こね坂 民俗学的考察 峠の民俗学
◆長谷川
私のブログを読む人とてなく
城郭講師としての人気や仕事
も無く寒風吹きすさぶ山林へ
と民俗学者として放浪彷徨す
るしかすべなき流浪の漂泊者
◆対談者
今日はクリスマスです。一般
社会ならクリスマス会したり
家族が集合したりしています。
◆長谷川
私とは木枯らし紋次郎の様な
世捨て人一匹狼的な存在です。
◆対談者
こね坂トンネルなんて寂しい
人気のない人が通る事少ない
彦根市鳥居本に所属する隧道
◆長谷川
歴史する人ならばその感覚は
改めなければならない事です
江戸期は鳥居本は彦根藩領と
言う伝統が鳥居本地区は彦根
へと合併しましたがこの土地
は本来坂田郡なのです。そう
坂田郡の歴史民俗学をする事。
◆対談者
坂田学と言える長谷川先生の米原
まなびあいステーシヨンの講義は
息が長く地道に着実に続いてます
この現実は認めざるを得ない事だ
でも彦根と米原は違うわけですよ!
◆長谷川
それは現代の行政区割りから来る
現代歴史観です。米原の鎌刃城や
彦根多賀の男鬼城は山奥過ぎると
言う現代感覚から言うと街はずれ
とか奥山のイメージを現代人とは
持っておられるしかし中世は交通
の要衝であり人々の往来繁盛する
地域であった事を再認識が重要で
男鬼は坂田郡箕浦庄として登場す
る地誌もある事を忘れてならない。
◆一般様
長谷川先生は学者として崩れて
いると感じます。何か変人的な
発想で歴史地理を見ている人?
◆洞察者
いや違う?あのような広大な面積
蒲生郡日野の未知の城を平気な顔
して案内解説される力量に驚愕!
◆参加者
そう!なんであんなに巨大な城
それもネットや遺跡目録に掲載が
されていない遺跡を看破するだけ
の力量や推理能力があるのかと?
これぞ学者本来の力量資質の証拠
で本物の研究家と言えると思うわ。
◆対談者
しかし鳥居本こね坂トンネルなど
はっきり言ってしょうもないです
なんか!マイナーと言うか無名!
そんな所に着目していたら先生は
どんどんマイナー講師に陥る訳!
◆洞察者
人数を確保するのはこれ興行や
事業の分野です。長谷川先生が
こね坂に来られた事はマイナー
でも本物の純粋研究家者の証左
リアルドキュメントルポです!
◆長谷川
彦根に住んでおられる人なら
彦根村、里根村、鳥居本なら
小根公園とか小根橋知る人は
おられるハズです。平成令和
と何で「こね坂トンネル」と
言うものが存在するのか「ね」
と言う言葉の「韻」に着目する
訳ですね。
◆長谷川
また、こね坂の孫字地名とは
彦根市鳥居本地区中山町小字
桑原の孫字『コネ坂』に相当
すると思われます。このこね
が鳥居本の高根に相当するか
確証はありませんが 例えば
米原市東番場や寺倉にかけて
地頭山城跡が存在しますが昔
久礼と言う集落に行く切通道
の跡が今でも残っており俗称
クレ坂と呼ばれる地頭山城の
南に位置する堀切の跡ですね。
◆長谷川
こね坂にトンネル設置された事
とは地理的要因や時代は繰り返
す温故知新地理的条件は500年
前も現代も変わらず普遍的行程
を選択する訳です特に中世江戸
には自動車交通文化など存在は
しなかった全てこれ徒歩による
交通手段と解釈すべき事ですね。
◆長谷川
こね坂トンネルには地名起源と
なる「こね坂」が存在するハズ
ですよ。切通しや堀切は必ずや
存在する。中世の峠の交通遮断
監視する関所の土塁なども発見
出来るかもしれない!滋賀民俗
学会としては、こね坂を学問の
対象とし踏査しておくべき事で。
◆一般様
笑止千万!長谷川氏は学者
として崩れてる。邪道だと
常々私は思っている。だか
ら、こね坂峠旧道は絶対に
存在しない。ましてや間道
を封鎖する土塁や関所など
絶対に存在するハズがない
そう私は頭の中で長谷川氏
に猜疑心を常に持っている。
◆洞察者
そう言う余計な猜疑心や洗脳
された牽制の言語に普段から
接している人は現実や現場を
見る心や現場視察の発想つま
りフイールドワークの思想が
欠落して行きます。背広着て
紳士靴履き、こね坂トンネル
の写真撮影しても意味がない。
◆一般様
それなら、こね坂の峠の切通し
の証拠写真を是非見せて下さい。
◆長谷川
この様に現然と切通しは
現地に残っている訳です。
◆一般様
驚愕!ヤッパこね坂あるんだ!
