湯めぐり四方山話

湯めぐりは 人・風物との出会い

道の駅「童話の里くす」と2つの山

2023-01-16 | 道の駅・SA・PA

2009年から九州に行くと必ず?立ち寄っていた「玖珠」道の駅。

「玖珠」は「阿蘇」に抜ける中継地になるため、車中泊も、よくさせてもらった。

正確には、道の駅「童話の里くす」という。

どこから「童話の里くす」の名称がついたのか?ずっと疑問だったが、今回、ブログ記事にするために調べてみたら、玖珠にある「伐株山(きりかぶやま)」が「童話の里」の由来とわかった。「伐株山(きりかぶやま)」とは、玖珠の真ん中に鎮座している大きな山で、木を切った時に出来る「切り株(きりかぶ)」状の山の名前。

(↑春の伐株山(きりかぶやま)この写真は、玖珠のHPより)

伐株山とは以下は、玖珠のHPより抜粋の文章)  

(きりかぶさん、きりかぶやま)は、大分県玖珠郡玖珠町の耶馬日田英彦山国定公園内にある標高685.5mの山。
メサ(卓状台地)のうちでも浸食が進んだビュートと呼ばれる地形であり、二重メサの万年山(標高1,140.3m)とともに玖珠町のシンボル的な存在である。


『豊後国風土記』によると、玖珠(くす)という地名は、かつてこの地にあった大きな楠(くす)に因むものであるという。そして「伐株山(きりかぶやま)」は、大楠(おおくす)の木陰となって日が当たらずに困った住民がこの大樹を切り倒した後の切株であるという伝説がある。

●その昔、玖珠(くす)には天にも届きそうな楠(くす)の大樹が聳え立っていた。雲の上までのび朝日があがるときは、有明海までその影が届き、夕日を隠して四国まで影がかかる大木だった。玖珠の村は一年中陽が当たらないため、田畑の作物は育たず、村人も次々と病気になって大層困っていた。そこで身の丈九百尺もある大男に三年三ヶ月かけてその大木を伐ってもらうと、それからは陽も当たり、豊かな作物も育ち、村人は今日まで豊かに暮らしているという。

●楠の大樹が倒れた時、たくさんのできごとがあった。湖の淵が崩れて水がひた村(日田市)、どんなに大きくてもここまでは来るめー(久留米市)、その長い先っぽ(長崎市)、鳥の栖が落ちたところ(鳥栖市)、落ちた葉っぱの形(博多)、小さくクラっと揺れた(小倉)など、あなた方の町の名前が生まれた。今でも玖珠町にはこの伝説の証拠に、伐株山がそびえている。おしまい、おしまい。

玖珠(くす)の、もう一つの山 「万年山(はねやま)」とは

 

玖珠町の南に位置する「万年山(はねやま)」は、玖珠町の耶馬日田英彦山国定公園内にある標高1,140.3mの山。
玖珠盆地の南にあり、全国的にも珍しい上下二段からなる“二重メサ”で知られている。

上バネと呼ばれる山頂は東西に5km、南北に1kmの前バネからなり、下部卓面は、前期更新世末の下万年山溶岩からなる。上下2段の卓上台地をもつ日本で第1級の“メサ”地形で、「日本の地質100選」にも選定されている。大きさは、西北西から東南東に約9km、北北東から南南西にかけて約4km。高度は東南東端の最高点が940kmであり、西北西に次第に高度を下げて約580mとなっている。

卓面の上面はゆるやかな起伏をもった平坦面であり、万年山牧場、吉武台牧場などがある高原。

5月~6月には、群生する「ミヤマキリシマ」「ドウダンツツジ」が開花し、訪れた人の目を奪う。
毎年5月の最終日曜日には、盛大な「山開き」が催され、多くの登山客で賑わう。
山頂からは、くじゅう連山、津江山系、英彦山や阿蘇火山群等、360度の展望が楽しめる。

我々は、「玖珠の道の駅」には、いつも2月中旬(プロ野球の宮崎キャンプ視察に行く途中)立ち寄っていた。そのため、本当にいい季節の「万年山(はねやま)」の自然をあまり知らない。今になって、少し残念に思う。

伐株山(きりかぶやま)・万年山(はねやま)

