Kanaheiのデンマーク生活

糖尿病の勉強をしたくてきたデンマークでの紆余曲折な生活を日記として残しています。

それは突然やってくる

2008年10月24日 | デンナースのお仕事
 水曜日。勤務終了30分前に受け持ち病室の前を通りかかったら、患者さんBが苦しそう。なんか変だな、と思って様子を見に行くと「息が出来ない」と。Sat(酸素飽和度)を計ってみると99%と正常だけど、なんと脈拍200。指先および口唇チアノーゼ、胸部痛。すごくやばそうな状況です。

 すぐに心電図をとって、たまたまナースステーションにいた若いドクターに「やばそうなので、すぐに診て」と報告すると、一目心電図をみて「…これは、私の手に負えないから、すぐに循環器の上のドクターにコンサルトとらないと…」と。
 若いドクターが循環器ドクターと相談している合間に、患者さんの症状がすこーし落ち着いて話ができるほどになったのですが、具合を聞きつつベッドに横にさせている間にまた悪化。しかも今度は先ほどよりひどい感じ。
 やばいよやばいよ、これ絶対やばい!と、周りのスタッフに助けを求め、さらに走ってドクターを呼びにいき、ドクターも「え?!そんなこと言われても、私この患者さんのことよくわからない…」とパニックなので、「じゃあもういい!Akutチーム呼びますよ!」と電話で要請。

 うちの病院にはなにか患者さんの急変や緊急事態には、AkutチームというICUから麻酔科ドクターとICUナース(専門教育を受けている)が来て、その場の指示を与えてくれます。
 
 しかし電話でAkutチームを呼び出している最中、患者さんの元にいたアシスタントが、「心停止寸前!蘇生開始して!」と叫んでいます。ああ、恐れていた状況が!慌てて今度は「2222」という、心停止時の蘇生チームを要請。

 この蘇生チームは、ICUドクター、ICUナース、麻酔科ドクター、ポーターで編成されており、ICUドクターの指示、処置のもと、ICUナースがそのアシスト、麻酔科ドクターがバイタルサインや点滴針の留置、管理、ポーターがその間心臓マッサージをします。なので深夜勤やスタッフが少ないとき、経験の浅いスタッフのときにも、彼らがすべてをやってくれるので(しかも薬品から蘇生に使う器具すべてが入ったカバンを持って駆けつけてくる)、とても助かります。

 蘇生チームを要請後、5分ほどで到着。患者さんはすでに心停止していたので心臓マッサージをしていたのですが、蘇生チームがすぐに引き継ぎ、蘇生フルコースがスタート。
 ちなみにデンマークでは「心停止の場合蘇生を希望するか」を自己決定することができ、蘇生を希望しない人に蘇生を施すことは違法です。なので、蘇生の前にその患者さんが希望している人かどうか、よく知っておく必要があります。

 実は私、お恥ずかしい話ではありますが、ナースになって8年目(2年のブランクあり)にもかかわらず、この蘇生フルコースを目の前で見るのが実は初めてで、もちろん何度も研修や勉強会で学んではいたものの、さすがにちょっとテンパリました(実際は蘇生チームが処置にあたっているので、私は外回りのみなのですが…)。

 蘇生開始から40分、3度の電気ショックでも患者さんは戻らず、結局亡くなってしまったのですが、その事の早さに呆然。

 その後、患者さんをある程度きれいにし、緊急で呼び出された家族のもとへ、ドクターと一緒に説明へ。こんなとき、どう切り出していくのか…。
 ミーティングルームに集められた家族に、心痛な面持ちでドクターが「手を尽くしたのですが…」と切り出すと、その途端、患者さんの3人息子のうち2人が大声で怒り狂い、泣き叫び、壁や机を殴りつけ、それをみて患者さんの奥さんや女性の身内が「やめなさい!そんなことして何になるの!?」と泣き叫び、究極の修羅場。
 一時私達にも襲いかかりそうな剣幕だったので、ドクター(妊娠7ヶ月)と私でドア付近まですーーっと避難。しばらく彼らが泣いたりわめいたりをじっと見守り、落ち着くのを待ってから、患者さんにお別れのため、病室へ案内。

 みんなが修羅場の時にもひとり、気丈に、他の家族をなぐさめ、「しっかりしなさい!先生の話をちゃんと聞きなさい!」と励ましていた、患者さんの奥さんは、病室には入ることがなかなかできず、「できない、私はまだできない、心の準備が…だってこんなの本当のことじゃない、私に起きたことじゃない」と、泣き崩れてしまい、その奥さんを支えて「大丈夫だよ、大丈夫だよ」と抱きしめているうちに、私もついボロボロと。
 患者さんが心臓発作を起こした時にも、ずっとそばで声をかけ続けていた奥さん。本当はその日が退院予定で、でも血液検査の結果退院が延期になって、がっかりしていた患者さんと奥さん。ようやく自分を取り戻して病室に入ると、まっすぐに患者さんのところへいって「min skat」と言ってキスをした奥さん。
 なんというか、こんなにストレートな悲しみと愛情の表現をみたことがなかったので、すごく心を打たれました。

