日本の進路を考える

戦後70年が過ぎてもいまだに自立できない日本を考える。

八重桜並木をみると思い出すドイツ出張、海外初体験の思い出

2010年04月25日 | Weblog
初めての海外はその昔、壁の中のベルリン。フランクフルトでルフトハンザから英国航空に
乗り換える。当時はまだ冷戦の最中ドイツ航空はベルリンへ飛べず、米英仏3カ国のみが飛んだ。

時は五月の連休の最中、国際会議に初めて出席した。30年以上昔のこと。
日本からの飛行機は殆どが連休の海外旅行の人達。隣にいた女性たちも乗り継いで
スペインへ行くと言う、初めての海外旅行の緊張、それも仕事の自分と比べて気楽に
楽しむ若い人達がいることを知った。同じ飛行機には女優さんも乗っていた。

まだ独身の妹がデュッセルルドルフにいて、ベルリンまで会いに来てくれた。
会議が済んで、彼女のアパートにもお邪魔してスペイン料理店で殻を割るスープや
生煮えとしか思えないパエリエを食べて驚いたことを印象的に覚えている。
その量が半端ではなくとても二人では食べ切れなかったのも思い出す。

前置きが長くなった。その時、街で見かけたのが満開の八重桜である。
もっと濃い色合いなどの並木が豪華に咲き誇るのが結構沢山目に付いた。

フランクフルトの飛行場と言えば、もう一つ、窓越しに給油の車が寄ってきて機体に
注油のホースを持つ大柄な金髪の女性がつなぎの作業服姿で現れたのには仰天した。
ドイツではこういう仕事も女性がやるんだ!、と。

日本でも今ならあるのかもしれない。我が家に毎週一度はやってくる宅急便のトラック運転手
若い女性である。それも数人。我が家の世代交代とともに日本も変わったと実感。

もう少し思い出:着いた日は時差ぼけを解消するために眠らずに夕食まで頑張るのが常。
まず、午後の時間で市内観光をやった。キューフォァステンダムが繁華街だと叫ぶガイド
のドイツ訛りの英語が面白かった。戦災で瓦礫になった教会が残されていた。きっと今も
広島のドームのような存在としてあそこにあるのだろうな。

日曜日には一人で街を歩いてみたり、会議の後でベルリンフィルを聴いたり、目一杯
初めての外国の町を楽しんだ。おかしかったのは、その時数名でベルリンフィルへの道を
通りがかりの一人に聞いたときである。あっという間に10名くらいの人達が集まり、
我々のために案内する議論を始めた。ドイツ語であり聞き取れない。議論の結論が出ると
英語を話せる人が、代表してこうするのが一番良いとバスルートを教えてくれた。

当時の日本であれば、東京の街中で外人から声をかけられるとまず逃げる、であったろう。
そして一人ではなく、数名が集まるのもそれが10名くらいになって議論すると言うのも
強烈な文化の違いの認識であった。

さらに、東西に分かれたベルリンの壁の印象も忘れられない。ベルリンフィルのすぐそばに
向こうを覗くやぐらが組んであり、階段を上って眺めることが出来た。向こうには鉄条網と
銃をもつ警備兵の姿が見えた。壁には裏文字のHELPが書かれている。
冷戦の実感であった。そして東へのバスツアーでは、チャーリーズポイントの大きなコンクリート
ブロックで造られたクランク道路を抜けた。バスのガイドも運転手も東の人に代わり
東へ入ると、薄汚れた町並み、古くなった車、人影の少ない繁華街という寂しい印象であった。

そのベルリンへは壁のあるときに2回行ったが、その後は行ったことがない。
再訪して、当時は閉じられていたブランデルグ門を歩いてみたいなと思う。

写真:これを見るとこのときのドイツを思い出す。
   近所の運動公園の周回道路の八重桜並木。

この寒さは何。冬のような葉山国際で耐寒修行

2010年04月23日 | Weblog
平日ゴルフの仲間が増えてきた。
近所の会社先輩同僚と3人で葉山国際へ。

横須賀にいた頃は会社のコンペでよく行った、
とはいえ当時はまだ月一にも達しなかった初心者だった。

しかし、最近その頃とスコアが変わらない100たたきが困ったもの。

それにしても寒かった。

「これは修行だ!」

と言う先輩に従って(笑)熱燗を舐めながらセルフプレー。
雨に風、雨具の中まで寒さが侵入する。

お昼に熱燗で暖をとるが、寒さ益々。
とにかくあといくつと数えながら修行を終える。

終わって戻りのカート上の会話、

T氏「あれ、このカートどこ行くの?」

自分「おいおい、昼もこのルートで出口に戻ったぞ」
  「昼飯食ってないとか言うなよ」

T氏「そのうちそういうことになるんだろなぁ」

風呂に入ると手には熱いお湯が身体には冷たいくらい。
浴槽では皆さん「ふ~~~」「は~~~」と唸る。

それにしても明らかに御歳が上の方々、お元気。
おじいさんおばあさんのコンペもあり。

清算で「荒天プレー感謝特別優待券」なるものをもらった(笑)

