遙かなる高き峰々より吹く風に応えて

その風は、ぼくに呼びかけてくる・・・。

ヘンデルのラルゴ

2009年06月16日 | 山歩き~
 ヘンデルのラルゴ・・・歌劇 クセルクセスのなかのアリア・・・「オンブラ・マイ・フ」の美しい調べが流れている。この曲はテレビのコマーシャルでも使われていて、聞いたら「ああ、あの曲か・・・」と思うだろう。
 ぼく自身は30年くらい前に聞いてから大好きになった曲である。ユー・チューブでもあるそうだ。

 剣山への道はたいした急登もない歩きやすい道である。途中まで地蔵がある。この地蔵をよく見ると、背に後光(オーラ)がある。ぼくの好きな千手観音の手かもと考えたがよく見ると、後光であった。
 昔、その道を究めた人には偉大な聖人の周囲にこの光が見えたのだという。かつては、僕にも見えたときもあった。その光は強烈なほどまばゆい。が、いつしか、鈍なおじさんに戻ったぼくにはすっかり縁どおくなってしまった。
 しかし、このヘンデルのラルゴやバッハのG線上のアリア等を聴くと、あらためて心のなかに復活しつつあるものを感じる。

 山のなかを歩くということは、自然のもつ神様の波動を受けつつ在る、ということだと思う。そのなかで常に自らの心に「我は何者か?何ゆえにここに在るのか?」と問いつつ、その答えを自然のなかに委ねていく。
 あのミニヤコンガの阿部幹雄さんと話あったときに「山歩きとは修業なり」と氏は喝破したが、ぼくもまた同じ想いのなかにある。

 山歩きが目的なのではなく、自らの根源にたちかえる時間を得るのが山歩きの目的なのだ。すくなくとも、僕の場合は。

 さて、1839峰・・・。どんな「解」を用意していてくれるのか?いや、それは、自らの手にかかっているのだろう。
コメント
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