玖珠盆地の山々はメサ(伐株山、万年山、大岩扇山、青野山など)、ビュート(川上岳、角埋山)と呼ばれるテーブル上の形をしたものが多く見れらます。玖珠町のようにメサ地形やビュート地形の山々が集まったところは、大変めずらしく、日本中どこを探しても他にはありません。

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道の駅「小坂田運動公園」

2023-01-15 | 道の駅・SA・PA
長野県と言えば、2009年の5月に立ち寄った場所に、道の駅「小坂田運動公園」がある。
 
長いこと記事をアップし忘れていたが、今回のインフルエンザ罹患明け・養生時期を利用してアップする事に。
なかなかアップしなかった理由は、かなり印象に残った道の駅だったが、一体、何県の道の駅だったか?ハッキリと思い出せなかったからだ(自分で計画し運転して行かず、脳天気に助手席でお気軽な旅をしているから思い出せなかっただけ?)と、ある時「ワイコマさん」のブログを読んでいたら、その地が、長野県の塩尻市とわかった。
 
道の駅「小坂田運動公園」
 
小高い丘にあり、広い敷地を持つ長野県塩尻市の道の駅。
 
駐車場もこの広さ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
道の駅内のレストランで食べた「山賊焼き」は、大きさも味もワイルドで美味しかった。
山賊焼きの大きさ、スパイスのよく効いた味などは、強烈に覚えていた。が、残念ながら画像に残してなかった。食べるのに一生懸命で・・写真撮るのをスッカリ忘れてのたようだ。
幸い、塩尻市のHPで懐かしい「山賊焼き」を発見した!!
 
「山賊焼き」は、長野県塩尻市の名物らしい(塩尻市HPで見つけた広告写真「山賊焼き」より↑↓)
これこれ~この大きさが、ナイスだった!! 一度かぶりついたら止まらなくなる!!
 
「小坂田運動公園」道の駅は、トイレも綺麗。広くて明るく、気持ちのいい道の駅だった覚えがある。
 
我々は、ここで車中泊した覚えがある。県外車も多く。我々以外にも、車中泊の車が数台泊まっていた。
夕方になるとバリバリと車外に出した発動機を使う(料理でもしているのか?)東北ナンバーの車もあった。
 
道の駅「小坂田運動公園」は、現在、改修工事がされているようだ。更に、多くの人々(地元の人々も)が利用できる総合運動公園・兼・道の駅として、生まれ変わろうとしているようだ。
 
我々が車中泊した時も「小坂田運動公園」道の駅内には、既に、テニス場、サッカーゴールなどがあった。我々が車中泊した日は金曜日だったのか?翌朝の土曜日には朝早くから、道の駅内のサッカー場から元気のいい歓声が聞こえて来た。そこには、走り回って試合をする小学生達の姿があった。子どもらの歓声が、道の駅いっぱいに広がり、その上の青空にまで響いて、とても心地が良かった。 夫と二人、しばらく、サッカー観戦をした5月の半日。
 
もう一度行ってみたい!!道の駅「小坂田運動公園」長野県塩尻市。
健康的な道の駅だった!!
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伊那本郷の駅

2023-01-11 | 鉄道の駅・車窓の景色

55年以上前「長野県・伊那谷」での「りんご事件」は、懐かしさ半分、恥ずかしさ半分。

夫にとっては、忘れられない青春の1ページとなった。

この件があってから、夫は「長野の地理と長野の人が大好きになった」という。

退職後に始めた我々の温泉旅。まずは、長野県を再訪問する事から始まった。

懐かしい長野県を目指して、夫が、最初に行ったのは、「伊那谷」に繋がる「伊那本郷」の駅だった。

「伊那本郷の駅」(2007年夏に訪問した時)

無人駅になっていた「伊那本郷駅」

そして、ここの駅内の時計が 「とんでもない?時間を示していた」

さすが、懐かしい「伊那本郷駅」  変わってない長閑さ~・・

伊那本郷の駅からは、懐かしい伊那谷の景色が広がっていた。

50年前とはかなり変わったけど、山々は同じようだ。

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りんご事件と長野県

2023-01-11 | 湯めぐり四方山話

今から55年以上前の「りんご事件と長野県」(これは夫の体験談だが、一度ブログ記事にしておくことに)

