WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

ロンドン・クラブ・シーンを熱狂させた一枚?

2015年01月31日 | 今日の一枚(G-H)

●今日の一枚 413●

Horace Silver

The Cape Verdean Blues

 「ロンドン・クラブ・シーンを熱狂させた一枚」とCD帯の宣伝文にある。本当だろうか。確かにダンサブルなサウンドではある。けれど、当時は本当にこういうビートで踊っていたのだろうか、と思ってしまう。私には無理だ。1980年代のディスコで少しだけならした私も、これでは踊れないと思ってしまう。ビートが古風すぎる。中には、ド・ドン・パと聴き間違えそうなものもあるほどだ。

 ホレス・シルヴァーの『ザ・ケープ・ヴァーディーン・ブルース』、1965年録音作品である。あのSong For my Father(1964)の次のアルバムということになる。ビートの感覚がちょっと古臭い感じがするといったが、作品が好きか嫌いかと問われれば、迷わず好きだと答える。④Nutvilleのスピード感と爽快さに魅了される。Woody Shae(tp), J.J.Johnson(tb), Joe Henderson(ts),の管楽器陣が何ともいえずいい。アンサンブルはたいへんスムーズであり、ソロパートではそれぞれが奔放で縦横無尽に吹きまくる。Horace Silver(p)その人も彼らに触発され、次第に熱くなっていくところが手に取るようにわかる。

 ホレス・シルヴァーが昨年、2014年の6月に亡くなったことを今日知った。85歳だったようだ。そのことはもちろん残念だ。遅ればせながら、ご冥福を祈りたい。けれど、変ないい方だが、この偉大なる歴史的存在が、昨年まで実在していたことへの驚きの方がもっと大きいかもしれない。機会に恵まれれば、その演奏を生で聴くことが可能だったのかもしれないのだ。


ホリー・コールの「トム・ウェイツ」

2014年12月20日 | 今日の一枚(G-H)

●今日の一枚 393●

Holly Cole Trio

Temptation

 ボイラーの点検のため遠方から業者が来た。大きな異常はないということだが、一応微調整していった。年に一回の点検を1万円で契約している。軽度の故障なら無料で部品の取り替え・修理をすることになっている。高いか安いかはちょっと判断できない。深夜電力でボイラーのお湯を沸かし、温水パネルヒーターで家中を暖房し、熱交換機で新鮮な水をお湯に変えるシステム。我が家は確かに暖かく、便利である。しかし、時々思うのだ。もっとシンプルなものでよかったのではないかと・・・。退職して年金暮らしになってもこのような生活を維持できるだろうか。システムが複雑で高度になればメンテナンスや修理に費用がかかる。そのうち時代遅れになって、システム総取り替えなんてことになるかもしれない。年金暮らしの身には大きな負担に違いない。50代になって、しばしばそんかことを考えるようになった。滑稽である。

 渋い。渋い名盤である。世評がどうなのか詳しくは知らないが、私は名盤だと思う。ボーカル、ピアノ、ベースからなる、ホリー・コール・トリオの1995年作品『テンプテーション』、トム・ウェイツのカヴァーアルバムだ。それにしても、渋いとはなんだろう。辞書のいうように、「派手でなく落ち着いた趣があること。じみであるが味わい深いこと」であるとすれば、まさしく渋い作品といえるだろう。けれどもそれだけではない。そもそも人は「地味」なだけで渋いとはいわないだろう。地味でありながらも、光るもの、目を見張るものがあるからこそ、「渋い」という言葉は肯定的な意味を持ちうるのだ。そうでなければ、それはただの「凡庸さ」である。

 派手でなく落ち着いた趣がありながら、心がざわめく。けれども、決して嫌な感じではない。トム・ウェイツの作品をトム・ウェイツとはまったく異なるやり方で曲の芯の部分を抽出してみせる。闇の中から静かに立ち上がってくるようなサウンドがそれを際立てる。それがこの作品の渋さの本当の意味だ。アーロン・デーヴィスの硬質なピアノの音色が静謐感を漂わせ、デヴィッド・ピルチの柔らかく深いベースがサウンドに安定感を与え、全体を優しく包む。やはり、ホリー・コールはトリオ作品がいい。

 今、傍らでは、⑬兵士の持ち物(Soldiers Things)が流れている。トム・ウェイツが歌うこの曲は大好きだ。しかし、これもまた素晴らしい。


「君住む街角」

2014年12月06日 | 今日の一枚(G-H)

