日本の進路を考える

戦後70年が過ぎてもいまだに自立できない日本を考える。

大往生したけりゃ医療とかかわるな。中村仁 著、幻冬舎新書247

2012年07月29日 | Weblog

そのとおりですね。

著者は昭和15年生まれのじじい医者。最後に自叙伝風の自己イベントが述べられ、

ガキの頃にであった疎開のモダンばあさんによいしょされて勉学に励んだことも。

全体を通じて現在の医療の金儲け主義、それも幸せな感覚の中で迎えるはずの

人の最期を無理やり邪魔をして拷問にかける医療と断じている。

 

そのとおりだ.

 

亡母も田舎の町の市民病院に入院したが、延命治療をしないでくれと頼んだとき

医師として死因を餓死とは書けませんと、勝手なことを言われた。

老衰と書けばいいものを。食事ができなくなるのも明らかな老衰であり、その人に

無理やり点滴や、胃瘻で栄養を与えるのは、人の安らかな死を邪魔しているだけ

と、断言。気合が合う。

 

日本では、死の教育がなく、殆どの人が安らかに死ぬことを誤解しているか

無理やり延命することを周りの責任だと勘違いしている。

 

いやはや。そのとおりで、この方は老人ホームの常勤医師に転じてからの観察で

癌による死亡が痛みを伴わないとデータで示す。痛むのは治療をするからだ、と。

生命の危機では脳内モルヒネが分泌され苦痛を感じることなく世を去るように

人の体はできているのに、その邪魔をして金を稼ぐのが現在の医療だとも。

 

そのことを既に見抜いてきた自身も、某企業の役員になって人事の事を心配せずに

済むようになってからは、一度も健康診断を受けていない。あんなもので

発見される癌はすでに手遅れ、何もすることはないし、この本で言う様に

そこで病院に取り込まれてさまざまな近代医療を施術されて意識が無くても

入院の牢獄で地獄の責め苦を味わう。これだけはご免こうむりたい。

 

ずっと考えてきたことをそのまま書いてある。

 

判断ができなくなったら、スイスへファーストクラスで送ってもらい、

自死させてもらって、骨壺で帰国するというJTB最終ツアーを提言して長い。

 

この著者は、やりすぎの爺さんでもあり、棺桶を準備して死に装束で

葬儀のシミュレーションまでやっている。まあ、あまりきれいとは言えぬ。

 

末期医療に関して言っていることはまさに考えが一致する。

 

繁殖する能力を亡くしたあなたは、そこで死ぬのが動物の自然の掟。

何を世間の邪魔ものとして生き延びたいの?

 

親父の脳溢血によるある意味の予期された突然死で、自分も同じ年かと

覚悟を決めてここまで来たが、まだお迎えは先のような。

 

先の見えない人が周りにあふれて、この延命地獄に嵌るのは忍びない。

これも一種の宗教めいてくるが、著者は仏教に思考の根源を求めてきた。

自分は、宗教ではなく現実の世代の死を見てきたことから考えたことだ。

 

それは人生の過ごし方の時間の区切りをライフサイクルとして後輩たちに

時間の絶対的平等に気が付くように言ってきたのと無縁ではない。

早く結婚しろ、女性は30までに子供を造れ、自分の人生はいつまでか考えろ。

なかなか他では言ってくれないことを平気で真面目に新人たちに語ってきた。

成果も沢山ある。

 

最大の成果は、孫たち6人かもしれない(笑)

 

60過ぎたら、この本を読んで人生の引け際の事を自分で考えなさい。

医療はビジネス。国家レベルの搾取をして平気だが、その責任は

自分の死さえままならぬわがまま、未覚醒のじじばばにある、この本の

結論である。

 

 

 


強豪スペインに1-0で勝利。

2012年07月27日 | Weblog

後半何度も決定的チャンスを作りながら追加点無しは相変わらずのもったいなさだが、

よくぞ守り切って勝ち点3、これは凄い。

あいてはラフプレーが酷く、審判も見えていない。最後のコーナーでは明らかに

スパイクで脛を蹴っていた。その直前もゴールラインで押し倒した。

が、まあ日本のサッカーらしく、守り切った。先日の練習試合の守備の気の緩みが

最後まで出ずに、なんとかはらはらの守り勝ち。

国際大会でのスペインへの勝利は史上初の快挙。

なでしこの余裕の勝利に比べてなんともギリギリではあったが、予想を覆す若手の

活躍に、もちっと期待できるのかもしれない。

問題は故障選手2名の回復具合でもある。

 

