曲がり角の向こうに・・・

毎日の暮らしの中でフと心に留まった人やもの、そして風景を描きとめています。 

負けないぞ

2021-01-31 | 絵  ⑤絵手紙

福島の友人から、段ボールに描いた絵手紙が届きました。 私の絵のスタートとなった絵手紙の友人です。 

彼女とは、日本絵手紙協会主催の国際友好活動の一環として行われた、中国蘇州の小学校での絵手紙授業の中で、子供たちに絵手紙を直接教えると言う活動に参加した時に知り合いました。 当時蘇州の公立小学校では絵手紙を正規授業に取り入れていました。 現在はどうなっているのでしょう・・・?

授業で指導をするベテラン絵手紙講師はきちんと決まっていて、あとは指導助手の形で広く募集していたので、観光気分でお気軽に参加したのでした~~ 3日間の授業の内、1回だけ教室内の生徒たちの間を見て回りながら、チョッと描き方などを教え(子供達がとても可愛かったことを覚えています・・・)、後は蘇州の観光。 

食事は朝から中華のフルコース!! 最初のうちはみんな大喜びで、食べていたのですが、2日目ごろからテーブルに並べられた数々のお皿をみるだけでウンザリ顔 私はと言えば最初の夜あたりから、お腹の具合がおかしくなり、トイレと洗面所の間を行ったり来たり・・・ で、特別にお粥を作ってもらって、凌ぎました~~

後で掛かり付け医に話をしたら、腸内細菌が違うので、それ用の薬を持参したほうが良いとのアドバイス。 道理で、正露丸が効かなかったわけです~~ それ以降、その薬は中国と東南アジアへの旅のお供として欠かせないものになりました。

蘇州の街は美しく、精巧な刺繍に感嘆しましたが、淡水真珠の公営の売り場で買った、大粒イアリングが後で全くの偽物と分かりガックリ!! 実は、日本に帰って、いい気分でそのイアリングを愛用しているうちに、金具が緩んできたため、修理に出し、取りに行ったところ、店主が微妙な顔をしてこう言ったのです。 『奥さん、これは淡水パールではなくてセルロイドですよ』!! まさに、開いた口が塞がらないとはこのことです

そんな、複雑な思い出がいっぱい詰まった旅を共にした福島の友は、以来私が絵手紙からペンスケッチ、そして日本画へと移り変わる中、ずっと応援し続けてくれています。 毎年掲載する傑作年賀状の常連さんでもあります。 介護の大先輩でもある彼女は、黙々と絵手紙でエールを送り続けてくれています・・・ 

その彼女も、『今年の冬は、これまでにない寒さを体験しました』と書いてきて、今度の絵手紙は例年より一味寂しく感じられます。 で、景気づけに昨年の今頃届いた彼女の絵手紙も一緒にご覧ください(^-^)

 

 

 

 

最後に、彼女の今年の言葉

「負けないぞ まけてたまるか 明日を信じて」

 

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向田邦子さん、再び

2021-01-29 | あれこれ
 
気になる・・・本「触れもせで」
昨年の秋も深まった頃、NHKBSの「プレミアムカフェ」で放映されていた「没後20年 向田邦子が秘めたもの」(初回2001年)の番組を、見るとはなしに見ていました。 向田邦子が飛行機......
 

最近、向田邦子さんの妹さんの和子さんが、TV出演されていらっしゃいました。 台所で洗い物をしながらチラチラ見ていたのですが、和子さんは1月14日から24日まで東京・南青山の「スパイラル」で開催された、向田邦子没後40年記念イベント「いま、風が吹いている」の監修を務めた関係でのTV出演だったようです。

単なる回顧展ではなく、現代のクリエイター・表現者とのコラボレーションを重視し、向田邦子が残したものを未来につなげたいとの思いから計画したそうです。 

そんな話の中で、向田邦子さんの誰にも知られない秘めたる恋のラブレターの束を、遺品整理の中で見つけ、悩んだ末に世間に公開するに至った話もされていました。

1年前の記事では、脚本家と演出家としての20年にわたる付き合いの中で、向田邦子の人となりを切なくも懐かしく思い出して書いている、久世光彦氏の本「触れもせで」の感想を書きました。

没後40年の今年、今なお人々の心に響き続ける向田作品の魅力が、「いま、風が吹いている」のイベントに花開いた事実に驚きますが、久世さんの著書からも向田邦子さんの魅力の一端が知れてとても興味深いのです。

和子さんは、姉の邦子さんから言われた言葉を大切にしているそうです。 それは・・・「いくつになってもスタートラインにたてるよ。」 良い言葉ですね。

 

                    

