着いてみると、肉は売り切れ、卵はひとつもなく、ごはんと豆腐のわびしい食事をしてどこか満たされない気持ちを味わいました。」と書いてあり、この満たされない気持ちが町や宿屋の印象を悪くしたのかも知れない。
くだんの宿は伊藤孝博氏の『イザベラ・バード紀行』によれば、横手の羽州街道筋での代表的な宿は、平源旅館と平利旅館が推定される。
翌朝バードは一人で神社に参拝し、神社のスケッチを残している。この神社がどこなのかはスケッチ絵を一見すると、横手の神明社と似ているとしながら、明治11年当時、神明社が現在の場所ではなく、郊外にあって、早朝イザベラ・バードが一人で出かけるには少し無理がある。とすると、稲荷神社(大町)を見たのではないかとも推定される。現在の稲荷神社は敷地の狭い小社でバードのスケッチとは印象が違うが、当時もっと敷地が広かったはずでありスケッチの神社神明社か稲荷神社のどちらかであろうと推察される。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます