WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

9.11テロなど大したことではない

2006年08月15日 | つまらない雑談

 先日の朝、ホームドラマチャンネルでアニメ映画「はだしのゲン」を放映していた。原子爆弾の悲惨さを伝えるドラマだ。朝食中の子どもたちは、テレビに釘付けになり、私は涙が止まらなかった。その中で、ゲンの母親が言った。「戦争が憎い」と……。それは基本的には正しい認識なのだろう。しかし、と思った。原爆を投下し、人々をあのようにしたのはアメリカなのではないか。アメリカが日本をこのようにしたのだと……。もちろん、日本が一方的被害者なのではない。日本が中国侵略や東南アジア侵略でやったと同じように、あるいはそれ以上にアメリカは原爆を使って人々を殺戮したのである。

 アメリカではなく、戦争が憎いといった日本人は、やはり良心的だ。そのような視点は間違ってはいないだろう。しかし、愚かな私は思ってしまう。日本に原爆を落としたように、アメリカはベトナムに枯葉剤をばら撒き、アフガニスタンで無実の人々を殺戮し、そしてイラク戦争でひとつの国をめちゃめちゃにしたのだと……。そして、こうも考えてしまう。わずか数千人が死んだにすぎない9.11のテロなど、アメリカがしてきたこと(そしていまでもしていること)に比べれば大したことはないのだと……。

 無論、それは感情的な思いにすぎない。しかし、戦争が悪いというまっとうな視点からだけでは、アメリカの行為を隠蔽することになりはしないだろうか。

 私は右翼ではない。ナショナリストでもない。被害者としてのヒロシマ・ナガサキを強調することで侵略戦争を隠蔽しようなどとは考えていない。ただ、罪のない多くの日本人が意味なく殺されたことについて、あるいはベトナムやアフガニスタンやイラクで大勢の人々が殺戮されたことについて、憤りの思いを否定できないだけだ。そしてそう思うのは私だけではないだろう。

 戦争と平和の問題は理性的に解決されねばならない。「戦争が憎い」という良心的なスタンスも正しいだろう。しかし、わたしの(そしておそらくは多くの人の)憤りの思いは亡霊のように残り続ける。

 国際政治は、この「思い」の問題を考えなければだめだ。そしてそれはおそらく「赦し」の問題に関係している。


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