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お座敷都市開発

計画性のない箱庭的乱開発でおうちの中が増々カオス。

やっぱり、ダブルデッカーにしました。

2014年06月03日 02時27分55秒 | レゴ(オリジナル)
諸事情で京阪旧3000系も繰り上げ作成した方が良いような流れになってきたので、パーツリストを起こそうか…と取り掛かろうとした所で、ハタ…と気が付いたのです。「…あ、バッテリーが入らないんだった。」

逃げ案として、狭窓が連続しない車輌…8000系のT車(8500形8550番台)を組み込むのが第一案として保留中だったのですが、何処を探しても実車の資料が無いのです。20年も前の、そんな地味な編成は誰も記録を残してくれていないのですね。

車体は他の8000系中間車と同じでいいとしても、床下機器の資料が絶望的です。

…仕方が無いので、ダブルデッカーにしました(あっさり…)。これなら、床下を作らなくていいのでラクだし(笑)。

ついでに、他の車輌のCADデータを修正しました。床下は、実車の画像と見比べながら色々検討しましたが、主要部分を黒に、主抵抗器やグリルをグレー、スカートを濃灰にする事にしました。

連続する狭窓は、大幅なアンコ抜きを行い、向こう側が透けて見える組み方に変更です。ここは117系のノウハウが役に立ちました。



淀屋橋側(画像左側)から…3055(Mc2)+3155(M1)+3855(TD)+3505(Tc)。ダブルデッカーが入ると、先頭車の顔まで堂々と見えて来るから不思議です。

更新直後にダブルデッカーを組み込んだ7輌編成…から、3755(T)+3205(M2)+3105(M1)の3輌を抜いた、4輌で暫定的に落成する予定ですが、このままでも結構雰囲気は出ますね…まぁ、このままでいいか(笑)。



1階へ降りる階段の無い側(出町柳行きだと左側)。1枚目の画像(同、右側)とは、窓配置が異なります。

週末に急遽作成したので、実車と同じく中間車データからの魔改造です(笑)。ベースデータとなる雛形があると、やはり早いですね。今回は床下が無いのでお気軽です。

本来、2階の窓ガラスは幕板の張り上げに沿って上端がラウンドしているのですが、PF機器を入れる為に、内部空間を捻出する…という至上目的があるので、無理をせず、全体のバランスでそれらしく見えるように調整しています。それなら窓自体をあと1プレート上に…と、思いがちですが、屋根肩の黄色い45度スロープの下に1プレート入れる方が落ち着いて見える不思議。

1階~2階の窓間に描かれている時代祭行列絵図を省略してしまうと「らしさ」が半減してしまいますので、忠実に再現(笑)してあります。



着脱時に無駄な破損を防ぐ為に、屋根はパカっと半分に割れるように外せます。バッテリーボックスの電源スイッチには、屋根の一部を押す事でアクセス出来るようになっています。この辺は、去年のJAMで運転した591系からのフィードバックです。窓からグリーンのパイロットランプがギリギリ確認出来る…と思うのですが。

あと、脱線転覆などの非常時に車体が分割されて衝撃を吸収するような構造を、実験的に取り入れています。壊れても意図した塊になるように誘導して、修復が少しでも早く出来る…という意図です。だいたい11分割になってくれれば成功です…まぁ、事故は無いに超した事はありませんが。

PFはどうしても重く&重心が高く、オーバースピードで脱線…というリスクが付きまとうので、それ対策です。

受信機は、屋根に穴を開けて…という仕様にしていたのですが、黄色い45度スロープの関係で受光部が深く入り組んでしまうので、苦肉の策として客用窓からの受信です(え~w)…コレが一番アブナイ。色々対策を取りながら、最後の最後に暴走の原因を自ら残すという本末転倒な事に(笑)。

クモニ143-100番台

2014年05月23日 00時36分29秒 | レゴ(オリジナル)
117系のウソ電車急行ネタ、まだやり足らないので、もう一発カマしときます(笑)。153系というよりも、もう一世代前の80系の方がコンセプト的には近い感じがするので、やっぱり荷電は必要でしょう(笑)。80系には急電カラーもあった事ですし。

大ウソついでに117系を名乗ってもいいのですが、そこはもっとリアルに、クモニ143-100番台…って事でどうでしょう?