☆ 今日の一枚 388☆

Holly Cole Trio

Blame It On My Youth

 ホリー・コール・トリオのヒット作、1992年録音の『コーリング・ユー』である。ホリー・コール・トリオは一時期結構聴いた。いつ頃だったろうか。2006年6月17日に「今日の一枚33」としてyestrday & Today がアップされているから、その頃か、そのすこし前あたりの頃だと思ったら、もっと前だった。ほとんどリアルタイムで聴いていたのだ。最近そういうことが多い、時間の前後関係の記憶が不確かになっている。ホリー・コールはトリオがいい。トリオ以外の作品もいくつかもっていが、ボーカル、ベース、ピアノのトリオ編成のものが圧倒的にぬきんでている。そう思う。ピアノのセンシティブなタッチと、ベースの柔らかな音色を背景とした方が、ホリー・コールの歌唱は明らかに陰影感を増し、音楽による世界を構築していると思う。名唱として名高い⑥Colling You もさることながら、⑧「君住む街角」が好きだ。緊迫感漂う前奏から、少しだけアバンギャルドな前ふりをへて、メロディーを大きく崩さずに曲の芯の部分を見事に抽出した歌唱が続く。本当にいい演奏だ。ホリー・コール・トリオの演奏によってこの曲の良さを知った。それを聴いて以後、他の演奏者の「君住む街角」を注意深く聴くようになった。どんな演奏を聴いても私の頭のずっと奥ではホリー・コール・トリオの「君住む街角」が鼻歌のように流れている。

 東北地方もだいぶ寒くなってきた。もうすぐ本格的な冬だ。今日もマイブームの風呂屋に行ってきた。風呂屋で暖まった身体で、夜の景色を眺めながらひとりビールを飲んでいる。聴いているのは、ホリー・コールのこのアルバムだ。


これがあれだったのか

2013年11月02日 | 今日の一枚(G-H)

◎今日の一枚 356◎

Grover Washington Jr.

Come Morning

 

 これこれ、これがあれだったのか。グローヴァー・ワシントン・ジュニアの1981年録音盤、『カム・モーニング』だ。リアルタイムで聴いていたアルバムなのだけれど、カセットテープでいくつかのアルバムを並列的に聴いていたせいか、グローヴァー・ワシントン・ジュニアの作品はアルバム名と内容が一致しない。どの曲がどのアルバムに入っているのかも曖昧だ。カセットデッキが故障したこともあり、1000円の「完全限定盤」を購入してみた。1000円といっても、一応24bit盤だ。

 一聴、これこれ、これがあれだったのか、とつぶやいてしまった。安物のカセット・ヘッドホーンステレオで、本当によく聴いたアルバムだったのだ。渋谷の街を闊歩する私の耳元でいつも鳴っていた曲たちだ。どの曲も耳にこびりついている。聴きながら鼻歌を歌ってしまう始末だ。③ Be Mine のボーカルはあの歌うドラマー、グラディ・テイトだ。といっても、当時はグラディ・テイトの名前など知らなかったが・・・・。

 グローヴァー・ワシントン・ジュニアの作品は、いつも「都会的に洗練されたサウンド」とか、「メローでソフトでロマンチック」とか形容される。もしかしたら、当時の私もそう感じていたのかもしれない。でも、今はちょっと違う。何というか、サックスの音色が好きなのだ。音に人間的な暖かみを感じる。特に、都会的とは感じない。時代が変わって、都会的なもののイメージが変化したということもあるのだと思うが、都会的なイメージよりむしろ人間的な優しさや暖かさを感じる。

 ここ1年程、ときどきグローヴァー・ワシントン・ジュニアを聴く。考えてみると、約30年ぶりだ。カーステレオのHDDにも何枚か入れてある。単なる懐古趣味ではない。その優しく暖かな音が、何か無性に恋しくなるのだ。


文化は海から入ってきた!

2013年10月16日 | 今日の一枚(G-H)

◎今日の一枚 349◎

Honda Takehiro(本田竹曠

This is Honda

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 おとといに続いて日本のジャズを一枚。2006年に急逝した日本人ピアニスト本田竹曠の1972年録音作品『ジス・イズ・ホンダ』である。

 好きなアルバムだ。ペダルの使い方に特徴があるのだろうか。独特の響き方をするピアノだ。①のタイトルを、"You don't know what love is" ではなく、「恋とは何か、君は知らない」としたところに自意識が感じられる。恋の狂おしさがうまく表出された素晴らしい演奏だ。狂おしくはあるが、西洋人にありがちな、神経症的な感じがしない。まさに、「恋とは何か、君は知らない」だ。単なる模倣ではない、日本人による日本のジャズといえるのではないか。日本のジャズを"レベル"ではなく、表現のスタイルとしての"ジャンル"にまで高めている。

 鎌田竜也『JAZZ喫茶マスターの絶対定番200』(静山社文庫:2010)には、本田竹曠のこのアルバムについて次のような文章がある。

日本で本田竹曠ほど黒いブルース感覚を持ち合わせたピアニストはいなかった。一度ピアノに向かえばスロットルは全開し、情念がマグマのように噴き出す。強靭なタッチにピアノは軋み声をあげる寸前だ。たった10本の指から生み出される旋律は聴く者の心を揺さぶるほどに熱く、深い。それは不意にこぼれる一筋の涙に姿を変えるかもしれない。音の美しさが心の奥底にある感情をひとりでに引き出すのだ。

