緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

東京駅に集合

2018年12月13日 17時47分51秒 | 人物

東京駅に集合

十二月十二日午前十二時銀の鈴
五九年前の出合いを今も大切に
神戸商船大学機関学科の同窓会
海のロマンを守り良き時代へ感謝

Meet at Tokyo Station

On the 12th december noon at Silver bell
I will cherish relationship of fifty-nine years ago
Alumni Association of Kobe university of mercantile marine Engine department
I appreciate good days of protected romance of sea



又木啓子さんからのメール

2014年06月05日 15時07分48秒 | 人物

6月5日(木)  又木啓子さんからのメール


      皆様へ       (BCCでお送り致します)

  お元気でおすごしでしょうか?

日本は既に暑い日が続いているとお聞きしています。

どうぞ お体に気をつけながら 毎日をお過ごしください。

こちらの方も マドリッドの展覧会が 終わらぬうち 明日3日から18日 クエンカ音楽堂での展覧会が始まりました。

オープニングには ”クエンカの日本人画家たち”と題しmigel Romero 氏ともう一人の女性、 

ほどんど面識の無い方々が 私たちについてしゃべってくれました。なんだか変な感じでした。 

月~金クエンカ金~日マドリッドと行き来しています。

発表会見下記
http://eldiadigital.es/not/100949/el_ayuntamiento_de_cuenca_se_suma_a_la_celebracion_del_ano_dual_espana_japon/

 

又木啓子(Keiko Mataki)
E.mail; 226keikomataki@gmail.com

スペイン携帯、movil (34)+600396527
スペイン自宅、casa
TEL/FAX (34)+969211231


友人と偶然と老いと

2012年04月26日 18時19分24秒 | 人物
4月26日(木)  

 久しぶりに出合う友人、例えば十年とか二〇年振りの出会いが、日常生活の偶然の中で発生しますと、心の中で一瞬ビックリするとか微妙な変化が発生します。その一瞬を通り過ぎますと、表情が崩れて言葉がスラスラ出るものです。面白いと言いますか、相手も同じ心境になるのか、対等に言葉が返ってきます。この辺はやはり人間の感情と言いますか、年月が経ても友人を忘れさすものは無いのだと、安心したりもします。良い出会いは、偶然でも、誰か目には見えない人の差し金が有ると思ったりします。想像力が豊かですと、その偶然をバネにして、新たな世界を、言い換えますと、今までお目に掛からなかった世界へと、次の扉も自力で開く事が出来るのでしょう。現実は想像力が衰えたのか、元々無しか、この辺りが偶然の出来事でくり広げられる限界でもあります。


柿の木の根元に咲く白い花

 思いの方角がそこで終われば良いのですが、現実には長い年月、出会いが無かった分だけに、友人の老いまで目にしてしまいます。この辺は切ないと言いますか、友人の老いに、その時は気づかなくても、やがて帰宅して自分の老いを気づく羽目になります。そして、朝の散歩、道すがらに眺める光景は季節の移り変わり、ふと気づきます事は、自然の移り変わりに老いの兆しなど微塵も有りません。繰り広げられるのは新鮮世界、花鳥風月、彩られる地球、まるで人間だけが自然から取り残されて行く様を見る思いになります。

 この人間の老い行く様と、時期が来ますと毎年押し寄せる四季の美しさ、今はコガモやカルガモの飛び去った川には小魚が体長を膨らませています。豊かな自然、カラスが何を啄んでいるか追いかけて見た事があります。くちばしにくわえていたものは、カエルの断片肉で有ったのでしょうか。野鳥にも十分な餌が行き渡る様を観察して、行きとし生けるものの喜びの季節を知りますと、何を悟れば良いのか?何とも凡愚には纏まりのつかない日々でもあります。本来ならば、人間が老い行く様を宇宙の基本にする事が、どこか自然の移り変わりと噛み合わないものが有るのでしょう。その辺の捉え方を自分なりの言葉で表現しますと、心に落ち着いたものが湧き上がるのでしょうが、凡愚と言う表現で閉めれば良いのか、現実と別世界を構築出来るのか、それすら不明であります。