今朝は少々風邪気味か。寒いし休養の一日。
ネット共同購入100%オリーブオイルあげのイタリア産ポテトチップスがきた。
今夜はこれで、赤ワインか。

写真:千鳥が渕シリーズ、しつこく。

バイオ燃料開発競争

2010年04月20日 | Weblog
きれいごとを並べるだけは同じでも、オバマの新エネルギーにかける力とこの国との差が
愕然とするくらい違うことを明確に伝えた国営放送。
沖縄で実用化の進むサトウキビからの燃料醸造と藻による原油生成。
サトウキビはビール会社による新規ビジネスの開発。

藻については日本の技術は世界からの注目の的らしいが、
対抗するアメリカの政府予算の規模は凄まじい。

比べてこの国はたった一人の大学教授の細々とした予算の範囲である。
それでも可能性は十分あるらしい。

普天間だけでも手に負えそうに無いはとぽっぽ、とっとと退陣して
もっとこの国の前向きに進む内閣を再構築しないと手遅れになりかねない。

退陣、衆参同時選挙で出直すのが最善の道という気がしてきた。

番組の解説に出てきたおじさんは技術も双方の勧め方も、予算の違いも
熟知している人のようだが、自ら何かをする人ではなく客観的な評論を
していればいいらしい。それだけ知っているのなら自ら仕掛けてこの国のために
動きなさいと画面に向かって叫びたくなった。おまえがやれと。

おそらく、公的な金をもらっている人の一人だろうが、きれいごとと無責任の典型。
こういうのばかりが税金を飲み込んで何も生み出さない腐りきった官僚機構の中に
生きているのだろう。

これをどう進めるのですか?と問うてもらいたかった。

しかし、藻から綺麗なガソリンが精製されるということは、地球の原油埋蔵量が
枯渇しないのは今も原油が精製されているからだと言う説、の一つの回答のような
気がしてきた。地球の奥に沢山の藻が生きていて、原油を生成しているというのも
ありそうな気がする。

写真:これも千鳥が渕

とうとう高齢者の仲間となる。

2010年04月19日 | Weblog
戦争の終わり近く、終戦の動きと本土決戦にこだわる陸海軍との動きの頃に生まれた。
終戦まで数ヶ月の1945年の今日である。65年が過ぎた。毎年夏場に戦後の年数が
しつこく叫ばれるので自分の歳を否応無く意識する。

戦後の敗戦の傷跡も生々しい光景を見ながら、ひもじさを痛切に覚えながらも健康に育ち
池田所得倍増論を子供心にも何を夢のようなことと思いつつ、ラジオで聞いたり街の
映画館のニュースで見た。それが、朝鮮動乱の刺激のあとで怒涛のように実現してゆく。

受験戦争には思う成果はあげず、やや伏し目がちな学生生活を終えて、高度成長期に突入
寸前の1970年から社会人になった。騒々しい日本であったが社会は健全に、賑やかに
成長をとげ、自分もいつの間にかサラリーマンの生き方を従いつつも、譲れない事には
反発し、いくばくかの貢献もした。

同時期の皆さん同様に、日本が世界に向かって主張することにも参加して見聞も広め、
世界の中の日本を意識した。幸い世界へ出た最初が欧州、それも壁の中のベルリンであり、
視野が大きく広がった。欧州から見るとアメリカの存在がよりくっきりと見える。

欧州の国々の文化が国境を越えるたびにくっきりと変わるのは印象的であった。
今ではお互いにそうでもないが英語のうまくないドイツ、フランスのおかげで会議の
苦労は少なかったのかもしれない。

仕事では一貫してコンピュータの応用とネットワーク化の先端を歩み、世界最初の試み
と思われることもいくつか成し遂げて、さらに現在も皆が取り組む課題を残して退任した。
還暦の時である。

区切りに孫達に残す履歴書を書いたが、あっという間に5年が過ぎた。
殆どの仕事からも身を引き、殆ど自宅で過ごすが、ネットのおかげで社会とはしっかりと
つながっている事が感じられる。

