日本の進路を考える

戦後70年が過ぎてもいまだに自立できない日本を考える。

中国への疑問はそれだけでは済まない

2008年02月04日 | Weblog
寄せ集めの世界最大の人口の国が、経済の発展過程にあり、一部は先進国にも稀な大金持ち、底辺には戦後の日本以上に貧しい暮らしがある。
ウマクやった人は報われる社会情勢の中で、拝金主義が横行して何でも有という社会が形成されているようだと、農薬入りギョーザ事件で日本中が騒いでいる。
その報道をして、日本は騒ぎすぎという中国当局の会見の態度に通常の感覚の日本人はまずあきれるのだが、そこの所が全然違う民族なのだとこの際認識しなくてはいけないのだろう。
ほんの数年であるがビジネスも含めてかの国と行き来した。そのときお付き合いした方々は個人的には良い方ばかりで、現地の料理を囲んでお酒もたくさん頂きこちらから先進技術を売るビジネスもやった。
しかし、街の中を歩くと底辺の人達も見かけるし、日本人と見ると金をくれとすがり付いてくる子供にも遭遇した。
どちらも中国なのだと実感した。どこかで書いたが西の方、昆明に出かけたときは北京時間に合わせて出勤する時間がまだ星がきらきら見える普通なら深夜の時間帯のような無理も体験した。
体制の問題をはらみながらあの広くて巨大な人口を押さえることには無理ばかりが見えてくる。更には周辺の国々を軍事力で侵攻することにも力点を置いているが、益々無理を重ねているようにしか思えない。
やるべきことは、オリンピックではなく、国の体制を緩やかな連邦制に持ってゆく事のように思われる。そういう中で台湾の問題も緩やかに解決できるのかもしれないし、統治のローカライズ化でしか今の無茶苦茶な拝金主義との決別もできないのではなかろうか?
中国のモラルの元である孔子孟子の文化を思い出して、国の品位を高める為には軍事力で押さえつける現在の体制のあり方そのものを変革してゆくしかなさそうに思われるが、それも絶望的な気がする。
日本は少なくとも食糧の中国依存を回避することを韓国と共に考える事が大事かもしれない。
韓国のITセキュリティ力が急激に高まった背景には中国からのアタックを排除する必要があったと聞いた。
あの巨大な国の周辺にいるアジアの諸国といろいろな連携を考えるのが、今回の事件をきっかけとした日本の大事な役割かもしれない。