時代は変わる。歴史は変わる。教科書は変わる。
驚異の玄蕃尾城!
人間とは必死に歴史教科書を暗記するものだ
もう学生でないので一切記憶する義務も必要
もないのだ。一度人間の脳に記憶された歴史
は簡単には消し去れないものだ。現代の歴史
の教科書を孫や子の歴史の教教科書を見れば
昔学んだ事と全く異なる事が記されている事。
是を読んで、自分の脳が拒絶反応を起こすよ
うでは歴史脳が固いと言わなければならない
だろう。冷静に人間の大脳の特徴を考えるな
らば生物とは一度記憶した記憶が忘却できな
い特徴がある。考古学でも日本の旧石器時代
を捏造した時期の考古学の書籍を繰り返して
記憶した人々にとり捏造は正式な歴史として
大脳の記憶にこびりついてしまう特徴がある。
昨日の教科書にスミを塗って、新しい新しい
新昭和「戦後」が始まったように。昨日の事
昨日の教科と今日の教科書は全く違うのだ。
では私達は何を信じて学べば良いのだろう?
記憶する必要などなど全く無い昨日の教科書
今日の教科書、明日の教科書が異なる事など
誰でも気付く事ができるだろう。これが冷静
な歴史大観、つまり人間は言葉や文字や物で
嘘を吐く事は、長い人間の歴史が証明してい
る事実である。人間は基本的に嘘つき詐欺師
なのである。歴史は暗記するものでは全くの
話半分と言う冷めた客観性を持っていないと
時に、狂信したり、集団心理、集団行動に陥
ってしまう特徴を持っているのだ歴史の冷静
大観とは一体何であろうか?言われている事
聞いている事、噂で聞いた事と、現実の歴史
の現場は大きく異なっている事に冷静な歴史
観察者は驚き時に仰天するものである。
令和
2年6月20日に見学する柴田勝家の玄蕃尾城も
敗戦滅亡の敗軍の将の本陣の印象とは180度
異なる強烈な巨大遺跡なのである。まあ言葉
とは、弱い物、薄い物、軽薄なもの、玄蕃尾
城の現実を真摯に誠実に見学する見学者の目
を持った人は、壮大な日本史の1㌻の現実の
遺跡に大変驚かれる事であろう。驚異玄蕃尾
城それは言い過ぎでも。過言でもない激烈な
歴史の現実なのである。こんな城本当なのか?
いったいこの現実を把握している歴史家は誰?
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