highdy の気まぐれブログ

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人生の目標 希望を持つか、欲望を持つか

2023年02月05日 | 処世訓(highdy のことば)



幸せは満足の中にある
 人は誰でも幸せになりたいと望んでいます。その逆の人は余程へそ曲がり
(死語かな?)でない限りそんな人はいないでしょう。
しかし、既に何処かに書きましたが、その幸せは望みの輪が小さいほど満足し幸せに感じるものです。望みが叶えば幸せ感を感じることができます。決して諦めて望みの輪を無理に小さくすることはなく、夢は大きいほど良いものです。夢(大きな目標)は小さな目標の積み上げからなるもので、必ず小さな目標を達成し幸せ感を味わいながら、次へ進む段階があります。
神経伝達物資の記事でも触れましたが、本来ヒトの脳は欲張りなもので、いつまでも上を目指す性質を持ちます。従い、自分が満足を感じなければ、いつまで経っても幸せは訪れません。

希望と欲望には違いがある
 夢は希望であったり、欲望であったり人それぞれです。
希望は、ゴールがあり、明るいイメージですが、欲望はゴールのない、暗い悪いイメージがあります。
この両者には根本的な違いがあります。

希望:あることの実現を望み願うこと、将来に対する期待や明るい見通し
。(ゴールがある)
   自愛他人愛がある望み
欲望:ほしがる心のことで、不足を感じてそれを満たそうと望む心のこと。
(ゴールがない)
   自分とその取り巻きのための望みで利己愛

善良な多くの方は家族や他人のために生きて(働いて)、それに見合う(見合わないことも多いですが)報酬を得て満足しています。
一方で、世間を騒がす多くの犯罪で、政府の役人・国会議員・凶悪犯などは、私利私欲、つまりゴールの無い我欲に囚われた人の為せる所業で、他人のためどころか傷つけてまでも報酬を得ています。しかも、それに満足せず次から次へ悪事を繰り返しています。

火の無い所に煙は立たぬ
 物事の成功や失敗には必ず原因があります。事件が起きた際に、必ず何らかの希望・欲望がその原因になっています。
ことの発端が他人のためであっても、その裏に自分を認めてもらいたい、自分はこう思われたいなどといった考えが少しでもあれば、それは欲望であって善意にはなりません。
世界の戦いの多くは宗教絡みのもので、希望ではなく欲望から起る事件です。日本も例外ではなく、過去の戦いも宗教から発したもの、欲望から発したものなどが沢山ありました。
ウクライナの悲劇は、そこに端を発しています。欲望は諸悪の根源です。

宗教に戦争を止める力はない
 欲望を持つ自己中心的な
(自分を反省しない)考えは誰も認めてくれず、すべてを敵にまわします。
以前にも書きましたが、宗教は神・仏を信ずる人にのみ存在する一種の営利団体です。そのため、国連同様、戦争を止める力はありません。神・仏を信じない人でも、普通に生きていけます。
しかし、宗教を信じる信じないに拘わらず、自然をはじめとして何事にも感謝の気持ちを忘れると、自己中心的になり他人を信じることができなくなります。
 日常生活に各種の宗教的儀式を取り入れている方でも、単に過去からの慣習に従っているだけです。日本は宗教に関してはある意味おおらかで節操のない国だと思いませんか。
一部の方は宗教で救われたかも知れませんが、殆どの方は自分が不幸を感じた時に入信しています。そうでない方は単なる犠牲者です。
不幸でなくても欲望があれば、それを利用する輩
(一部の国会議員など)もいます。それぞれの利害が一致して初めて協力が成り立ちます。自分なりの哲学(人生や世界観、事物の根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする学問 )を持たない人にとっては、宗教は単なる心の拠り所に過ぎません。

highdy はお蔭様で現在とても幸せです。長年のボランティアで、数多くの方に喜んでいただいています。他人の喜びの声が何よりの幸せを感じるひとときです。
人生を楽しく生きたいなら、自分なりの夢(希望)を持つことだと思います。別に、夢が無くても死にはしませんが、つまらないのでは?





本日もご来訪いただきありがとうございました。

  
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