城郭 長谷川博美 基本記録

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こね坂 民俗学的考察 峠の民俗学

2023-12-29 06:18:22 | 民俗学

こね坂 民俗学的考察  峠の民俗学

 

◆長谷川

私のブログを読む人とてなく

城郭講師としての人気や仕事

も無く寒風吹きすさぶ山林へ

と民俗学者として放浪彷徨す

しかすべなき流浪の漂泊者

◆対談者

今日はクリスマスです。一般

社会ならクリスマス会したり

家族が集合したりしています。

 

◆長谷川

私とは木枯らし紋次郎の様な

世捨て人一匹狼的な存在です。

 

◆対談者

こね坂トンネルなんて寂しい

人気のない人が通る事少ない

彦根市鳥居本に所属する隧道

 

◆長谷川

歴史する人ならばその感覚は

改めなければならない事です

江戸期は鳥居本は彦根藩領と

言う伝統が鳥居本地区は彦根

へと合併しましたがこの土地

は本来坂田郡なのです。そう

坂田郡の歴史民俗学をする事。

◆対談者

坂田学と言える長谷川先生の米原

まなびあいステーシヨンの講義は

息が長く地道に着実に続いてます

この現実は認めざるを得ない事だ

でも彦根と米原は違うわけですよ!

 

◆長谷川

それは現代の行政区割りから来る

現代歴史観です。米原の鎌刃城や

彦根多賀の男鬼城は山奥過ぎると

言う現代感覚から言うと街はずれ

とか奥山のイメージを現代人とは

持っておられるしかし中世は交通

の要衝であり人々の往来繁盛する

地域であった事を再認識が重要で

男鬼は坂田郡箕浦庄として登場す

る地誌もある事を忘れてならない。

 

◆一般様

長谷川先生は学者として崩れて

いると感じます。何か変人的な

発想で歴史地理を見ている人?

 

◆洞察者

いや違う?あのような広大な面積

蒲生郡日野の未知の城を平気な顔

して案内解説される力量に驚愕!

 

◆参加者

 そう!なんであんなに巨大な城

それもネットや遺跡目録に掲載が

されていない遺跡を看破するだけ

の力量や推理能力があるのかと?

これぞ学者本来の力量資質の証拠

で本物の研究家と言えると思うわ。

 

◆対談者

しかし鳥居本こね坂トンネルなど

はっきり言ってしょうもないです

なんか!マイナーと言うか無名!

そんな所に着目していたら先生は

どんどんマイナー講師に陥る訳!

◆洞察者

人数を確保するのはこれ興行や

事業の分野です。長谷川先生が

こね坂に来られた事はマイナー

でも本物の純粋研究家者の証左

リアルドキュメントルポです!

 

◆長谷川

彦根に住んでおられる人なら

村、里村、鳥居本なら

公園とか小橋知る人は

おられるハズです。平成令和

と何で「こね坂トンネル」と

言うものが存在するのか「

と言う言葉の「韻」に着目する

訳ですね。

 

◆長谷川

また、こね坂の孫字地名とは

彦根市鳥居本地区中山町小字

桑原の孫字『コネ坂』に相当

すると思われます。このこね

が鳥居本の高根に相当するか

確証はありませんが 例えば

米原市東番場や寺倉にかけて

地頭山城跡が存在しますが昔

久礼と言う集落に行く切通道

の跡が今でも残っており俗称

クレ坂と呼ばれる地頭山城の

南に位置する堀切の跡ですね。

 

◆長谷川

こね坂にトンネル設置された事

とは地理的要因や時代は繰り返

す温故知新地理的条件は500年

前も現代も変わらず普遍的行程

を選択する訳です特に中世江戸

には自動車交通文化など存在は

しなかった全てこれ徒歩による

交通手段と解釈すべき事ですね。

 

◆長谷川

こね坂トンネルには地名起源と

なる「こね坂」が存在するハズ

ですよ。切通しや堀切は必ずや

存在する。中世の峠の交通遮断

監視する関所の土塁なども発見

出来るかもしれない!滋賀民俗

学会としては、こね坂を学問の

対象とし踏査しておくべき事で。

 

