歴史にIFは無いが、帝国海軍については陸軍で苛められた司馬遼太郎が僻目で良く書いているので、陸軍にやられたという感覚といやいややらされて散った特に五十六の悲劇など、何となく同情していたが、この座談会を読み進めるとここにも諸悪の根源「官僚化」が指摘され、現在の日本の亡国の危機と同根であることがよくわかり背筋が寒くなる。
日清日露で神格化された海軍の作法が逆に縛りになる、もっと酷いことは伏見の宮の人事への口出し、好き嫌いと人事評価の基準の曖昧さ、不適財不適所、危機的状況でも平時と同様に定期人事で前線の将校を総入れ替えするなど、社会保険庁のぶざまを連想させる(あの状況でも近々長官がお代わりになるとか)。
さらには敵国以上の内部の敵、陸軍との予算の取り合いで馬鹿な判断をする無責任さ。現在の霞ヶ関より酷いという言葉も発せられているが、同根普遍だろう。
こいつらが国を滅ぼしたのは必然のことであったようだ。
今又、国民や外交より選挙という内部抗争が始まり、この国の弱点が際立ってきた気がする。
やはり奇人変人の再登板しかないのか?
ちなみに座談会のメンバーは、
半藤一利、秦郁彦、戸一成、福田和也とこの雑誌でもよく見る昭和史研究家に加えて平間洋一元海将補・元防大教授である。
日清日露で神格化された海軍の作法が逆に縛りになる、もっと酷いことは伏見の宮の人事への口出し、好き嫌いと人事評価の基準の曖昧さ、不適財不適所、危機的状況でも平時と同様に定期人事で前線の将校を総入れ替えするなど、社会保険庁のぶざまを連想させる(あの状況でも近々長官がお代わりになるとか)。
さらには敵国以上の内部の敵、陸軍との予算の取り合いで馬鹿な判断をする無責任さ。現在の霞ヶ関より酷いという言葉も発せられているが、同根普遍だろう。
こいつらが国を滅ぼしたのは必然のことであったようだ。
今又、国民や外交より選挙という内部抗争が始まり、この国の弱点が際立ってきた気がする。
やはり奇人変人の再登板しかないのか?
ちなみに座談会のメンバーは、
半藤一利、秦郁彦、戸一成、福田和也とこの雑誌でもよく見る昭和史研究家に加えて平間洋一元海将補・元防大教授である。