 破格の評価である。筆者の本田竹曠に対する、過剰ともいえる思い入れが爆発したような文章だ。「黒いブルース感覚」・・・・、確かにそれを感じる。日本人の独特な穏やかな叙情性の一方で、確かに「黒さ」や「ブルース」の感覚を感じることができる。

 現在のようには世界の一体化が進んでいない時代、1945年生まれの本田が、「黒さ」や「ブルース」の感覚を身に着けたのは、レコードからだけだったのだろうか。私には、彼が岩手県の宮古市出身であることと無縁ではないように思える。

 まだ陸上交通が不便だった時代、三陸地方では、文化は内陸部より海から入ってきたはずだ。遠洋漁業のマグロ船が文化を伝えたのだ。同じ三陸地方にある、私の住む街と同じだろう。実際、私が幼い頃の記憶を掘り起こしてみても、ノーカットのポルノ写真から、硬貨・紙幣、そして音楽や映画まで、私の住む街にはさまざまな海外の文化・文物が混在していた。海外文化が東京や仙台を経由せず、ダイレクトに流入していたのである。今考えても、地方の港町にしては、随分多くのジャズ喫茶やロック喫茶があったように思う。

 「ケセン語」の研究で知られる岩手県大船渡市の医師、山浦玄嗣さんは、早くからこのことを、「ことば」の視点から指摘している。中央とは明らかに違う系統の言葉や発音が残っているのだ。例えば「フライキ」という言葉。三陸地方では大漁旗のことを「フライキ(福来旗)」と呼んでいるが、これは英語の「フラック」のこと。また、後ろに下がることを「バイキ」ということがあるが(馬などに対してつかう)、これはもちろん英語の「バック」のこと。これらの言葉は、海外から流入した英語と、中央の言語統制とのせめぎあいの中で生まれた言葉であるというのが、山浦さんの考えだ。また、発音についても、例えば、「えぃーさつ」(挨拶)のように、英語の発音と同じ音が、方言訛りのようになって残っている。山浦さんのいう「ケセン語」とは、岩手県大船渡市を中心とする「気仙地方」を具体例として構想されたものであるが、同じような状況は三陸地方一般に敷衍できると思われる。

 いかがだろうか。「本田竹曠の黒いブルース感覚のルーツは、郷里の岩手県宮古市にあった」説。ここに挙げた例だけでは、ちょっと杜撰な論理に見えるかもしれないが、自分では、案外いい線いっているのではないかと、自己満足、いや慢心している。

 


考えごとをしながら聴く音楽

2013年09月16日 | 今日の一枚(G-H)

◎今日の一枚 342◎

 George Winston

 Autumn(20th Anniversary Edition)

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 懐かしいアルバムだ。「ウインダム・ヒル」。1980年代に一世を風靡したレーベルだ。このレーベルの作品も一時期よく聴いたものだ。今でも、カセットテープに録音したものを結構たくさん持っている。当時はこういうのをニューエイジ・ミュージックって呼んでいたんだっけ。 

 1980年リリースのジョージ・ウィンストン『オータム』は、ある意味でそんなニューエイジ・ミュージックを代表する作品だろう。20th anniversary edition盤のCDをたまたまwebで発見して懐かしくなり、カセットデッキが壊れたためテープを聴けなかったこともあって、衝動買いしてしまったのは1か月程前だったろうか。。 

 しかし、どういうだろう。心がまったく動かない。確かに懐かしいサウンドではあるし、耳になじんだメロディーたちなのだが、刺激の少ないつまらない音楽にしか聴こえない。何かすごくよそよそしく、ひどく外在的な感じがする。これはいったいどういうことだ。結局、このCDはしばらくの間、私の書斎の片隅に放置されることになってしまった。  

 今日、ちょっとした考えごとがあって、書斎でじっと考えていたのだが、たまたま机の端にあったこのCDを何気なくCDプレーヤーのトレイにのせた。まあ、煮詰まった時のBGMだ。えっ・・・・不思議だ。少しずつ心が溶けてゆく。まったく心が動かなかったサウンドの芯のようなものが、ゆっくりと心に届いてくるような気がする。 

 そうだった・・・・・。思い出した。ウインダム・ヒルを聴いていた大学生の頃、それらのサウンドは、ちょっと難解なことを考えるときのBGMだったのだ。中世史の論文を読む時、フーコーやドルーズやロラン・バルトを読む時、あるいはアパルトヘイトやアナール派について考える時、ウインダム・ヒルのサウンドは確かに私の傍らで流れていた。

