司馬遼太郎の、菜の花の沖は高田屋嘉平の起業物語。先日の、NHKそのとき歴史が動いた、ではロシアとの交戦をかろうじて避けたという紹介がなされていた。嘉平は北の海を航海中にロシア軍艦に襲われた。ここからゴローニン事件に巻き込まれてロシア軍に囚われ、リコルドとの交渉の末に自分と函館に囚われていたゴローニン双方を解放した逸話の部分であった。
若いリコルドは嘉平を信頼し、最後にゴローニン艦長を引き取って帰国する際にはウラーウラータイショウ(万歳大将)!と全艦で叫ばせたという。帰国後ロシア海軍で偉くなったリコルドは嘉平にお礼の手紙を書いたが、その手紙の着いた時にはすでに嘉平は世を去っていたと。
その後の現代の逸話がおもしろい。日経新聞にあるとき小さく記事が出た。
嘉平、ゴローニンとリコルドの子孫が淡路島で再開すると。さらに数日後、再開したと。報じた記者もきっと司馬遼太郎のファンだなと感じうれしかった。
これは事実である。ちなみに淡路島は極貧の嘉平の出身地。
この物語で、司馬遼太郎は嘉平の囚われの中での行動を通じて外交とは何かを語っていると思う。弱腰外交の皆さんに読んでいただきたいものだ。
若いリコルドは嘉平を信頼し、最後にゴローニン艦長を引き取って帰国する際にはウラーウラータイショウ(万歳大将)!と全艦で叫ばせたという。帰国後ロシア海軍で偉くなったリコルドは嘉平にお礼の手紙を書いたが、その手紙の着いた時にはすでに嘉平は世を去っていたと。
その後の現代の逸話がおもしろい。日経新聞にあるとき小さく記事が出た。
嘉平、ゴローニンとリコルドの子孫が淡路島で再開すると。さらに数日後、再開したと。報じた記者もきっと司馬遼太郎のファンだなと感じうれしかった。
これは事実である。ちなみに淡路島は極貧の嘉平の出身地。
この物語で、司馬遼太郎は嘉平の囚われの中での行動を通じて外交とは何かを語っていると思う。弱腰外交の皆さんに読んでいただきたいものだ。