Kanaheiのデンマーク生活

糖尿病の勉強をしたくてきたデンマークでの紆余曲折な生活を日記として残しています。

オススメヘアカタログ

2006年08月31日 | おもしろい人・おもしろいもの
 9月21日のパリ旅行をひかえ、旅行の第一目的である「腕のいい(=デンマークにはいないという噂)美容師にカットしてもらう」ため、ネットであれこれ髪型を検索しました。というのも、まずフランス語ができないし、むこうも英語が出来ない場合のことを考えて(さすがに私レベルの英語も理解できない人というのはいないだろうけど)、「写真をみせてイメージを伝える」方が一番確実かと思って。

 で、ネットでいろいろ調べてみたのですが、まあ変身願望にも色んなジャンルがあるんだなあ、と。

アート系

コンサバ?系

ケイトブッシュ系

失敗なの?その顔、系

モデル年齢不詳系

どこをどう参考にすれば…系

ヤンママ系

そんなこと言われてもわかんないよ系

 結局こんなのばかりに夢中になって、まだイメージが決まってません…。とりあえずデンマークの乾燥&夏の強烈紫外線のせいか、髪がとても痛んでいるのでこの際ショートにでもしようかと。もうとにかく今の状態がひどすぎるので、今にも自分でハサミを入れてしまいそうです。美容院行きが待ち遠しい!

だから、ここにいる

2006年08月29日 | デンナースへの道
 ちょっと独り言なのですが、そうか、だから私は糖尿病の勉強をしたいんだ、ということをふと、夕飯の買い物へ行く時、自転車をこぎつつ思い出した、というか言葉になったので、忘れないように載せておこうと思います。

 「出来ない」「してはいけない」「しなくてはいけない」を糖尿病の患者さんに、特に子供には出来る限り言いたくない。そういう言葉のかわりに「でもこんなことができる」「これなら大丈夫」「そのかわりこうしてみよう」という、可能性を「出来ない」の分、伝えていってあげられたら。きちんと理論、裏付けの元に「大丈夫、できるよ」と言ってあげられたら。出来ないことよりも、可能性の方が多いと患者さんが気付くことが出来たら、いいなあ、と思うのです。
 そして同じような事を、他のたくさんの看護師、介護をする人、家族、社会および地域の人とかも、糖尿病の人に言うことができたら、いいなあ、と思うのです。

以上。私の夢が叶うのは一体いつになるんだろう…。

ワナビー

2006年08月29日 | デンナースへの道
 今日看護学校で、昨日紹介した「デン看護学校の新しい教育カリキュラム」について話し合いました。

 相変わらず例のボスニア人は「哲学は素晴らしい!絶対に看護には必要だ!看護師だけでなく看護助手や介護ヘルパー、すべての福祉医療に携わる人に哲学を勉強させるべきだ!」と吠えていましたが、まあそれはいいとして、なぜ看護学校で学士を取得できるようにしたいか、という話のときの先生の言葉がちょっと印象的でした。

 「Wannabeアカデミカー」
 新聞記事の一文を引用したものですが、英語のI wanna be~のワナビー。とにかく患者のためにというよりは、看護師の地位向上を目指したワナビー。なるほどね、確かに看護師として働く限りずっと勉強し続けなきゃならないし(きっと世間様が思っているよりも看護師って勉強してるんすよ)、責任は重いし、なのに望んでいるような待遇、世間さまの目はないしで、自分も含めて特に大卒ではない看護師はこの辺ちょっとコンプレックスだったりもするし…。そして、もう一つの背景には、
「”ああ、そう、女なら必然的にそういうこと出来るよね”と思われている」
やはり圧倒的に女性の多い職場だし、女=気配り、誰かの世話が”オートマティック”に出来て当たり前という社会、もしくは男性意識への反発があるようで。冗談じゃーないわよ、だったら彼らを納得させられるような学歴を!と。
「でも結局、女の職場だから地位も上がらないのよ。男がもっと入ってくれば、そりゃもっと地位もお給料もよくなるわよ。典型的だわ」
と最後に吐き捨てるように言ってましたが…(さすがにそこまで単純ではないだろうけど)。主婦業も保母さんもそうですが、女=できて当たり前、な風潮がデンマークにもあるんだ(当然と言えば当然なんだけど、デンマークは平等社会というイメージが強かったので)と、ちょっとびっくりです。


