ひのっき

あったかくてぐっすりでごはんがおいしくてよかったねうれしいねなんて小さなしあわせ探し雑記

さつまいも 中華を照らす太陽

2005年09月12日 | うんちく。
元祖「ひのっき」閉鎖記念(苦笑) 移植第3弾です

子供の頃、ポテトチップが大好きだったんですよ。カルビーの。のり塩やフレンチサラダもいいけど、コクでは断然コンソメパンチ。もしかしてこれってお湯に入れたらおいしいコンソメポタージュになるんじゃないのって思って、試してみたらめちゃまずでしたけど・・・。大学に入って関西出身の奴らと安酒を飲むようになって、うす塩の株価が急上昇。彼ら、マヨネーズに七味唐辛子をかけたものにポテチをつけながら食べるんです。??何を始めるんだと思って恐々見ていましたが、食べてみるとこれがええってぐらいの激うま。これだとうす塩が断然おいしいんですね。
芋菓子つながりで言えば大人になってはまったのが芋けんぴ。サツマイモを揚げて砂糖でからめた土佐のお菓子なんだけど、ほんのりと自然な甘さにほっと癒されます。
うーんもうすぐ夏の物干し竿屋が焼き芋屋に商売替えするシーズンでもありますし、今日はちょっとサツマイモの話を。
原産は太陽の国メキシコ。マヤ文明では品種改良により多くの種類のサツマイモが栽培されていたと言われます。例によって大航海時代の15世紀に欧州に伝えられました。欧州では主に航海用の食料として使われていたようです。
先日、ジャガイモがヨーロッパの人口増大に大きく寄与した話をしましたが、サツマイモは中国の人口増大に多大な貢献をしました。
サツマイモって、作付け面積あたりのカロリー供給量が作物の中で一番高いんです。痩せた土地でも冷害下でもすくすく育つ、代表的な救荒作物の一つです。
それに気付いたのが16世紀の貿易商陳振龍。ご禁制品を取り締まる役人の目を欺くため、ルソン島で栽培されていたサツマイモの蔓を帆縄にないこんでこっそり中国に持ち込みました。これを17世紀明末の農学者徐光啓、18世紀に清の賢帝として名をはせた乾隆帝が積極的に普及を広め、飢饉時に非常に多くの人命を救ったといいます。これにより1億人程度だった中国の人口は清代末には4億人と、劇的な増加を果たしました。
ちなみに大学いものルーツも中国です。昭和初期、東大の苦学生が学費捻出のため中国人留学生から教わったサツマイモの砂糖揚げ煮を売り出したところこれが大ヒット。大学いもと呼ばれるようになったようです。いや東大じゃなく早稲田だって説もあって一部で争いになってるみたいですけど、あのとろける素朴な甘さと香ばしいごまの風味の前では、そんなこたあどうでもいいんじゃないかと思います。

4 コメント

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じゃこ様 (ひの)
2005-09-15 18:11:10
ありがとう!!

また一年いい歳がとれるよう頑張ります



それにしても小学生時代かあ…遠いなあ

ついこの間まで高校球児ってすごくお兄さんって感覚だったんだけど…

あの頃は三等分されたポテチを一枚でも多く手に入れるため様々悪知恵を働かせてましたね

あれほど命がけの頭脳戦は大人になった今でもなかなか経験できないデス(笑)
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おめでとう!! (じゃこ)
2005-09-15 07:54:56
誕生日おめでとう!!



最近驚いた事。

友人と小学生の頃の話をしていて、それが20年も前の出来事だという現実。

びっくりしたー。



あの頃、ポテトチップス1袋を、1人で食べる事

に憧れていたなぁ。

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showtarow様 (ひの)
2005-09-14 05:25:33
showtarowさん、こんにちは!

四国旅行ですかー。いいですね。四国って行ったことがないから羨ましいです。

一度四万十川とか見てみたいなー。

イモ天美味しそうですねー。土佐って密かにイモが得意技なんでしょうかねー?
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土佐のお菓子 (showtarow)
2005-09-14 00:54:42
こんばんは!



>芋菓子つながりで言えば大人になってはまったのが芋けんぴ。サツマイモを揚げて砂糖でからめた土佐のお菓子なんだけど、ほんのりと自然な甘さにほっと癒されます。



来月四国を旅してくるので、試してみたいです。

土佐といえば、高知市の日曜市で食べられる「イモ天」は超ウマでしたよ。
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