20才頃、東京の大学に行っていた夫。大学の巡検の授業で長野県を訪れた時のこと。

東京から「長野県」までは各自で行き、「諏訪」駅が現地集合の場所だった。そこから「伊那谷」を歩いて現地の地形を体感するという巡検内容だったという。あらゆる地形の宝庫と言える長野県。河岸段丘や扇状地ほか何でも見ることが出来る県。

天気がいい10月、夫たち巡検メンバー(今回は学生ばかり10人)は、延々と続く「伊那谷」をずっと歩いて地形を体感した。が、段々と喉は渇くし、腹は空いてくる。55年前は、コンビニはもとより自動販売機も一つもない時代。それどころか、この「伊那谷」には、お店というものが一つも無い。昼食を取りたくても食堂なるものが、どこにも見当たらない。

仕方なく、巡検のメンバー10人(男ばかり)は、フラフラしながら伊那谷を歩いていた。と、偶然、道すがら、よく熟れた真っ赤な林檎の実を発見!!林檎の木の側には、1メートル幅のきれいな小川まで流れている。

誰ともなく?よく熟れた林檎を一つもぎ取り、側の小川で洗い、そのまま丸かぶりし始めた。なにしろ半日以上も水分を摂らず歩きまわっていた日。乾ききった全身に染み渡るように?林檎の甘酸っぱい果汁が行き渡った。しばらくは、夢中で、次々と林檎を丸かじりし、そればかりか「次の補給用にと?」リュックに、もいだ林檎をそのまま詰め(一個~2個) そして、やっと? 人心地ついて来た頃。

 「なっ!!なんと林檎畑の中に、人影」を発見した!!

連なる林檎の実と葉っぱに隠れて、全く見えなかったが、生産者の(40代くらいの)女性が、すぐ近くで林檎の木々の手入れをしていたのだ。

びっくりして、即座に「我々は、巡検の授業の一環の地形学習として、この伊那谷を歩いていたが、近くに店も食堂もなく、喉が乾いて、腹も空いて、仕方なく、つい出来心で?林檎を食べてしまった事情を話し」平謝りしたらしい。

夫たちは、てっきり、こっぴどく怒られて、現行犯の林檎泥棒で、警察行きも免れないと思いきや、女性は「まあ~それはそれは、遠くから来たのに、喉が渇いて大変だったね!!うちにおいでよ。お茶を飲ませてあげるから、みんな少し休憩していきなさいよ」と、叱るどころか、家まで10人を招いて下さった。女性の家では、みんなタップリお茶を頂き(お茶菓子まで頂き)お腹いっぱいになった日。更に、女性は「これはお土産ね!!」と我々一人ずつのリュックに追加の林檎だけでなく、梨までどんどんと入れてくれたらしい(それぞれのリュック中には、最初に林檎畑で勝手に取り込んだ林檎が一つ2つは入っており、流石に!?これは、非常に気まずい~!!)夫たちは、この時ばかりは、一時も早くこの場を立ち去りたかったらしい。

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初めての抗原検査

2023-01-09 | ワクチン接種

正月明け最初の診察日(1月4日)

2023.01.04(水) 北はりま総合医療センターの内科窓口へ(朝9過ぎ)

・内科の受付で、1月1日からの自分の症状を説明する(①現在の風邪?症状を一覧表にして②年末にインフルエンザ患者と濃厚接触した事も伝え③12月8日にコロナワクチン5回目を接種したことも)

・内科窓口で「再度の検温」と★「主事医からの意向」★が伝えられた。

★診察の前に「コロナ」と「インフルエンザ」2つの抗原検査を受けること★結果を踏まえてからの診察になると言われた

★抗原検査は「一度外に出て、自家用車を発熱外来・建物前に移動させる。その駐車場内で自家用車に乗ったまま・ドライブスルー形式での検査になる」★と言われた。内科の窓口では、私の自家用車・情報「車種・色・ナンバープレート番号」なども聞かれた(外の発熱外来・駐車場担当者に内線で連絡するためらしい)

・・・・・・・・・・・・・・・抗原検査のため車を移動する・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・本館から出て、一般駐車場から、発熱外来専用駐車場に自家用車を移動。

・発熱外来の駐車場は、一つ置きに駐車禁止用の黄色コーンが置いてあった(外での個別検査は、問診後のファイル記入時などに、検査員がしゃがんで書いたりするスペースが必要なため?とも思えるが、何よりソーシャルディスタンス・適度の患者・被検者同士の距離確保のためだろうね!!)