それと数的優位を生かせない攻撃の工夫のなさ。相変わらず。ぼーと突っ立って

眺めているワントップがもったいない構成に見えたのが何度もあったなぁ。

 

暑い一日、夜のTV観戦に備えてベッドに居たら、前半を見損ない、後半のいらいら

守備一辺倒をはらはらしつつ見守ったのだが、ほっと一息。

 

ま、よかったよかった。


喪服に着かえて

2012年07月23日 | Weblog

昨夜は同じ職場で時間を共にした同僚後輩の葬儀に参列した。

この駅は当時の通勤ルートであり、当時は野比、その後大規模な

研究開発センターができて、YRPなるローマ字混じりの日本最初の駅名と聞く。

駅のホームの停車位置も降りてからのバス停広場やタクシーの位置も

当時と変わったが、変わらないのは夜になると真っ暗な住宅街である。

 

久しぶりの喪服姿に下駄箱から取り出した黒い靴にはカビが生えていたり

生活感が消えている。

黒い靴下、白いシャツ、黒いネクタイ、どれも日常ではないものであるが

この前のことも、このようなアレンジであったかも知れない。要するにまともに

ビジネスの恰好をしなくなって久しいのを再認識した。

 

現地で久しぶりに見る面々も一緒に過ごしたころからの変化が自分も含めて

大変な時間が過ぎたことを感じさせる。彼らしい遺品やビデオの供覧もあり、

初めてみる彼の一面もあった。何よりの救いは親族席のそっくりな大人二人、

息子たちとその子達、この存在があると彼の人生も一区切りだなと納得できる。

 

自分たちの時の在り方を何となく考えてしまう夜であった。

 

 


金曜日のデモにはいつかは参加しようと思うが、嫌な奴が!

2012年07月20日 | Weblog

ハトが参加したという。

 

純粋な原発反対を意思表示する普通の人々のデモが売名に利用された気がする。

雨の様子で、今日は行かなくてよかった。

参加者と握手したとあるが、絶対に拒否。

君なんで議員辞めないのと正面から罵倒してやりたい。

 

政治ビジネス的な意図をもって売名行為に利用されたのは悲しい。

 

日本の本物の民主主義の発現を汚された気がするのは自分ばかりでは

あるまい。

 


福島4号機、燃料プールの取りだし。気の遠くなる時間。

2012年07月18日 | Weblog

一日かけて格納容器に納めたが、地上へ降ろして共用プールへ入れる

という、作業予定は完了しなかった。何か不具合があったのかと気になる所。

未使用燃料棒が200本使用済が1300本、使用済が人が近づくと即死に

至るレベルの放射能。いちいちプールに格納容器をいれて、水中で格納して

取り出すという解説だ。1500本の取り出し作業は気が遠くなる時間を

要する、極めて危険でリスクが大きい。

 

それでも、今のプールでは、建屋の地震による被災の状況も確認できず、

匈奴の問題を抱えるので、そこへ地震や竜巻が襲うと何が起きるか分らない

緊急性の高い危機をはらむ。

 

作業は早いにこちたことはないが、実際の作業開始は来年の12月からと

恐ろしく準備に時間がかかるようだ。そして、これらの作業が10年、数十年

かけて無事済んでも、それらの核燃料を始末できたわけではない。

現在生きている人が死んでしまっても、まだ時間がかかる気の遠くなる

プロセスが必要だ。

 

その位の時間をかけたら、地熱を始めとする安定した発電設備を造り

不安のない電気の供給ができることになるだろう。原発再稼働反対の

デモに集まる方々はそのことをよく知っていると思われる。更に危険な

放射能の影響が判明するのは今生まれてくる子供たちが成長してから

などの、やはり時間がかかる事であり、軽々に安全などと言う保障が

できるものではないというのも、よく分かっているはずだ。

 

目の前の電力会社経営問題、経済問題ばかりを優先する原発ムラの

硬直化した思考パターンにはあきれるし、それを政治判断の蛮行で

強行する現政権の先見性のなさにはあきれ果てる。

この問題を考えるとき、自分はもう殆ど関係ないとも言えるが、

孫達やその次の世代のことには、幾ばくかの責任を感じつつ自分も

行動を起こさねばと考えてしまう。

 