 今後も引き続きこのテーマでの話し合いが続きそうで、私も意見をまとめなければ。(じゃないとボスニア人のワンマンショーになってしまう…)

理論派か実践派か。

2006年08月28日 | デンナースへの道
 最近、デンマークの看護学校の学習内容についてがちょっと話題になっています。先日掲載された新聞社Politikenの風刺画でも、哲学者キルケゴールの格好をしたナースが小難しいことを言いつつ介助用便器を持ち、患者のベッドサイドに立っている、というもので、要は看護師の地位学歴向上のために新しく施策された学習カリキュラムについて皮肉ったものでした。

 そもそも1990年代頃からこのカリキュラム見直しが興り始めたそうなのですが、3年制看護学校の科目にもっと哲学、人類学、社会学、倫理などなどアカデミックな内容を盛り込んで、卒業と同時に学士も与えようというもの。徐々にデンマーク各地の看護学校でその動きが始まりつつあるのですが、最近になってそういった教育を受けてきた看護学生がナースになって病院勤務を始めても「哲学書を読解できても包帯一つまともに替えられない」とか「現場で独り立ちできず、つかいものにならない」という反論が医療現場から上がってきているためニュースになっているのだそうです。

 大学と違って本来3年の看護学校で(最長でも3年半)大学4年分の教科を詰め込むわけですし、中には必要科目(栄養学や疾病論)を削ってまで哲学やらに時間を費やすわけで、学生にとってとても大切な実習の時間もどうしても削られてきたりもするわけです。
 デンマークの学校教育全体に言えることかも知れませんが、日本の個別的詰め込み教育と違って、校内でのグループワークや本を読んでのレポート提出のような学習方法も多いことから、必然的に自宅学習でひたすら、臨床と関係が一見なさそうな本を読み続けなければならないという時間も増え、きっと看護学生はもどかしいだろうなあ、と。

 私が今まで見てきた経験的なものと憶測ですが、看護師を目指す人には現実的というか、実践タイプ(すぐに使える、すぐに役立つ、すぐに働けて稼げるを好むような)な人が多いように感じます。新聞記事にも載っていたのですが、デンマークの看護師を目指す人というのもやはりそういう人が多いようで、バリバリ実践で働きたい、患者さんと早く接したいと思って入ってきた人達が哲学書や難解な本をこれでもかと読まされ、「本当にこれが患者さんのために役に立つんだろうか…」と疑問を抱きつつ課題に追われ、ついにはバーンアウトして退学してしまう、というパターンも少なくないのだそうです。

 デンマークではたった今この現在、1100人の看護師が不足しているそうで(日本でだったら大した数字じゃないけど、人口5,413,392人のデンマークではけっこう深刻らしい)、私が通っている外国人用の看護学校だってそういう看護師不足のためにつくられたものだし、なのにデン文部省?は何を考えてるんだ!という医療現場のブーイングもわかる気がします。
*デンマーク人口を間違って表記していたので、訂正しました。恥ずかしい…。ご指摘ありがとうございます!