 それが正しい聴き方かどうかはわからない。しかしどうやらウインダム・ヒルは、私にとって、考え事をしながら聴くサウンドであるようだ。通常、私は、音楽を聴くと気が散って、本を読んだり、仕事をしたりができない。そんな私には、ちょっと珍しいことだ。「ウインダム・ヒル」の一連の作品は、思考を邪魔しないのだ。

  たぶんそれも、音楽の力なのだろう。

そういえば、この『オータム』に入っていた有名曲の「愛/あこがれ」は、昔、三軒茶屋の名画座で見たポルノ映画で使われていたっけ。

あのポルノ映画のタイトルはなんだったのだろう。思い出せない。


コーヒー&ミュージック

2012年10月21日 | 今日の一枚(G-H)

☆今日の一枚 339☆

畠山美由紀 & 小池龍平

Coffee & Music  ~Drip For Smile~

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 疲れた。忙しい。そういえば、しばらく温泉にもいっていない。ああ、温泉に行って温まりたい。のんびりしたい。とまあ、不平不満をいい、愚痴をこぼしたくなる今日この頃である。仕方がないから、というか、いつものことなのだが、日常の細切れの時間にコーヒーを飲み、あるいは酒を飲んで、緩やかな時間を作り、何とかしのいでいる。まあ、世の中の大多数の人間はそうやって生きているわけだろうから、そういった時間を少しでもつくれる私は幸せということなのだろうか。

 私の住む街の出身の「実力派シンガーソングライター」畠山美由紀と「日本屈指のリズムギタリスト」小池龍平の2012年作品、『コーヒー & ミュージック~ドリップ・フォー・スマイル~』。畠山美由紀の最新作である。コーヒー界のカリスマ、堀内隆志氏の選曲・企画によるシリーズの第二弾というふれこみだ。私は堀内隆志という方は存じ上げなかったのだが、「カフェ・ブームを先導する鎌倉の大人気カフェ、“カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ”のカリスマ・マスター兼オーナー」で、「美味しいコーヒー を飲んで頂く、というだけでなく、大好きなブラジル音楽や文化を伝えるべく」文筆活動や音楽プロデュースをしている人らしい。なんかちょっといかがわしい感じがするが、知らない人なので即断はよそう。

 畠山美由紀については、ずっと以前、恐らくはデビュー直後に、生で聴いたことがあるのだが、私の中での評価はあまり高いものではなかった。というか、はっきりいって低かった。その後、ここ数年、オーディオ雑誌等がしきりに取り上げるので、ちょっと聴いてみると、なかなか頑張っているじゃないか。いい感じになってきていると、アルバムをいくつか購入し、注目・期待していたのだった。震災後、私の住む街でも、知名度が上がってきたようだ(?)。はっきりいって、市民の多くは震災前まで、畠山美由紀の名前など知らなかったと思うが、快作『わが美しき故郷よ』の故だろうか、急速に知名度が上がってきたようだ。『わが美しき故郷よ』のタイトル曲は、地元ケーブルテレビでも地域ニュースのBGMとしてながされいる程だ。ただ、『わが美しき故郷よ』については、私は世の評価とは異なり、快作であることを認めつつも、どこか高い評価を下すことに躊躇する。まあ、ひねくれ者の、私個人の感想に過ぎないわけだが、簡潔にいえば、あの冗長な詩の朗読が理解できないのだ。どうしても、それにお金を払う気になれない。気持ちはすごくわかるが、いくら震災という特殊な状況であったにせよ、あんなふうに自意識を垂れ流してはいけない。作品としての「昇華」というものがなされていないと考えるのだ。実際、同じ故郷をもちながら、聴いていて共感できない。聴衆を置き去りにした、空転する自意識を陳列されているような気がするのだ。

 その点、このアルバムはいい。抑制がきいている。人生を根底からひっくり返すような、デーモニッシュな、「呪われた部分」に属するような音楽ではない。けれども、確実に日々の生活に潤いをもたらし、人の心を癒す音楽だ。凡庸といえば、凡庸なのかもしれないが、穏やかにやさしく包んでくれるような温かさに満ちており、生活のクオリティーを上げるのに役立つ音楽である。人生にはそういう音楽が絶対に必要だ。たまたま石巻のCDショップで見つけて買ったこのアルバムに、ここ数週間、私はかなり助けられている。


Togethering

2012年10月08日 | 今日の一枚(G-H)

☆今日の一枚 338☆

Kenny Burrell & Grover Washington jr

Togethering

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 カセットデッキを書斎に移して以来、古いカセットテープを聴くことが”マイブーム”になってしまったようだ。カセットテープに録音されている作品を聴いた頃は経済的な事情もあり、一つのアルバムを何度も繰り返し聴きこんでいたようで、ほとんどの演奏が頭にこびりついている。

 また長らく忘れていたアルバムを発見した。ケニー・バレル & グローヴァー・ワシントン・ジュニアの『トゥゲザリング』、1985年の作品だ。MaxellのXLⅠというテープに録音されている。レコードからの録音のようだ。いくつかのwebの記事によると、CDの音質はあまりよくないもののようだが、私のテープについては特にそうは感じない。