数十年の時間が経つと、宇宙エレベーターも実用的に稼働することが

期待できる。その時は安全に使用済燃料棒を宇宙へ持ち出し極めて

少ないエネルギーで太陽に返すことも可能になるという希望がある。

自分では決して見届けることはできない時間のスパンだがその為の

技術開発や、建設プロジェクトの推進を応援したい。

 

その時まで、更なる事故が起きないことを祈るしかない日本列島である。

 


原子力村の官僚の浅はかな繰り返し、見え見えで、走るつもりか?

2012年07月16日 | Weblog

東北と名古屋の国民の声を聞く集会、どちらにもご当地独占電力の社員が会社の

意見を述べるという、珍奇なことをやり殆ど失笑ものである。この手のガス抜きと

思われる会合で更にガスの充てんをしたようだ。

 

官僚のやり口は有識者と言われる御用学者を集めた委員会を開き、沢山言わせ

最後は官僚のシナリオに乗ってもらうことで、言訳ができるという戦後やって来た

課題解決推進のやり方である。同じことを原発推進でもやろうと決めたらしい。

担当大臣も経済大臣も更には首相もすべてそのための見せ駒である。

 

しかも国会でも野田首相が追及された通り、3つのシナリオの原発を動かす二つは

具体的に現存する浜岡や柏崎を稼働させないと数値的に無理があるのは明らかで

これに対して、首相は、そのような具体的な事ではなくと抽象論に逃げ込む答弁を

した。このやり取りはTV中継で見ていたので、その後いろんなところでこの矛盾が

提出されるが、まともな答えは聞いたことがない。

 

これはつまり、抽象論でとにかく15%以上の原発による電力供給という結論を

出しておいて、あとから、そのロジックでは柏崎や浜岡を動かさないといけないという

とんでもない推進シナリオを描いているとしか思えない。それもあまりにも明白で

そこまで下手になったのかと笑ってしまうくらいだ。

 

大学入試で回答のある問題を解いてきた日本一の秀才たちが、答えのない課題に

無力であることは珍しくない。昔付き合ったカナダの仲間が言いそうだ、ヘイMr.

ナガノ、世の中の秀才には二種類ある。一つは、...

 

それにしても村の力は大したもんだ。

現政府が一丸となって再稼働を推進するのだから。

 

それに対して目覚めてきた民の声が毎週大きくなっている。

金曜日に定例となった首相官邸を囲み、大飯原発の再稼働中止を求める

デモの延長で、今日は、代々木の運動公園で原発反対の大集会があり

その後、三つのルートに分かれてでも行進がなされた。再稼働反対の主催者が

中心となり、本日のデモはヘリコプターによる実況中継画像がネット上に

流された。あることでそれを知り、さすがに駆けつけなかったが一時間ビデオを

最後まで見た。付近の道路まであふれる大規模な集会の規模は10万人と

いわれるが、もっと多いのかもしれない。

 

じつに杜撰な全国原発ヒヤリングに失望するとともに、組織されている訳でもない

普通の民衆のデモへの参加に、国民の危機感を感じる。

 

一方で、大水害が続きつい報道の視線はそちらへむき、更にオリンピックが

近づいて報道は本当に大事なことから離れるばかりの時である。

原発ムラをファシスト集団という言葉で表現する追放されたジャーナリストの

映像も見た。

 

恐ろしいのは、あの第二次大戦へとなだれ込んだ昭和初期に似て報道の

統制がとられている感じをひしひしと受け取る事である。

楽しむことは悪いことではない、が深刻な事態をお上に任せるだけでは

あの時の破滅の道を繰り返しかねない、そのことを意識したいものだ。

 

水害被害以上に、福島原発事故の後始末は緊急を要するものである。

いま、四号機燃料プールを再度の地震や、津波、さらには竜巻が襲う

というリスクをまともに考えていない現行政府ののんびりとした対応は

日本だけでなく地球規模の放射能汚染と言うとんでもない事態を

招きかねないことは、指揮者により何度も指摘されている。

 

まずやらねばならないことは、原発推進ではなく事故処理なのだ。

 

 

 