 こういった急変、蘇生、死という一連の過程を、フルコースで体験したことはあなかったけど、でも人の死に関してはそれなりに見てきたので、それほどショックというものはなかったのですが、色んなスタッフから「大丈夫?あなたはやるべきことをちゃんとやったし、彼も元々心臓がとても悪い人だったから…自分を責めないでね」と励ましてもらい、さらには婦長からも今朝、「その後心の方はどう?あれはすごく衝撃的な家族のリアクションだったし、大丈夫かなと思って」と気遣って電話をくれたのでした。なんでも、「私も今まであんなの見たことが無い」ほど激しいリアクションだったそうで…。
 私も自分の気持ちをどうまとめて説明していいのかわからないので、「ええ、まあ」とか「はあ」とか言ってるだけなので、たぶんみんな私が自信喪失?ショック状態?と心配したのかも…。大丈夫なのに…。

 実は最近、自分のこの急変に弱いというウィークポイントを叩き直すため、今のまったり病棟(煩雑な忙しさはあるけど)ではなく、もっと他の、たとえばERとかICUに転職しようかなーと思ったりしています。そんなところへ行ってしまって「しまった!つらい!難しい!」となるのは目に見えてますが、でもまあ、キャリアアップ、弱点克服のための修行!も必要だなーと思う、今日この頃です。

それをいじめと言うのだよ

2008年10月21日 | デンマーク人って
 今うちの病棟に一人、ムスリムのスカーフをした看護学生がいます。他のデン人看護学生と違ってすごく遠慮深くて、甲斐甲斐しく、素直で、真面目で、とってもいい子です。
 そんな彼女、見た目はデン人のように真っ白で青い目、しかも名字も名前もデンマーク名なので、「ムスリムなのに…?」とちょっと不思議ではあったのですが、さほど気にしていませんでした。

 今日ランチ休憩のスタッフルームで、ふとしたことからその彼女の話題が上がったのですが、とあるヘルパーが「実は彼女ムスリムじゃないんだって」と。みんな彼女がスカーフをかぶっているもんだからムスリムだと思い込んでいたのですが、実は「あるキリスト教の一派で、その宗派ではキリストへの敬意として女性はムスリムのようにスカーフをかぶるのだ」と。

 普通、いや、というか私はそこで「へ~そういう宗派もあるんだー。まあイスラム教もキリスト教も出だしはほとんど一緒だし、そういうもんかもねー」という感想なのですが、しかし周りのデン人スタッフの反応は、「…変じゃない?」。
 いや、たしかに変わってはいるけど、でもキリスト教といったって実に色んな宗派があって、土地土地でも違いはあるだろうに。そりゃー売買春を奨励するキリスト教とかだったら「変だよ!」とも思うけど、スカーフよ?

 その後もさらに、「彼女だからビーガン(完全菜食主義=卵や乳製品も一切食べない)なの?」「変なものばっかり食べてるよねー。ていうか健康的じゃないよ。彼女自身青白いし」と、「奇妙、変(underlig、mærkelig)」という単語連発、どうつながったのか、彼女と関係ない「親族との結婚を強要されるムスリム女子」の話とか、「まったくひどいもんよね」と悪意ある噂で盛り上がる盛り上がる。
 
 話題が話題だし、しかもスタッフでなく看護学生。なんかとってもフェアじゃないというか、嫌な感じ。彼女はまだ病棟にいるし、みんなでそんなこと話すのってどうなのよ?中でも何がひどいって、一番いろいろ言ってるのが婦長。

 デンマークは一応キリスト教の国ではありますが、一般国民の宗教観はカトリック教国のように強くなく、洗礼もその後の献身式までしてるのに「私は無宗教」と思想上無宗教であることを言ってはばからない人も少なくありません(別に良いけどさあ。じゃあなんのためにクリスチャンになるわけ?)。
 ヒッピー精神がなんだかんだと未だ息づき、表現の自由を高らかに誇示するデンマーク人なので、なにかとイスラムなど先入観が先行しやすい宗教を引き合いに、「何でも言えちゃう」自分たちがいかに自由であるかと確かめ合っているようだけど、そうじゃないだろう、と私は思う。

 と、まあ、さんざん噂話で盛り上がる中、受け持ち患者さんからのナースコールで席を立った私ですが、スタッフルームを出てすぐ隣のミーティングルームに、なんと例のスカーフの彼女がいるではありませんか!
 スタッフルームとミーティングルームの壁はとても薄いので、何をしゃべっているかほぼ聞き取れてしまいます。「やばい!」と思ってあわててスタッフルームに戻り、みんなに「隣に彼女いるから!!(小声)」と伝えたところ、さすがにやっべーという顔はしているものの、病棟ポーターの男(ぷりぷりヒステリック系ゲイでかつレイシスト。しかも美しくない。いいとこないじゃん!)のトミーにいたっては「しょうがないじゃん。ま、そんなもんだよ」と意味不明発言。

 ガイジンとして私も色々、彼らが理解出来ないようなものを食べたり、考えたり、やらかしたりしているわけですが、そんなのお互い様なわけで、なのに「変なもの食べてる」とか言われたあかつきには、死にたいくらいショックだと思う。たぶん影ですでに言われてるかもしれないけど、耳に入ったあかつきには(しかもそういう悪意ある言い方では)、その場ですぐに退職願いを出すと思う。泣きわめきつつ机のものをまき散らしながら暴れるかもしれない。