◆一般様
長谷川氏の言動に騙されては
いけません。この様な切通は
どこにでも存在し珍しくない。
◆洞察者
その言葉には長谷川坂田学を
牽制し打ち消そうとする気持
や心理や排他の心理が働いて
いる事を洞察する社会観察が
常に必要となってくる訳です
純学問を選択する清らかな心
人数がそろえば学問があると
は決して限らない訳なのです
◆一般様
でも間道、こね坂を封鎖する
↓せきさい
事を目的とした関塞としての
↓ふさぎ
塞ぎの土塁など絶対残っては
いないと思います。第一日本
には関塞を研究する研究者自
体が存在しないと思いますが?
◆長谷川
存在しないのなら研究する事
山尾根を一文字土塁で遮断を
する現場を見る事や越前一乗
谷城など谷間を遮断する区画
上城戸と下城戸がある此れを
見学する事を御勧めいたして
城郭遺跡解説の講師としての
生命を今年で終わる事になる
事が確定してます人気が無い!
者は去る運命に常にあります。
◆一般様
こね坂の谷間を塞ぐ土塁は
現実に存在する訳ですかね?
◆長谷川
写真の様な谷間を封鎖する高土塁
は現実に現地に残っている訳です。
◆みんな
うおお!すげえ迫力の高土塁だ!
やはり長谷川先生と城行きたい!
◆長谷川
残念ながら私の現地城郭解説案内
の仕事は今年で完全終了しました
御協力賜った方に深く感謝します
◆一般様
引退ですか?そりや喜ばしい事!
コチトラもう余計な心配がない!
人気ない人はトットと引退せよ!
◆質問者
長谷川先生に質問致したいです。
こね坂って?そんな重要間道で
ないと思うし、先生の歴史地理
主観は崩れて奇異と思いますが?
鳥居本には関所などなかった!
◆長谷川
そうでしょうか?私の研究
している時代は令和の現代
ではない訳です。室町期の
鳥居本の城郭分布を勘案を
すれば、こね坂とは🔴丸
に相当し中世交通の重要
点である事は明確な事で!
あるべき所に関所を配置
した中世史城郭交通網!
鳥居本に塞ぎ神社
また関の前地蔵
小字 関が鼻 がある。
やながたに砦の草山内膳
などは足利幕府奉公衆も
兼務しており鳥居本地域
ではキトラ谷砦など合戦
を伝える伝承が残ります。
◆質問者
荘厳寺砦って実在します?
◆長谷川
縄張図取れる訳で存在致します。
冷静に遺構観察すると遺跡起源
は古墳をベースにしたものとも
思われメリハリの効いた明瞭な
遺構とは言えませんが堀跡や
竪堀は明瞭に残っております。
◆質問者
荘厳寺砦への登山口は何処かな?
◆長谷川
鉄柵があり現在登山極めて不可
◆寺村様
おもしろいな鳥居本の歴史が!
この様な鳥居本学どこの講座
で長谷川先生されております?
◆長谷川
もし宜しかったら米原学び
あいステーシヨン様におい
て旧坂田郡の城など含めて
木曜講座を地道に地味に
担当させて貰っています。
坂田郡の歴史的意味です。