大雨、九州地方の皆様にお見舞い申し上げます。

2012年07月14日 | Weblog

熊本市の白川の氾濫は小学校の頃の事。その後の河川改修でその頃の雨には

耐える防災堤防ができていたはずだ。気象庁の言う、経験したことのない大雨、

この一言が尋常ではない今回の水害を言い当てている気がする。

中学の時、その洪水で熊本市から有明海まで流されたという、女性教師の

話を聞いたことがあった。もう起きないと思ったことが今回は起きているのが

恐ろしい自然の変貌。

 

まさかまさかの天災である。合計800ミリとかの雨量には、台湾で記録した

山塊崩壊の危機が迫る。地形の違いか、紀伊半島のような自然ダムは形成されず、

単純に、堤防が切れて、平野部の市街地や田畑が水没している様子である。

問題は、さらに降り続く雨量に、山塊が耐え切れず大規模に崩落すること。

台湾の場合は、町全体が消滅した。

 

今回も実家のある市域は高台で問題ないが、その昔の洪水では、近くの菊池川の

橋が流された記憶がある。町の南の方は水害常襲地帯で、皮肉にも田んぼの

区画整理が見事にできている地域である。今回も川南という地名が出てきた、

中学校ではいろんな友達の住んでいた地域だ。

 

雨は、北部に移り、八女、矢部川など福岡県の南の地域の地名が出てくる。

この辺りにも大学時代の仲間が沢山いるところだ。気になる。

 

一方の横浜は強風でうるさいが雨は降らず、湿度が異常に高い。

何もやる気が起きないが、こういう時こそ体を動かそうと、いつもの散歩、

更に伸びすぎた庭木の剪定をした。隣に迷惑をかけるレベルは今回で

なんとかクリアできた。

 

連休は、庭の手入れが主体になりそう。

 

写真:最後に見かけたタイサンボクの花芯。

    これからどうなるのかを見たことがない。要チェック。


詐欺政党、維新は無視するだろう。いや無視してもらいたい。

2012年07月11日 | Weblog

馬鹿馬鹿しい。

本人の地元岩手でも被災復興をおいて、政局優先の小沢のやり方に

議会も分派、有力議員も分派、民主党は第一党から滑り落ち、奥方を

中心としていた支援組織も解散した。あの手紙が議員にも届いたと

今朝の新聞。

 

国民が第一(に税金を払え)とか国民が第一(に節電をしろ)とか

うしろにいろいろくっついてくるのだろう。

 

できもしないことをいかにもやるようなことを宣言しているが、

消費税無しで財源などある訳がない、民主党のやり口とまるで

同じではないかとは、石原幹事長の批判。

 

如何にも情けないこの国の難局で、更に国を混乱をさせる悪事だ。

 

それにしても中学生の自殺の件、学校も教育委員会も事なかれのみ。

国の政治の中心がぼろぼろ、言ったこともしない、できない、言訳ばかり

日本の指導者の根腐れの広がり方の速さは仰天である。

警察、検察、教育者、そして、証券、金融(こいつらは今更ではないか)

どこもかしこも不祥事のオンパレード。

 

いじめで一人が自殺した。それをいかにして言訳して責任逃れするか、

その一点で行動する連中ばかりと言うのが、情けない。

 

この事件の加害者に、偉い人の子供がいるのだという説がいかにも

真実に聞こえるのだが。地元ではどうなのだろう?

無視していた警察もやっと動くらしい。まあ、何も出てこないのだろうと

期待せずにフォローしてみたい。

 

 


「ふしぎなキリスト教」橋爪大三郎×大澤真幸、講談社現代新書2100

2012年07月08日 | Weblog

新書大賞2012、第1位、20万部。

帯:起源からイエスの謎、近代社会への影響まですべての疑問に答える入門書!

