WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

姓と苗字は違う

2022年01月16日 | 今日の一枚(Q-R)
◎今日の一枚 562◎
Roland Kirk
Volunteered Slavery
 『鎌倉殿の13人』でちょっと気にかかったことがあった。「北条時政」を「ほうじょうのときまさ」と呼んでいたのである。通常、藤原道長や源頼朝には「の」を付けるが、足利尊氏や徳川家康には「の」を付けない。もちろん、伊豆国の地方武士である北条氏にも「の」は付けない。
 まったく偶然であるが、昨日の「共通テスト」の日本史B第一問にもこのことを問う問題が出題されていた。なかなかいい問題だ、と私は思った。藤原や源は天皇から賜った《姓》であるのに対して、足利や徳川、北条は地名などに系譜をもつ《苗字》であり、通常このことが「の」有無と関係があると考えられている。《姓》=氏と苗字は違うのだ。だから、足利尊氏は、源尊氏でもあるわけだ。
 岡野友彦『源氏と日本国王』(講談社現代新書:2003)は、自身の著書『家康はなぜ江戸を選んだか』を引きながら、次のように述べる。
「みなもとのよりとも」「たいらのきよもり」「ふじわらのみちなが」などといった、一般に「の」を付けて呼ばれる源・平・藤原・橘・菅原・賀茂などは「氏」であり、これは同一の祖先から発した血族全体を指す。これに対して「ほうじょうまさこ」「あしかがたかうじ」「くじょうかねざね」などといった、「の」を付けて呼ばない北条・新田・足利・近衛・九条・松平・徳川などは「名字」であり、住居や所領の地名に由来する「家」という親族集団の呼称なのである。
 ここでいう《氏》とは、天皇から与えられた《姓》を継承する血縁集団のことである。その意味で、『鎌倉殿の13人』の「ほうじょうのときまさ」という云い方にはやや違和感を覚える。
 もっとも、中世~近代にかけて《姓》は苗字化していくことも事実であり、歴史のある時点で実際に何と呼ばれていたかを史料的に論証するのは難しい。監修者が考え方などを示してくれるとありがたい。

 今日の一枚は、ローランド・カークの『ヴォランティアード・スレイヴリー』である。前半は1969年のNY録音、後半は1968年のニューポート・ジャズ・フェスティヴァルでのライブ録音である。複数の楽器を同時に吹く。吹きながら歌う。歌いながら吹く。ローランド・カークの面目躍如である。ちょっとアバンギャルドで白熱した演奏でありながら、何だか微笑ましく、そして楽しい。R&Bやゴスペルなど黒人音楽の要素が溢れ出るようなこの作品は、ある種前衛的に見えながら、音楽の楽しさに満ち溢れている。