緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

鳥フルの報道に接して思うこと

2011年01月24日 17時07分17秒 | 農業
1月24日(月) 

 どうやら昨夜の雨は平地では降雪まで行きませんでしたが、目を北に向けますと霧島は白雲に覆われており、晴れれば冠雪の雪化粧が見られそうです。四季を問わず自然が示す芸術品とでも言うべき見事な光景は存在するもので、カメラの誤操作でとんでも無い写真が出来たりして、それなりに新しい視点で眺め入る時があります。そんな体験をしますと、見方一つで世の中は新世界が有るものだと思うようになります。


羽田空港国際線ターミナル展望デッキよりながめた光景

今朝の地方新聞一面には『「養鶏団地でも鳥フル」遺伝子検査5羽陽性・41万羽殺処分へ』とあります。鶏の鳥インフルエンザが宮崎県内で発生した事を報道するトップ記事です。 宮崎県の畜産業が農業の一角を担うようになり、それなりの年月四〇年とも五〇年とも言われて久しくなります。小中学生の頃を振り返りますと、農家が数頭単位で始めたものもあり、畜産専門業者が数十頭単位で始めたものも有りました。最も生々しい場面は農家が自家用として肥育していた豚一頭を獣医師に殺処分して貰い、自家用食料とした場面でした。六〇年前の日本農家の現状を示す場面でもありました。



農家が家畜を養うのは副業的な意味合いがあり、自家用食料として或いは副収入として、牛豚鶏が農家の庭先には見られました。当然にそこから生じる地下水汚染を始めとした環境汚染が近隣から苦情となり、畜舎の位置が人家から遠ざかっていったのも事実です。県内の農村集落によっては人と家畜の混在が今でもありますが、現地で見ます光景は集落全体が畜舎と人家が混在しているのが大半に見受けます。



宮崎県を問わず国内畜産業の難しさは専業畜産業者と集落内中小農家による畜産業が混在している事も一つに数えて間違いないと思います。食用品としての牛肉や豚肉や鶏肉は、当然の如くに、生産段階から商品としての管理が問われて、数羽の鳥から鳥インフルエンザが検出されても万羽、十万羽単位で殺処分が着手されます。また、その検査態勢が無ければその地域の畜産業は日本の産業として成立しません。



昨年の宮崎県と鹿児島県の口蹄疫対策を地元民として注目して感じました事は、家畜伝染病が地元で発生した場合には、地域総ぐるみで対策に取り掛からざるを得なかった事です。現状ではそれが精一杯の対策に思えます。その対策の一環として鳥インフルエンザの場合は、まず、野鳥からの感染が調査一番目に挙げられます。冬場の、今の季節はシベリアや半島経由の渡り鳥、カモ類やツル類の姿を、特にカモ類に至っては市街地の中小河川や河口や湖沼で無数に見掛けます。これらを捕らえて全部を殺処分にするなど、とても現実的な話しではありません。



畜産業をこれからも継続して県内産業として育成するには、様々な課題が有ると見ます。おそらく、昨年の口蹄疫及び今年の鳥インフルエンザによる殺処分に対して県内畜産業者及び畜産農家が如何ほど絶えられるか、県民としても大きな不安があります。或いは今回の鳥フルは視点を変える時機到来なのか、根底から畜産業を変える要素が出てくる可能性すらあります。