知識やいわゆる「情報」の所有が滑稽に見えるのはどのような時だろうか。
まず、それらをもとにした主張が、その根拠を充分に吟味せずに、ただ表層的に「踊らされている」だけの場合であろう(禁煙運動とそれらに対する反応についての下記サイト参照)。
さらに、その主張が、情報や知識を「所有」することによって、他に対する優越を密かに満足させているにすぎない場合には、それは単に滑稽なだけではなく、幼稚な自己愛を披瀝することになり醜悪ですらある。そして、そのふるまいが他を「制御」することに向けられると、事はさまざまな実害を生じる事になる。滑稽かつ奇妙なことに、むしろそのような事態ではそれを主張する側に「正義」があり「庇護者」であるかのような感情がともなうものである。
ただし、知識や情報の所有自体を否定する事も、また愚かな事である。少なくとも何らかの所有、独占なしに現代社会が成り立たない事は当然であろう。もちろん、そのことが実は何の価値も持たない場合には、陳腐のそしりを免れないが。
いずれにせよ、滑稽な事態に落ち入ったり巻き込まれないためには、事実について充分に吟味しながら、その主張を合理的批判的に論じること、そしてその目指すところを意識的に明らかにすることが重要である。振り返ってみれば大学教育でもそのことがもっとも基本的な教育内容であってしかるべきであろう。「基礎知識の上」に批判や吟味がはじまるのではなく、根拠の吟味と論理的批判の訓練が少なくとも大学ではA to Zであると思う。
References
山形浩生 (2005/9/30) メディアリテラシーの練習問題;室井尚の奇妙な反・嫌煙運動プロパガンダ論
http://cruel.org/other/smoking.html
まず、それらをもとにした主張が、その根拠を充分に吟味せずに、ただ表層的に「踊らされている」だけの場合であろう(禁煙運動とそれらに対する反応についての下記サイト参照)。
さらに、その主張が、情報や知識を「所有」することによって、他に対する優越を密かに満足させているにすぎない場合には、それは単に滑稽なだけではなく、幼稚な自己愛を披瀝することになり醜悪ですらある。そして、そのふるまいが他を「制御」することに向けられると、事はさまざまな実害を生じる事になる。滑稽かつ奇妙なことに、むしろそのような事態ではそれを主張する側に「正義」があり「庇護者」であるかのような感情がともなうものである。
ただし、知識や情報の所有自体を否定する事も、また愚かな事である。少なくとも何らかの所有、独占なしに現代社会が成り立たない事は当然であろう。もちろん、そのことが実は何の価値も持たない場合には、陳腐のそしりを免れないが。
いずれにせよ、滑稽な事態に落ち入ったり巻き込まれないためには、事実について充分に吟味しながら、その主張を合理的批判的に論じること、そしてその目指すところを意識的に明らかにすることが重要である。振り返ってみれば大学教育でもそのことがもっとも基本的な教育内容であってしかるべきであろう。「基礎知識の上」に批判や吟味がはじまるのではなく、根拠の吟味と論理的批判の訓練が少なくとも大学ではA to Zであると思う。
References
山形浩生 (2005/9/30) メディアリテラシーの練習問題;室井尚の奇妙な反・嫌煙運動プロパガンダ論
http://cruel.org/other/smoking.html