 いや、きっと、スタッフルームでみんなの影口に何も言えないような私は、きっと暴れることもできないんだろうな。
 
 何が一番情けないって、ガイジンでマイノリティーとして、あの場で彼女の気持ちが一番わかる立場だったにも関わらず、ただ座っていた自分です。

たびキャット七不思議

2008年10月20日 | 猫の話
 イタリアへいっていた2週間、たびキャットはとあるお友達宅にホームステイさせていただいてたのですが、そのお友達から以下、「たびキャット七不思議」が届きました。

 その1.夜中に突然一心不乱に飲み食いする。

 夜中に、突然思い立って(「あ、ご飯がある」とか「あ、お水だ」ってふと気付く瞬間があるんだと思うの)、バリバリバリバリと一心不乱にご飯を食べたりピチャピチャピチャピチャと一心不乱に水を飲む。
「そんなに一度に食べたら吐くよ!」「そんなに飲んだらおしっこ止まらなくなるよ!」と思うくらい、すごい量飲み食いする。気でも触れたか?!と思う勢い。笑
しかも、毎晩。笑


 その2.グルーミング中、上手いタイミングでひっくり返る。

 キャットが横たわってるときにクシでグルーミングをするんだけど、「そろそろ反対側もとかしたいな~」と思った瞬間に、キャットは大きな伸びをして、クルンと自分から反対側に寝返りを打つのだ。計ったようなタイミング。ブラボー!


 その3.光り物が大好き。

 彼がプレゼンするときに使ってるレーザーポインター。その赤い光が大好きなようで、一生懸命追いかける。捕まえても捕まえても捕らえられないレーザーポインター。他のおもちゃと違って飽きないようで、ひたすら走って追いかけるキャット。そして運動不足らしく、途中で疲れて横たわり、息切れするキャット。肩で息をするネコを初めて見たよ。消すと、しばらく消えた辺りをキョロキョロ捜索するくらいのご執心ぶり。
 ちなみに、鏡に反射した光とかペンライトとかもお好きなご様子。


 その4.トイレ掃除を監視。そしていやがらせ・・・

 私がトイレ掃除をする時、必ず近く(ちょっと遠い時もある)でウォッチング。「そんなに見なくてもちゃんと取るから~!」と思うくらいの監視ぶり。そして、掃除終了を狙ってたかのように、掃除終了後トイレに入り、ならした
砂をチョイチョイっとグチャグチャにするのである・・・時々ウンチとかしちゃったり・・・そりゃあキレイなトイレでウンチしたいだろうけど、掃除した直後じゃなくてもいいじゃんね~。


 その5.足音が大きい。

 ネコなのに・・・キャットは足音が大きい。ポスポスポスポスと音を立てて歩く。それじゃあ獲物は捕れねぇぜ。


 その6.DVDプレーヤーがお好き?!

 DVDプレーヤーの開閉が好きらしく、開閉音がすると、どんなに遠くにいても
走って見に来る。そしてのぞき込む。時々足でチョイチョイっと触る。うちのDVDプレーヤーって変圧器を通して使ってるから、途中から、変圧器の電源を入れた瞬間に(電源入れるときにカチって音がする)、走ってくるようになったキャット。どうやら、「変圧器の音=DVDプレーヤーが開く!」と学習したらしい・・・DVDプレーヤーの何がツボなんだろうか?


 その7.ツメ研ぎのつもりか?!

 時折ソファーでツメ研ぎ動作を行うんだけど、なぜかツメが出てない。(なのでソファーに被害はまったくないのだよ)壁に対しても同じような行動を取るんだけど、やっぱりツメが出てない。ただ伸びたいだけなのか?でも、動作はちゃんとツメ研ぎの動作。ツメの出し忘れ・・・?ツメ研ぎと見せかけてこちらを動揺させる作戦?
 ちなみに、キャットタワーでは、ちゃんとツメを出してバリバリとツメ研ぎを
行うキャット。気を利かせてるんだろうか・・・?


 4、5、6に関しては「まさにその通り!」。本当に何がそんなにツボなのか、DVDの開閉とか寝っころがってリラックスしていようが、遠くにいようが、「きたーーーーーー!」という感じで走ってやってきます。しかもどっどっどっどと足音でかし。
 しかしこの奇妙な猫を2週間も面倒みてくれたお友達、預かってくれる前から綿密にたびの好みや習慣の聴取、さらにかかりつけ医の連絡先などまで準備してくれて、本当にありがたや&これだけ気をつかってくれたおかげで、たびもとってもリラックスな楽しい滞在になったはず。(家に帰ってきてから、普段以上に毛並みもよく、落ち着いていた)本当に本当にありがとう~!


猛獣たび

 余談ですが、ベネッセから発行されている「ねこのきもち」という雑誌1月号内、「ねこ、ワールド、ライフ」というコーナーで、ななんとたびキャットが紙面デビューします。日本のみなさまチェキラー!