つまり、こうです。…純正の80系荷電といえばクモユニ81ですが、

(1)当時、京阪神にはクモニ83が走っていた。
(2)クモニ143が新制増備中だった。
(3)郵便はクモユ143の新制4年足らずで廃車という悲劇があるのでイヤw
(4)クモユニ81は後にクモニ83-100番台となる。

…といった理由です。

まぁ、湘南顔クモニ83-100番台の新性能版というイメージ先行ですけどね。100番台というのが拘りポイントです。

クモニ143を名乗るのは、システム的に117系とは明らかに違う1M方式というのもあります。まぁ、姫路まで毎日やって来ていたクモニ83は、いつもペアを組んでいたので、片運転台車×2の2Mユニット荷電でも面白いとは思ったのですが、やっぱりこの顔でダブルヘッダーというのがキモでしょ(笑)。

作ってみて思うのですが、117系顔というのは、113系や153系の延長ではなくて、80系の進化形じゃないですか?…両運転台にして初めて気付きました。



それにしても、荷物扉が付いてしまうと、スマートでシティーボーイ(笑)な117系が、一気にバタ臭くなってしまいますね。117系とクモニ143では、車体幅が違いますが、実際に作るとなれば…ちょっと馬ズラな117系顔になったか、あるいは顔はそのままで、車体の方を117系に合わせたか…レゴではまぁ、好きな方に解釈出来ますね(笑)…ズルいw

ところで、1980年代中頃まで、大阪方面から姫路駅まで、クモニ83を2輛連結した、夕刊輸送用の電車が運転されていました。…確か、姫路着が午後3時過ぎで、到着後は一旦飾磨港線(入れ替え用にちょっとだけ電化されていた)に入って行って、南側の留置線で夕方まで昼寝していました。

下り大垣夜行からそのまま適当に乗り継いでいくと、この荷物電車と並走する新快速に乗れた記憶があります。神戸あたりから抜きつ抜かれつになり、荷電が頑張って走ってくれれば、明石の手前くらいまでデッドヒートになりました。

こんな動画を見つけてしまいました↓

https://www.youtube.com/watch?v=Ao5kf1enAVQ

まさにこのスジです。この荷物電車は、廃止間際で片方がスカ色の800番台になっていますね。私も新快速の窓からカメラを向けた事があります。

…で、もしもクモニ83が、このクモニ143-100番台に置き換わっていたら(笑)…↓



こんな並走シーンが展開されていたかも知れません…117系顔が5つも接近する妙なひと時です。クモニはオールMですから、MT54の唸りがさぞかし賑やかでしょうね~。

当時、新快速は緩行線(内側線)を走っていましたから、列車線(外側線)を走る荷物電車と並走出来たワケです。いや~、何というか…顔、顔、顔、顔、顔、…キモチ悪い(爆)。

117系に銀サロを…

2014年05月22日 00時30分46秒 | レゴ(オリジナル)
ちょっと休憩…。

当時はCADで設計して3DCGで確認…など、あり得なかった時代です。今迄に無いカラーリングの検討は、模型や、実物大のモックアップを使って行われていたようですが、117系のテストペインンティンングは、廃車予定だったサロ110-901を使って行われました。

実際には、狭窓が117系に近い中央部分の3分の1くらいに塗られたそうですが、前記事の急行が実現していたとしたら(まだ言ってるよ…w)、こんなカラーリングの萌え車輌が登場していたかも知れない…という、まぁ、全くの妄想です。

…というか、試験塗装が行われていたのかどうだかは知りませんが(笑)。

サロ117-50番台(笑)の腰板をコルゲート仕様にしてみただけですが、なんだか日本離れした独特の車輌に変身してしまいました。

構造上、幕板にリブ付きブロックを入れる事は出来ないのですが、窓桟の副産物というか、プレートやらタイルを無駄に積んで出てしまったテクスチャーが、腰板のリブブロックに引っぱられて、結構コルゲートっぽい感じに見えて面白いものです。

つか、こんな事やってないで、はよ117系組めよw >自分!

…つづく。次回は軽くボンバーですw

117系が珍快速…

2014年05月21日 01時21分21秒 | レゴ(オリジナル)
事実は小説より奇なり…と言いますが。まぁ、実際には計画だけで終わった話なので、事実とは言い難いのですが。

新快速の新車置き換え計画が発表された当時(117系という形式はまだ未定だった時期)に、同じ系列の車輌を使った急行列車が想定されていた事を覚えておられる方はいるでしょうか。確か…私が小学校5年か6年くらいに、地元新聞(多分、神戸新聞)の記事で見た記憶があるので、1970年代後半に差し掛かった頃でしょうか。

「今迄に無い斬新な新型電車!」というような表現だけで、具体的なパース等があった訳ではないのですが、京阪神から名古屋方面と、岡山・宇野方面、将来的には、電化が予定されている山陰方面にも…という内容だったと思います。

急行比叡、鷲羽、そして当時気動車だった急行丹波…あたりのリニューアルを想定していたのでしょうか。

新快速と差別化する意味で、グリーン席とカウンター式の軽食コーナーが設けられる…といった、まぁ、今から考えると、絵空事としか思えない内容なのですが、山陰方面だけを考えても、急行グリーン車の需要というのは充分に考えられた内容です。まぁ、キハ82系特急に混じってキハ58系急行がまだまだ元気だった頃ですからね。

