日本の進路を考える

戦後70年が過ぎてもいまだに自立できない日本を考える。

構造改革の継続を

2006年03月10日 | Weblog
ネットでもいっせいに報道されているが、この国会での審議が注目される。内容的にはこんなものではまだまだと思うが、これだけでも少なくともすぐにもやらないと、日本は沈没すると思う。
特に特別会計のスリム化は待ったなし。総人件費削減も今後の官僚の抵抗をどこまで抑え込めるか、非常に気になるところ。小泉後の政治がこれで方向付けできるのかという点も含めて、今後の審議の状況を見つめたいもの。
ま、骨抜きになってしまうところがいくつも出てきそうだが、それをきちんとチェックする強力野党への早急な建て直しも民主党には期待したい。

~~~引用開始~~~~~
公務員削減など重点5項目 行革推進法案を閣議決定
2006年 3月10日 (金) 09:41
 政府は10日午前の閣議で、小泉純一郎首相が推進してきた改革路線の総仕上げを目指し、国家公務員の5%以上純減や政府系金融機関改革、特別会計の見直しなど重点5項目を盛り込んだ「行政改革推進法案」を決めた。
法案は昨年末に閣議決定した「行政改革の重要方針」に沿って方向性を定めた基本法案。「簡素で効率的な政府の実現」と理念を掲げ、5項目の改革工程や具体的な数値目標を明記。9月の首相退陣後も「ポスト小泉」に継承を課し、改革路線の後退を封じる狙いがある。与党は今国会の最重要法案と位置付け、衆参両院に行政改革特別委員会を設置、早期成立に全力を挙げる。
~~~引用終り~~~~~


量的緩和の終り

2006年03月10日 | Weblog
家計の利子収入をじっと我慢して日本経済の立ち直りに貢献してきた預金者に早くお礼をしないとおかしい気がする。日本全体が倒れるのだから我慢しなさいというロジックも大銀行の膨大な収益がすでに紙面を賑わしている状況であり説得力なし、早く終りにしてもらいたいもの。この収益も預金者無視の金利によるという見方もできるようになる。日銀のお金の準備が激減することで、もちっとは預金者を大事に見るようにしてもらいたいもの。
あまりのことに、株にまわして配当で稼ぐのもやっているが、やはりリスキーであることに変わりはなく、一般の方にはなかなかお勧めしがたい。
一方、外貨預金の利率を見ると何事かというくらいの高金利である。例えばニュージーランドの一ヶ月定期は年利20%!5%とか10%とか言う国は沢山ある。が、ここでも銀行さんが両替手数料を往復で稼ぐので、結果として預金者よりも銀行のための外貨預金でしかない。しかも預金者は為替リスクを覚悟しなければならない。
そろそろ、こういう話を大きな声で銀行に向かって投げつけたいものだ。
給料は減るは、金利はゼロ、希望の持てる退職後を期待する向きにはまだまだ暗い日本ですね。

~~~一部引用~~~~~~~~~~
≪預金者は恩恵?≫
 一方で、超低金利は預貯金の利子収入で生活してきた人に犠牲を強いてきた。バブル崩壊後、日銀は緩和政策を続けてきたが、平成三年の金利水準がその後十四年間続いたと仮定して、失われた家計の利子収入は三百四兆円に上る。この失われた利子収入が、金融機関を破綻(はたん)から救い、経営不振企業を延命させてきたといってもいい。
 一年もの定期預金の金利は現在0・03%程度。一千万円預けても利息は年にわずか三千円しかつかない。預金金利が上がれば、年金生活者や退職金で老後の生活設計を描く「団塊の世代」は恩恵を受けるはずだ。
~~~引用終り~~~~~~~~~~

鈴木貫太郎

2006年03月10日 | Weblog
登場人物は、まずチャーチルから。イギリスは対ドイツで極東の日本の協力が欲しい。この反対にドイツは日本を参戦させたくない。この動きからシーメンス大疑獄事件を見るとドイツの陰謀であったことが分かる。標的は総理大臣帝国海軍総帥山本権兵衛の失脚。この収拾にあたるのが海軍次官に任命された鈴木貫太郎。山本の後任、海軍の乃木と呼ばれた八代六郎、侠将とよばれた人。様々なエピソードにあふれる部下思いの一途な正義漢。さらに一途な鈴木が難局を打開するために、野党の集まりに乗り込んで駆逐艦の建造予算に賛成させてしまう件(くだり)は感動的である。真正面、独断専行、蛮勇などの文字が並ぶ誠意の塊の人物。
仲間内、国内はこれで打開できた。しかし、信仰と誠実の昭和天皇と老臣鈴木(後に首相)とはスターリン、ルーズベルト、チャーチルという欧州の戦略家を相手しては振り回されるだけであったろうと、昭和史の本質に言及している。
また、第一次大戦の後処理で、米国との関係の微妙さも述べられている。米国の中国への租借要求を日本は建前で拒否し米国も引き下がるが、これが第二次大戦の遠因としてみるべきものであるとするのは新鮮だ。
今も昔も日本外交の下手さ加減は変わっていない、さらにおかしくなってると感じている。