 デンマークの看護協会&看護師組合はとても強く大きな団体で、というのも看護協会と全デン看護師組合は、デンマーク国内すべての病院、部署の垣根を越えて、「看護師」という横のつながりで結束しており、80年代には労働条件、待遇の改善を求めてかなり大きなデモ運動をし、今のまあまあゆとりのある労働環境を勝ち取ったのだそうです(その歴史は国立博物館の近代史のコーナーでも見れます)。
 が、時代は移り変わり世の流れと共に看護師にも学歴やキャリア志向というものが生まれてきたようで、その看護協会も「これからは看護も立派な学歴として、医者のアシスタントと思われないようにしなきゃ!」と、この看護学校をアカデミックなものにしようという動きを支援しているそうです。

 確かに私も学生だった頃は、看護理論の授業で「看護はある部分で感性を用いて行うものです。なのでそれはアートと言ってもいいようなものです。でもアートには裏付けがない。アートは枠にはめて評価することができない。だからこれからはもっと看護を一つの学問として体系化していって世間に認めさせていく必要があるのです」と習いました。
 言いたいことはわかるし、時代の流れにそってやっぱりそうしていくべき点もあるのでしょう。でも新聞記事での批評で書かれているように、「理論は患者に対し使われるべきもので、学歴に終始してはならない」と思うし、ーーまたこういうことを言うと知性のなさがバレてしまいますがーー哲学やらのセオリーの部分は、経験があって初めて飲み込めることが多いんじゃないかな、と凡人の私は思うのです。だからなにもそれを若々しいモチベーション、バイタリティある若者や看護師の卵に強いることもないんじゃないかなーなんて。
 ていうか、オーストラリアやアメリカの看護師のように、学歴(専門学校、学士、修士、博士などで出来る業務が違うらしい)によって分けていけばいいような気もするけど。理論的なこととか高等教育の上に進みたい人は進む、実践派でとりあえず現場に出て、その後もし興味があったら大学院などに入る、とか。

 まあ、深刻な看護師不足の背景もあるし、また議論の結果が2転3転しそうですが、外人ナースといえど人事ではなさそうなので、今後の動きに注目していきたいと思います。


*ちなみに以下はRibeという街の看護学校の学士課題の一文だそうです。最初からつまづく私、Habermasって誰?

>Scheel kritiserer Habermas, idet den diskursive samtale i den interaktionelle sygeplejepraksis ikke kan staa alene, fordi diskursen forkuserer paa sprogduelighed og bringer asymmetri ind i sygeplejerske patientrelationen, hvorfor dialog maa medtaenkes i den praktiske diskurs.<

イベント三昧。

2006年08月27日 | デンマークっぽいもの
 久しぶりに老人ホームバイトのない土曜日だったので、天気も良いし朝から洗濯をし、その後ヨナスと街へ出掛けてきました。

 まず初めにFrederiksbergのGodthaarsvejにあるカフェで朝ごはんを。私はアーティスチョーク?が好きで、今日行ったカフェではアーティスチョークとバジルを混ぜたペーストを挟んだサンドウィッチがあり、なるほど、こんな食べ方もあるのか、とちょっとアイデア頂き。お値段49kr(1000円弱)でコーヒー16kr(310円くらい)と、高級エリアFrederiksbergの素敵なカフェの割にお手頃お値段、しかもオープンカフェで気持ちよかったです。

 その後、カフェの道沿いにあったハンドメイド&小さなデザイナーのセレクトショップで、素敵なマフラーとマフラーとお揃いの帽子を購入。そろそろ冬支度を、という名目で散財です。

 それからFrederiksbergコミューンの広場で行われているフリーマーケットへ。なかなか大きなフリーマーケットで、骨董品から日用品まで色々あります。私はそこで昔風セーター(15kr)、にんにく型にんにく保存容器15kr、60年代に大流行したホーローのキッチン用品の壁掛け小物入れ75kr(スカイブルーがきれいなので、ちょっとこれから集めていこうかと)、ヨナスはコンピューターゲームソフトを2つ(なんかコマンドーもの)を購入しました。

