美術展とブログの引っ越しであたふた状態が一段落したところで
久しぶりにgooブログに里帰り?の気分で記事を書いています。
実家に帰ってきたようなホッと安堵の気持ちです(^-^)
















お花見の下見に飛鳥山に行った時に
公園内の「紙の博物館」で企画展が開催されていました
金唐紙という中世ヨーロッパでつくられた装飾皮を
明治初期に和紙で模造したのが金唐革紙だそうです
壁紙としてヨーロッパに盛んに輸出され
国内でも明治期から昭和初期にかけて
近代建築を彩りましたが
残念なことに昭和中期にその製法が途絶えてしまったそうです
上田尚氏はいったん途絶えた技術を蘇らせ
「金唐紙」として新たに生み出されたそうです
昨年上田氏が90歳を迎え さらに
上田氏が「金唐紙研究所」を設立して40年になることを記念して
上田氏の代表作を展示する企画展です
華やかな金唐紙の一部をご覧ください
写真では凹凸のある豪華な模様がよく分からないのが残念です・・・
上田氏は重要文化財「旧日本郵船小樽支店」の修復事業をきっかけとして
金唐紙の研究を重ね その復元に尽力されたそうです
旧岩崎邸庭園など各地の重要文化財建造物に使用された
壁紙の修復・復元に携わる一方
国内外で作品展を開催し 金唐紙の普及に携わっておられるそうです
一般庶民の家に使用されることは少ないのかもしれませんが
和紙のもつ新たな魅力をまた一つ知った思いです
今日は約2カ月ぶりに内科医院へ行きました
年に一度の健康診断の結果で血圧と血糖値が引っかかってしまい
ホームの専任ドクターの健康相談を1月に受け
血圧は朝晩3回づつ自宅で計るよう指示を受けました
血糖値は北里病院の糖尿病センターの先生の著書によって
食事療法をしますから・・・と申し出て
その結果を3月頃血液検査してみて頂く約束でした
『食事療法で体重は減りましたか』とドクター
「はい、1.5キロ位は減りました」
『ほお~~そうですか』
血圧測定の結果を見たドクターは
『日によってばらつきが目立つので今度血圧計を持ってきてください
きちんと測れているか そしてこちらの血圧計と測り比べてみましょう』と
明日には血液検査の結果もでているそうですので
また明日歩いて6,7分の医院へ行く予定です
今週の初めには眼科に行って白内障手術の経過観察で
順調に回復しているので朝晩2種類の目薬の使用は
止めていいと言われてホッとしています
今朝内科医院へ行く途中に出合った春
街路樹の辛夷の花が満開でした
前回予告していた
オール青山美術展のお知らせです
在館表の赤印は私が在館している日です
コロナで開催中止となっていた美術展ですが
昨年4年振りに開催の運びとなりました
有難いことに友人や知人 教え子 そしてホームのスタッフの方々が
会場に足を運んで下さり再会を喜び合いました
拙い絵ですがご覧頂けると嬉しいです
今回は既に皆さんにご紹介した「大銀杏」を出品予定です
28日と3日は受付当番ですが
30日はフリーです(^-^)
来年は新作を出展するつもりでおります(マジか??(^_-))
お陰さまで画像の取り込みもサイズ変更も
出来るようになりホッとしております!(^^)!
