ムッシーナを何故代える?気分は負け試合。

2006年05月06日 | ヤンキース
ムースが完璧だった。完璧過ぎた。ストレートにナックルカーブは肩から膝までの落差があった。球数も少なく経験のあるムースなら完投させるべきだった。スターターが100球、7回迄投げて、セットアッパー、クローザーへ繋げてがセオリーだがあくまでもそれは理想であり時と場合によっては采配ミスと言われても仕方ない。それが今日のゲームだった。誰しも4回でゲーム決まりと思っていた。現地時間8日はゲームがなく明日チャコーン、明後日、王建民、1日休養。ボストン戦で不安だが初戦ライト、RJ、そしてムースなら休養もある。それをスモールが出て来て全く手が振れていない。ボール、ボールであっけなく降板し期待のファーンズワースも100マイルの威力なく得意のスライダーのキレがない。今日はまず投げないと準備をしていないリベラが急遽、肩を作り始めても、心の準備は間に合わなかった。打たれて気付けば1点差の辛勝だ。今、テキサスは西地区の首位チームである。底力はあるしショーウォルター監督はヤンキースの監督も経験した熱血男である。ゲームセットでハイタッチをしても誰も笑っていなかった。ゲームに勝っても負けた気分をどの選手も首脳陣も感じたゲームだっただろう。別に相手を舐めたわけではないだろうが、今日はムースを代えたこと、中継ぎの防御率が良いという安易な数字での判断ではヤンキースらしくない。勝ったには勝ったが、今日のような試合は絶対他のチームは見ていることを忘れてはならない。