 愚にもつかい無い事を、昼間から酒も飲まずに、キーボードを叩くものだと内心は呆れもしますが、何か人生の心得でも浮かばないものかです!老いなど人間は言うに及ばず生きとし生けるものの宿命と思えば、何が見えるか?これもそう思い切れるかどうか不明でも有ります。そんな訳で日々目にする花鳥風月の中に老いを感じ取るのは至難の業でもあります。どこかにきっかけは有るはずですが、果たして凡愚とは切れ目を見極めえるか、或いは和光同塵の鋭い思考力が有るのか?です。

 人にはそれなりにこの世の役目を背負って生きているもので、他人様がその人の役目に気付くには、その人の持つ新たな世界に気づいて何かを受け入れるざるを得ません。人生に無駄は一つも無い。どこかでたどり着いた心境でもあります。偶然と言う目には見えないものの力で出合った友人、短い時間の中で、現実を突く鋭い言葉と穏やかな表情と静かに忍び寄る老いとをプレゼントしてくれました。また、新たな出発点でも有りそうです。

想い出は何を伝える!

2012年04月16日 19時05分48秒 | 人物
4月16日(月)  

 先週ほど、本日は仕事で走り回る案件が少なくて済み、気分的に緊張感がやや薄れて、桜が散ったとは言え四月の香りが何とはなく体に伝わってきます。その先には、先週土曜日の光景、カメラに納めた日田市三隈川の風景が浮かんできます。写真の場面を思い浮かべながら六三年前までに遡ってみる事にします。昔物語です。市内見物の途中で、温泉入浴した亀山亭ホテル、湯上がり後にお話しのホテル関係者、年齢も同じくらいで、うなずき具合から同じ戦後体験をされたようで、時間帯が夜であれば話が弾み、心の中で仕舞い込んだ当時の世情や疑問点を、お尋ねする機会でもありましたが。


北帰行前のヒドリカモ、住み心地が良いのか、動く様子は無さそう

 自分の記憶に残る場面が現存して、一緒に語り部までご存命ですので、記憶の中に入る前から心が満たされてしまいます。幼子が日田市で多感な三年間を家族と一緒に生活して、成長したのですから、それなりに振り返り心の中で纏め仕上げるものがありそうです。旅とは思い掛けないものを頂くもので、出合うものの印象が深いと人生の区切り目を見る思いでもあります。


記憶にそっくりそのまま残る水辺への出口

 旅の風に吹かれる松尾芭蕉の心境が、高校古文で学んだ「奥の細道」を介して伝わってきます。日田市には江戸期より脈々と継承されて来た俳句の歴史があります。今も流れは続いているとみます。飢饉の時も当然の事ながら有ったでしょうが、天領と言う言葉が人々の口に上るには、それなりの文化の香りが醸し出されるようになったと見ます。そして、舞台装置とは何であろうか?少年期の気分になります。


歴史が有りそうな亀山公園

 仕事の合間に、或いは休暇の中で過去との出会いが有りますと、何となく悟った気分が湧き上がるのでしょうか。これも本人次第か。過去との対話、その様な場面は最高の贈り物、天の悪戯かもしくはプレゼント。三隈川の風景をカメラに納めて、引き出して眺めますと治水治山と言う言葉が蘇ります。三隈川に堰を設けて水深を増して、水面の安定を計り、鵜飼いや花火を楽しんだ往時の人々。三味線や太鼓の音も響くようになり、旅館街や花街も出現しますし、祇園山車が夏祭りに花を添えていつしか祭りの中心になります。日田市の歴史を紐解きますと、中心は三隈川の活用、当然の事ながら治水へと繋がるように感じます。


右の公園の高さと左の人家の石積みを眺めて、思い出すは、居住した三年間にも水害が発生してました

 記憶が正しいと戦中戦後に一時途絶えた屋形船も一九四七年には復活して、物資の無い時期に用いたのは鉄舟と呼ばれた旧日本陸軍の小舟でした。屋形船が復活しますと鵜飼いも始まります。夜の三隈川で繰り広げられる伝統芸能、夜のショーでもあります。夏ともなれば、明かりを求めて雲霞の如く、空飛ぶ小さな虫、自然とは背中合わせの水辺。一九五三年には大水害に見舞われたと、短い時間の中で教えて頂いたご婦人。