よく見ていると、発熱外来建物から、防御服に身を包んだ検査員が一人、二人出て来る。そして、一台ずつ、声かけして個人確認をしながら「ドライブスルー形式」で抗原検査を実施していた。

・私の検査番になり、一回目は「車と本人確認」の為に、防護服の検査員が一人出てきた。

2回目は「検温・脈拍検査・問診の確認」の為に一人出てきた。

そして3回目には、検査員が二人体制になり、一人が鼻に長い綿棒を突っ込み「インフルエンザ用」と「コロナウィルス用」の2つの検査検体を取っていった!!

ずいぶんと鼻の奥まで長~い綿棒を勢いよくつっこまれたこれが、これまで(コロナが流行り出して)よくテレビなどで何度も見てきた「抗原検査」なるものか~!!コロナが流行り出して4年目にして、遂に?私も?これを経験する事になるとは・・なんか複雑だね・・

そして、結果が出るまでの1時間は、この駐車場の自家用車内で、このまま待機するように言われた😱

私の待機中・1時間だけで、4回も(この発熱外来・専用駐車場内に)救急車が入ってきた。

駐車場内・車中待機の1時間後、結果は、先ほど私の鼻の中を素早く掻き回した?検査員の一人から告げられた。

インフルエンザ陽性、コロナは陰性と。詳しい検査結果や処方箋は(電話や紙媒体で)内科の掛かり付け医者に届けてあるので、本館・内科で「本日の検査結果として聞いてほしい」と言われた。

2つの抗原検査はなんとか終わり、自家用車を再び、一般駐車場へ移動させてから本館・内科に戻るよう言われた。

「やっぱり、期待を裏切らず、インフルエンザに罹患してたなぁ~」😅

・・・・・・・・・再び、一般駐車場へ、自家用車を移動させ、本館・内科へ戻る・・・・・・・・・・・・・・

 結果は内科に届けられており、本館・内科でいつもの担当医師からの応診となる。(正確には➡本館内科近くに、発熱外来診察コ-ナ-・スペ-スが作られており、そこへ、担当医が出向いて来て話すシステム)

  

同じ待ち時間でも助かるのは、本館内は暖房が効いており寒くないこと!!

☺💕やっと、いつもの担当医師が現れ、本日のインフルエンザ➕コロナ検査の報告を受ける時が来た。

いつもの担当医の顔を見て急に気が緩んだのか??本日、一度も出てなかった咳が、連続で出始めた。激しく咳き込む私の様子に「既に、インフルエンザ罹患とわかっているし」思わず、3メートル?は離れて?恐る恐る?会話をする担当医。「あんた本当に私の担当医なの?!その恐れようは何だ!!」と思うも「仕方なあか~紛れもなく今、私はインフルエンザ患者なんだし・・」と思い直した日。

その3メートルの対人距離のまま、担当医は【インフルエンザに罹患しているが、もうタミフルなどの抗インフルエンザ薬を処方する時期が過ぎているので「咳止め」を出しておく。あとは、自然治癒力が頼み】と言われた日。

そんなで、2つの抗原検査+担当医の診察も無事終わり、あとは、会計➕お薬受け取り    もうフラフラ😵🌀⤵

北はりまの駐車場・自家用車の中で、あんパン➕コ-ヒ-➕ヨ-グルトを食べて、やっと帰路につく。

体力がないと病院も行けない!!抗原検査も出来ない!

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新年からインフルエンザが!!

2023-01-07 | ワクチン接種

明けましておめでとうございます!! 本年も宜しくお願いいたします。

コロナも、ついに4年目に入った2023年の正月。感染対策には、かなり気をつけて来た我が家。年末には、5回目ワクチンも済ませて迎えた年末年始。

が、今年は、思わぬ方向から、別の脅威が、我が家を襲った!!