夫の褥瘡は、入院しなくてもよいとの診断が出て、ひとまず安心いたしました。 皆さまには又もご心配いただき誠に有難うございました。

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やさしさに包まれて

2021-01-27 | 良い加減介護

思いもよらない贈り物が届きました。 大好きなカラーの花!! 細長い段ボールの中には、5本づつきちんとまとめられて、3束も入っていました。 くるりと巻いた純白の仏炎苞の真ん中に黄色い花穂が覗いている、清楚で上品な感じが好きです。

去年友人が、自分へのプレゼントにカラーの花を買った、と聞いて、素敵だな~~と思ったことをきっかけに、「カラーの花と母子」の作品を描きました。

 

 

そんないきさつを覚えていてくれた友が、茨城県独自の緊急事態宣言の発令と同時に、夫の施設も面会謝絶になって、落ち込んでいた私に、贈ってくれたカラーの花でした。 わざわざ、君津の生産者さんに頼んで送ってくれたそうです。 思いがけないこのサプライズプレゼントに、戸惑いながら、嬉しい気持ちで一杯です。 

夫はなかなか治らない、褥瘡を形成外科のある病院に入院して治療を受けることになりました。 色々な思いはありますが、施設の指示に従い、今日は、これから朝一で施設に出向き、施設の担当者と共に病院へ夫を送り届け、担当医師からの説明を受けてきます。

カラーの花に元気をいただいて、前向きな気持ちで行ってきます。

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中欧の旅(3)最終回

2021-01-25 | 絵  ②スケッチ

モルダウ川の前の広場から見た、カレル橋と旧市街(プラハ)

 

頂きに消え残る雪が見えるアルプスの山々に見送られて、ザルツブルグを後にした私たちのバスは、国境を越えてチェコへ入りました。 

プラハに入る前に、世界遺産に指定された、チェコで最も美しい街と言われる、チェスキークロムロフに寄りました。 ルネッサンス時代の面影を色濃く残す町並みが魅力と言われています。

 

操り人形のお店が目に付きました。 

 

おとぎ話に出てくるような可愛い塔

チェコのお土産さんでよく目にした、操り人形ですが、調べてみると、操り人形は、チェコの人々の民族としての誇りとアイデンティティーを守る砦であったことが分かってきました。 

チェコは周囲の大国に幾度となく支配されてきた歴史があり、30年戦争(1618年~1648年の大昔の戦争の話です!!ビックリですね!!!)の敗戦により、都市部ではチェコ語の使用が禁止され、ドイツ語が強いられたそうです。 唯一人形劇ではチェコ語の使用が許可されていたことから、チェコの人々は劇場を通して自国の言葉を守り、アイデンティティーを守ってきたという歴史があるそうです。

 

帰国前日の午前中は、市内観光(聖ビトー教会、王宮、プラハ城、カレル橋など)で、その後は夕方まで自由時間でした。 夜は聖フランシス教会でコンサートの予定がありました。

 

この旧市庁舎のシンボルは、2つの時計が付いている時計塔です。 自由時間に、この時計塔を中心にスケッチしました。 実は今回の旅で一番気に入ったスケッチだったのですが、原画は欲しいと言った友人の手許にあり、いつもは必ず作品をコピーし、ポストカードにしていたはずが・・・見つかりませんでした・・・絵の中に珍しく自分の姿もさりげなく入れて描いたのに・・・お目にかけることが出来ずに本当に残念です。

 

 

 

市内散策中に立ち寄った、カフェ・スラビア。 ウイーンのカフェを楽しんだ後でしたので、何だか淋しい感じがしました

 

旧市庁舎前でスケッチした後は、夫の希望で、スメタナ博物館とドボルザーク博物館を見学しました。 スメタナは「わが祖国」・「六つの交響詩」などで知られ、お馴染みの「モルダウ川」は六つの交響詩の中の第2曲です。 ドボルザークは「新世界」が有名ですが、きちんと聞いたことはありません・・・

 

      モルダウ川に架かるカレル橋と百塔の街プラハ  美しい街でした

                            

 

カレル橋は今から約620年程前の、神聖ローマ皇帝カール4世の時代に作られた、全長515、8m、幅9、5mの重厚な石橋で、15のアーチが美しく、いつまでも見ていたいと思いました。 橋の上では楽器を持ったグループが楽しい曲を演奏したり、自作の絵を並べて売っていたり、長閑な時間が流れていました。

 

各自で夕食を済ませた後、聖フランシス教会でコンサート

聞きながら、スケッチしてしまいました(^_-)

 

2006年5月16日から26日までの11日間の中欧の旅があっという間に終わりました。 ハプニングあり、期待外れあり、ドタバタ劇あり、退屈する暇がないほどバラエティーに富んだ旅でした~~

今こうして旅を振り返ってみて、先ず心に浮かんだことは、夫が元気な時に、クラシック好きな夫の夢の旅を一緒にできて良かった!!と言うことでした。 やりたいことは、できるうちに。 その今が大事!なのだ・・・と思ったりしています。

