曲がり角の向こうに・・・

毎日の暮らしの中でフと心に留まった人やもの、そして風景を描きとめています。 

何か面白いことないかな~~振り返り

2021-05-25 | 絵  ②スケッチ

今日もいいお天気です。 爽やかな五月を楽しむ間もなく、梅雨のようなお天気になってしまい、気になりながら、のびのびになっていた冬物衣料の片付けを、やっと終わらせることが出来ました。 ついでに、使わないのにそのまま敷いていた、ホットカーペットもしまい、夏用のイグサの敷物に替えて、リビングもすっきりしました~~

振り返り記事が、結構な頻度でgoo事務局から届きますが、昨日の振り返り記事が、自虐ネタのようで、面白いので再び登場してもらう事にしました。 10年以上も前のNペンスケッチ教室で、チョッと可笑しなやつ・・・と先生はじめ教室のメンバーから思われていた(と勝手に僻んでいた?)頃の自分の可笑しなスケッチをネタにした記事です。

あの頃の私はどこに??・・・いまや真面目に日本画なども描いているのですから、人生分からないものです(^_-)・・・ 振り返り記事を開いて、ニヤリとして頂ければ嬉しいです・・・

 

                    

 

何か面白いいことないかなぁ・・・
昨日迄続いたうすら寒い雨模様の日から一転して良いお天気になりました。 庭では頭に可愛いリボンを付けたフレンチラベンダーがそろそろ終わり近くなってきて、入れ替わりに、イングリッシュラ......
 

 

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ベトナムスケッチ旅 (5)最終回

2021-05-24 | 絵  ②スケッチ

街中をぬけて、スケッチ仲間と、フエ郊外にある広大な松林の中のトゥドゥック廟へでかけてスケッチをしました。 グエン朝の第4代皇帝のトゥドゥック帝が、生前に別荘として使用していた建物だそうです。 トゥドゥック帝は、在位中の1864年から3年の年月をかけて廟としましたが、この廟の近くにある蓮池と木造の釣殿で、よく涼を求めて釣りを楽しんだそうです。 残念ながら蓮池の畔を歩いた記憶はあるのですが、写真に撮っていませんでした

 

多分ここは墓所の一部だと思いますが、記憶はチョッと曖昧です ここの建物や石像の多くが、全体に黒くて(材料の石が黒い?)硬質な雰囲気のために、暗い感じがして馴染めなかったのは残念です。

広い敷地に、たくさんの建物があり、中には半ば崩れたまま打ち捨てられている建物もありました。

それで、ここでのスケッチは、廃墟となって蔦などに覆われている場所で(なぜかこちらの方が、ホッとしたので・・・)描きました。 それが、見出し画像です。 丁度、ドイツから観光に来たという女性もここに足を踏み入れて、じっくり見ていたので、ついでに描き入れてみました・・・(^_-)

 

こんな感じで栄華の後の侘しさが漂っていました・・・

 

この回のスケッチは、ベトナム戦争の傷跡をアチコチに目にして、色々考えさせられたスケッチ旅となりました。 長い歴史の中でもいろいろ紛争があったようですが、比較的近い時代にもフランスの植民地になったり、南北戦争があったり、アメリカ軍の介入があったり・・・人々はいつも大変な生活を強いられてきたと思います・・・

それでも、みんな元気で明るく生きているような姿が見られたのは、嬉しいことでした。  機会があったら、スケッチ旅の頃よりずっと復興しているであろうベトナムを再び訪れたいと思っています。

 

おまけに、街の中で見つけた元気な人々の姿をご覧ください(^-^) 前の記事中にも何枚か掲載しています。

 