 まだその時点でも14時半とかだったので、Vesterbroを通って、途中素敵なおしゃれ洋服屋さんなどを冷やかしつつ、中央駅の前を通り過ぎ、Gammelvejでのお高い骨董品市をちら見し、今度はクリスチャンスボー(国会議事堂)のお隣、トーヴァルセン美術館前の広場で行われているイタリアンマーケットへ。
 小さなマーケットだったのですが、おいしいオリーブ、チーズの量り売り、その場で作って焼くピザやパスタ、各地方の名産ワインの試飲販売、あとは民芸品やイタリアメーカーの車やスクーターの展示が行われていました。そこでも我々はトスカーナの赤ワイン、くるっと巻いて着るラップワンピース?(イタリア産ではないと思うが)を購入(ワンピースはヨナスが買ってくれました)。
 そこで見たスクーターが実はクリスチャニアバイク(リヤカーの荷台が自転車の前に付いたようなデンマーク名物の自転車)とそこまで大きく値段が変わらないということがわかり、この車激高な国で車には手が出せない我々は「あれで2人乗りなら市内をふらふらするのにちょうどいいかも!」と思いましたが、冬はやっぱり寒過ぎる、ということで断念。

 その後また、今度はヨナスが見たいお店があるということでストロイエ(観光客に人気のショッピング通り)の裏手にある、おしゃれな若者通りへ。行ってみるとトラックが横に止まって道を塞いでおり、自転車を置いてそのむこうへ行ってみると、歩行者天国状態でお祭り?をやっていました。その道を塞いでいるトラックも荷台部分がライブステージになっており、色んなゲストが来てプチライブをしていました。
 そこはおされで若者に人気のカフェやらクラブ、古着屋が多い通りではあるのですが、それらのお店がすべて道の前にソファーや椅子を出して路上カフェ?を開いています。古着屋や雑貨屋もどさくさに紛れて出店をだしており、さらに一般市民と思われる若者までその横でフリーマーケットを開いているし、その隣では即席DJが大音量でレコード回してるわ、なんだか狭い道でごみごみと色んなことをやっていて面白かったです。
 土曜日の昼間ということもあり、子供連れの若くておしゃれなパパママが多く、おしゃれおしゃれで肩が凝らない感じなのもまた良かったです。

 いつも思うのですが、コペンハーゲンに住んでいてよかったなーと思うのが、こうしていつもどこかしらでイベントが行われていることです。真冬でもフィルムフェスティバルやら室内で楽しめるものも多く、春や夏になるとそれこそあちこちでイベントがかぶるほど色んな催しがされています。
 よく大きな国(アメリカなどエンタメ好きな国)から来た人は「デンマークは超退屈」と言うのですが、アメリカに引けを取らないエンタメ大国日本の東京から来た私ですが、別に十分楽しめています。確かに派手さやエキサイトするものはあまりないかもしれないけど、大人も子供もお年寄りも楽しめるデンマークのイベント、私は好きです。


笑い飛ばせ!

2006年08月26日 | おもしろい人・おもしろいもの
 そんなわけで今日はイライラでぷすぷすしながら学校から帰ってきたのですが、mixiでのruruちゃんの日記で紹介されていたとあるビデオを観て、その怒りが一気に吹っ飛びました。まさに大爆笑の嵐。気分爽快です。

Worst music video EVER

 MTVも昔はずいぶんクールなビデオを流していたもんだ、と感心します。

ラテン語がなんだ、哲学がなんだ。

2006年08月26日 | デンナースへの道
 今日も学校でボスニア人のマシンガントークが大炸裂だったわけで、辛抱強くなんとか聞き取ろう、意味を理解しようと努めてきたのですが、それもついに我慢の限界が。だあああああああああもううるせーーーーーー!!!!!

