前回の投稿以来、一年が過ぎてしまいました。
何人かの読者の方が、当ブログにアクセス頂いており、誠にありがとうございました。
テンッションが、落ちっぱなしで、文章が、書けませんでした。
本当に、久しぶりで、公園に出かけました。
やはり、【 石 猿 】は、怒っておりました。
「君は、『時』をを失いすぎている。そのような人は、私を利用しないでくれ 」
「分かっておるのですが /////・・・・・すみませんでした。」
「実は、先日、以下の短歌に出会ったもので、出かけてきました。」
・・・< 秋艸道人・会津八一 作 「自註鹿鳴集」より>・・
こころ なき おい が いろどる はにざる の まなこ いかりて
よ の ひと を みる
※ こころなきー無心なる。素朴なる。よのひとをみる―唐詩に「白眼ニシテ
他ノ世上ノ人ヲ見ル」といふ句あり。やや似たる趣なり。(原注)
訳・・ 無心な老師が、塗った朱塗りの猿の眼が光って世の人を見ている。
今日、世上は、どこか <イカサマ>なところが、散見されます。
<はにざる>とは、あなた様のことではないかと思いまして、伺いました。
「 世上の人たちの動きを見て、冷たい目で見ているってーーか
だから、どうすれば<イイ>がない・・・ニヒル=虚無感に流れるかも ネ」
「はい、解りました。」
禺(ぐ)なる字は 猿の象(かたど)り わが心 定まらずして 愚なりしかな
夢 蔡
ーーーーーー<了>-----
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