曲がり角の向こうに・・・

毎日の暮らしの中でフと心に留まった人やもの、そして風景を描きとめています。 

まり子さん・・・お疲れさまでした~~

2020-03-31 | あれこれ

肢体不自由児の養護施設「ねむの木学園」を設立し(1968年)、以来52年に亘る間、障害者が希望をもって生きることが出来るように、「今ある自分のすべてを子供たちのために使いたい」と、自身のすべてを燃焼し尽くした宮城まりこさんが、今月21日に亡くなりました。 93年の文字通り愛に貫かれた生涯でした。

 

子供たちは絵を描くことで、心の奥深く秘めていた自分の感情を表す術を獲得し、日本だけでなく世界の人々の心を打つ、個性豊かでのびのびとした作品を生み出していったのでした~~ 

      

          

      

学園の子供たちは、まり子さんを「お母さん」と呼んでいます。 そしてこのとしみつ君もお母さんの温かい指導の下、立派な画家として活躍しています。

 

まり子さんは、子供たちが自立して生きて行かれれるように、絵をはじめ、様々な芸術教育を取り入れ、洗練した作品として販売できるまで手を差し伸べ、育てました。 そして、広く一般の人々が集える場を設け、喫茶店をはじめガラス屋さん、雑貨屋さん、毛糸屋さんなどのお店を開き、学園で学ぶ子供たちの作品を、子供たち(成人もいる)が販売し、経済的自立も目指す、という画期的な総合福祉施設を創り出しました。

一方で、映画「虹をかける子どもたち」の製作、監督をし、手描き友禅の指導、コーラスグループの結成などなど・・・女優と歌手でもありました。 そんな活動が評価され、1973年には、「吉川英治文化賞」受賞を始め、1980年女性の地位向上に対して「アデライデ・リストリ賞」受賞、1992年、広島大学「ペスタロッチ教育賞」受賞、1993年「東京都文化賞」受賞等々・・・ まり子さんを称える言葉ををいくら並べても、称えきれません・・・

日本で初めて、成人に達しても必要があればとどまれる「肢体不自由児療護施設」という制度を生み出す原動力となったのもまり子さんでした。 そんな偉大な彼女を支えていたものは何だったのでしょう・・・ 「私の履歴書」の中で、彼女は言っています。

私は淳ちゃんを一番愛している。

そして、もう一つの一番愛しているのは

ねむの木の子供

淳ちゃん・・・吉行淳之介さんの存在があったのだと思います。 吉行淳之介さんと30代に雑誌の鼎談で初めて会い、恋に落ち、既に家庭を持っていた彼との恋は結婚という形ではなく、良きパートナーとして生涯支えあうというものでした。 吉行さんとの離婚を拒否し続けた奥さんの辛さと、まり子さんと吉行さんの苦しみ・・・哀しいです・・・

ねむの木学園を設立する時、まり子さんは吉行さんと次の「3つの約束」をしたそうです。 「愚痴を言わない」「お金がないと言わない」「やめない」 

まり子さんはその約束をきっちり守り、学園を豊かに大きく育て上げました。 今頃は満面にあの大きなえくぼを浮かべて、吉行さんの腕の中で憩っていることでしょう。

1994年に吉行淳之介にさんが亡くなる1カ月前にまり子さんはねむの木学園に休暇を申し出て、吉行さんの入院先の聖路加病院に泊まり、日野原重明医師をはじめ何人かの医師と共に吉行さんを看取ったということです。 吉行淳之介さんの遺言は「全作品の著作権はまり子に」というものだったとか。 1999年、ねむの木学園の一角に「吉行淳之介文学館」、「ねむの木美術館」が作られました。

 

最後に・・・まり子さんの言葉:「福祉は文化。 文化国家の日本であることを願っています。」                

                  

ありがとう、まり子さん!!

         まり子さんのご冥福を心からお祈りいたします。 合掌

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画像は3月28日NHKBS1で放映された「宮城まり子さんをしのんで ねむの木学園」より

 

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春野菜が出てきました~~

2020-03-28 | 絵  ③アレコレ

何とも冴えないこの頃、テレビを見る度に、コロナ感染者の増加のニュース。 そして・・・不要不急の外出は避けて・・・の呼びかけ(-_-;)

空は曇り、夜には大雪になるとの予報 参ったなぁ💦 では今のうちに、新鮮野菜でも・・・と例の農家さん達が直接お店に農作物を持ち込むお店へ行くと、今日も『あら~~、丁度いいとこ、初物タケノコが今入ったところよ!!』 オ~~!タケノコ!! それは買わねばならぬ ということで、籠に入れました。