イタリア結婚ツアー3~ゲスト到着!~

2008年10月20日 | 結婚関係
 8月27日水曜日。午前中はまたまたポリニャーノ市庁舎へ。今度はいよいよ式を取り仕切ってくれるリノ、そして前日にお説教をくらったカウフマンと式の段取りなどについてミーティング。
 またもや迎えに来てくれたヴァレリオ青年の車で向かい、市庁舎でリノとほぼ2ヶ月ぶりくらいで再会。
 リノ、一応市長さんという噂なんですが、この日の格好がまぶしいほど真っ赤なポロシャツ(もちろん襟立)、オフホワイトのスリムパンツ、グッチのモノグラムローファーにグッチのポシェット、裕次郎風サングラス。かっこえー!!デン人がこれ着てたら間違いなくゲイかなんかだけど、イタリア人のリノだと妙に似合います。

 そんなリノとカウフマンの部屋で事務的な質問にいくつか答えていったのですが、法的なことへの質問にヴァレリオの英語、限界!「えーと…、もし、離婚、どうする?だから、えーと、離婚は、えーと…」と、一生懸命説明を試みているのですが、何度も「離婚」という言葉が。ちょちょちょっと、これから結婚するんですが(縁起悪い)?!カソリック教国のイタリア、もしや離婚とか認められないけど、いいのかとかそういう質問?!まさか!
 そのうちリノとカウフマンの片言ドイツ語(リノは3ヶ月ほどドイツにいた)まで飛び出したのですが、理解不能。なんなの離婚てー!
 結局「よし!ラースに電話しよう!」ということで、またしてもラース呼び出し。本当にもう、ラースとペニーラがいなかったらこの結婚式、どうにもならなかった…。
 ラースの通訳によると、「夫婦になることで財産を完全に共有するか、結婚前のように各自のものとしていくか」という質問だったようで…。はーもう、ドキドキしたよ、ヴァレリオ…。

 その後、式を市庁舎のどの部屋を使ってやるかを決め(一つは議会をやる部屋だったので、もう一つの市長の部屋でやることに)、市庁舎での段取りは終わり。本番は明後日。

 サマーハウスに戻り、夕方以降のゲストの到着に備えて各部屋に寝具やタオルなどを置いたり、もろもろと片付けをし、夕飯の買い出し、夕飯作りへ。
 カロラ&クラウスは生後2ヶ月のティモがいるので、前日からローマに泊り、ポリニャーノまでは電車で。ヨナスの家族はローマからレンタカー、ヨナスの親友ビャーク&トーマスと惠子さん&ラスムスはローマから一緒にレンタカーでやってきます。ていうかみんないつ頃到着するんだろう、と何度も電話したのですが誰もつながらず、やきもきハラハラしつつ待ち続ける午後。
 結局誰の電話もつながらないまま、とりあえずお腹空かせて来るであろうみんなのために夕飯を作りつつ待っていると、突然ピンポーン!なんと全てのゲストがそれぞれ15分ほどの差でそれぞれ到着。
 電車で来たカロラ達は、電車で仲良くなったポリニャーノの若者に「タクシーでサマーハウスまで行きたいんだけど…」と聞くと、「タクシー?ポリニャーノにはタクシーなんてないんじゃないかな…いいよ、赤ちゃんもいるんだし、僕たちの車で送っていってあげる!」と親切に乗せてもらったのだとか。
 マリアさん達は、離婚した両親も一緒にコペンの空港から10時間近く一緒に旅を続けてきたため、もうぐったり(日本人の私としては離婚した両親が一緒に行動するなんて、それ自体ちょっと信じられませんが)。おまけにポリニャーノの車1台ギリギリの細~い路地でさらに憔悴。ご苦労様です…。
 ビャークの運転でやってきた惠子さん&ラスムスグループは、腰痛持ちのビャークが一刻も早く到着したいがために「恐ろしいスピードだった…」と、スリル満点の旅路だったようで。
 とにかく一気に人が増えたサマーハウス、それはもうわいわいと急に活気で満ち満ちてきました。みんなそれぞれ本当に長い道のり、よく来てくれました。とっても疲れていたはずだろうけど、きっとこのすごいサマーハウスと海の眺めで癒されたのでは?

 そんなわけで、みんな無事についたことを祝してテラスでめぐちゃんが腕をふるってくれた食事を囲んで乾杯!みんなでおいしいごはんを食べて(いや、本当においしかった)、おいしいお酒を飲んで、初対面でも言語が違ってもそれぞれ楽しくおしゃべりしたりして、本当に素敵な「はじまり晩餐」でした。



あまり信じたくないけど

2008年10月14日 | デンナースのお仕事
 ついに見てしまったかもしれません…。アレを。

 今までそんなような体験をしなかったわけではないのですが、ただそんな、世間がいうほどに怖い思いをしたわけではないので、「座敷童かもね」で無理矢理済ませていたのですが、今回のは違った…(大人だった)。

 深夜勤で、夜中3時の血糖測定のため、血糖測定器をいじりながら(下を向いて)廊下を歩いていたとき、とある個室病室から突然誰かがぶつかってきました。ちょうど曲がり角で鉢合わせ、のような感じで。
 「おわっ」と普通に一瞬びっくりしたのですが、誰もいない。でも間違いなく、誰かが高速でぶつかっていったはず。身体にふわっと衝突の(風の)感覚が残ってるし。というか、ありえないけど私を通過していった??ぶつかった衝撃はないけど、なんというかうまく言えないけどふわっと、しゅうっと私を通過していった感覚が。
 しかも血糖測定器から目を上げた一瞬ですが、下着姿の人だった(けど顔が見えない)。

 一瞬「…えっ…?」と頭が凍ったのですが、なんかいかんものを見てしまった、という感覚があり、とりあえずナースステーションに戻らなきゃ、と来た道を戻ったのですが、身体が、特に両腕が変。若干しびれている感じ?いやー!助けてー!と思ったのですが、ナースステーションにも誰もおらず(アシスタント2人とも)、どどどどうしよう、あ、でも私クリスチャンだし(?)!と、オペア母ヘレさん(牧師)にもらった十字架のネックレスを握りしめつつ、再び血糖測定へ。結局その後は何ごとも無く済みましたが。

