WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

地域に貢献した老医師のこと

2007年02月01日 | つまらない雑談

 近所の老先生がなくなった。町のはずれにある小さな医院の先生だった。かかりつけの医者だった。難病にかかっているらしいと風評では聞いていたが、残念でならない。

 現代にあっては風変わりな医者で、簡単に薬を使わない先生だった。若い頃、風邪を引いた時、多くの仕事を抱えて忙しく、「先生、注射を一本お願いします」と頼んだら、「ふざけるな、風邪を馬鹿にしてはいけない。3日間仕事を休んで家で寝てろ」と叱られた。注射を使う場合でも、黄色い色をした栄養剤がほとんどだった。いつも同じ栄養剤注射ばかり使うので、看護婦は指示される前にその黄色い注射を準備しているような始末だった。診断も「風邪だ。寝てろ」がほとんどだった。だから近所の人たちの中にも、ヤブ先生などと陰口をたたき、「あの先生のところに行ってもどうせ風邪といわれるから」とバカにした発言をする者もいた。

 その医院はいつもすいていた。ヤブ先生などと陰口をたたく事情を知らない者らは町の中心部の病院までわざわざいっていたのだった。患者は老人が主で、受付から診察・処置・会計まで多くの場合15~20分もあれば終わってしまうような始末だった。だから、調子が悪くて診てもらいにいけば、すぐに診察してくれた。ガラガラなのになぜか看護婦の数が多かった。

 けれども、その先生は本当は名医だったのだ。ある時、身体の調子が悪く、いつものように風邪だといわれることを予想しつつも、一応診てもらおうとその小さな医院に行ったところ、突然診察をするその先生の目つきが変わり、「すぐ○○病院へ行け」といわれた。先生はその場で同じ町の大病院に電話をし、命令口調で大病院の医師に細かい支持をした。大病院に行ったところ優先的に検査をうけ、大きな病気を初期の段階で発見することができた。

 その老医師は、若い頃、都会の大病院の内科部長を務めた程の男で、院長候補でもあったらしいが、私の近所で小さな医院を営んでいた父親がなくなり、家業をつぐために、地位や名誉を捨てて戻ってきたのだ。以来、数十年間、その先生は地域に根をおろし、その小さな医院で医療活動を続けてきた。患者を薬づけにしない医療方針と儲からなくても町のはずれでがんばる先生の人柄に、地域の老人たちの信頼はあつかった。一方にヤブと陰口をたたく者らがいたが、もう一方には信頼をよせる者たちがいた。少なくともいえることは、その先生のおかげて多くの人たちが、助かり、安心して暮らせたということだ。

 仕事というものは、誰かのためにやるものだということを身をもって示した男だった。

 心から冥福を祈りたい気持ちだ。