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Grover Washington Jr(s)

Ron Caarter(b)

Jack De Johnette(ds)

Ralph Macdonald(per)

 良盤である。純正ジャズ盤だ。参加ミュージシャンも有名どころが並び、実際聴きごたえがある。ジャック・ディジョネットのドラムがカラフルすぎてやや小うるさい気もしないではないが、基本的にはいい演奏だと思う。ケニー・バレルのギターはいつもながらナイスな演奏だ。どちらかというと、ケニー・バレル主導の作品といっていいだろうが、フュージョン畑のグローヴァーの演奏がかなりいい効果を出していると思う。生真面目に純正ジャズ路線をいく骨太のケニー・バレルに対して、グローヴァーのソロも決して負けていない。しかし、特筆すべきはグローヴァーのサックスの音色だ。やさしく、繊細な音色だ。センチメンタルで、ノスタルジックな音がいい。ケニー・バレルのジャズの王道をゆくような演奏と、グローヴァーの美しく寂しげな音のコントラストがとてもいい”味”をだしていると思う。

 ずっと忘れていた作品なのに、今でも一音一音を覚えている。不思議だ。


”僕らの時代のBGM”、

2012年10月06日 | 今日の一枚(G-H)

☆今日の一枚 337☆

Grover Washington Jr.

Skylarkin'

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 今日もカセットテープでグローヴァー・ワシントン・ジュニアを聴いている。カセットテープはTDKのAD。アルバムは1980年作品の『スカイラーキン』だ。 ちょっと、ちょっと、このアルバム、現在は廃盤扱いらしいが、私見では≪名盤≫といっていいのではないだろうか。本当にしばらくぶりに聴いてそう思った。演奏のデリケートさという点では、大ヒット作『ワインライト』や、その後の『カム・モーニン』に一歩譲る気もするが、心にまっすぐに届いてくるような、ストレイト・アヘッドな演奏という点ではそれらを凌駕するものではなかろうか。コンテンポラリーなサウンド、躍動するリズム感、うねるようなグルーヴ感が好ましい。グローヴァー・ワシントン・ジュニアのサックスも表情豊かに、しかも情感たっぷりに鳴っている。心はウキウキ、ドキドキ、身体はノリノリである。よほどよく聴いていたのであろう。頭にこびりついているメロディーばかりだ。

 このアルバムが発表された1980年という年には、大ヒット作『ワインライト』のリリースやエリック・ゲイルの『タッチ・オブ・シルク』への参加など、グローヴァー・ワシントン・ジュニアにとって飛躍の年だったといえそうだ。私は高校三年生。まだこういったお洒落な音楽は知らなかった。翌年、上京して大学生となったわけだが、田舎者が都会にでて、ちょつと背伸びをしたい心情に、ラジオから流れてくるグローヴァー・ワシントン・ジュニアのサウンドはピッタリだったのかも知れない。

 晩年は純正ジャズにも取り組んだグローヴァー・ワシントン・ジュニアは、1999年12月17日、心臓発作のため亡くなった。56歳、早すぎる死だ。私も、あと数年でその年齢になる。

 ”僕らの時代のBGM”、グローヴァー・ワシントン・ジュニア。


クリスタルの恋人たち

2012年09月30日 | 今日の一枚(G-H)

☆今日の一枚 336☆

Grover Washington Jr.

Winelight

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 今日も、”僕らの時代のBGM” グローヴァー・ワシントンJrだ。1980年作品の『ワインライト』、よくできたアルバムである。というか、かつてよほどよく聴いたのだろう。どの曲も身体的にフィットして、現在でもまったく違和感がない。①Winelight、②Let it flow、③In the name of love と続くA面の流れは本当にすばらしい。穏やかかつエモーショナルな曲④Take me thereから、大ヒット曲⑤Jast the two of us への流れもなかなかなよい。そして、エリック・ゲイルの穏やかなギターからはじまる最後の⑥Make me a memoryの寂寥感がたまらない。

 今日もカセットテープで聴いているのだが、私のテープラックにはTDKのADに録音されたものと、AXIAのSD-Masterに録音されたものの2つがあり、このことからも相当聴きこんでいたアルバムであることがわかる。音はやはりクロームテープ(Cro2)の方がいいようだ。このアルバムについてはやはりCDを買っておこうかという気持ちもなくはないのだが、一方で同じ時代をともに生きたこのカセットテープのままで不足ないような気もする。ただ、もう一度LPレコードで聴いてみたいという思いはある。