 じつはこの日、日勤の後の深夜勤だったのですが、日勤帯で救急車から搬送されてきた男性が、処置の甲斐無く搬送後3時間ほどで亡くなってしまったのでした。もしやその人?
 その亡くなった患者さんが入院したとき、救急隊員が「えーと、女性の救急患者連れてきましたー。あれ?男性だったかな?あ!男性だわ!」と、「女性にみえる男性患者」といってスタッフみんなで笑っていたのですが、今から考えると、衝突のとき一瞬見た人影も男性か女性かは区別がつかない(どちらにも似ている)人だった…。


 とはいえですよ、みなさん。結局霊だといっても、ナースにとっては元患者さんなわけで。そのぶつかってきた患者さん?も、いきなり搬送されてきてここで亡くなってしまって、「あれ?ここどこ?急がなきゃなんだけど、どっち行ったらいいんだっけか?」と迷ってたのかもしれないし。
 そんな彼らには「そうですよねー、急で大変でしたもんねえ。でもGhost Wisperer(米心霊ドラマ)のMelindaが言うには、光の方にいくとクロスオーバーできるそうなんで、とりあえずそっち行ってみたらどうですかねえ」なんて言ってあげられたらよかったのに、なんて今となっては思ってみたり(その時にはそんな余裕ないですが)。

 昔、沖縄の波照間島で「霊との遭遇は日常茶飯事」な島の方と話をした時(たしかにあそこでは霊と普通にコンタクトが取れそうだ)、「もちろん時々怖い思いもするよ。でもそういう怖いのと出会ったとき、”ごめん、本当に申し訳ないけど、あなたのことは助けられないんだ”って、しっかり言って離れるの。自分が弱いと向こうも期待しちゃうし、それがいけない」と言っていましたが、ほんと、きっとそうなんだろうな。悪徳商法やサラ金みたいに、弱っててグラグラしてるとつかまるんでしょう、きっと(いや、その例えは霊さんに失礼か)。

 そんなわけで、今夜も明後日も、明々後日も深夜勤なわけですが(日勤直後の4連続深夜勤!)、また出会ってしまっても「ごめん!私血糖測定いかなきゃだから!光の方へ行ってみて!」と、自分を強く!いきたいと思います。
 ちなみに一緒に働いていたアシスタントに遭遇話をしたら、「えー!今日も深夜勤なのになんで話すのー!?もう今夜はトイレも一緒に行ってもらうわよ!」と爆笑していました。みんな強いぜ!

DJやります

2008年10月10日 | ご報告
 お酒の席で、しかも酔った勢いでの口約束で、突然とあるカフェで今週土曜日夜、J-POP音楽のDJ(CDでやるのでCDJという)をすることになってしまいました。

 私の選曲といったら、そりゃーもう時代も趣味も偏ってるのですが、どうなることやら。忌野清志郎とかかけたいけど音源がないのが残念です。テイトウワやピチカートファイブ、コーネリアスといった、スーパー90年代なものから、Buffalo Daughterとか「それってJ-POP?」なものもあるかと思いきや、いやいや、やっぱりちゃんとPOPも入れなきゃね、と宇多田ヒカルやJUDY AND MARYなんかも。でも基本は2004年以前のセレクション。古い…。

 あー誰かゴダイゴとか持ってないかなー。これはウケるよ!というもの持っている人、飛び込み持ち込み大歓迎です。

 ちなみに場所はcafe salonen。Hotel Foxのそば。時間は22時頃からです。お時間のある方はぜひ遊びにきてくださーい。


イタリア結婚ツアー2~お役所対決の巻き~

2008年10月08日 | 結婚関係
 8月26日。波の音で起床。だって窓の向こうは海ですもの。なんてところ。

 さて、起きたはいいけど何も食べ物がありません。てことで町へ買い物へ。スーパー(というか万屋?)と八百屋でトイレットペーパーやら果物やらを色々買い込んでも、デンマークより安い安い。


お食事はもちろんテラスで海を眺めつつ。

 その後、市役所のボスであり、結婚式を執り行ってくれるリノに、結婚式の打ち合わせのため電話。すると「I COME 5MIN」と超シンプルな返事がメールで届き、しばらくするとピンポーンと誰かが来ました。
 ドアを開けると、くるくるパーマの若い男の子が「ハーイ。リノのアシスタントです」と英語で登場。彼の名はヴァレリオ。人懐こいかわいらしいキャラで、きっとデンマークに来たら「かわいいぼうやね」と、がつがつのデン女性(30代以上独身)の餌食になること間違いなし。
 そんなかわいらしい彼、こんなやっかいな外人カップルの結婚式のアシストなんか頼まれたがために、この先数々の困難が・・・。

 私たちは「とりあえず書類は揃ったことだし、あとはリノと結婚式の段取りだけだね」なーんて悠長に、そして手ぶらでヴァレリオの車に乗り込み、リノがいると思われる市庁舎へ。しかしヴァレリオ、「リノ?彼は今日バーリの別のオフィスだよ。だから僕が来たんだよ」と。え?じゃあ我々何するの・・・?

