WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

亀田世界戦の「君が代」独唱について

2006年08月07日 | 発言

 亀田興毅が世界チャンピオンになった。判定について、不満の声が渦巻いている。私も、基本的には最後にフラフラだった亀田の勝ちとは思えない。しかし、そんなことをいっても仕方ないではないか。現実に亀田は判定で勝ってしまったのだから……。むしろ、問題なのは判定に不正があったかどうかだ。テレビを見ていて、2人目のジャッジが亀田にポイントをつけた時、亀田本人が明らかに驚いていた。亀田自身も負けたと思っていたのだ。また、解説のコメントも明らかに亀田の敗戦を予感させるものだった。にもかかわらず、亀田は勝った。これからの問題は、ジャッジに不正があったかどうかだ。マスコミは是非そのへんを追及してもらいたい。おそらく、亀田興毅本人は知らないことであろうが……。

 ところで、試合の前、「君が代」を独唱?した男がいた。あれは誰だ。若者に人気の「ミュージシャン」とかいう人間か。本人は得意げに歌っていたようだが、「ロック」を聴きなれた私の耳にもまともな歌唱には聴こえなかった。あのようなぶざまで、へたな歌で「君が代」が歌われたことを、国粋主義者や国家主義者はもっと批判すべきであろう。彼らにとって、「君が代」は、歌えばいいというものではないはずだ。でなければ、彼らは単なるバカだ。まったく、三流ミュージシャンであっても、ボイストレーニングや発声ぐらいは、きちんとやってほしい。ロックボーカルの基礎や歴史がふまえられていない。もちろん、革新性もない。

 それにしても、「ロック」を名のるものがなぜ君が代を歌うのだろう。そもそも、「ロック」と名のる音楽が、体制的になったのはいつからだろうか。よくわからないが、日本では小泉政権になってから、そういう傾向が目立つように思う。Xジャパンとかいうグループもどこかで「君が代」を歌っていた(ダミ声でだ)。まったく、ぶざまだ。「ロック」は、もともとカウンターカルチャー(反抗文化)の側面を持っていた。大人社会や体制に対して若者の視点から異議申し立てを行うという性質があったのだ。実際、ローリングストーンズはじめ、いろいろのロック・ミュージシャンが、反戦運動や反権力・人権運動、また第三世界救済運動に取り組んできた。そこには、未熟であれ不完全であれ、伝えるべき主張があったはずだ。亀田世界戦で「君が代」を歌った歌手さんは、どのような気持ちや考えだったのだろう。

 「君が代」を歌うことてが悪いといっているのではない。政治的にも文化的にも、自分の位相を決める大切な言動をとる時には、ただの気分ではなく、自分の行動の意味について、決断をすべきだといっているわけだ。

 かつて、セックス・ピストルズのジョン・ライドンは、「ロックは死んだ」と語ったが、まったくその通りだ。そういえば、1980年代以降、「ロック」と銘打った音楽は、まったくつまらないことと関係があるのだろうか。


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