しかし・・・いかに初物とはいえ、裏山の竹林に勝手に生えてくるタケノコ(中)が1本700円は少々高くはない?・・・と言うと、農家のおばあちゃん『掘るのが大変なのよ!』と(^_-)-☆ 確かに、スーパーではもっと高値をつけて店頭に並べるかも・・・チョッとからかって言って見ただけ(´∀`*)ウフフ。 こんな憎まれ口をきいたって、ストレス解消には全然ならず・・・アホか

 

 

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桜咲く中を・・・

2020-03-26 | 暮らし

麗らかな春の陽射しに誘われて、桜に会おうと久しぶりに近くの野に出掛けてきました~~ スッキリと晴れ上がった青空の元、ほぼ満開に近い桜の花に大歓迎されたような気分になって、田舎道の散歩を楽しむことができました。 遥かに筑波山の姿も見えます(^^♪

 

 

コロナ鬱気味だった気分も晴れて、桜の下をのんびり歩いていると・・・草むらの中から土筆がツンツンと頭を出しているのが目に入って来ました。 子供の頃から彼らの姿を見ると、なぜか摘まずにいられなくなるのです。 今日も心弾ませながら夢中で摘みました~~ 

 

毎年この時期には、一度は食卓に載せて早春の味を楽しみます。 今日は時間もたっぷりあって、しっかりとした土筆を選ぶことができ大満足。 はかまを取るのが少々面倒ですが、軽く湯がいて、油で炒めて甘辛味で頂くと、ちょっとした箸休めになり、春を頂いた気分になりました~~ 

こんな当たり前の日常がずっと続きますように・・・

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お花見しましょ(^^♪(2)

2020-03-24 | 絵  ①日本画

先ずは、蘇った筑波山と桜   F25   (803x652mm)

ゆったりとした山容の筑波山は、家を出ると広々とした田圃の遥か向こうにいつも見えていて、その姿を見ると何故か守られているような気がしてホッとします。 そんな筑波山に桜を合わせて描いてみました。 れは、ムサビで卒業前年に卒業制作作品を意識した作品課題のために描いた作品の中の1点です。 テーマは桜と決めて、一応及第点を取れた作品でしたので、卒業後のグループ展に出展いたしました。 ところが・・・毎年開催されるグループ展に、昨年も出展した際に、梱包を解いて見たこの作品の余りの寂しさに驚き、手を加えて再生させた作品です。 その間の事情は下記の記事を参照して下さい。 

https://blog.goo.ne.jp/herbtea18/preview20?eid=331feba86959a16110c852b188ad2402&t=1584975665308

再出発後の第1号作品がブログ記事「明日に向かって」の「母子とカラーの花」です。

 

次は、野中の一本桜。 何十年もの間ひっそりと咲き続けている姿を描いてみました。 笠間に行く途中、道に迷って走っていた時に見かけた桜です。地区の人々が建てた石碑に温もりを感じます。

F30(910x727mm)

 

そして、夜桜見物はいかがでしょう・・・

F25(652x803mm)

 

花は蕾・・・と秘かに思っています。

F4(333x242mm)

 

花筏・・・卒業制作作品、F100(1620x1303mm)2点のうちの1点です。 

今回のお花見はいかがでしたか。 お楽しみ頂けたでしょうか。 ぺンスケッチは楽しいのですが、同時に、1000年以上もの歴史ある日本画の奥深さにも惹かれています。 

 

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お花見しましょ(^^♪

2020-03-22 | 絵  ②スケッチ

桜便りが次々と届き始めました~~ 上野の山も🌸🌸🌸のようですが、コロナの影響でさみしそう・・・で、ブログ上でお花見をお楽しみ下さ~~いヽ(^。^)ノ

見出し画像は、近くのお花見スポットへ家族そろって、お花見弁当をもって、お花見の図です。

 

続いては、我が家から歩いて行ける小貝川土手のお花見スポット。 家族連れや若者達が、気軽にバーベキューを楽しんだりしています。

 

そしてつぎは、新宿御苑へお花見スケッチした時の桜。 新宿御苑はスケッチポイントが沢山あるのと、画材が揃っている世界堂が近くにあるので、良く出かけました~~

 

最後は皇居の桜です。 手入れがよく行き届いたお庭でした。

 

以上、ペンスケッチ教室時代のお花見の絵ですが、次回はムサビに入学してから描いた日本画での桜です。

 

 

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