 

3回に分けて、夫とともに参加した中欧の旅をお届けいたしましたが、長々とお付き合い頂き有難うございました。 

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中欧の旅(2)

2021-01-23 | 絵  ②スケッチ

旅は成田からスイスのチューリッヒ乗り換えハンガリーのブダペストから始まりました。 ブダペスト到着後翌日は、世界遺産の街ブダペスト観光(英雄広場・マーチャーシュ教会・漁夫の砦など)  午後は自由行動でしたので、街を散策しました。カロチャ刺繍のお店で買い物(1月19日に紹介済み)もしました。

 夜はオプショナルツアーでドナウ川ナイトクルーズに参加。

川辺の主な建物などはライトアップされていましたが、少し寂しい感じがしました。

 

3日目は、午前中、世界遺産のバンノンハルマ修道院観光の後、午後、専用バスでウイーンへ  

翌日からウイーンに2泊。 ウィーンの初日は終日、ウイーン観光でシェーンブルン宮殿・ベルベデーレ宮殿・シュテファン寺院・中央墓地などを見て回りました。      

次の日は終日自由行動でした。 見出し画像はウイーンのシンボルとも言われているシュテファン大聖堂前の名物クラッシックコンサートのチケット販売員さんです。 モーツアルト風装束に身を包んだ姿が目を引きます。 

シュテファン大聖堂 屋根の独特な模様に驚きました。 ここでモーツアルトが結婚式を挙げ、葬儀もここで執り行われたそうです。 長年ヨーロッパに君臨したハプスブルク家の歴代の墓所でもあります。

 

ベルベデーレ宮殿  この南側の上宮にオーストリア・ギャラリーがあり、クリムトやエゴンシーレなどの作品を鑑賞しました。

 

ニューイヤーコンサートでお馴染みの楽友協会。 ウイーンでの自由行動の日にここで、モーツアルト楽団のコンサートを楽しみました。 チケットは日本で予約しておきました。 ここでコンサートを聞いたのは、ツアーの仲間で私達夫婦だけで、皆さんに羨ましがられました~~

この一日自由時間はとても楽しく過ごせて、ホッとできる時間でした。

 

翌日は、オーストリアの湖水地帯のザルツカン・マーグトを経て、ザルツブルグへ。 湖水地帯は美しかったのですが雨に降られて残念でした。

私にとっては「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台としての認識しかなかったザルツブルグでしたが、ここも空気が澄んだ素敵な町でした。

地元のガイドさん(日本人)の案内で徒歩で、ミラベル宮殿、ザルツァッハ橋を渡り、旧市街へ。 モーツァルトの生家、ゲトライデ通り、祝祭劇場、大聖堂などを見て解散、自由時間。

先ずはもう一度モーツアルトの生家へ。 黄色い建物の4階です。

 

後は、こじんまりした旧市街をぶらぶらウインドショッピング。 カフェで久しぶりのスケッチをしました。

 

散歩で疲れて立ち寄った、川辺のカフェ・ザッハ

ここで、ウイーンでは食べることが出来なかった、ザッハートルテを見つけました~~ ザルツブルグでお目に掛かれたことに感謝しながら頂きました。 さすが、オーストリアを代表する古典的チョコレート菓子だけあって、濃厚な味でした~~

 

前日の夜は、ミラベル宮殿で待望のコンサートがありました。 旅行のパンフレットには、「夜のコンサートに相応しい服装で参加して欲しい」とあり、戸惑いました。 男性はジャケットにネクタイで済むでしょうが、女性は・・・? 考えましたが・・・派手目なショールに、長目のスカートで・・・これなら旅行中にも使えるし、余分な荷物にもならない・・・と。 それで、バッチリ正解でした~~

なかには、ここぞとばかり素晴らしいドレスを用意された方が何人かいらして、コンサート後の彼女たちの怒りは大変でした。 先ず演奏が聞けたものではないレベルだった!!(これは、こと音楽に関しては門前の小僧並みレベルのワタクシメにも・・ちょっと・・・と思えました・・・)

しかも、引率のツアコンさん(女性)の服装はというと、いつもの仕事着のジーンズに、よれよれジャンパー  『一体どういうこと中には、それが原因で盛大な夫婦喧嘩になり(みなさん、困ったおばさんの影響か、怒りっぽくなっていた・・・??) 突然、『だから、言ったじゃないか。 いくら宮殿でのコンサートと言ったって、旅行者相手なんだから、たいしたことはない。 旅行代が高い上に、いらぬ衣装なんか買うんじゃないって』と、ご主人の大声。 (奥さんがいつまでもグズグズ言っていたのでしょうか・・・?)

悪いけれど・・・なんだか、寅さん映画を見ているようでした~~ 

長々とお付き合い頂いて、有難うございます。 次は、チェコのプラハで終わりです。

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