日本の進路を考える

戦後70年が過ぎてもいまだに自立できない日本を考える。

春の麗の隅田川、川舟で食事を楽しみながら名残の花見

2016年04月11日 | Weblog

満開はとうに過ぎて葉桜かなと心配していたが、まだこのように名残の花が綺麗であった。この日は高校の先輩に声をかけて頂いて、隅田川を往復する優雅な半日、なんと飲み放題である(笑)

船宿の玄関受付。立派な門構え、少し前までは掘立小屋みたいなところだったらしいが、商売繁盛の様子。ここは品川駅からオフィスのあったインターシティを通り抜けて京急の北品川駅近くまで行った当たり。地図で確認すると川ではなく埋め立てで残された細い海面である。その一筋南西には目黒川の河口がある。その水面には結構たくさんの同じような船が停泊していた。船宿がいくつかあり、同じような団体の皆さんが次々と出て行く。

想定以上に大きな舟、旅客定員が100名越えてる。

船内は靴を脱いで掘りごたつ風の指定のテーブルに着席。

船宿の女将の挨拶。この後ご本人は下船。

料理は、美味。特にてんぷらが、キスに穴子と江戸前で満足。お酒はビール、赤ワイン、冷酒、さらに芋焼酎を選んでいただいたが、テーブルでは冷酒を次々と頼んで、5名で10本以上行っただろう(笑)。

窓から見える景色はいつもとは違う角度の見慣れたところ。

これは、かろうじて捉えた東京タワー。

ジェットフォイルの高速連絡船。

ヒミコの後継船、松本零次のデザイン。定期船らしい。一度乗ってみたいものだ。相当高速で本来は下りの航路を通り過ぎて行った。

スカイツリーの下で停泊しばし。デッキへ出て歓談。ちょっと風が強かったが気分は最高。先輩からちょっと歌えと言われて、酔っぱらいの乗りでオーソレミオをやってみたら、川面の開放空間でもなんとか歌になり、喝采を頂いた。と、さらに滝廉太郎はどうだと言われて、唄いましたよ~~~!

はるのうららのすみだがわのぼりくだりのふなびとがかいのしずくもはなとちるながめをなににたとうべき。.....(笑)以下は歌詞めちゃくちゃで、

まともに歌ったのははるかかなた60年前のことだろうか、唄ってみれば歌詞も何とか出てきて、楽しかった。

と、なんと遠くの対岸の姿も豆粒のような花見の方から拍手がきた。うれしい。声がとんだ。これぞ家内の目指していた境地のひとつ。追いついたかもしれぬということなのだ。それと見知らぬ方々の前で平気で歌える心臓の方も(笑)いっしょにフィレンツェへ行ったとき、ベッキオ橋で予告もなく私のお父さんを歌いだしたのを思い出す。

で、そのような機会を作って頂いた先輩にご登場願おう。

楽しい半日の美味しい花見の舟遊びの機会を頂き、本当にありがとうございました。


大岡川の花見、日ノ出町から弘明寺まで曇天なれど見事

2016年04月05日 | Weblog

まずは日ノ出町からすぐのあたり。お日様があれば目の覚めるような輝きだろうなと、天を見上げた。

ちらほらしているが、まだ花筏には程遠い。寒さもあり、数日は持ちそう。明日の晴天はきっと良いだろうなぁ。

日ノ出町駅前の新ビルがじゃましてランドマークタワーが半分隠れてしまった。残念。

背景が水でひときわ美しい。

似たような写真が何枚もあるので、この位にしておく。

今年の花見は、満足。

後は我が家の庭の満開と、ひと月後のまん丸い大きな桜の花ボールである。

今日は京急の日ノ出町駅から弘明寺駅まで黄金町、南太田が間にあるので、3駅分歩いたわけだ。京急は大きく迂回しているので路線の長さより短いが結構な距離を浮かれながら歩いたみたいだ(笑)。店も沢山並んでいて大勢の方が飲んだり食べたりもしていた。今年は歩き缶ビールもやらずに、そそくさと。

小学校は入学式、出かけるときには君が代のやけに早くて雑な歌が聴こえた。帰りは駅から歩いたら、それなりの恰好の父兄と新入生が駅へ向かって歩いてきた。小学校と中学校の両方だった。お母さんが殆どだが、中にはお父さんと二人の男子新中学生も数組、皆歩きながら部活どれにするかというのが話題の中心であった。これからの希望に満ちた学校生活なんだ。

自分には孫の世代。それでも60年以上前の自分の入学式の事を想いだした。そうだ、親父と一緒におふくろの作ってくれたダブルのスーツを着て歩いたなぁ。一人だけ学生服ではなかった。今ならかっこいいと思うが、当時は一人だけ違う恰好が気になったと思う。

おふくろの裁縫は凄腕だったのが今になってわかる。大学になってもボタンで留めるベスト(チョッキ)も作ってくれた。グレーのチェックが冴えていた、みんなに羨ましがられた記憶がある。特に大人の女性からあらそれどうしたのと尋ねられた気がする。手作り感が見えていたのだろう。

入学式の光景は毎年のことながら回想への刺激になるものだ。