三隈川の屋形船

 こうして写真を眺めて往時を思い浮かべますと、心地良い部分だけが残っており、引っ越しと言う区切り目が有りましただけに、そのまま封印されて、忘却の彼方へ飛んで行きました想い出も多くありますが、それでも日田市への想いは心深くに沈殿してしまいました。その様な記憶を持つ事は、幼児期の想い出だけに、何とも言葉で言い表せないものがあります。


花火は三隈川歴史の中でもすっかり馴染んでいます

トゥアモア君の卒業式写真

2012年04月04日 18時05分19秒 | 人物
4月4日(水)   

 トゥアモア君(ラオス留学生)の九州工業大学大学院卒業式の記念写真が出来上がり、午前中に移転先の新居へ速達便で送りました。これでやれやれ卒業式も完了。昔から知り合いの写真屋さんに写真の構成と制作を頼んで、まあまあの出来具合です。昨夜の電話でブログ掲載も連絡しました。日本との縁を深めていく中で、これからどの様な人生を送るのでしょうか。日本滞在中は出来る範囲内ですが、何かとお手伝いをしたいものです。彼の故郷ラオス国シェンクワン県へ出向いたのが、二〇〇八年夏でしたので、早四年が過ぎようとしています。



 焼酎ならぬラオ酒片手に、二人で杯を酌み交わして、アジアの話が出来れば世界が広がりそうです。数年先の話でも楽しみの一つ。これからは電気技師として、国内で活躍する近未来が広がっております。大いに活躍されことを願います。さらに十年後は何処で活躍しているのでしょうか?楽しみは限りなく広がります。

九州工業大学大学院学位記及び学部卒業式・学位記授与式

2012年03月23日 18時11分45秒 | 人物
3月23日(火)  

 大学の卒業式には、その大学が持つ学風がどことなく滲んでいるものです。大概が一時間前後の式典ですが、本日はニャルー・トゥアモア君(ラオス留学生)の保護者代理として「九州工業大学大学院学位記及び学部卒業式・学位記授与式」に出席して若者の新たな出発の姿を眺めて感銘を受けました。卒業式に参加できる事は人生喜びの一つでもあります。


式典開始一分前

 トゥアモア君と娘四人と自分の卒業式と、大学の卒業式を六回も体験した事になり、卒業生には人生の節目、そんな場面に立ち会えるとは、何とも果報な事で有る事に気づきます。そして、その大学の教育内容が式典の中から見えてきます。本来ならば、時代の背景も大いに左右するのかもしれませんが、卒業式の現場を眺めますと、卒業生が学んだ学問が空気みたいな形で伝わってきます。同じ事を繰り返す事になりますが、保護者も何かしら感動に包まれて、喜びを頂いた気持ちです。


家族を日本に連れてきてまで学問に励む留学生、彼らから若者が学ぶ事は多い

卒業式のカメラマン役を引き受けて

2012年03月22日 17時43分42秒 | 人物
3月22日(木)   

 明二三日は国立大学の卒業式が多いと聞いていますが、三女の卒業式も二三日であったと記憶します。十二年前の出来事で前夜に父親が事故を起こして、卒業式前に病院へ出向かねばならず、三女の付き添いで卒業式を危ういところで遅刻させる羽目になるところでした。卒業式には何かと思い出がつきまとうものです。ほろ苦いものもあれば、浮き浮きとなるものもあります。

 明日は九州工業大学も卒業式が挙行されて、大学生及び大学院生へそれぞれ学位記が授与されます。都城高専を四年前に卒業して九州工業大学へ進学したニャルー・トゥアモア君も大学院博士課程前期の卒業式を迎える事になります。卒業後は国内企業へ就職も決定しており、ラオスから日本へ留学してかれこれ八年は経過したのでしょうか。アジアの若者を国内の高専等へ留学させる制度は、ユニークと言えば良いのか、希望を若者へ与える良い機会であると思います。

 制度についていろいろ意見はあるでしょうが、彼の母国ラオスへ出向いて見ますと、日本はアジアにいろんな角度から目を向けるべきで、視野を広げるべきだと思いましたのが、四年前か。進学した彼との縁を大切にする為に、今回は卒業式の専属カメラマン役を引き受ける事にしました。先ほど、小倉駅前のホテルに到着して、一息入れたところです。六時には待ち合わせて、飲み会を開く予定であります。