 何もわからないままポリニャーノの市庁舎へ連れて行かれ、「ここがボスの部屋。ちょっと待ってて」と言われるがまま待つこと数分。通されたのはカウフマンさんという女性の部屋。このカウフマンというおばさん、見るからに怖い。しかも前の人と何か揉めてたのか、ピリピリオーラを放ってます。
 まずヴァレリオが何やらイタリア語で説明すると、カウフマン「じゃあ書類を」と。しかし手ぶらの我々。ヴァレリオも「手ぶらなの?!」とびっくり。ごめん・・・だって何も知らされてないし・・・。
 これはカウフマンの怒りに触れたようで、イタリア語でばりばり怒られるヴァレリオ。いや、悪いのは彼じゃなくて~。ていうか怖いぜ!カウフマン!何も言えず、呆然と怒られているヴァレリオを見つめる我々。「い、今すぐ家に帰って書類持ってきますから・・・」と3人でそそくさと怒りのカウフマン部屋を脱出。

 車に戻りつつ「ごめん、ヴァレリオ、まさかここで何か手続きがあるとは知らなかったんだよ・・・」と謝ると、「いやーいいんだよ!あの人いつもヒステリーだから!」と、さわやか笑顔ですが、明らかにカウフマンの強烈ジャブでダメージ大。

 サマーハウスへ書類を取りに戻り、またすぐに市庁舎へ。びくびくとひれ伏す勢いでカウフマンに書類を渡すと、無言でチェックを始めました。これってなんなの?リノにはすでにチェックをしてもらってオッケーもらってるんだけど・・・。カウフマンは何者?リノのボス?
 チェックをしつつ「こっち(私の)はオッケー。・・・男の方のは?なにこれ!コピーじゃないの!どういうこと!?」と再びカウフマン沸騰。第2ラウンド、ファイト!カーーン!(ゴングの音)
 でもヨナスの分はすでに在イタリアデンマーク大使館から、ペニーラがサマーハウスにいた7月に直接送ってあり、彼女からリノに渡され、チェック済みのはず。なので「原本はリノが持ってるはずですが!」と説明するも、なぜか話は混乱。コピーではなく原本を!と怒るカウフマンと、原本はリノが持ってるんだってば!と、両者にはさまれてますます混乱のヴァレリオ青年(気の毒)。

 らちがあかないのでそれぞれ電話を取り出し、我々はペニーラに、ヴァレリオはリノへ電話。すると「原本はリノに渡してチェックしてもらったわよ。で、オッケーだっていうから、サマーハウスの冷蔵庫の上に置いてあるけど」と、ものすごく大事な情報を我々に伝えていなかったペニーラ。彼女らしい・・・。原本がそんなところにあるなんて知らないよ・・・。結局リノの方とも話がついたようで、ヨナスの書類もしぶしぶオッケー(どうしても原本をチェックしたかったらしい。どうやらこのカウフマン、名前からもわかるようにドイツ人が入っているようで・・・だからこの几帳面さ?)。

 その後ぐったりのヴァレリオに連れられ、市庁舎そばの郵便局へ行き、収入印紙のようなものを購入(デンマークの書類に貼る方が私の倍以上高かった。なぜ?)。
 さて、これで終わりか!と思いきや、「じゃー午後はプーリアの県庁があるバーリまで行くから!14時に迎えに行くよ!今度は絶っ対書類を忘れないでね(真顔)」とヴァレリオ。まだあるの?!しかも県庁!?

 お昼ごはんを食べた後、またしても午前中の疲れを忘れたようなさわやかさでヴァレリオ登場。彼の運転でバーリへ向かって海沿いの道をかっ飛ばします。
 バーリまでは1時間弱で着き、そのまま県庁へ。どうでもいいのですが、車を止めた県庁そばになんと「初代」という寿司屋発見。南イタリアのど田舎で(まあバーリはプーリアの州都ですが)!しかもこの海産王国の寿司、ネタに期待できそう。


バーリ県庁前。県庁前の大きなシアターが「重要な建物」とヴァレリオ。

 さて寿司屋に後ろ髪引かれつつも、ヴァレリオに連れられ、またしても説明一切なし、何が起こるのかさっぱりの状態で県庁のとあるオフィスへ。
 しばらく待たされて通された部屋には、また!おばさん職員(大ボス?)!しかもこの人もまた不機嫌!カウフマンで経験済みの我々は恐る恐る書類を提出すると・・・また怒りだしたー!イタリア語で全然わかんないけど、老眼鏡をふりふり怒ってます!今度はなにー?!

 なんとなくわかった状況として、外国人がイタリアで結婚するにあたり、婚姻具備証明を在イタリアの自国大使館に作成してもらうのですが、大使館はそれを結婚式を行う市町村の県庁にFAXでコピーを送らなければならないそうで。
 なぜって?そこはあなた、ペーパーワーク大好きのお国イッターリア。日本やデンマークのように書類を市庁舎に提出してはい、終わり、なんて問屋が、もとい、役所が許さないのです。なので県庁は大使館から直接送られてきたFAXと、申請者が持参した原本、そして県庁に保存されている「各国の国印表」を用いて「偽装はないか~?」とじっくりまじまじチェック。ていうか、なんのための原本・・・?