 音楽的なクオリティーはもちろん素晴らしいものがあるが、都会的なお洒落さを感じるAOR的なテイストもなかなかいい。女の子と素敵な時間を過ごすツール、”恋のBGM”として重宝な作品だったわけだ。1980年代の前半、女の子とのデートで、ドライブのBGMとしてこのアルバムを使えば、女の子もメロメロ、イチコロだった。そうだったに違いない、と私は夢想するのだが、貧乏学生の私には、もちろんクルマなどなく、それどころか運転免許すらなく、まったく実現不可能だったのが口惜しい。

 ⑤Jast the two of us のお洒落な邦訳タイトル「クリスタルの恋人たち」は、やはり田中康夫の『なんとなく、クリスタル』から売れ線をねらってつけられたものなのだろうか。確かに、歌詞の中にI see the crystal raindrops fall. とか、I hear the crystal raindrops fall. とか、「クリスタル」という言葉は登場するが、「クリスタルの恋人たち」というタイトルはいかにも唐突だ。お洒落なタイトルではあるが、はっきりいって何が何だかわからない。アルバム『ワインライト』が発表されたのは1980年だが、田中康夫『なんとなく、クリスタル』の発表が1981年1月で(雑誌「文藝」に掲載されたのは1980年12月だったようだ)、Jast the two of usがシングルカットされたのが1981年?月であることを考えると『なんとなく、クリスタル』が下敷きになっていた可能性は十分にある。ただ、曲そのもののイメージからいうと、Jast the two of usをそのまま使った方がよかったのではないか、と今は思う。

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「訪れ」

2012年09月29日 | 今日の一枚(G-H)

☆今日の一枚 335☆

Grover Washington jr.

The Best Is Yet To Come

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 ちよっとしたきっかけがあって古いカセットテープを引っ張り出してしたら、”僕らの時代のBGM” グローヴァー・ワシントンJrのものを数本発見。『ワインライト』と、『ストロベリー・ムーン』、『カム・モーニン』、『スカイラーキン』、そして『訪れ』だ。懐かしくて懐かしくて、ここ2~3日それらのテープを聴きっぱなした。

 グローヴァー・ワシントンJrは”スムース・ジャズの父”などといわれるらしい。スムース・ジャズというのは、フュージョンのスタイルのひとつで、フュージョンにR&Bの要素を混ぜたものらしい。まあ、そういわれれば確かにそんな感じがするが、私自身、そんな感じで聴いたことはなかったし、スムース・ジャズなどという言葉も知らなかった。私は熱いフュージョンというか、パースペクティヴとしてはジャズの範疇にひきつけて聴いていたような気がする。

 1982年作品の『The Best Is Yet To Come』。邦訳タイトルは『訪れ』だ。『訪れ』ってなんか古風でいいじゃないか。洗練された言葉だ。私は、直訳するともっとスケベな言葉になるのかと思っていたのだが、「未来はもっとよくなる」とか、「輝かしい時はまだ訪れていない」とか、あるいは「お楽しみはこれからよ」とかの意味があるらしい。印象的な美しいジャケットである。しかしこのジャケットをみると、The Best Is Yet To Comeはやはりスケベな意味なのではないだろうかなどとあらぬことを想像してしまう。サウンドは今聴くと、若干甘すぎるかなと思う部分もあるが、展開に起伏があり、情感のこもったブローもあるなど、基本的に嫌いではないし、よい演奏だと思う。フュージョンは聴き飽きすることが多いといわれるが、グローヴァー・ワシントンJrに関しては、そう感じたことはあまりない。タイトル曲のThe Best Is Yet To Comeなんて本当にいい曲で、ずっとグロヴァーを聴かない時代にあっても、たまに頭の中に思い浮かんで鳴り響いていた曲なのだ。

 『訪れ』は、sonyのHF-ES46というテープに収録されていた。nomalテープということもありややダイナミックさに欠ける気もするが、まあカセットテープだと思えばストレスなく聴ける。CDはでているのだろうか。ちょっとwebで検索したらどうも廃盤のようでもある。ただ私は、一緒に1980年代を生きたこのカセットテープで不足ないと思っている。

 カセットテープはいったい何本あるかわからないのだが、ざっと見て500本以上はありそうだ。半分がジャズ系、もう半分がロック系といった感じだろうか。震災でバラバラに崩れ落ち、とりあえず無造作にラックに入れた状態のままなので、どこに何があるかわからない。その不自由が幸いしてか、思わぬものに出合うこともしばしばである。メインのステレオにつないでいたテープデッキを書斎に持ち込み、BOSEの小型スピーカー125で聴いている。


これからの人生

2012年08月19日 | 今日の一枚(G-H)

