「はしうど荘」は京丹後の温泉宿(日帰り温泉でもある)
部屋は素朴な和室
部屋の窓から松林の向こうに「立岩」が見えた。
部屋にはWi-Fi設備があった。
風呂へは、宿泊棟からこの引き戸を開けて行く。
引き戸のある場所は、宿泊者だけの寛ぎスペースと地元の名産品売場でもある。
男女別のお風呂がそれぞれある。
内湯が一つ(ガラスの向こうは露天風呂)
雰囲気のいい露天風呂
「立岩」が露天風呂からも見える
お風呂場の「ケロリン桶」が親しみやすい。
「はしうど荘」は地元の人には共同湯なのだ。
脱衣所は
正真正銘の天然温泉で、癒される~!!
お風呂上がりの休憩所は、宿泊者も外来湯の人も同じ場所で広~い。
休憩所からも「立岩」が見えた。
「はしうど荘」は、9月と10月と2回泊まった。
食事は宿泊棟の食堂で頂く。
1回目(9月)夕食の内容
この煮魚は、大変旨かった。
すき焼きもこれだけなら旨いが、上の煮魚と味がかぶり残念ながらしつこく感じた。
カレイと野菜の天ぷらが美味しかった。
カレイは骨までカリッと揚げてあり美味で、丸ごと全部食べちゃった!!
最後にはデザートがある
続いて2回目(10月)の夕食内容は
お刺身もバージョンUPしてサザエの刺身まである
カキの料理もあり
2回目のメニューの売りは「海鮮の炭火焼き」
加えて「牛肉」もあり、これも網で焼いて食べる。
仕上げは「へしこ」(地元の名産品)
これは、ご飯に合う。最高~!!
そして終わりは 、このデザート
朝食だけは、2回ともほぼ同じ内容だった。
部屋は素朴な和室
部屋の窓から松林の向こうに「立岩」が見えた。
部屋にはWi-Fi設備があった。
風呂へは、宿泊棟からこの引き戸を開けて行く。
引き戸のある場所は、宿泊者だけの寛ぎスペースと地元の名産品売場でもある。
男女別のお風呂がそれぞれある。
内湯が一つ(ガラスの向こうは露天風呂)
雰囲気のいい露天風呂
「立岩」が露天風呂からも見える
お風呂場の「ケロリン桶」が親しみやすい。
「はしうど荘」は地元の人には共同湯なのだ。
脱衣所は
正真正銘の天然温泉で、癒される~!!
お風呂上がりの休憩所は、宿泊者も外来湯の人も同じ場所で広~い。
休憩所からも「立岩」が見えた。
「はしうど荘」は、9月と10月と2回泊まった。
食事は宿泊棟の食堂で頂く。
1回目(9月)夕食の内容
この煮魚は、大変旨かった。
すき焼きもこれだけなら旨いが、上の煮魚と味がかぶり残念ながらしつこく感じた。
カレイと野菜の天ぷらが美味しかった。
カレイは骨までカリッと揚げてあり美味で、丸ごと全部食べちゃった!!
最後にはデザートがある
続いて2回目(10月)の夕食内容は
お刺身もバージョンUPしてサザエの刺身まである
カキの料理もあり
2回目のメニューの売りは「海鮮の炭火焼き」
加えて「牛肉」もあり、これも網で焼いて食べる。
仕上げは「へしこ」(地元の名産品)
これは、ご飯に合う。最高~!!
そして終わりは 、このデザート
朝食だけは、2回ともほぼ同じ内容だった。
検索しましたら 神戸にあった神社の名前
「走水」という名前の由来となった宇治川は、
雨が降るたびに「走り渦」で河水が渦を作って流れ、
その流域の村はさまざまな被害にあってきた。
これにより、この流域にあった村が走水村と
よばれるようになった。
「はしうど」由来にはもう一つの説がある。
この地域に、天皇に仕えていた氏族の人間が住みついたことから「はしひと」と
呼ぶようになり、後にそれがなまって「はしうど」
となり、「走水」の字があてられた、という説である。
多分震災ボランティアの時に知ったのでした
京都の丹後温泉のはしうど荘とは直接関係が
無いでしょうが・・震災を思い出しました
★「六世紀の末、蘇我氏と物部氏の間に争いが生じ、用命天皇のお后(きさき)で聖徳太子の生母の穴穂部間人皇后(あなほべのはしうど)は、乱を逃れる為、「大浜の里」に逃げてこられました。昔は間人を大浜の里と呼んだそうです。 やがて争いも治まり、皇后は大和の斑鳩(いかるが)に帰ることになり、大浜の里を離れる際、皇后は自分の名を取って「はしうど村」と名づけたそうです。ところが、大浜の里の人々は、皇后の名前を口にするのは恐れ多いとして、退座されたことにちなみ「たいざ」と呼ぶようになったと云われています」★
それで「間人」を「たいざ」と読みその地のブランド蟹を「間人カニ」と書き「たいざカニ」と読む、そして同じ「間人」を「はしうど」とも読む、これは「間人皇后」「はしうど皇后」から来ているのだと分かります。
「はしうど荘」は宿の名前に使っているようです。
ワイコマさんのお陰で、機械的にブログ記事upさせていた私も、ゆっくり立ち止まって考えることができました。
ありがとうございます。
ワイコマさんは地名込められた歴史を感じ取れる方なのですね!!素晴らしいですね。