フエの王宮で建築を学ぶ大学生達に出会ったことは、この国の希望を見る思いでした。

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食べ物スケッチ(7)茶碗蒸し

2021-05-23 | 絵  ⑤絵手紙

『絵手紙を見て、

「美味しそうだね」とは

言ってくれるのですが

まだそれが食欲に

繋がらないようです』

先日コロナワクチン予防接種の予診票を

届けに行った時に 看護師さんから

聞かされました

・・・

それでも美味しそうだと

感じてもらえただけ

ラッキーと

考えることにして

今日は

大好きな茶碗蒸しです

 

ベッドに支えなしで

坐れるようになったとか

リハビリの成果は

徐々にですが出ているようですから

焦らずに一歩一歩

ですね

 

               

 

紫陽花が咲き始めました

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明日を信じて・・・友からの絵手紙

2021-05-22 | 絵  ③アレコレ

まるで梅雨入りしたかのような、湿った日々が続いています。 年を追うにつれお天気屋になってきているワタクシメにはなんとも冴えない毎日です。

それが今朝、福島の友から届いた絵手紙に、ハッとし、元気を頂いた気分になりました。 見出し画像がそれです。

「明日を信じて 一日一日を大切に」

そういえば、このところ明日のことを考えもせず、精神的にその日暮らしをしていたような気がします・・・ 介護している私を気遣って、いつもさりげなくエールの絵手紙を送り続けてくれる友の言葉は、いつも温かく背中を押してくれて、メゲル気持もシャンとなります・・・

で、小雨が降っていましたが、先ほど隣町の親水公園へスイレンの開花状況を見に行って来ました。 この公園はシルバーボランティアの方々が中心になって手入れをして下さっていますが、昨年あたりから、コロナの影響か、手入れが行き届かなくなっているようで、スイレンの数が少なくなり、水面が広がって来ているような印象を受けました。 それでも、嬉しいことにスイレンの花はボチボチ咲き始めていました。 

 

この睡蓮の池をモチーフに日本画を描いたことがあります。

岩絵の具と、水干絵の具で染めた薄美濃紙とのコラボ作品です。

(絵の具で描くだけでなく、葉は多色染色した薄美濃紙の好きな色合いの所を選んで葉の形に切りとり、画面に貼って、制作しました)

 

この親水公園は、あと一月もすると、古代ハスが見事に咲いて、人々が朝から見物に訪れ、賑わいます。

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食べ物スケッチ(6)イチゴ大福

2021-05-21 | 絵  ⑤絵手紙

イチゴ大福はいつごろから

作られるようになったのでしょうか

私が子供の頃には

こんなに楽しさ溢れる

大福はなかった気がします

気になって調べたら

なんと

1987年(昭和の後期)頃から登場したらしいのです

中味が餡ではない大福は

イチゴ大福の前には

栗大福だけでした

それが、今は中身が本当に

バラエティー豊かになり

ブドウ・オレンジ・桃・メロン・ブルーベリー に

杏や柿やトマトまで・・・

 

こんな、愉快な大福も人気なのだそうです

これらは妖怪シリーズと言われているらしい・・・(^_-)

 

大福がいつごろから作られたのか・・・調べてみたらなんと、元禄年間(1688-1704)とも、明和年間(1764-1772)とも言われています。 当時は中身は塩餡で、大福が甘くなったのは18世紀末なのだそうな・・・ 

現在は餅と餡は大体同量くらいの割合で作られますが、昔は餅の皮は薄く、餡を多くした形状から、「腹太餅(はらぶともち)」とか「大腹餅(だいふくもち)」などと言われていたそうです。

現在の「大福餅」という名は、大福長者のように白く、福々しい姿が庶民に愛されたところから、そう呼ばれるようになったのだとか。 

             

先日、町の老舗和菓子屋さんで、今日のお勧めは?と聞いたら、『どれもお勧めだけど、強いて言えばイチゴ大福かな・・・』と言われて、買ってきました~~ 絵手紙に描いてから、頂くと🍓の酸味と甘みが程よくて、とても美味しかったのです・・・ それで、あらためて大福餅についてちょっと調べてみたら、意外に面白くて、簡単にご紹介してみました~~

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