秋田ぐらし akita life

日常のできごと、面白いこと、おいしいこと、いろいろ

秋田スカイフェスタ2024

2024年05月05日 | 日記
秋田スカイフェスタ2024


秋田県横手市31回めだそうですが、42機が参加したそうです。
前日まで体験乗機が出来たのですが、本日はフリーフライトのみ。
朝6時にフリーフライトが始まるというとで、秋田市の自宅を超早朝に出て、現地に5時に到着、すでに会場駐車場には整理員の方が立っていて、スムーズに駐車

会場はフライトの準備でぞくぞくと車が入ってきます。

各チームが準備を終えて、続々と空へ上っていきます。 今日はあまり風もなく、真直ぐに上っていきます。




広い空が熱気球でいっぱいです

どんどん上に行く気球や、すこしずつ高度を下げてくる気球など、さまざまにフライトしています。
スタート地点からだんたん拡がって飛んでいますが、大分高度を下げた気球と鳥海山がいいアングルで揃いました。


大仙市 八乙女公園 

2024年04月23日 | 日記
秋田30景に選ばれた公園 八乙女公園に行って来た。道の駅なかせんの近くにある。
なかせん桜まつりは20日が盛りだくさんのイベントがあったようだが、時期をずらして静かに桜を見ようと思っていたが時はおそかりし、
八乙女公園に向かう桜アーチ街道の桜はほぼ散ってしまっていた。
この陽気なのでまあしょうがないと思いながら初めての八乙女公園。
野球場、住宅街を過ぎて細い坂道を上っていくと山頂ちかくの駐車場に到着。


何本かの山桜を除いて、葉桜になっていた。
散歩がてら手入れの行届いた山道を少しあるくと八乙女城跡の広場に着く。

いい天気なので見晴らしがとてもよく、素晴らしい眺めである。




西行法師の和歌「願わくは花の下にて春死なん その如月の 望月のころ」がふっと浮かんできた。
そして、最上部、八乙女城あとからの眺め

八乙女公園を下りて、昼めしがてら道の駅なかせんを訪れる。




いつも来たときに利用していた「秀よし食堂 蔵人」が今日は準備中の表示、営業していない。
せっかくなので建屋のうらの斉内川河川敷の桜、これももうほとんど終わりだが、雰囲気だけ楽しんだ。




昼めし処をさがして角館方面に移動していると、道の脇にプレハブ仕様のラーメン屋さん発見「恋恋」(れんれん)という名前らしい

自販機で食券を買って「鳥白湯、醤油」(900円)、長浜ラーメンのような細麺に、ドロッとしたスープ、初顔合わせのラーメン

麺のゆで方、バリカタ、固め、普通の三通り、替え玉もあるようだ。普通をたのんで美味しくいただいた。

増田町 真人公園 桜まつり

2024年04月12日 | 日記
秋田の桜がようやく咲き始めてきた。 県南の横手市増田町の真人公園に行って見た。近くを車で通過する際よく案内板は見ていたが初めて訪れる。

桜まつり開催中であるが、平日金曜日まだ咲き始めとあり、静かな佇まい。
ここは日本の桜名所百選に選ばれたそうである。


園内をぐるりと廻り開花した桜をさがす。

4月29日にはこの池で名物のたらい漕ぎ祭が行われるようだ。

ざっと一廻りして、カセットから演歌を流している出店のラーメンを食べることに

ラーメン500円 普通に美味しい。 県南のラーメンは有名な十文字ラーメンの影響か、お麩が入っている
おまけで(サービス)、鳥のから揚げと、さしぼ(山菜)の天ぷらをいただいた。
駐車場に戻る途中にカタクリの花も咲いている。

入口近くの枝垂れ桜が一分咲きでさいている。

日本書記に秋田が出てくる話

2023年12月04日 | 日記
 日本書記 斉明天皇四年(658年)秋田と能代の話が出て来る。
 この年、阿倍比羅夫が
船軍百八十艘を率いて蝦夷を討った。秋田・能代二郡の蝦夷は、遠くから眺めただけで降伏を乞うた。そこで軍を整え、船を齶田浦(秋田湾)につらねた。秋田の蝦夷の恩荷は、進み出て誓っていった。「官軍と戦うために、弓矢をもっているのではありません。ただ手前どもは肉食の習慣がありますので、弓矢を持っています。もし官軍に対して弓矢を用いたら、秋田浦の神がおとがめになるでしょう。清く明らかな心をもって、帝にお仕え致します」と。恩荷に小乙上の位を授け、能代・津軽二郡の郡領に定められた。有間の浜に渡嶋の蝦夷どもを召し集めて、大いに饗応して帰らせられた。
 とある。その後三か月後には
蝦夷が二百人あまり、朝廷に参上し物をたてまつった。常にも増して饗応され、種々の物を与えられた。柵養の蝦夷二人に、冠位一階を授けられた。渟代郡(能代郡)の大領沙尼具那に小乙下、少領宇婆佐には建武、勇壮な者二人に位一階、特に沙尼具那らに蛸旗(旗の頭が蛸に似ている)二十頭・鼓二箇・弓矢二具・鎧二領を賜った。別に馬武らに蛸旗二十頭・鼓二箇・弓矢二具・鎧二領を賜った。都岐沙羅の柵造には位二階を授けられた。判官には位一階、渟足の柵造大伴君稲積には小乙下を授けられた。渟代郡の大領沙尼具那に詔して、蝦夷の戸口と捕虜の戸口を調査させた。
 とある。
縄文の生活様式の蝦夷たちのとって、弓矢は食料確保の手段で鳥獣に向けて射つもの、「官軍(人間)に対して弓矢を用いたら地に住み神がとがめる」といっているように、縄文ではない考えをもつ人たちは理解しがたいのではなかったか?
百八十艘の船も、何してんだろうなとか思っているうちに集められ饗応されて、争わずによかったのかもしれない。三か月後に渟代郡(能代)の皆さんが位を賜ったようなので、良かったのでしょう。
 しかし、蛸旗とか、鎧とか、鼓とかもらって、ありがたみがあったんだろうか、狩猟生活をしてたら必要ないものばかり



仁賀保高原 冬師湿原にいってみる

2023年08月20日 | 日記
仁賀保高原には沢山の溜池や、綺麗な湿原があるが冬師湿原はまだいったことがないので行ってみた。
最初はgoogleのマップの案内で向かったが全然たどり着かない。そこでまた元に戻って県道312号を流していると
仁賀保高原から西目方面にむかったところに入口看板があった。他の目的で何回か通ったみちだが、大きな看板に気が付かなかった。気にしていないときは見逃していたのだろうと思う。


看板にしたがってみちを辿る。砂利道にところどころ鉄板を敷いた道だが、車のすれ違いができない道幅だ。
悪路をゆっくり進むと駐車できる広場にでる。ここに大きな写真の看板


気象条件がいいと看板写真のような鳥海山がみえるようだが、あいにく鳥海山は雲がかかって見えない。

振り返ると東屋がある。小高くなっているが、階段とかみあたらないので、踏み址をたどって東屋を目指すと展望が開ける




ネットを見ると、綺麗な鳥海山の写真が載っていて、なかなかの撮影スポットのようだが、今日は残念。今度は季節を考慮して来たいと思う。