なんと、年末に、日帰りで遊びに来た長男と孫二人(9才と6才の男児)と一緒に、インフルエンザ~が来た!!

コロナ蔓延以後、年末年始の帰省を控えていた息子達。(我々が12月にコロナワクチン5回目を済ませているのを知ってか?)久々に、長男だけが子ども2人連れて、年末にやって来た。

が、来た時から、孫の一人(6才男児)が、妙に?大人しい。日頃は、元気いっぱいに、動き、喋りまくり、片時も静かにしてない超目まぐるしい子が!? 何故??何??と、額に手を当てると・・微熱があるではないか!!

「この子、ちょっと微熱があるよ」と長男に知らせると「最近この子は【太鼓の達人】ゲームに熱中しており、毎回、ゲームが終わると(このように)微熱が出る」と言う???  はあ??

その日も、朝起きて、車で我が家に出発するまで(2時間近く)「太鼓の達人」ゲームをガンガンやっており、出発前から「微熱があった」という??? 何なの?熱が出るほどするゲームって??

とりあえず、6才の孫が妙に大人しい訳、微熱の原因が、わかった日。気になるが、普通に食欲はある。お昼もお八つもしっかり食べるから「まあ大丈夫か~!!」と、この件はそれなりに納得?した。

一方、もう一人の(もの静かな?ゆったりした)9才の孫のほうは、いつもどうりの体調。これまで、二人一緒に来ると、毎回(賑やかな6才の孫にかき回されて?)我々は、ゆっくりと9才と1対1で話す時間がなかなか取れないかった。この日は(幸い?やかましい6才が大人しい日で)私も夫も、9才の孫との1対1会話をゆったりと楽しめて、とても楽しかった。これはこれで、充実感があった日。

が、3人が帰宅した翌日。昨日、妙に静かだった6才が、発熱しグッタリして状態が悪くなったらしい!!加えて、長男と9才の孫も、少しずつ体調不良になり、病院で検査することになった。

「この時期なので、3人ともコロナとインフルエンザ、2種類の検査をさせられたらしい」

結果は、3人とも「インフルエンザだけ、陽性だった」

問題は、ここからだ!!

心配なのは、インフルエンザが、我々、年寄りにも移っているのでは?・・

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我々もインフルエンザ??

2023-01-07 | ワクチン接種

息子達3人が帰って丸一日はなんともなかったが・・

心配していたことは、本当になって来た~・・!?

まず、兆候が現れはじめたのは夫から・・

翌日の夜から、夜中に咳き込み始めてた夫。ずっと咳き込んでいたので、こっちまで睡眠不足に・・そして次の日は、昼間も咳き込んで、余りに咳き込み過ぎて両方のわき腹が吊り、身体に激痛が走る事態に~油汗はかくし、吊ったわき腹の痛さで気を失いそうな事態に・・あわや?!救急車!!の騒ぎ!!

が、濡れタオル(水で濡らしたタオル)を軽く絞り、ラップで包んでレンジでチン(温め)した後、そのアツアツタオル(ラップに包まれたタオル)を、吊っている脇腹の部位に当てると、徐々にわき腹の痛みは、軽減した。

夫の「咳き込み」+「脇腹の吊り、激痛」で、くたびれた2日目・・

なっなんと、3日目には、私にも、咳き込み・鼻水・喉痛いなどの症状が出始めて・・すっかり苦しくなった。

しかし、2人とも、さして熱は出ない(症状の出始めてた初日だけは、微熱があったが)

「倦怠感・食欲不振・しんどさ・息苦しさが半端ない!!」なんなん?まるで、よく言う「コロナの症状みたい」

4日目からは、咳き込み・鼻水に加えて、夜には足が吊るのも加わり、体力消耗著しい!!バテバテの日々。

振り返ると、15年前にインフルエンザに罹患して以来、風邪など一度も引いたことがない私。(更に、夫は、もっと何十年も風邪など一度も引いたことけない!!)それほど我々は、日頃から「うがい・手洗い」に励んでいるので・・

そんなんで、家には2008年4月までが賞味期間の「葛根湯加桔梗エキス配合かぜ薬」エスタックゴールド錠が8錠あるのみ。「もはや賞味期限切れの薬」ではね~・・

もうあかん!!明日は、病院に行こう!!

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