 ディスカッションの時間で、デンマークの看護学校の科目についてがテーマだったのですが、なんとか聞き耳を立てること30分、結局彼女が言いたいことというのは、
「私はラテン語ができる知性あふれる女だ」
「私は哲学に興味のある知性あふれる女だ」
「私はカントもキルケゴールもマルクスの本も読んだし、それは私の看護?に役に立ってる(言うだけならタダ)」
と、結局は自慢?!という結論に至り、聞き取りに集中してしまった30分に沸々と怒りが!
 先生もうんざりしている様なのに止めようともせず、相づち打って自然に彼女の話が止まるのを待ってるけど、そんなの甘い!!待ってるだけで30分経過、もはやテーマは何処?で話はボスニア戦争にまで飛んでいます。月曜日の先生なら容赦なく彼女の話を「興味深いわね、はい、じゃあ次!」と打ち切り進めてくれるのですが、金曜日の先生はどうも…。

 今日は平日バイトやらなんやらでいつもより疲れていたこともあったし、生理2日目でイライラもピークだったので、休憩時間になり、私のイライラ顔と態度を見て「わかるわかる」という表情でうなずいていたレバノン人の男性と、フィリピン人のクラスメイト、そして先生だけがクラスに残ったのを見計らって「先生、先生は彼女の話を止めさせたり中断させることができるんですよ?もう一人の先生はそうしてますよ?じゃないと彼女はしゃべりすぎるし、ディスカッションの時間なのに誰もしゃべれませんよ。これはデンマーク語の授業で、討論の時間でも哲学の時間でもないんだし。どうにかして下さい。」と抗議してみました。
 これにはさすがに先生も「そうね、私も彼女にはちょっと疲れたわ。」と認めましたが、「でもみんなも彼女が暴走しだしたら手を上げて忠告してあげてね」と。ええ~その辺のことをこの少ないクラスメイトの中でやりにくいから、先生に頼んでるんじゃん~…。意見があるわけでもないのに、「はい!あなたそこまで!」とは言いづらいんだってば。察してよ~。

 どうでもいいのですが、最近知ったことで、どうやらヨーロッパ人にとってラテン語ができるというのは知性のシンボル的なものがあるようです。数学、科学、医療、哲学もろもろのことは古代ローマから始まり、昔からずっと知識人というのはまずラテン語をもってその分野の勉強をしていたということから、ラテン語=頭いい、で、今でこそデンマークでラテン語を学ぶのはちょっと時代遅れ感はありますが、でもそのイメージは残っているようです。
 
 ラテン語を高校時代に習ったというボスニア人の彼女(47才)、デン語では例の発音などで困難続きだけど、医療用語となると自慢のラテン語が出て来るので、もう鼻高々、いや、それはデンマーク語でもありますよ、という言葉でも「ラテン語ではこう!ラテン語を習ったからわかるの、ラテン語では…」と約10回は同じことを繰り返して言うので、およそラテン語に縁もゆかりもないアジアンな私としては、余計に「どうでもええわい!!」となるわけです。あーもうイライラ。

 それにちゃんとした哲学書なんて自慢じゃないが読んだことないわい(美輪明宏の『人生ノート』とか?あれは違うか?)。でも読んだからって、ただ「私は読んだ。あれは素晴らしい。あれは難しい。」ってそんな感想で自慢はないでしょう。読んだことに意義があるのか?!(と、知性のない私は吠えてみる)

 本当に彼女の周りが見えない語りにはイライラするのですが、でも極たまに聞き取れることがあるといいことを言っている(ように聞こえる)こともあるので、とりあえず辛抱強くまたいきたいと思います。ああ、でも9月から授業が毎日かと思うと気が重い…。

飛ばされるかと思った

2006年08月25日 | おもしろい人・おもしろいもの
 18時半、ヘレさん家でのお手伝いベビーシッターが終わって、家への帰り道、ヨナスに「晩ごはんは何食べたい?」と電話すると「チボリでおいしいハンバーガーを食べよう!」と提案され、乗り気ではなかったけど、ここ最近ずっと天気の悪い日が続き、今日は久しぶりに晴れていたので、じゃあまあいいかと、そのまま中央駅まで出てヨナスとチボリへ行きました。

 今年はイヤーカードを買ったので入場料はかからず、今年の夏はもう5回くらいチボリへ来ています。チボリでは毎週金曜日にコンサートがあったり(9月1日にはMEWが来る)、2週間毎くらいにイベントが開催されたり(今日からフードフェスタがやっている)、乗り物に乗らなくても意外に楽しめるものです。