皆さまにはご心配をお掛けいたしました🙇
昨日は暖かい日差しに誘われて青梅の吉野梅郷へ行き
スマホがらみのストレスを飛ばしてきました(^_^)v
青梅線の日向和田駅からスタートして
先ずはブロ友のgabaosanおすすめの
「へそまんじゅう」を買いました
お彼岸ですので仏壇に供えます
梅の公園に行く途中にJAのお店があったので覗いて見たら
採りたてのフキノトウが並んでいました
天ぷらにと思って買ったのですが昨日は疲れたので
フキ味噌にしました
香りと苦みの春の味を当分楽しめそうです
梅郷の様子は写真の整理が終わり次第ブログに載せようと思います
ところで高安が昨日も勝ちましたね(^_^)v
今日は大の里との対戦です
どちらも応援していますが今回は高安に勝って欲しいものです🙏
「田中一村展」は十数年前
栃木に住むペンスケッチ仲間に誘われて
蔵の町として名高い栃木市にスケッチに行った時に
たまたま開催中の「田中一村展」の前を通りかかり
折角だからと二人で入場したのが最初の田中一村との出合いでした
生命力に溢れた木々や花や鳥と自然が緻密な描写で
しかも大胆なデフォルメもされていて圧倒されたことを思い出します
今回は大回顧展としてNHKの日曜美術館でも取り上げられていて
ずっと見たいと思っていました
何重もの人垣の後ろから見るのも息詰まるし・・・
会期の終わり近くになれば少しは空くかもしれないと思っていましたので
今回お墓参りで都心に出た折に娘と一緒に見ることにしました
会場にはやはり多くの人がいましたが動きがとれない程ではなく
前列で見ることもできるくらいの余裕はありました
1908年(明治41年)栃木県で生まれた一村は
東京で育ち少年時代から彫刻家の父稲邨から絵の指導を受け
神童と呼ばれるほどの才能を発揮し「米邨」の雅号で
学校に行きながら多くの絵を描いていたようです
8歳の時の絵です
17歳で東京美術学校(現東京藝術大学)日本画科に入学しましたが
2カ月で退学 同期に東山魁夷 橋本明治 加藤栄三ら
後の日本画壇の錚々たる重鎮がいたそうです
退学と相前後して父と二人の弟を亡くし 母も亡くなり
祖母 姉 妹を抱えて30歳の時に千葉に移り住み
農業で自給自足の生活をしつつ一匹狼として絵を描き続ける中
30歳の時「白い花」で川端龍子に認められて青龍展に入選しました
「白い花」
ところが翌年出品した「秋晴」は評価されず 川端龍子とも決別して
昭和33年(1958年)50歳の時に全てを整理して奄美に移住しました
絹織物の工場で染色工として働いてお金を貯め
生活を切り詰め すべてを投げうち
ただ一筋に絵の制作に打ち込んだ・・・
どんな困難があっても最後までやり抜くと固く決心し
生命力溢れる奄美の自然を描きながら
そこから感じられる目には見えない世界までも写し取る
チャレンジをし続けて
1977年(昭和52年)69歳で
壮絶な人生を閉じました
長々と田中一村の人生をご紹介したのは
数々の困難に襲われながら めげずに自分の求める絵を追求した
真剣な姿勢と強固な意志にあらためて感動したからです
どの絵も素晴らしかったのですが
私が惹かれた絵の一部をご覧ください
「秋色」 昭和10年代
「野の馬」 昭和20年代
私にとってとても参考になった絵です
「秋色虎鶫」 1950年代
「ずしの花」 昭和30年
九州への旅にて 阿蘇
1958年に己の道を求めて奄美へ移住
「ポインセチアとツマベニチョウ」
「海の幸」
「初夏の海に赤翡翠」
「草花に蝶と蛾」
納得できる作品が描けた時に
「これは一枚100万円でも売れません
これは私の命を削った絵で閻魔大王えの土産品なのでございますから」
と手紙に書いたそうです
そして
「わが人生の最後まで絵を描き続けられることになりました。
感謝はとても言葉ではつくされません。 ありがとうございました」とも・・・
(最初と最後の画像以外はすべて図録から引用いたしました)
「田中一村展」は12月Ⅰ日まで開催しています
一人でも多くの方に一村の「魂の絵画」をご覧いただけますように🙏
昨日 一昨日の涼しさにホッとしたのも束の間
今日は再び暑さがぶり返してきました💦
涼しかった一昨日グリーンスプリングスの一角にある
たましん美術館で公開中の広重の「名所江戸百景」を見てきました
作品は百景すべてではなく約半数でしたが
充分楽しめました
日本の自然の情感を叙情的に表現したとされる広重作品は
北斎のややあくの強い表現と対照的ですが
構図の自由さや表現の大胆さは浮世絵全体に共通していて
浮世絵を見て衝撃を受けたヨーロッパの印象派やポスト印象派の画家たちが
自らの作品に取り入れていったという歴史は良く知られています
今回私もやはり広重作品の中の
大胆な構図にあらためて目を惹かれました
「深川木場」
「浅草金竜山」
「水道橋駿河台」
「深川萬年橋」
「高輪うしまち」
「深川須崎十万坪」
「真崎辺より水神の森内川関屋の里を見る図」
大胆な構図の作品を載せましたが
広重作品というと私のお気に入りはこの作品です
「大はしあたけの夕立」
ジャポニズムとしてヨーロッパの画家たちに影響を与えた浮世絵が
どんな風に作品の中に取り入れられたのか・・・
ネットで見つけた何枚かをご紹介します
マネの睡蓮
ゴッホの「タンギー爺さん」
背景に浮世絵が描かれています
ゴッホの「亀戸梅屋敷」の模写
セザンヌの風景画
久し振りに浮世絵の世界に遊んだひと時でしたヽ(^o^)丿