平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

遺伝子と因縁因果(6)

2005年03月07日 | Weblog
仏教辞典によれば、業には3種類あります。

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行為のあり方により、身体にかかわる行為を「身業」、言語にかかわる行為を「口業」または「語業」、意思にかかわる行為を「意業」といって三業に区別される。
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業といいますと、過去世の「因」として理解されることが多いような気がしますが、実は、三業は「縁」としても作用します。過去世の三業が因となり、今生の三業が縁となり、因縁が和合して、そこに果が生ずると考えられます。そして、今生の業は、また来世の因につながっていきます。

この三業は、いずれも人間の行為として、人間の選択可能性の領域、つまり自由意志の領域に属しています。縁としての三業は、自分である程度選ぶことができるものです。

人間は過去世の業によって運命の素因は定まっているが、その素因をどのように発現させるかは、その人がどのような縁を選ぶか、によって変えられるということになります。つまり、運命は大枠では定まっていますが、心の持ち方を変え、三業を変えることによって、運命はある程度変えられるのです。

人間は、過去世の業に100%縛られた存在ではなく、業をもとにしながら、新たな人生を展開させることが可能な存在なのです。そこに、人類すべてが苦悩から脱却し、救済に到達することができる可能性があるわけです。

業と縁の関係は、遺伝子と、それを発現させる環境的刺激の関係と同じです。

肉体的遺伝子の発現のしかたを左右するのは、物理的、化学的、精神的の3つの刺激でした。霊的遺伝子である業の発現を左右する縁も3種類あります。これもよく似た構造です。

しかし、三業を物理的、化学的、精神的の三つの刺激と同一と考えることはできません。身業は、肉体的行為として、当然、物理的、化学的刺激を生み出します。たとえば、肉を食べれば、それなりの化学的変化が体内に生じます。しかし、仏教の三業では、いずれもそこに人間の意志、心の作用を認めています。心の作用が、身体的行為、言語的行為(ことば)、想念として現われます。仏教は精神的作用を最大限に重視しているということになります。

村上先生は、遺伝子の中にはいまだ発現していないよい遺伝子もたくさんあるはずで、環境を変えれば、それらの遺伝子がオンになる可能性を指摘しています。その中で、今までの科学で無視されてきたのが、精神的刺激の重要性です。

ご存じのように、仏教は「八正道」によって、人間の三業を正しいものに調整し、悟りを目指す道です。人間はたしかに過去世の悪業も背負ってはいますが、本来、仏性、神性であるので、素晴らしい愛、英知、能力もまた霊的遺伝子として持っていて、それを正しい行為、言葉、思念によって発現させることが可能だ、と考えているわけです。

現代科学と仏教、広くは宗教の領域は、接近しつつあるようです。

思いもかけぬ長い考察になってしまいましたが、「遺伝子と因縁因果」はこれで終わりたいと思います。

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