さいきんの流星光
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仕事が終わって寝る前にお酒を飲みながらテレビドラマの録画を見ていた。

ドラマの中で、あらぬ疑いをかけられて警察に逮捕され留置場に閉じ込められていた父親が保釈の許可が下りて自宅に帰ってくるというシーンがあった。

父親は、あらぬ疑いをかけられていただけではなく自分の妻以外の女性と一度だけ肉体的関係をもってしまっていて、それは警察が追求する事なかったのだけれども、社会的に責任のある役職についていたりしたものだからテレビのワイドショーにすっぱぬかれて叩かれたりしたのだった。

それを彼の妻も中学生の息子も娘も知っていて、やっと自宅に帰ってきた父親に冷たく当たるのだった。

久しぶりの夕食の時間、妻と二人の子どもと四人で囲んだ食卓で父親は言う。

「お父さんは、一度だけしてはいけない事をした。
 でもこれから時間をかけて、おまえたちの信頼を取り戻していきたいと思う」

僕は、よくわからなくなった。
信頼とは何だろう。
そして、一度失った信頼は、時間をかければ取り戻すことができるのだろうか。

答えはノーだと僕は思う。

そもそも、子供が親に対していだいている信頼の気持ちなど実態のない机上の空論のようなものである。
子供が親を信じて頼りきっているのは、それしか方法がないからだ。
子供は、親を頼ってやしなってもらって助けてもらって大人にしてもらわなくては生きていけないのである。
それを「信頼」と言われても子供は困惑するばかりである。

確かにドラマの中では、父親がそのように発言したあと二人の子供はどう答えていいのやらという表情をして無言であった。
なにをコイツは言いだすのだ、そもそも大前提として間違っているのではないか信頼とかしてないし、なんて心の声が聞こえてきそうだった。

子供が親を信頼しているかのように見えるのは、まだ親の悪い部分や汚い部分を知らないからである。
親のすべてを知った上で信頼しているのではない。

なので、ちょっとだけ父親の汚い部分を知った後、時間をかけていい部分を見せていったからと言って以前のようにキラキラした目で父親を見ることはできないだろう。
そういう汚い部分をもった一人の人間という目でこれから見るしかないのである。

ということでこのドラマは、
社会的に信頼されるべき検察官という職業をこなす有能な父親だとしても、実は物事をよく理解していない頭でっかちのアホタレであるというテーマわけだと僕は理解した。

ていうか最近のドラマ観てて思うんだけど、政治がらみとか何か社会的に権力を持ってる人たちの汚職とか策略とか謀略とか、そっち系の話が多くて、われわれ日常生活を普通に送っている人たちには縁遠すぎて親近感がわかない感じがとてもある。

そんな傾向が僕は嫌いだ。

やたら大きな事件にしようとしたり、
やたら日常とはかけ離れた、国を巻き込んだ、とにかくデカイことを題材にしていて、
主人公がそれをどうにかしていくとか、そういうドラマが多くて嫌だ。

高校生の三人組が
「なんでもいいからデカイ事やろうぜ!」
みたいによぼよぼの老婆が店番をしている駄菓子屋の店頭で相談しあって作ったようなニオイを感じてしまう。
そしてそういうドラマは、やたら難しい言葉や事情が出てくるんだけど、
国家機関の問題とか法曹界とか経済的な問題とかに明るくなければついていけないので困っている。

最近は僕は継続的に小説を読み進めているんだけど、僕はおもに純文学作品を選んで手にとる傾向にあるようで、何でもない日常生活の中にも重いドラマがひそんでいるし、全身に汗を吹き出させながら行く末を見守らなければならない展開だって存在すると思うのだが、大きなお金が動くテレビの世界では、それを許さない事情があるのかもしれない。










長文におつきあいくださいまして、
ありがとうございました!

流星光ツィッター

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