 春三月とは若者には移動の季節、新たな世界で活躍する出発点です。そんな彼らに何かをプレゼントしたい!思い立てば実行有るのみです。そこから新たな世界がみえるかもしれません。そうでなければ、われら前期高齢者は地元の桜を愛でて行く春を惜しみます。(続く)

救いは人の縁

2012年03月03日 18時49分51秒 | 人物
3月3日(土)   

 桃の節句は朝から霧雨模様。植物には恵みの雨でもあり、水辺のマガモも、それぞれがペアとなり、雄鳥の頭部も一段とスカイブルーの色合いを深め、雄雌鳥ともに体型も太り気味で、警戒心も緩んだのか、或いは体内に新しい生命の息吹を宿しているのか、動きが穏やかになっています。花開く春は新しい生命の誕生が生物に始まる季節であり、求愛の歌声なのか、イカルの鳴き声がコーキーコー、もう少し複雑な鳴き声で聴きなしに翻訳しましたが、この時間で思い返しても木の天辺で枝から枝へと飛び回る姿しか浮かんできません。ああ。イカルの鳴き声が聞こえてきますと、雨が上がりには、ドンと大きな足音の春が間近にあります。


散り果てた花びら

 本日は半ばゲンナリ病のままで、朝から仕事に就いて方向性の異なる用件三件を追っかけて、午前中でどうにか一段落。午後になり遊び心を高めんと、野鳥観察かそれとも他には?この曇天の下では、体が活動的に動きそうになく、地下で活動を始めた生命の蠢きまで思いが届かず、時間だけが過ぎて行く日になりそうです。では人間とは、日々の行動が静かに収まり行くのが、加齢現象の一つならば、何を対策として考えるべきか?何とも考えたくもないテーマですが、車社会の中で、いくら地方都市とは言えど、むやみにマイカーを乗り回すのも事故のもと。それでは次の対策とは何か?です。


やがて実をつけて食卓の梅干しとなる梅の花

 日々、目に映る事象に対して、観察力を深めることも大きなテーマとなりそうです。今までの体験に照らし合わせて、野鳥の生態を例に取っても、季節と伴に有るのが見えてきます。季節と言うリズムに合わせた野鳥の生き様、むしろ地球と伴に有るのが表現としてはインパクトがあります。自然との関わり合いは、ある面で人間社会の煩わしさを逸脱する面があり、煩わしさから離れられ無い身ながらも、どこか生活の中で救いとなります。


紅梅まで散り果てて

 観察力を深めると言うより、物事とは何となく見えてくるのが実情のような気がします。特に観察力を大いに発揮すべき人間社会では、自ずと加齢と伴に白闇の中から現れる場合や、瞬時にして見える場合など様々な模様を織りなします。それで有頂天になって良いかどうか?判断は別でも有りますが、観察力を高めるにしろ、高めた観察力がわが身に適応しているかどうか、次のテーマが有りそうと思います。


ウグイスの少ないのは何が原因か?

 ここで気を抜いて、呑兵衛話をしてみます。きっかけは弔問に出向いた先の遺影について、喪主より説明を受けたのが始まりです。遺影は真顔の写真ですが、喪主の話では故人は写真嫌いで遺影は酔っぱらった時の写真と言います。遺影に映るは真顔。遺影を眺めて故人の思いとは、この世に生を受けて五〇余年の人生、いかほどであったのか想像を巡らします。
辛い焼酎を飲みますと、時間と伴に酒が全身に染み渡り、酔いが静かに回り、ふいと気づきますと、酒神バッカスが腹の中に棲み着いてしまい、次の杯を求めて命令します。呑兵衛様は何とも言えない酔い心地、最近になり気づいたこと、酒神バッカスが呑兵衛様に棲み着くことにです。幸いにして筆者は眠気が忍び寄ってきますので、酒神バッカスも夜中には眠りにつくので、まだ救われています。


季節は菜の花へと移りつつあり

 眠気が押し寄せて来ない呑兵衛様はどの様になるのか?酒神バッカスが朝まで酒を求めたら呑兵衛様はギブアップです。一日だけならばまだしも、どうかしますと、次の杯が一週間も続きますと、酒神バッカスが呑兵衛様の上に居座ってしまいます。難儀です。そんな中で人間として観察力を深めるなど、至難の業か、救いは縁でしょうか。それにしても、この世に闇は多いものです。