☆今日の一枚 324☆

Helge Lien Trio

What Are You Doing The Rest of your Life

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 中学時代の同級生たちが、かつて母校のあった被災地域にひまわりを植え、花でいっぱいにしようというプロジェクトを実施しており、先日そのひまわりを見る会と同級会があった。残念ながら私は、どうしても仕事の都合がつかず参加できなかったが、ひまわりを見る会についてはマスコミでも取り上げられ、出張先のでNHKテレビで見ることができた。映像は1分程度だったと思うが、同級生たちの集合した映像も放映され、ほんの一瞬だが、たくさんの懐かしい顔を見ることができた。頭髪や体型が大きく変化した同級生たちであるが、その顔には間違いなくかつての面影を確認することができる。思えば、50歳になった我々は、もう確実に人生の半分を終え、恐らくは3分の2を超えている者も多いはずだ。どうやら我々も、これまでの人生を振り返り、あるいは「これからの人生」について考える年齢になってしまったようだ。

 ノルウェーのピアニスト、ヘルゲ・リエンの2000年録音作品、『What Are You Doing The Rest of your Life』である。このタイトルを『これからの人生』と訳したセンスは素晴らしいと思う。今まで特に気にしなかったのであるが、よく見ると、ジャケット写真は枯れたひまわりであろうか。そう考えると、何か象徴的で印象的なジャケットではないか。ヘルゲ・リエンのピアノの、透明感のある、硬質な響きが好きだ。≪間≫を大切にしたタイム感覚が好ましい。情感豊かな感動的な演奏である。ミシェル・ルグラン作曲の「これからの人生」はもともと私の好きな曲であるが、このアルバムにおけるヘルゲ・リエンの演奏もよく聴くものの一つだ。思いを巡らし、考えるべきことがある時、ときどき取り出して聴いている。

 「これからの人生」の歌詞はこんな感じなのだそうだ。

これからの人生、何かご予定はおあり?
あなたの人生の東西南北、どんな風に過ごすつもり?
あなたの人生に、一つだけ注文があるの。
それは人生の全てを、私と一緒に過ごして欲しいということ。

あなたの日々の全ての季節も、全ての時間も、
あなたの日々の、こまごましたありきたりの事々も、
あなたの日々の、生きている意味や理由も、
全て、私と共に始め、私と共に終えて欲しいの。

私はありとあらゆる種類の光の中にいるあなたの顔を見ていたいの。
夜明けの野辺でも、夜の森の中でも。
そしてあなたがバースデー・ケーキの上のキャンドルの前で祈る時、
心の中で願いごとを言う声を聞ける、たった一人の人間でいさせて欲しいの。

そんな日々は、あなたの目の奥深くで目覚めるのを待っている。
あなたの目の中にしまわれている愛の世界の中で、今はまだ眠っているものを、
私はきっと目覚めさせてみせるわ。
ひとつかふたつキスをすれば、きっとそれは目覚めるわ。
私の生涯をふり返った時、
私の人生の春夏秋冬、全ての季節をふり返った時、
「いつもあなたと一緒だった人生」を、私に思い出させて欲しいの。

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ソング・フォー・マイ・ファザー

2012年08月12日 | 今日の一枚(G-H)

☆今日の一枚 321☆

Horace Silver

Song For My Father

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 ホレス・シルヴァーの1963年録音作品『ソング・フォー・マイ・ファザー』。ホレス・シルヴァーを聴くようになったのはここ10年ぐらいなのだけれど、こういうのは結構好きだ。若いころのように、熱狂的に聴きまくり、ハマったわけではないのだけれど、知らず知らずのうちにCDやLPが少しずつ増えている始末だ。

 たまたま手元にある、ちょっと古い雑誌の村上春樹のインタビュー記事が、どうということのない内容なのだけれど、妙に記憶に残っている。(『Sound & Life』2005年6月25日発行)

 当時、レコードは貴重品でしたから、食べるものも食べないでお小遣いを貯めてやっと一枚買う。ブルーノート・レーベルのホレス・シルヴァー「ソング・フォー・マイ・ファザー」なんて、2800円も出してオリジナル盤を買いました。40年前の2800円っていったら高校生にとってはとんでもない大金です。だから買ったレコードは実によく聴いた。レコードって大事に扱えば長持ちしますよね。いまでもそのころに買ったレコードをよくターンテーブルに載せますよ。

 ジャズ・ファンなら(あるいはロックやクラッシックファンでも)、多かれ少なかれ同じような経験や思いがあることと思う。予定調和的な感想ではあるが、まったく共感するのみだ。村上氏はこのインタビュー記事で次のようなこともいっている。

さっきもいったように、2800円のブルーノートのレコードって高校生の僕にとってはものすごく大きな出費だったんだけど、だからこそ大事に丁寧に聴いたし、音楽の隅々まで覚えてしまったし、そのことは僕にとっての知的財産みたいになっています。無理して買ったけど、それだけの値打ちはあったなあと。活字がない時代、昔の人が写本してまで本を読んだように、音楽が聴きたくて聴きたくて苦労してレコードを買った、あるいはコンサートに行った。そうしたら人は文字通り全身を耳にして音楽を聴きますよね。そうやって得られた感動ってとくべつなんです。