 フードフェスタの出店をひやかし、おいしそうなコーヒーを買い、そしてやっとヨナスのお目当てハンバーガーレストランへ。2000円のハンバーガーのお味は(予想通り)さしもの感動はなかったのですが、でも隣のステージでのプチクラシックコンサートを聴きつつおいしくビールを飲めたので満足です。

 食事が終わりそろそろ夜の闇が降りてきた頃、ついにあれに乗ってみることに…。そう、今年できた新アトラクション、Himmelskibetです。前に何度か来た時も乗ろうとしたのですが、とにかくすごい行列で断念していたのですが、観光シーズンも落ち着いた今日、なんと待ち時間無しであっさり乗れちゃいました。
 世界一の高さ(地上80m)の回転ブランコということで、そこからのコペンハーゲンの眺望を売りにしており、それならばとこっそりポケットにカメラつき携帯を忍ばせていたのですが、係員もその辺抜け目なく(ていうかそういうことする人が後を絶たないのでしょう)、発進前のボディチェックのようなポケットチェックであっさり没収されてしまいました。

 私は高いところが大好きなので、今回も余裕綽々、コペンの眺めを堪能してやろうと思っていたのですが、予想に反してもんんんのすごく怖かった!!!!ずっと「落ちる落ちる!!!鎖がちぎれる~!!!吹っ飛ばされる~!!!」などと叫び続け、ヨナスの手がうっ血するほど握りしめ、眺めを楽しむどころでは全くもってなかったです。降りてから鎖をにぎっていた方の手のひらを見ると、鎖の跡がくっきり(握り過ぎ)。いや~怖かった。でもまた乗りたいです。
(上のリンクからこのブランコの疑似体験映像が少しだけ見れます)

 9月第2週目?の閉園まで、また平日にフリーパスを買ってもっと色んな乗り物に乗りたいと思います。(クリスマスにも開園するけど、寒過ぎて乗り物どころではないので)

デンマークの介護器具

2006年08月24日 | デンマークの老人ホーム
 老人ホームでバイトし始めて何が驚いたって、介護用リフトがワンフロアに4台もあることです。今私が働いているフロアは入所者さん13名なのですが、介護度もそんなに高くもなく、ほぼ自立で生活している人もいます。なのに4台って!すごい贅沢です。

 私は派遣バイトも含めて大小、貧乏金持ちそれぞれの病院で働いてきましたが、今までその手のリフトというものをほとんど見たことがなく、最新設備の大学病院でも一般病棟で介護看護の為にリフトを使うなんていう贅沢は許されておりませんでした(唯一、ICUとか透析室、オペ室にあったくらい?)。
 なので腰や体中の筋肉、関節を酷使して2時間毎の患者さんの体位変換や、着替え&4時間毎のオムツ替え、トイレ介助、車いすベッド間の移動などなど行ってきました。腰が悪いのは職業病だね、なんてそれが極当たり前のこととしてきていたので、デンマークの介護リフトを初めて使ってみて、その便利さに大感動です。

 まずその老人ホームには「立ち上がるためのリフト」と「吊るし上げるリフト」の2種類のリフトがあります。用途によって、介護度やその人の障害によって使い分けます。
 吊るし上げる(というといじめてるみたいだけど)リフトは時々、日本でも見かけることはあり(上にもあげた特殊病棟で)、背中全体を覆う大きめな袋のようなベルトで患者さんの身体を包み、吊るし上げます。その様子はまるで赤ちゃんを運ぶコウノトリのようで、そのリフトで吊るし上げられるお年寄りを見るたびに「ああ、人はコウノトリに運ばれてきて、そしてまた年老いてもこうして運ばれるのか…」と感慨深いものが(?)あります。