県庁内。みんなボスキャラ対決(は私達だけ?)を前にピリピリムードで順番を待つ。

 で、なにをおばちゃんはそんなに怒っていたかというと、在イタリアデンマーク大使館がこのFAXを送り忘れていたため。でたー!デンマーク!やっぱり仕事のつめが甘いぜ(イタリアだし尚か)!

 「もー勘弁してよ~」な様子のヴァレリオ、「おととい来やがれ!」とおばちゃんにアッパーをくらい、よろよろとリノに電話。いや、リノに電話してもあまり意味がないような気が・・・。「もう!リノ!どうしたらいいのさ!」と訴えています。
 横で「デンマーク大使館に電話して今すぐ送ってもらえばいいんじゃないの?とりあえず電話番号さえわかれば・・・」と、ヴァレリオに言うも、「ちょっと待って、リノがどこかに電話してどうしたらいいか聞くって」と。いやいやいや!ヨナスがデンマーク大使館に話せば済むことだから!午前と午後のおばちゃんたちからの攻撃が効いているヴァレリオ、思考能力低下で、こちらの説明を飲み込むのに時間がかかります。
 ようやくリノも「オッケー、じゃあデンマーク大使館に電話するよー」とわかったようなわかってないような、とにかく彼が話をつけることに。いや、だから電話番号さえくれればそんなリノの手を煩わせずに済むのに・・・。

 そんな感じでしばらく電話でごたごたした後、ヴァレリオの電話にデンマーク大使館から電話が。「ごめんごめーん。今からじゃー送っとくからー」と気さく度100%の返答。そして待つこと数分、再びおばちゃんボスの部屋へ。しかし隣の部屋のファックスを見に行ったおばちゃんは「来てないじゃん!!」とばかりにまたしてもメガネふりふり。
 外へ出て(建物内は電波なしのため)再びデン大使館に電話すると、「えー送ったってばー。しょうがないなーじゃーもう一回送るから」と。しかしやっぱりファックスは送られてこず、返り討ち覚悟で恐る恐る「あのー・・・こちらのファックスが悪いんじゃないっすかねー?」とボスキャラおばちゃんに上申(ヴァレリオに言わせて)。
 「このわたくし(のファックスに)いちゃもん付けようっての?!」と、火に油のボスにくじけそうなヴァレリオを、崖から突き落とす気分で「別のファックス番号聞いて来い!」と背中を押し、違うオフィスのファックス番号をゲットすると脱兎のごとく外へダッシュ!

 かわいそうな生贄ヴァレリオ。聞くと「ポリニャーノで結婚した外国人カップル?いないいない。え?もう一組来たらどうするかって?いやー、もう次はないよ!絶対やだ!あはは!」と今回の打撃をさわやかに語ります。気の毒だったので「じゃあ今回のお礼に、もし君が結婚するときは私たちが助けるよ!」と言うと、「じゃー1回目(の結婚)はデンマークでー、2回目は日本ってことで!」と明るく笑って話すヴァレリオ。若いっていいな・・・。

 さて、そんなわけで無事、他のオフィスのファックスに書類が届き、バーリ県庁お墨付きの婚姻具備証明が2通揃い、ヴァレリオは「リノー!僕はやったよ!」と報告。翌日再びポリニャーノの市庁舎で、今度こそ結婚式の段取りを決めるそうです。はーやれやれ。すごい一日だった・・・。
 でも後で知ったのですが、あのバーリ県庁のオフィス、実は週で開いている日が決まっていて、しかも営業時間は午後2時間半のみ。あの日を逃したら結婚はできなかったかもという・・・。だから急いでたの、リノ?でももうちょっと事前に情報がないとこちらも心構えってものがさー。まあ無事済んだからよかったけど。

 その日の夜はヴァレリオおすすめのレストランで食事。おいしいシーフードリゾットとパスタを堪能し、その後は7月私が下見に来たときにみつけたワインバーでめぐちゃん、ヨナス、私の3人で乾杯。
 このとき飲んだ微発泡の白ワイン(スプマンテではない)が、とーーーってもおいしくて、結婚式当日のサマーハウスでのレセプションに出すことに。あーおいしかった。お土産に買ってくればよかった・・・。


夜の旧市街ヴィットリオ・エマヌエーレ広場。昼の閑散とした様子とは180度違う表情。さすが夜遊び好きの人たちの町!


この下のバーでモヒートをいただきました。

 そんなわけでポリニャーノ2日目どたばたと終了。3日目、いよいよゲストがデンマークから到着します!

お酒とマンガと猫のいる生活

2008年10月02日 | わたくしごと


 イタリア日記を忘れないうちに仕上げなければと思いつつも、お友達Kさんに借りたマンガに超はまってしまい、一気に読み上げてしまいました。
 いや、一気に読んではもったいない!と、実は毎日4巻まで!と制限をもうけてじっくり読んでいたのですが(でも実際はとめられなくて5巻まで)、今日ついに読み終わってしまいました・・・。

 本当は今月から行き始めたフィットネスジムに行こうと思っていたのに!今日はケーキを2台も焼いてしまって(で、焼いた後に「これは手元において置くとやばい」とアパートのお隣さんたちに配った)、ますますカロリー消費しなきゃいけなかったのに!せっかくヨナスがいない夜(私のPCが死亡したのでヨナスのPCしか使えない)、ブログの更新もはかどるはずだったのに~・・・。

 でも。おなかの上に猫を載せつつ、ビール飲みつつ、マンガ、しかも熱血スポ根純情純愛もの。このギャップがなんとも・・・。とりあえず自分の今の状態は完全無視することにして、頭の中は超さわやか。青春まっさかり、ちなみに時代は昭和です。今このテンションでジムに行ったら、まちがいなくマシーンの上で「ほっほっ、ほっ、ほっ」と主人公になりきっちゃうことでしょう。

 いやーマンガって、ほんとにすばらしいですね。こっちへ来る前に売り払ってしまったのが本当に悔やまれます。
 もう、次回日本に帰るときには、まずブックオフに直行です。中川いさみと、佐々木倫子(動物のお医者さんはもってきてるけど)と、大和和紀と、篠原千絵と「ぼく球」全巻と・・・。大人買いしてやるー!