 

確かに面白い本であり、キリスト教だけでなくユダヤ教、イスラム教の事も含めて

日頃感じる疑問を越えて宗教と言うものの歴史も含めた西欧文明の構造と

日本にない基本姿勢が見えてくる気がする。

まえがきは長くてやや難解なことを書いてあるが、この本を読むかどうか考えるには

2ページちょっとのあとがきを読めば興味がわくと思われる。

 

ちょっとだけ引用すると、

昔むかしあるところに、七人家族が暮らしていました。「戦後日本」と、表札が出て

いました。家族は両親と、五人のきょうだい。「日本国憲法」「民主主義」「市場経済」

「科学技術」「文化芸術」という名の、いい子たちでした。でもある日、五人とも、

養子だったことが分ります。「キリスト教」という、よその家から貰われてきたのです。

ーーーーー略ーーーーー

「キリスト教入門」みたいな本なら、山ほど出ている。でもあんまり役に立たない。

「信仰の立場」を後ろに隠して、どこか押し付けがましく、でもにこにこ語りかける。

さもなければ、聖書学あたりの知識を、これならわかるかねと上から目線で

教えをたれる。人びとが知りたい、一番肝心なところが書かれていない。

根本的な疑問ほど、するりと避けられてしまっている。

ーーーーー略ーーーーー

 

と言うとおり、ユダヤ教に発する一神教の流れを基本事項から解説し、

その中でも特異な存在であるキリスト教の歴史的発展とその内在するさまざまな

話のネタについて(といっても極めて真面目な)議論が展開される。

 

砂漠の民が信じる神に祈っても教えを守っても不幸なことが続くのは、試練だ

と逆転の発想を取り入れたことから、一神教の恐ろしさが始まった印象を持った。

 

それだけではない、日本人に欠落する西欧文明の基盤を根底から解説し

彼等との付き合いにおける理解に役立つとも述べている。

 

一神教についてのなんで? という基本的な疑問が少しは解消されることは確かだ。

それにしても「ローマ人の物語」でキリスト教の強靭な宗教構造にギリシャローマの

多神教の宗教が追い落とされていく様を読んだが、権力との結びつきも神道の

天皇制と似た構造でもあったのがわかる。王様への戴冠、征夷大将軍の仕組み

である。ユダヤ教を研究している友人の説では天皇家もユダヤの一派のようで、

歴史的に同時代のおもしろい類似点だ。

 

気になるのは我々がしる神様の名前や経典のカタカナ書き(エホバ、コーラン)が、

教えられてきたのと違いすぎて、途中でなんどもこれなんだっけと思ったことか。

 

写真:今年はご近所で大流行の、アガパンサス。

 

 

 

 

 

 

 


福田平八郎と日本画モダン、山種美術館

2012年07月06日 | Weblog

7月22日まで。筍、雨この二作はたいていの人が見たことがあると思う。

その筍が入り口、第一番目に出迎える。近くで見ると日本画だというのが

よく分かる。絹地の糸目が綺麗にそろって見える。その上に見事に乗せられた

日本画の画材。油絵のような筆使いが見えるものではない。くっきりと色の

境界が分離している。遠くから見た筍と目を寄せてみるこの絵の美しさ。

本物はやはり素晴らしい。

日本画の絵の雰囲気を福田流とでもいう新しい発想で塗り替えた一作、

雨。瓦屋根のうえに水滴が落ちてきた夏の夕立の序章を思わせる絵が、

次の部屋の正面にいた。

 

お魚の絵も素晴らしい。鮎、鯉、鱒など、デフォルメされた様式である故か

虚構のうえでさらに本物を感じる。

屏風絵など、福田以外の大作も並び、例によって、この山種の規模で

これだけのものがあるんだと感嘆しつつ、別室へ行くと、ああ、これはあの

とすぐ分かる杉山寧、東山魁夷が対称的に並ぶ。

ちなみにカタログを見ると、雨は国立近代美術館蔵、それで、フォルダーが

無いのだと、ブログを書きながら納得。

 

今朝は、久しぶりに東銀座まで出かけてビジネスの話。

そのあと時間が空いたので、これも久しぶりに開業したスカイツリーを

見にゆく。まだ上るのは無理。でも施設も駅も道路もきれいになって

様変わり。上の方のアンテナ類も沢山の機器がぎっしりと装着されて

こちらもまさに様変わり。

 

そして、ピロートジャパンのワイン試飲会に2時から一時間ほど、

白、赤をちびちび試飲して酔っぱらう。ラベル汚れの格安ものを

手配して、最後にブランデーも、さすがに椅子に座り込んで頂く。

品川駅へ小雨の中を歩くときは、もういいか、帰るかと思いつつ、

駅に着いたら、せっかく来たからと、恵比寿まで山の手に乗る。

明日のゴルフは、大丈夫かなぁ?