「吊るし上げる用リフト」

 立ち上がる方のリフトはベルトを腕の下に通し、リフトのハンガーに引っ掛けて、そのハンガーで上に引っ張られ、背中のベルトで支えつつ、すねを基点にして立ち上がります。私も今日、写真を撮るために試しましたが、腰をしっかり支えられて立ち上がるので、腰や膝に負担がかからず、そういうところが弱いお年寄りには持って来い。すばらしいです。


「立ち上がる用リフト」

 吊るす方、立ち上がる方のリフト両方とも車輪がついているので、吊るしたまま、立ち上がらせたまま移動も楽々でき、例えばベッドからポータブルトイレへそのリフトを使って座らせ、そのままバスルームに連れて行って(ポータブルトイレはシャワーチェアーも兼ねており、車輪もついているので移動可能)お下を洗ったり、顔を洗ったりモーニングケアを済ませ、その後またリフトを使って今度は車いすに座らせる、という大作業が一人でも楽にできます。時間も大幅に短縮。日本ではこれをすべて人力で、しかも時には一人でやっていたので(どんなに太ってて大きい人でも)、それから比べたら洗濯板と全自動洗濯機ほどの違いです。


1、腰の周りにベルトをつけハンガーに引っかけ、台に足を載せる。


2、リモコンでハンガーを上に持ち上げていくと、立ち上がっていく仕組み。


立ち上がるようリフトの腰ベルト。内側はムートン風でもこもこ。

 働きはじめのうちは、どうしても人力ですべて動かすことに身体も頭も慣れてしまっていたので、リフトを使ってやその他小物を使ってなるべく介助者の身体に負担がかからないように、という新しい動きに戸惑いましたが、それにもだんだん慣れてきました。まあ、機械なのでちょっとした不注意での事故も大惨事になりかねないし、人力よりも気をつけていかねばですが(昔、電動ベッドでナースコールや他ベッド周囲にあったチューブ類をすべてぶっちぎった経験アリ。患者さんに害がなくてよかった…)。

 あともう一つ、これはリフトに比べたらかなり原始的というか、簡素なものなのですが、ベッドシーツの上に敷く防水シーツとの間に、ナイロンの布を敷いているのですが、これがまた便利。ナイロン同士の「すれる」要素をうまく使って、例えば臥床中の患者さんの向きを変える時とか、足の方にずり落ちているのを上に引っ張り上げるときとか、非常に簡単にできるのです。
 縦1m×横1.5mくらいのナイロン布を輪っか(筒型)のように縫っただけなのですが、ゴロゴロ患者さんを動かしていて背中の防水シーツの下でぐちゃぐちゃになったとしてもナイロンが薄いので、床ずれを招くほどごそごそはしません。
 ベッド上で臥床からベッド端座位にさせるときも、そのナイロン輪っかシーツが下にあるだけで、面白いほど簡単に患者さんをくるっと回転させることができます。これくらいなら手作りでもできるし、コストもかからず、汚れても洗えるしでとても便利なので、ぜひ日本の介護施設も導入したらいいのになあ、と思います。

 デンマークの介護は「寝たきりにさせない」介護と言われますが、介護者側はこうして頭と道具を使って時間を、無駄な動き&力を削って、尚かつ本当に噂通りお年寄りを寝たきりにはさせず、本当に素晴らしいと思います。その器具を使う人も使われる人も、両方にうまく利用されていて。日本では何かと言うと、こうした介護での負担を「スタッフ不足」で片付けようとしてしまいますが、確かに不足もしてるんだけど、この辺のテクニックをもっと学んで対処もしていけるんじゃないかな、と。
 というか日本の場合、医療福祉はサービス業の部類になってしまうので、どうしても経営者はスタッフを守るというよりは経営に注視しがちになるんでしょうけど。こういういい介護器具をそろえることよりも、スタッフの身体にガタが来るまでこき使った方が安いでしょうしね…。そういうディスポでバブリーな感覚、時代遅れもだよなあ、なんて。

 そんなわけで、今後もまたちょこちょこ、デンマーク介護現場(今度からは医療現場も加わりますが)から、すばらしいものを発見次第ご報告いたします!!