日本海側では、故郷に錦を飾る…という風習が根強く残っているそうです。グリーン車やA寝台を使って帰郷するというのが成功の証、という事で、現在の特急こうのとりや、廃止された出雲にグリーン車やA寝台が残されたのは、そういった意味があるらしいです。いわゆる出世列車と言うやつですね。他にも、新婚旅行の旅立ちとか、大見栄を張らなければいけないシーンが結構あるようです。



軽食コーナーというのが具体的にどのようなものだったのか、実車が存在しなかった歴史の延長線上にある今では、確かめようも無いのですが、私がよく遊びに行っていた、姫路駅地下にある鉄道模型店で知り合った山陽電鉄に勤務されている方から、松本運転所で不要となった食堂車(多分、サハシ165の事?)が、新快速へ組み込む為に(?)吹田工場に入場していた…と言う話を聞いた事があります。

当時は、何かの勘違いだろう…と思っていたのですが、年代的にも話の辻褄は合っているような気がします。関係あるかどうかは分からないのですが、姫路駅(地上駅時代)の南側留置線に、湘南色のサハシらしき車輌が何輛か置かれていた記憶があるので、もしかしたら疎開して来ていたのかもしれませんね。同じ頃、神戸の灘あたりにも581系の食堂車だけが何輛か留置されていたのですが、車体断面が違い過ぎるし、フル規格の食堂車では「軽食」という用途には向かないと思うので、やはりサハシ165ベースの方が現実的ですよね。

…まぁ、実現しなかった話なのでウソ電になってしまいますが、117系と色を揃えて組み込んでしまえば、案外違和感がありません。サハシ165の厨房は蕎麦屋仕様だったと思うので、ここは今ではすっかり有名になってしまった姫路の駅そば、まねき食品に入ってもらいたいですね。実際、153系時代や117系に置き換わった直後の新快速では、車内への持ち込みが結構あったようで、プラスチック製の簡易どんぶりと割り箸が、シートの下に転がったまま…というのをよく見かけました。需要は充分にあった筈です。

基本的にカウンターでの立食ですが、ボックスシートの普通席部分には、簡易テーブルがあれば喜ばれそうですね。

新快速の延長で考えた場合、名古屋方面は急行比叡の置き換えを含めて、姫路~名古屋…という事になるのでしょうか。岡山・宇野方面は、急行鷲羽の置き換えで、そのまま大阪~宇野…という事になりそうです。この場合、サハシのメニューは讃岐うどんだと嬉しい。ついでに、山陰方面は出石蕎麦。それぞれ回転率が良さそうですし、元あった設備がうまく活かせますね。命名、サハシ117。



グリーン車は、兄弟車である185系のサロ185と同型のものが新製された可能性が高いと思いますが、一部は1980年10月改正で113系から外されたサロ110や、何処かで余剰となったサロ165あたりから改造されたものが混じっている方が趣味的に面白そうです。国鉄の台所事情を考慮すれば、タネ車の不足分を新製で補う…という方が説得力があるかもです。

形式はサロ117ですが、新製車は0番台、改造車は元ネタ問わず50番台…といった所でしょうか。サロ165からの改造車は、簡易運転台撤去で、妻面窓はそのまま、ヘッド&テールライトは蓋をしただけ…というのがお約束。ブレーキ制御装置にカバーが付いている等、耐雪仕様なので、新制0番代と共に山陰方面への運用優先で。逆にサロ110からの改造車は、岡山・宇野方面への限定運用になりそうですね。

基本編成は、T'c+M'+M+サハシ+サロ+M'+M+Tcの8輌、姫路似西と山陰方面以外は4輌増結の12輌…といったところでしょうか。

…新聞記事の「急行」というのが、新快速との2本立てだったのか、あるいは、急行並のサービスを料金不要で提供する事だったのかは分かりませんが、関西急電の復活・発展だったとしたら、ぜひ実現して欲しかったです。実際、1976年11月の運賃値上で並行する私鉄との競争力を失っていた頃だったので、国鉄もあの手この手で色々考えていたのでしょうね。117系としてデビューしたのが、いわゆる急電カラーだったのも、この計画の片鱗を見るようで想像が膨らみます。

因に…117系には、急行運用や波動輸送を想定して、電照式の方向幕以外に、号車札とサボ挿しがついています。実際、団体列車での使用実績があり、号車札と、「団体」と書かれたサボが挿されていたようです。「急行」や緑帯の「指定席」と書かれたサボも見てみたかったですね。