それにしても日本社会の正直さが損なわれている。家庭も、職場も、そして政治とお役人
皆が志を無くし、自己中心で世のため人のためという言葉が死語に近い。戦後教育の荒廃と
言うが、我々のころはしっかりと志を持つことを躾けられたと思う。

それでも、このところの政治の貧困は目を覆うばかり。
一国の首相が普通のサラリーマン並みの感覚さえ持ち合わせず、自分の発した言葉の
責任も取らない。明らかにお金のことで悪いことをしたはずの人が、証拠不十分と居座る。

5.15や2.26の前夜を思わせる矜持のない政治とお役人集団。
なぜあの戦争が起きたのか、なぜ開戦を止められず、終戦もぐずぐずと引き伸ばしたのか、
大きなテーマであったが、概略の悲しい納得を得たことはここに書いてきた。

突然、高齢者として社会とのかかわり方が変わり、国民健康保険に初めて加入申請をした。
異常に保健料が高いし、さらに介護保険も追いかけてくる。年金を満額でもらうとしても
その相当な部分をいわば税金等がさらってゆく。健康な身としてははなはだ不満である。

気持ちの持ちようでは、実にあほらしい余生である。ずっと納めてきた年金は先輩達に
貢いできたようで、年金額の格差はすでに相当なものらしい。が、この後のより若い
世代には更にひどいことになるとか。

致し方なく、自分で何とかするしかないと割り切った。
頑張るぞ。

写真:やはり一連の千鳥が渕の桜。

日経「経済教室」この人こそ今、日銀にいて欲しい。

2010年04月15日 | Weblog
まだ自民党政権のとき、民主党の参議院が反対した人の一人。
今朝の経済教室、極めてまともだと思う。
~~~~~
伊藤隆敏 東大教授
金融政策「次の手」危機対応を越えて>>上
「日銀長期の物価予測を」
脱デフレ姿勢明確に、
資産拡大策、欧米に見劣り

ポイント:
 主要中央銀行の望む物価上昇率は「2%」
 世界的金融危機の主因は監督当局の失敗
 ゼロ金利制約からの「のりしろ」が重要
~~~~~
日銀はとうとう労組「連合」からまで経済政策が遅くて小さい、デフレ対策を急げと
文句を言われた。視点は失業率と給与であるが、まさにデフレの悪影響をまともに
受ける雇用問題、沢山の記者がいたにもかかわらず大手新聞の記事にはならず、
共同通信の小さなコラムのみであったと、ツイッタで知った。

日銀の支店長会議の様子がTV放映され、デフレ対策としての金融緩和策を継続すると
当たり前のことを、言ったらしい。

世界のインフレ目標による通貨切り下げ競争に囲まれながら、最低限の対策も遅れに遅れて
円高と国内デフレを放置し、失業と国内経済の冷え込み責任は自分には無いかのような
第三者的態度で無責任な日銀。

もう少し強烈に迫ってもいいのではないかというくらいに、理詰めに説く。

円高とデフレを旧大蔵系の与謝野、谷垣もよしとするのだろうか、財政再建第一では
このデフレは乗り切れない。まるで、金本位制を良しとした時代錯誤の筋金入りでは?

写真:千鳥が渕の桜、別の角度から。

電車のデザイン、水戸岡鋭治、中公新書ラクレ336

2010年04月12日 | Weblog
JRになってから九州へ行くとドッキリするような迫力の電車が色々沢山走っていて驚く。
それも、形だけではなく、真っ白、真っ赤、黒などカラーも多彩である。
かつての寝台特急のな名前であった「みどり」を真っ赤な車体にして赤いみどりという
ことから物議をかもしたこともあるようだ。

これらの電車をデザインしたのが、この著者、水戸岡である。

数年年下だが殆ど同世代、第二章「仕事の現場」は良く分かる、仕事への心情を説く。
あの電車がJR九州の赤字から生まれたというくだりは、官僚的で黒字のJR東からは
確かに出てこない発想だなと共感した。

第一章「作品集」はこの年末から博多~鹿児島のJR九州と、大阪までを結ぶ新幹線
つばめの800系に始まり、新幹線に名前を譲ったがその独特の風貌が心を躍らせる
787系リレーつばめ、そして、和歌山のたま電車まで、カラー写真が並ぶ。

設計の基本は子供と老人が喜ぶこと。これがそのまま実現されている。
素材も木、紙、布など九州の産物や日本の和を起源とする様々なアイデア。
それらの由来と活かし方が第二章に明確な語りで示される。

赤字のJR九州の社長は、とにかく目立つ電車のデザインをと頼んだ。
これに対する水戸岡の提案は基本概念をA4一枚に言葉でまとめて相互に了解することから
初めて、スケッチによる呈示と段階を追った決定のプロセス。

乗りたくなる電車で営業成績を何としても黒字にしたい。この願望が彼の設計一つで
実現出来たとは思わないが、トップの想いを色や形で表現したところに、
社員、地域住民が共感したと言うことだろう。

乗ってみたくなる電車のオンパレードだ。

水戸岡の名前は数々の電車デザイン賞で著名である。
この本は彼のやってきたことの真髄を伝えてくれる素晴らしい一冊だ。
お勧め!

