源頼朝の器量 前川常務の器量 越前近江の結節
現代人は目に見えぬ行政管轄感覚に縛られて生活
している。隣県と町並みが接触して隣りどうしで
も人間は他府県の人や事だと潜在的に認識してし
まう事がある。地域集団の共同体意識とは、この
様な地域共同体と集団心理で形勢されている場合
がある。所謂他所の町と自分の町というテリトリー
意識、縄張り意識は潜在的に人間社会に存在する。
県と県の境が1mと、隣接していて毎日数分事に
他府県に必然的に移動している人は他府県に移動
越境するる感覚はない。地球上に生活する人間
は本来鳥如く往来自由で平等であり人類の全ては
仲間同志で、大らかでフランクな融和性や人間性
が必要だ。現に国家間に戦争が勃発しても対陣し
ていた兵隊どうしが炊飯や炊事の為に同じ川の水
を利用して互いに物々交換を、していた例も報告
されており、競いや、争いや、戦争は何時の時代
も為政者が仕掛けた罠に大衆が集団で騙された時
に発生する。
国や県や町とは人為的に作られ国境や県境や郡境
で町境である。それを、あまりも過度に意識して
しまうと、善良な人間の心に時に垣根を作り人間
本来の友好を阻害して、弊害が発生する事も多い。
人間社会は派閥を形成すると競合や批判を繰り返
す悪癖が常に、存在し潜在する。敵味方の意識の
過剰は人間の心の中や大衆心理に常に潜んでいる。
石橋山の戦い(いしばしやまのたたかい)とは、
平安時代末期の治承4年(1180年)に平氏と源
頼朝の間で展開された合戦だ。源頼朝は敗れて
岩窟に5人の武人と隠れた頼朝は自分の握り飯
5個を全て5人の武士に与えて自分は食さなか
った頼朝は大将、で部下5人を敗戦の極限の時
にも扶養する、大将として器量と資質を備えて
いた。当時の平家方の梶原景時は、頼朝と5人
を洞窟を発見したが景時は頼朝一行を見逃し
自分の弓で洞窟の蜘蛛の巣をかき集めて洞窟に
頼朝一行が潜伏してない事を平家方に報告して
源頼朝を助けたのだ、もちろん源頼朝が将来は
捲土重来、源氏を再興して坂東武者達を結束す
る可能性を見越しての梶原景時の配慮であろう。
◆令和2年 前川常務の事
6月20日前川常務は福井県の「アラレちやん」
へと菓子パンを無償で与え、玄蕃尾城の見学
会を認められていた。私は菓子パンの種類を
包装を横目で確認していた!
▼玄蕃尾城見学城郭フオーラム令和2年
◆令和2年 前川常務の事
7月18日 前川常務は賤ケ岳合戦の講演会準備
を忙しくされいた。私も田畑さんの用意された
サンドウッチで、忙しく昼食を手早に終わった。
前川常務は自分で用意した菓子パンを忙しく食
べられて、多忙そのものビジネスマンであった。
対談者
私達が感動するのは福井、岐阜、奈良、京都
三重、兵庫など遠方や近隣から来られる人々へ
の配慮。城郭遺跡見学への誠実さ!リアリテイ!
それこそが、城郭フオーラムの魅力の源泉です。
長谷川
しかしそれを支えている根源や下準備と調査
と言う、地味に地味を重ねた、人間力ですよ。
皆様が主役であり、私長谷川は脇役なのです。
▼7月18日 城郭フオーラム 長浜城旧天守台跡にて
◆長谷川!前川常務の菓子パンを見て驚く!
私は前川常務の菓子パンの包装を見て悟った!
6月20日前川常務が福井の「あられちやん」に
無料進呈した「菓子パン」は、余分では無くて
常務の昼食用だった事を私は初めて悟ったのだ。
源頼朝は5個のオニギリを5人に与えて自分は
オニギリを食さなかったのだ。これは源頼朝が
源氏再興を臥薪嘗胆して未来を見据えた心底が
そこにある。たかがオニギリ、たかが菓子パン
だとは、侮ってはならない!源頼朝は源氏の
再興と坂東武者復権をかけてオニギリを部下へ
の与えたのだ!前川常務の過疎化した北近江を
湖北を救わんと孤軍奮闘する心底に感動する。
賤ケ岳合戦陣城遺跡は全国の歴史フアン
が是を見ても、関ヶ原古戦場に匹敵し、いやそ
れ以上の古戦場遺跡が生々しくリアルに残され
ている事にある。越前一乗谷遺跡の年間90万人
の観光客の隆盛。関ヶ原まつりの盛大な盛り上
あがり、長浜市北部振興を賭けた我々有志同志
の激烈な奮闘が続く!雨に打たれても、風に吹
かれても!負けてなるものか!我らは北風に向
って進む余呉城郭研究会の同志ではないのか?
▼城址見学の為に奮闘する余呉城郭研究家会
▼城址見学の為に奮闘する余呉城郭研究家会
▼講演準備する前川常務 生月会長 田畑理事
▼見学林道の落石を除去する前川常務
▼余呉全体を俯瞰する下見の余呉城郭研究会
▼奥琵琶湖の大観が素晴らしい!
▼受付準備する余呉城郭研究会の人々
湖北奮闘の熱血古戦場見学は後半戦を迎える!
嬉しく思います。