…つづく(笑)。


<本文注釈:必ずお読みください…>

・確か…私が小学校5年か6年くらいに、
 →本当です。私にも小学生だった頃があったのです。

・地元新聞(多分、神戸新聞)の記事
 →117系デビューと、一般公募でマークが決定した以外の記事はありませんでした。急行の話はウソです…ごめんなさい。

・姫路駅地下にある鉄道模型店
 →今はありませんが、実在しました。

・食堂車が…吹田工場に入場していた…
 →大ウソです。ごめんなさい。

・姫路駅(地上駅時代)の南側留置線に、湘南色のサハシらしき車輌が…
 →湘南色のサハシはウソです。疎開留置されていたのは廃車予定のキハ82系です。

・神戸の灘あたりにも581系の食堂車だけが何輛か留置
 →本当の話です。サシだけが外されて、3輌くらい留置されていました。

・サハシ165の厨房は蕎麦屋仕様だった
 →本当です。153系では寿司屋、165系では蕎麦屋だったらしいです。

・プラスチック製の簡易どんぶりと割り箸が、シートの下に転がったまま…
 →本当です。私もよく駅ソバを車内に持ち込んでいました。

・急行運用や波動輸送を…号車札とサボ挿しがついています。
 →本当です。団体輸送には号車札と「団体」のサボを挿しての運用実績があります。

117系を新改速…

2014年05月17日 16時11分04秒 | レゴ(オリジナル)
パーツを揃えて…さぁ、あとは組み立てるだけ!…の状態だった117系。何時でも出来るという安心感と、引き続き同時進行していた別形式の設計が、技術的にどんどん進化して行き、気が付けば先陣を切っていたプロジェクトが一番陳腐化していた…というよくある悲しさ。

特に運転する場合に必然的に並ぶであろう113系との技術的な落差は激しく、見劣り必至なモノにだんだん冷めていくのは仕方が無いのです。前頭部の設計ミス発覚&制作環境の悪化は更に遅れを助長し、トドメは続く制作に確保しておいたレゴ予算をその間、別の事に使い込んでしまっていた…という(泣)…何てこった(笑)。

予算の事は置いといて、取り敢えず立て直し第一弾、117系をHG仕様に。横組コテコテ箱根細工にディテールテンコ盛りでCADデータの作り直しです。

…もう、今更クリアブロックを4個積み上げただけのユニットサッシなんて見たくもありません(それは言い過ぎ…)。桟をしっかりと入れて独特の田の字形サッシを表現します。京阪3000系や113系の応用技術で、今更説明の必要も無いアレです。

今回は徹底的に贅肉を落として軽量化してあります。勿論、窓は向こう側が透けて見えます。車端部は順組なのでPFバッテリー&受信機は普通に搭載出来ます。

本当は客用ドアを0.5プレート後退させて微妙な凹凸を付け、更にリアルにしようと思ったのですが、PF仕様の場合は機器搭載スペースが皆無になってしまうので、グっと我慢です。実車は車体色と同色ですが、靴摺のアクセントだけ入れておきました。



画像左端が姫路側(下り)で、手前がトイレ付き1号車のクハ116、奥がクハ117。

テールライト周辺の組み方がマズく、屋根が若干浮いてしまっていた…という、笑えない問題を修正。横桟を入れた事により、ドア窓との高さが奇麗に揃いました。

乗務員ドアは、飛行機窓では小さ過ぎる印象だったので、クリアブロック横組に変更しています。

幕板の高さが変わったので、行き先方向幕を113系と同じく1プレート高に変更。あとは床下に車止めを追加。



同じく画像左端が姫路側(下り)で、手前がモハ116(コンプレッサー、MG搭載)。奥がモハ117(主抵抗器、主制御器搭載)。

客用窓はクハと同じ組み方の繰り返し。手前のモハ116は、戸袋上部にMG吸気用の側面ルーバーを追加してあります。117系は最初から湖西線に乗り入れる事を前提にしていた関係で、主電動機吸気用に車端部雪切室があり、側面ルーバーはこのMG用が唯一です。

MGと主抵抗器は、113系用に修正を加えて更にリアル化した物に差し替えてあります。寸法も切り詰めてあるので、影響のある他機器の配置もバランスを取り直しました。



先頭(手前:姫路側)からクハ116(トイレ付き)、モハ116、モハ117、クハ117…の順。

編成を俯瞰すると修正前の印象と変わりませんね。CADだからでしょうか。まぁ、普通ですね。



クハ116のトイレ側。まだリアルで確認していない技術を盛り込んだ未知の領域があるので、順組オンリーの前バージョンとは違って、若干モチベーションが上がった感じです。

…まぁ、順組だけで素直に組めばインテリアも作れるし、ミニフィグを乗せてワイワイ楽しい雰囲気に出来るのでしょうが、そんな和やかなノリは私には向かない…というのが今回、改めて分かりました。

インテリアが作れるに超した事はありませんが、選択を迫られた時はフィグ乗りを捨ててでも外観に拘る、硬派なモデルの方が性に合っているような気がします。

…つづく(?)。