平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

原子核物理学国際会議開会式での天皇陛下のお言葉

2007年06月04日 | Weblog
平成19年6月4日(月)に東京国際フォーラムで開かれた原子核物理学国際会議(INPC2007)で、天皇陛下は以下のような開会の挨拶をなさいました。

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 この度,原子核物理学国際会議が,国の内外から多数の参加者を得て,東京で開かれることを誠に喜ばしく思います。
 原子核物理学国際会議は1951年初めて米国のシカゴにおいて催されました。日本では東京でこれまで2回,1967年と1977年にこの会議が行われましたが,今回は30年振り3回目の開催となります。参加国数は前回の東京の会議より更に5か国多い38か国に及び,世界における原子核物理学の広がりを感じさせます。
 本年は,我が国を代表する科学者の一人として大きな足跡を残した湯川秀樹博士の生誕100年に当たり,開会式に先立ち,昨日はその記念講演会も行われました。湯川博士は,1949年物理学の分野でノーベル賞を受賞されましたが,これは,日本人として初めての受賞であり,第二次世界大戦の終結から4年後,我が国がサンフランシスコ平和条約によって独立を回復する3年前のことです。戦争の大きな惨禍を受けた日本の人々が,どれほどこの受賞を誇らしく思い,喜んだか,博士の若々しい姿と共に,当時のことが思い起こされます。
 原子核物理学の著しい進歩は,基礎科学として,物質の微細な構造に至るまでを明らかにするとともに,その応用面において,エネルギーの創出や医学面での利用を通して,人類社会に非常に役立つ技術の開発に貢献しています。
 このような原子核物理学の進歩のために,近年,巨大な研究施設が造られてきておりますが,私どもも,これまでその幾つかを見る機会を得ました。1994年に米国を訪問した際には,カリフォルニア州のスタンフォード大学で,一直線に長く伸びた線型加速器を見ました。国内では,3年前,岐阜県の神岡鉱山の廃鉱を利用したスーパーカミオカンデを見るために,巨大な洞窟(どうくつ)を訪れ,また,昨年秋には理化学研究所で,運転開始前の円形の超伝導リングサイクロトロンを見ることができました。かつて,理化学研究所で,湯川,朝永両ノーベル物理学賞受賞者を育てた仁科芳雄博士が日本で初めて造られたサイクロトロンが,戦後海に沈められたときの仁科博士のお気持ちはいかばかりであったかと察せられます。これらの施設が必要なことは,この分野での国際的な協力が,今後ますます重要となってくることを示していると思われます。今回の会議のテーマは,「二十一世紀の原子核物理学の潮流」ということでありますが,これまでの研究成果を背景に,将来に渡っての国境を越えた協力の一層の可能性が話し合われることを期待しております。
 21世紀を展望するに当たり,科学の進歩が明暗をもたらした過去の歴史にも改めて目を向けることが必要に思われます。20世紀における物理学の進歩が輝かしいものであった一方で,この同じ分野の研究から,大量破壊兵器が生み出され,多くの犠牲者が出たことは,誠に痛ましいことでありました。1945年夏,広島と長崎に落とされた2発の原子爆弾により,ほぼ20万人がその年の内に亡くなり,その後も長く多くの人々が,放射線障害によって,苦しみの内に亡くなっていきました。今後,このような悲劇が繰り返されることなく,この分野の研究成果が,世界の平和と人類の幸せに役立っていくことを,切に祈るものであります。
 原子核物理学と,それに関連する様々な分野の研究者が,国の内外から一堂に会するこの機会に,実り多い討議が行われ,研究者相互の理解が深まり,会議の成果が世界の人々の役立つものとなることを願い,開会式に寄せる言葉といたします。
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http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/okotoba-h19-01.html#19kokusaikaigi

さすが日本の天皇陛下です。広島・長崎の悲劇に触れ、このようなことを二度と起こしてはならない、という願いをきちんと表明なさっています。


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