写真:庭の桜。一昨年、鉢植えをおろしたもの。樹高未だ数十センチ。
   かわいく咲いている。風のためにどうしてもゆらぐが、まずまず綺麗に撮れた。

白川日銀総裁の嘘と逃げ、週刊東洋経済4/17

2010年04月10日 | Weblog
「白川方明・日銀総裁に聞く」の最後の段落:
日銀の国債引き受けは財政法で禁止
の内容、デフレ退治を進言する勝間一派の主張を否定する発言であるが、
これは法律を変えれば出来る話。

それより、日本にハイパーインフレが起きたという発言は本物の嘘つきではないのか?
高橋是清によって金解禁が解除され、国債の大量発行日銀買取を行い、金解禁による
強烈なデフレと世界同時不況からいち早く立ち直ったことは歴史が証明している。
そうか日本にはという言い方はしていない、にげとしては世界で起きた例えばドイツ
などのインフレを暗示して逃げているのか?巧妙だが明らかに組み合わせの嘘だ。

その後、インフレの状況をみて沈静化を図ろうとした高橋蔵相は2.26事件により
殺された。もし高橋是清が生きていたらその後のインフレも起きなかったし、ひょっと
したら、太平洋戦争も起きていないかもしれない。

それに、第一ハイパーインフレの定義を白川が知らぬはずが無いのに、明らかに嘘と
分かっていてこの発言をしているのではないか?ドイツ等で起きたインフレが今の
日本にはおき得ないことも十分知っているはずだとおもわれるのだが。
そして、日本の戦後インフレは決してハイパーと言えるレベルではない。

それとも、週刊東洋経済編集側が書き換えたとでも言うのだろうか?
ここは、勝間、上念一派には再度動いてもらわねばならないのではないか?

やらな言い訳にしか見えない発言、偉そうでいかにもであるのだが、日本だけが
デフレ進行、そして円高。その結果が地方の疲弊と格差だし、高い法人税とともに
工場のアジアへの脱出という悪循環なのだが、経済が本当に分かっているのか?

偉そうな著書と、碩学と褒められているが経済無責任総裁ではないのか?

最後の三行「通貨をコントロールするということの重さ、過去の歴史の教訓を
しっかりと認識する必要がある。」というこの前提の歴史認識が明らかに間違いでは?

高橋是清は世界でもいち早く金本位制の危険性に気付き、デフレと世界同時不況から
日本を救った偉人である。認識が違うし明らかに嘘つきだ。

写真:春の庭の香。蕎麦、豆腐、筍などを更においしくする香。

戸別補償は日本の農業を滅ぼす

2010年04月08日 | Weblog
「日本は世界5位の農業大国」
大嘘だらけの食料自給率
浅川芳裕、講談社+α新書

民主党による胡散臭い選挙目当てのばら撒きの一つ「戸別補償」も含めて
農水省の悪事の数々が糾弾される。食料自給率の嘘、これがまず基本。
政治家先生たちは恐らく農水省の役人から説明される数値を丸呑みして
日本の農業の危機を感じることだろう。

食料自給率のうそについては、分母と分子の捉え方、数値の上げ方がでたらめであり、
一時問題になっていた記憶もある。例えば国産の判定では輸入飼料で育てられた
牛、ブタなどの家畜は国産ではない。分母には膨大な廃棄物も全て加算され割合を
小さく見せるなど、これぞ大嘘という仕組みが見えている。

まあ、米の関税の言い訳用に作ったのだと言えば、右翼も納得するのだろう。
しかし本質的にはたぶらかしの数値と断言できるものだ。こういう数値は日本以外では
統計も取っていないものである。


