平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

キリストの再臨(2004年10月)

2005年03月06日 | バックナンバー
琵琶湖マラソンでデリマ選手が登場したのにちなんで――

 数々の感動を残してアテネ・オリンピックが終了した。筆者がとくに印象に残ったのは、世界二〇二の国と地域が国旗を先頭に入場した入場式の光景であった。大国も小国も、肌の色や文化や宗教などのあらゆる違いを超えて、ともに一堂に会する姿は、未来の平和世界のあり方を先取りしているかのように見えた。

 しかし、ドーピングなど、フェアプレイの精神に反する不祥事が起こったことは残念であった。とくに最終日の男子マラソンで、先頭を走っていたブラジルのデリマ選手が、観客席から飛び出してきた男に妨害された事件には、世界中の視聴者が驚いた。

 この闖入者はアイルランド人の元司祭だということであるが、彼が背負っていたプラカードには、「イスラエルに関する予言の成就を聖書は語っている。再臨は近い」と書かれていた。

 聖書には黙示書と呼ばれる文書が含まれている。旧約聖書のダニエル書や新約聖書のヨハネ黙示録などがそうである。黙示(アポカリュプス) とはギリシャ語で「開示、啓示」という意味で、これらの文書は神の神秘、とくに未来の世界の運命を啓示するとされている。それらをつなぎ合わせて読むと、終末には、世界に離散していたイスラエル民族が国を再興し、その後、大戦争が起こり、メシア(イエス・キリスト)が再臨する、という解釈も可能である。キリスト教徒の中にはこういう予言を信じ、イスラエル建国を予言成就の第一段階と見なしている人々もいる。闖入者はこの予言を宣伝したかったのであろう。

 このような人々はキリスト教シオニストと呼ばれるほど、イスラエルに肩入れしている。彼らはとくにアメリカにおいて強い政治的影響力を行使し、アメリカがパレスチナ問題で公正な仲裁をすることを妨げている。

 この予言にしたがえば、イスラエルがパレスチナ人の土地を奪い、彼らを難民にしたのも神の意志ということになる。しかし、土地をめぐって争いあい殺しあうことが、神の心に叶うことであろうか。神とは愛のはずである。

 さらに予言が正しければ、大戦争のあとでなければ、キリストの再臨が起こらないことになる。そのため彼らの中には、核戦争が起こることを待望する人びとさえいるという。常識では理解できない考え方である。

 キリストの再臨とは、イエスという二千年前の人物が再び現われることではない。人類すべての心の中に愛、平和、真理がよみがえることである。大戦争が起こってからメシアが出現するのでは遅い。大戦争を防ぐために、世界平和の祈りによって、人類一人ひとりが小メシアとならなければならないのである

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