平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

ルクソールの絵(4)

2006年06月09日 | Weblog
3日正午に国立駅で待ち合わせしましたが、友人たちは誰も来ていませんでした。あとから聞くと、メールを見るのが遅れたり、その日には別の用件があったりして、誰も来られなかったのです。Hさんの様子が急変して、突然翌日に行くことになったので、それもしかたありません。

Hさんのお宅に行くと、息子さんとお嫁さんが出迎えてくれました。そして、寝ていたと思われるHさんを連れて来ました。Hさんは血の気が失せ、まさに半病人といった状態でした。「絵の整理を始めてから、上から何かにのしかかられるような重苦しい気分で、何をする意欲も湧いてこない状態がつづき、ついに6月1日には錯乱状態になった」とのことでした。

そしてさらにHさんが言うには、例のルクソールの絵は、いくら探してみても見つからなかったのだそうです。Hさんは自分で収納した場所を記憶していたのですが、今回、あけてみるとそこにはなかったそうです。息子さんもお嫁さんも、「自分たちが片付けた記憶はない」とのことです。Hさんは、「自分で処分したのかもしれないが、その間の記憶がまったく消えてしまっている」とのことでした。

そのほかに、スフィンクスの絵や、彼女が「汚れの絵」と呼ぶ、幽界波動を写した、気にかかる絵は、どれも見つからなかったそうです。これはいったいどういうことなのでしょう? この世的に考えれば、Hさんが自分で処分してしまったのに、そのことを忘れてしまっている、という可能性が最も高いです。あるいは、霊的体質のHさんのことですから、何らかの形でその絵がテレポテーションして、消滅してしまったのかもしれません。

目的の絵は見つかりませんでしたが、美術館の床には、彼女が数十年間にわたって描きためた絵が、一面に置かれていました。それらの絵と建物の各室を、各種の印と柏手で浄めました。浄めていると、ものすごいエネルギーがおりてきて、体から汗が噴き出ました。浄めが終わると、Hさんの顔には生気と笑顔が戻っていました。美術館の波動は確実に浄まり、次元が上昇しました。私の心の中には安心感が生まれました。

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