城郭 長谷川博美 基本記録

城郭遺跡見学講師 信長公記講師 お城イベント案内 民俗学講師  神道思想史講師 などの情報を発信して行きます。

近江能登瀬城の幾何学縄張考察

2023-10-02 22:43:41 | 民俗学

近江能登瀬城の幾何学縄張考察

 

◆対談者

米原学びあいステーシヨンで

彦根の方で東高校卒、国立

滋賀大卒の方から城跡には

何故2方向から測量している

場合が多いのかという良い

質問をされて教室内が騒然

と湧きに湧立つ現象でした。

 

 

◆城郭熟練者

城郭ビイスタ論とう昭和平成

にはなかった幾何学城郭理論

が平成に登場し話題が継続中

 

◆対談者

以前の投稿でこの様な対話がある。

 

 

長谷川
天文7年(1538年)朽木文書の491
『六角定頼陣立注文』以下源文です。
★佐々木六角定頼=当時の畿内管領代
 
「近江坂田郡長澤御本陣 六角定頼・同馬廻衆、
★米原市 長澤福田寺の地名
 
神照寺 五郎殿京極高慶、
★長浜市神照寺の地名
 
七条 進藤貞治、
★長浜市七条町の地名
 
八条 高野瀬・山崎、
★長浜市八条町の事
 
横川楞厳院 永刑永田刑部少輔景弘・目賀田・
池田・後藤高雄、
★長浜市、大東町付近の地名
 
八幡  三井・平井高好、
★長浜市八幡中山付近の地名
 
平方 下笠・楢崎・三上恒安、
★長浜市平方町付近の地名
 
田村 永原重隆、
★長浜市田村の地名
 
今川 三雲定持、
★長浜市今川町の地名
 
口分田 上坂定信、
★長浜市 口分田付近の地名
 
箕浦 田中殿・横山殿・山崎殿・馬淵、
★米原市箕浦近辺の地名
 
能登瀬 堀遠江守、
★米原市能登瀬近辺の地名
 
太尾十尾 永田伊豆守・能登殿
★米原市米原西町太尾山近辺の地名
 
◆対談者
この中の近江米原市能登瀬城
には2方向からビイスタ存在
するのでしょうか?この理論
は城郭図書を多数読んだ人よ
りも糸取り経験した女性陣の
方が早くわかるのでしょうか?
 
◆長谷川
この図面では青木館、能登瀬城
石見砦、馬ケ谷砦、の場所等が
解ります。地名としては、城山
公方だまり、殿山、などが注目
をされます。しかしこの段階で
はビイスタは全く判りません!
◆長谷川
でも糸取りをした経験のある
女性の方ならばAを起点とし
て123456の腺引きが可能だ
と思うのです。つまり女性
は地図や縄張には弱い苦手
と誤認さておられるこれか
ら脱出する事で米原で全く
新しい「城学習」が可能か
と私は思っています。苦手
とは人間の持つ先入観です
から女性が城を楽しむ事は
可能ですし脳トレさえも含
む講座だと思います。A点
から123456線を引けば昭和
平成になかつた新しい令和
の城郭新理論だと思います。
つまり能登瀬城の設計理論
が解ってくる令和の城郭論。
 
 
◆反論者
長谷川先生のビイスタ論は間違
つていると思うのです!
 
 
◆弁護者
いいえ天文年間の小谷城本丸
は大津具つまり大嶽城であり
重複ビイスタが読取れ能登瀬
城らも重複ビイスタを読み取
るべきだと思います。城郭や
城館が正方形だと誤認する事
は日本国の城郭研究のおおい
なる幻想や誤認と思われます。
◆対談者
越前の太守、朝倉義景の義景館
が正方形ではなくビイスタ工法
で作られている事に覚醒しなけ
けば我々日本人は旅行者や紀行
をつづる人間で終了してしまう!
令和の城郭ビイスタ論に気付く
事が今後の城郭の趨勢を決定!
日本人の史学の根本に関わる。
 
 
◆長谷川
ビイスタ理論を知らないと
天下国家を標榜する安土城
のビイスタ工法は全く解ら
ない絵空事になってしまう。
 
◆長谷川
信長の業績を継承して大陸へと
向おうとして秀吉の肥前名古屋
城のビイスタも認識できないで
生涯を終えるのは無念の限り。
 
 
◆質問者
石見砦や馬ケ谷砦もビイスタ
工法と関連していますか?
 
◆長谷川
青腺表示したように
石見砦や馬ケ谷砦も
ビイスタの範疇です。
 
◆長谷川
近江能登瀬城が何故正方形
で無いのか!率直に城郭の
平面構造に対峙する時期が
令和の城郭ビイスタ論だと
考えております。ビイスタ
の理論から能登瀬城の平面
が導き出さると思います。
 
◆長谷川
それは近江能登瀬城だけでは
なく例えば三河岩根城の根本
縄張を考察する上にも関わる
重要問題を包含しております。
 
◆長谷川
例えば浜松殿こと徳川家康の
浜松城天守曲輪を何十年何百
回見学しても重複ビイスタの
工法には気が付けない運命に
◆質問者
近江能登瀬城の地割をビイスタ
の法則で解説して下さい!
 
◆長谷川
この様な地割で城塞城館そして
能登瀬の集落が設計されてます。
 
 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 伊賀掛田城の幾何学縄張考察 | トップ | 近江男鬼城や多賀籠城山城か... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

民俗学」カテゴリの最新記事