だがそこには農水省による農水省のための利権獲得と天下り先の確保という
絵に描いたような構図が隠されている。

その前に数値で示される日本農業の規模、今後の展望全てが我々が日頃目にする
マスコミの宣伝するものとはイメージが違う。

何度か書いてきた大本営(官庁)発表を丸写しで新聞テレビで国民に流す
「日本の文化的馬鹿の壁」がここでも威力を発揮している。

マスコミはなぜ自分で検証や裏付けを見ようとしないのかあきれ果てるテイタラク
である。お上の言うことは正しいという感覚を捨ててもらわねば、こういうことが
あらゆる組織でまかり通る状況を変えてゆくことができない。

著者の浅川は1974年生まれの言ってみれば若者だ。
農業の規模を例えば生産額で見ると、中国、アメリカ、インド、ブラジルに次ぐ
日本は農業大国と思われるロシア、フランス、ドイツなどの国々をはるかに凌駕する
農業大国である。

しかも農業の生産性とその農産物の品質でも世界的にぬきんでた存在である。
悲しいかな歴史的に政治の道具にもされてきた米、麦、大豆を除いたらのことだ。

そして、農水省の利権のために、更に加えて小沢流の選挙手法として今もまた
戸別補償のばら撒きが行われる。

怒れ納税者! である。

やる気の農家は専門化して農業経営の出来ない人の土地を借りて大規模化を図って
いるが、この制度では自分で米を作る格好をして赤字を出すと補償されると言う
農家スポイル政策であり、せっかくの日本農業の改革と発展の機運を削ぐ。

そこにばら撒かれるお金は全て納税者の納める税金である。
その投入先は実は殆どが専業農家ではなく別な職業に従事しながら自分や御近所の
ために片手間に農産物を作る家なのだ。これらの家々が戸別補償をもらうほうが
得だと思ったとき、専業農家の借地を返せと言うことになりかねず、日本の農業の
生産性をおかしくしてしまう。

無駄というだけでなく、日本農業の向上心を損ない破壊しかねない制度だ。

自民党、農水省、農協が歴史的に造り上げてきた日本の米のおかしさには気付いても
具体的な改善のあり方まで踏み込む政治家はみえてこなかった。

日本農業の発展のためにこの本は必読書である。
こういう人を農水大臣にできると日本は変わる。

写真:千鳥が渕の桜、実はこの画面の下には沢山の花見の人達の頭があるのだが、
   切り取った画面は静寂の世界にも見えるのがいい。

寒さに遅れて満開の千鳥が渕、デフレの問題を更に認識。

2010年04月06日 | Weblog
毎年見に行く千鳥が渕。今年は寒さのおかげで長持ち。
往復の電車で勝間のビジネスパートナーの本を読み終わった。

「デフレと円高の何が「悪」か」上念司、光文社新書440

結局、勝間と一緒にデフレを何とかしたいと動き出した若者の一人。
読むにつれ、今回の爺様たちの新党がいかに的外れかを再認識することになる。

おじさんたち、デフレ分かっているの?昭和の恐慌をきちんと勉強したの?
と問いかける。それこそ、欧米諸国が日本のやり方の問題を良く見ていて
きちんと金融政策をやっている。

井上の金解禁と高橋の恐慌からの脱出策。世界中が日本から学ぶのに
旧大蔵省系統が「男子の本懐」から逃れられない縛り。

円高が日本のプライドと思わせられた経済音痴。
うまく搾取される日本。企業は逃げる言い訳を求める。

円安でしか日本は救えない。日銀の馬鹿。
自分達は弱者の困窮の上でのうのうと天下りで、過ごす。

写真:千鳥が渕の桜、満開。

四工大OB男声合唱団発足

2010年04月05日 | Weblog
写真は、
歩いていくとちょっとした距離、駅との間の住宅地の中、知る人ぞ知る桜の名所。
毎年車で駅へいくとちょっと立ち寄る。とはいえ、さらに遠い住宅地の桜道が全部
伐採された。金沢文庫の称名寺へ行く道、老木が危険と若い苗木に一気に植え替えたとか。
残念だが、ここの桜も相当なお年、どのくらいもつかな。

近くには目の前の公園一体がやや若いさくらの並木でこれから益々盛りの樹齢か。

今年の寒さで、あすも満開の桜が持つ様子。千鳥が渕の夜の照明も明日まで延長。
明日こそ晴れた空でいつもの桜をみてくるぞ~~~!

昨日は開店と同時に銀座ライオンで学生時代の四大学の男声合唱OB会発足準備会を
やった。世話係を命じられ議事進行の前に乾杯、歌の歌える部屋で最後はいくつか
当時の愛唱曲をハモった。

アラカン世代が一気に若返り大騒ぎ。
それでも今年は秋のステージを目指して100人の男声合唱を再現すると決意。
楽しみだ。

四工大OB男声合唱団と命名。