 私とはひとまわりも歳の違う村上氏だが、まったく同じような思いである。


アシンメトリクス

2011年05月07日 | 今日の一枚(G-H)

●今日の一枚 312●

Helge Lien

Asymmetrics

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 最近、夜中に目が覚め、そのまま眠れなくなってしまうことが多い。妻はアルコールのせいだというが、それ程飲んでいる訳ではない。今日もそんな夜のようだ。仕方がないので、音量を絞って音楽を聴くことにした。 

 ノルウェイのピアニスト、ヘルゲ・リエンの2003年作品『アシンメトリクス』。写真でみるこの人物の風貌はあまり好きになれない。俗物に見えてしまう。けれども、彼が奏でるピアノは好きだ。ヘルゲのピアノの響きを聴いていると、私はいつも「端正」という言葉を思い浮かべる。とても繊細で、しかも何というか折り目正しい響きだ。しかし一方、アバンギャルドな演奏もこなす。この作品でもそういった彼の資質は存分に発揮されているようだ。やはり、才能のある人なのだろう。

 ① Spiral Circle 、夜の静寂の中に、ピアノの響きが溶けていく。こういう旋律を奏でるヘルゲ・リエンが本当に好きだ。


オール・シングス・マスト・パス

2011年02月28日 | 今日の一枚(G-H)

●今日の一枚 302●

George Harrison

All Things Must Pass ( New Century Edition )

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《91年発売の旧盤をお持ちのジョージ・ハリソン・ファンの中で、まだこの01年発売のニュー・センチュリー・エディションを未購入の方は、今すぐ買い求められることを強くお勧めしたい。それ程本盤の音質は飛躍的な向上を遂げている。フィル・スベクターの作り出した"ウォール・オブ・サウンド"の中に埋没していた数多くのスタープレーヤーの演奏が、細かいディテイルに至るまで極めて鮮明に聴き取れることに、誰もがきっと驚くことと思う。》

 「Beat Sound」誌No.6に掲載された和田博巳氏のレヴューである。このアルバムを知るファンの購買欲をそそるに十分な宣伝文である。かくいう私も2006年に雑誌に掲載されたこのレヴューがずっと頭の片隅にあり、2ヶ月程前、ついに購入してしまった。

 ジョージ・ハリスンの1970年作品『オール・シングス・マスト・パス』を、ジョージ自らが生前にデジタルリマスターの監修をしたニュー・センチュリー・エディション盤である。白黒だったアルバムジャケットもカラーになり、いくつかのボーナストラックもついて、大きくリニューアルされた。もちろん、彼の代表作であり、歴史的名盤であるが、約30年ぶりにジョージ自身がここまでするのは余程気に入っていた作品なのだろう。音質については、私はずっとLPから落としたカセットテープで聴いてきたので、公平な判断を下すことはできないが、確かに30年前の作品にしてはかなり鮮明な音だと思う。

 音質の向上はもちろんだが、私にとっては、かつて繰り返し聴いていた大好きな作品をCDでもてたということが、単純に、この上なく嬉しい。まるで子どもが欲しかったおもちゃを買ってもらったように嬉々として、車のHDDに入れて毎日聴き、悦に入っている始末である。CD-1-⑤美しき人生、この曲を聴くたび、心はウキウキ、ワクワクである。

 今このアルバムを聴きなおしてみて気づくのは、それまでのロックのイデオムとは一味違う、後のAORにでも通じるような、何というかアンニュイなテイストの作品が多いことだ。肩の力を抜いて聴ける大人のロックだ。AORに通じるなどとはまったく見当はずれな意見だろうが、なぜだかそう感じてしまう。ビートルズ時代のインド音楽への傾倒が一風変わった和音の使い方とメロディーラインをもたらしたのだろうか。

 1970年の発売当時は、3枚組LPで日本での価格は5,000円だったという。私の手が届かなかったのも当然である。かつて買えなかったものを、大人になって経済的余裕をもってから買うことを「大人買い」というのだそうだ。結構大きなマーケットらしい。団塊の世代の人たちが退職するここ数年、「大人買い」商品はビジネスチャンスなのだそうだ。音楽ソフトも同じだ。そういえば、古い音源のりマスターが相次いでいる。だいたい、いくら名盤でも、このジョージ・ハリスンの作品を買う現代の若者がそう多いとは思えない。ターゲットは「大人買い」のおじさんたちだ。そしてもちろん私もそのひとりだ。資本主義に躍らされている。そう考えながらも、私などは、できれば「バングラディシュ」も欲しいなどと思ってしまう。悲しきは、我が物欲である。

 「すべてのものは過ぎ去っていく」……。インド哲学から影響を受けたと思われるジョージのこの歌詞は、無常観とともに、執着することの愚かしさを説いているようだ。物欲にまみれた私は、どうやらジョージの境地とは程遠いようだ。