◆一般様

笑止千万!長谷川氏は学者
として崩れてる。邪道だと
常々私は思っている。だか

ら、こね坂峠旧道は絶対に

存在しない。ましてや間道

を封鎖する土塁や関所など

絶対に存在するハズがない

そう私は頭の中で長谷川氏

に猜疑心を常に持っている。

 

◆洞察者

そう言う余計な猜疑心や洗脳

された牽制の言語に普段から

接している人は現実や現場を

見る心や現場視察の発想つま

りフイールドワークの思想が

欠落して行きます。背広着て

紳士靴履き、こね坂トンネル

の写真撮影しても意味がない。

◆一般様

それなら、こね坂の峠の切通し

の証拠写真を是非見せて下さい。

◆長谷川

この様に現然と切通しは

現地に残っている訳です。

 

◆一般様

驚愕!ヤッパこね坂あるんだ!

 

◆一般様

長谷川氏の言動に騙されては

いけません。この様な切通は

どこにでも存在し珍しくない。

 

◆洞察者

その言葉には長谷川坂田学を

牽制し打ち消そうとする気持

や心理や排他の心理が働いて

いる事を洞察する社会観察が

常に必要となってくる訳です

純学問を選択する清らかな心

人数がそろえば学問があると

は決して限らない訳なのです

 

◆一般様

でも間道、こね坂を封鎖する

       ↓せきさい

事を目的とした関塞としての

↓ふさぎ

塞ぎの土塁など絶対残っては

いないと思います。第一日本

には関塞を研究する研究者自

体が存在しないと思いますが?

 

◆長谷川

存在しないのなら研究する事

山尾根を一文字土塁で遮断を

する現場を見る事や越前一乗

谷城など谷間を遮断する区画

上城戸と下城戸がある此れを

見学する事を御勧めいたして

城郭遺跡解説の講師としての

生命を今年で終わる事になる

事が確定してます人気が無い!

者は去る運命に常にあります。

 

◆一般様

こね坂の谷間を塞ぐ土塁は

現実に存在する訳ですかね?

◆長谷川

写真の様な谷間を封鎖する高土塁

は現実に現地に残っている訳です。

 

◆みんな

うおお!すげえ迫力の高土塁だ!

やはり長谷川先生と城行きたい!

 

◆長谷川

残念ながら私の現地城郭解説案内

の仕事は今年で完全終了しました

御協力賜った方に深く感謝します

 

◆一般様

引退ですか?そりや喜ばしい事!

コチトラもう余計な心配がない!

人気ない人はトットと引退せよ!

 

◆質問者

長谷川先生に質問致したいです。

こね坂って?そんな重要間道で

ないと思うし、先生の歴史地理

主観は崩れて奇異と思いますが?

鳥居本には関所などなかった!

◆長谷川

そうでしょうか?私の研究

している時代は令和の現代

ではない訳です。室町期の

鳥居本の城郭分布を勘案を

すれば、こね坂とは🔴丸

に相当し中世交通の重要

点である事は明確な事で!

あるべき所に関所を配置

した中世史城郭交通網!

鳥居本に塞ぎ神社

また関の前地蔵

小字 関が鼻 がある。

やながたに砦の草山内膳

などは足利幕府奉公衆も

兼務しており鳥居本地域

ではキトラ谷砦など合戦

を伝える伝承が残ります。

 

◆質問者

荘厳寺砦って実在します?

◆長谷川

縄張図取れる訳で存在致します。

冷静に遺構観察すると遺跡起源

は古墳をベースにしたものとも

思われメリハリの効いた明瞭な

遺構とは言えませんが堀跡や

竪堀は明瞭に残っております。

 

◆質問者

荘厳寺砦への登山口は何処かな?

 

◆長谷川

鉄柵があり現在登山極めて不可

 

◆寺村様

おもしろいな鳥居本の歴史が!

この様な鳥居本学どこの講座

で長谷川先生されております?

 

◆長谷川

もし宜しかったら米原学び

あいステーシヨン様におい

て旧坂田郡の城など含めて

木曜講座を地道に地味に

担当させて貰っています。

坂田郡の歴史的意味です。

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2 コメント

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Unknown (せら いちぞう)
2023-12-26 06:35:55
やはり長谷川さんの視点は的を得た正統派本格派と言えます。
返信する
Unknown (長谷川博美)
2023-12-26 19:09:27
せら いちぞう 様のコメントに感謝致します。
返信する

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