平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

ペンドゥラム

2006年03月08日 | Weblog
「シェルドレイクの仮説」を解説したサイエンスライターの喰代(ほおじろ)栄一さんが、「ペンドゥラム」という概念を紹介しています。

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「ペンドゥラム」とは、人が集まって同じ思いで活動を始めると形成される「エネルギー情報体」です。ロシアのベストセラー作家バディム・ゼランドが『リアリティー・トランサーフィング』という本で述べたものです。私の本『幸せの進化形』第5章では、サラリーマンが疲れているわけを「会社というエネルギー情報体にサラリーマンが自分のエネルギーを吸い取られるからだ」と述べました。
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http://blog.mag2.com/m/log/0000017531

「ペンドゥラム」というのはおそらくpendulumと書くのでしょうが、これは「時計の振り子」という意味です。この用語の背後にあるのは、振り子が一つの方向に振れるように、情報が一種のエネルギーとなって人間を一つの方向に向ける、という観念だと思います。

喰代さんは以下のようにペンドゥラムの具体例をあげています。

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考えてみると、私たちのまわりには恐ろしい「ペンドゥラム」がたくさん存在しています。たとえば、風邪をひいて熱が出たら抗生物質や解熱剤を飲ませようと働きかける「ペンドゥラム」です。熱が出るのは自然の治癒反応で、水分を取ってゆっくりと2、3日休めば、たいていの風邪は治ります。しかし、休んでいられない状況が生まれ、私たちは病院に行けばすぐ手に入る抗生物質や解熱剤に頼ろうとします。私たちの社会が作り上げたそういう「ペンドゥラム」の誘導のまま、私たちはそのとおりの行動をしてしまうのです。
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従来の用語を使えば、ペンドゥラムとは社会的固定観念ということになるでしょう。固定観念というと、人間の心の中にあるように感じられますが、ペンドゥラムという用語は、それが一種のエネルギーとして世界の中で活動している、というニュアンスがあるように思われます。

経験的には、このようなペンドゥラムは、特定の場所と結びついているように感じられます。病院には病院の、盛り場には盛り場の、大学には大学の、百貨店には百貨店の「エネルギー情報体」が漂っています。そして、そのペンドゥラムが否定的なものであったり、不調和なものであったりすると、その場に身を置くと、こちらの体まで重くなります。

それに対して、体が軽くなり、心が晴れ晴れとするような場があります。真の聖地というのは、そういうプラスのペンドゥラムの場所なのでしょう。私にとって、そういうポジティブなペンドゥラムに満ちた場は、言うまでもなく富士聖地です。

この場を訪れた人は誰でも、そこに充満した光明のペンドゥラムを感じることができるでしょう。


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