秋田ぐらし akita life

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イザベラ・バード 虻川(潟上市飯田川)に泊まる

2017年05月14日 | 日記
港を出発したイザベラ・バードは体調があまりすぐれず、虻川(潟上市飯田川町下虻川)に宿泊する。イザベラ・バードの『日本紀行』には「虻川というさびれた村の蚤の跳び回る屋根裏部屋にとまらなければなりませんでした。米は汚くて食べられず、宿主の妻はわたしの部屋に一時間座っていましたが、痛々しいことに皮膚病にかかっていました。土壁の家はもう見られなくなり、このあたりの村の家々は木造ですが、虻川はいまにも崩れそうな古びた村で、家屋を棒でささえてあり、斜めになった梁が道路に突き出ていて、不注意な通行人はぶつかってしまいます。」となんとも取りつく島もない書きようである。この宿の向かいに鍛冶屋があり鍛冶屋の作業光景に心を奪われたと書いていて、鍛冶屋というヒントもあるが体調のすぐれない、バードが泊まった宿の特定はできない。明治初期の下虻川には三軒の宿屋があったそうで、バードが泊まった処が一般家庭ではなく、宿屋だとしたらこの三軒のいずれかになるが、「寒川井(さがわい)庄三郎家」、「寒川井治吉家」の二軒と「鐙屋長次郎家」か、「鐙屋喜兵衛家」のいずれかの一軒の三軒が想定されるそうである。
虻川は現在ブルーメッセ秋田(道の駅しょうわ)があり、たくさんの観光客が訪れ、とうぜんながらバードがいうような「さびれた印象」や「いまにも崩れそうな」印象はない。
バードの体調の悪さが、この地の印象の悪さにつながってしまったのではないかと思うが、バードはここでも、ヤジ馬に出迎えられる。
「とはいえ、着物をきていない住民の全員が夜もふけるまでぽかんと口を開けたまま黙って宿のまえにたっていたのですが。この陰気な集団は鬱陶しいこぬか雨の降るなかを朝早くからまたあらわれました。」と書かれており、当時の住民の好奇心は相当なものであり見られるバードの気持ちも思いやられる。
バードは雨の降る中、虻川から豊岡へと向かう。途中「いかにも裕福そうなたたずまいの家屋が囲いのある敷地にたっているとすれば、それは必ず造り酒屋だということに気が付きはじめました。」とあるが、飯田川には「太平山」を醸造している「小玉醸造」があり、この小玉醸造を見たのかと思ったが、会社の創立はWikipediaによると1907年とあるので、バードが通った時代にはこの小玉醸造は存在していないが、この前身の造り酒屋を見たのであろうか。