 はあー、はまったマンガもマッハで読み尽くし、ちょっと「こころにぽっかり穴が開いたような・・・(マンガ的表現)」なわけですが、でも大丈夫。家にはまだYoshipから借りた「The L word」のDVDがあります(超レズビアンなドラマ。Yoshipはこれを観ていて彼氏に「お前は変態か」と言われたらしい)。これは見始めると朝までコースなので危険ですが。

 そんなわけで、秋の夜長はこういうのに限りますなー(早くイタリア日記終わらせろ!)。


イタリアン結婚ツアー1~ローマそしてポリニャーノ入り~

2008年10月01日 | 結婚関係
 8月25日。いよいよイタリアツアースタート。

 コペンハーゲンの空港でめぐちゃんとも無事合流し、搭乗へ。しかしのっけからセキュリティーチェックで母の腰巻が「なんだこれは!」とひっかかり、さらにありえない金額の日本円をその腰巻の中に忍ばせていたため、母&私(通訳として)未踏の取調室へ・・・。
 取調室ではとても優しい女性の係員2人(デンマークであんなに優しく親切な人初めて見たかも)が念入りに母の腰巻およびボディーをチェック。「これはだいたいデンマーククローナでいくらぐらい?」と1万円札をチェックされ、ぎりぎり制限内の金額だったため無事釈放。
 何を隠そう母、このお金を平気でカバン(ファスナー1つ)に入れて、超無防備に人ごみを歩いていたわけで。ここで見つかってくれて本当によかった・・・。とりあえずそんな大金を持って歩けないので、私の銀行にひとまず入れ、後の買い物などすべては私が払っていくことに。
 そんな出だしだったこともあり、サマーハウスで何かとお世話になるお隣さんマリアや結婚式をとりなってくれるリノへのお土産をマッハで買って搭乗ゲートへ。

 さて、2時間のフライトの後、無事ローマへ着いたわけですが、私には「婚姻具備証明証を在イタリア日本大使館で即日発行してもらう」という重要ミッションが。
 あらかじめネットで場所など調べてはおいたものの、距離感がいまいちつかめず、午後の開館時間となっていたため、テルミニ駅からタクシーで行くことに。

 しかしここでわたくし、大変なへまを。タクシー乗り場にいた運転手に行き先を告げ、「だいたいいくら?」と聞くと、「20ユーロ!」と。んんん?高くないか?そんなもんなの?いや、でも高いだろう、でも時間ないし、この運転手たちみんなたまっておしゃべりしてたから、仲間に違いない。じゃあ他に聞いても同じ?ていうかもう暑いし、料金交渉とかめんどい!
 と、えーいと乗ってしまったわけですが、日本大使館、妙に近かった。たぶん徒歩でも10分くらい。タクシーの初乗りがいくらか知らないけど、やっぱり高い気がする。とはいえ無事に到着したので良しとして、大使館へ。

 どこの大使館でもそうでしょうが、でも在デンマーク日本大使館で慣れていたので、イタリアのは中に入るまでの手続きが大変でした。
 まず書類に名前やパスポートナンバーを記入して、受付で鍵をもらってロッカーに荷物を入れます。そしてなにやら日焼けマシーンのような巨大なカプセルに入れられ、ボディーチェック。私はここでことごとくダメだしされ(3回もビー!っと鳴らされ、やり直し)、装飾品をすべて取る羽目に。

 やっとの思いで領事館へたどり着き、無事書類を申請。その場でちょっと待てばもらえるかな、というひそかな期待をあっさり断ち切り、係りの人は「じゃあ2時間後にまた来てください」と・・・。

 ボディーチェックで何度もお世話になった警備員に、「また来るよ(笑)!あ、ちなみにここからテルミニ駅までってタクシーいくらぐらい?実は20ユーロ払っちゃったんだけど・・・」と言うと、「に、20?!お気の毒に・・・。だって駅なんてそこの建物越えたらすぐ向こうじゃないか・・・」と苦笑い。やっぱね。ま、まあこれも経験ってことで!20ユーロで済んでよかったさ!(泣)

 さて、私が申請に行っている間、母やヨナスたちはピザ屋でランチ。私も合流して腹ごしらえ。ローマは蒸し暑いのでビールがうまいっす。
 その後、時間までちょっと観光しようか、と大きな教会(名前忘れた)と、テルミニ駅前の巨大な遺跡博物館(は休館日だった)を外から眺めたりしているうちにもう時間。再び私だけ大使館へ。(今度は徒歩で!)


ローマはちら見観光。

 そしてようやくここで婚姻具備証明証、イタリア語でヌラオスタをゲット!!よかった!一時は「いざとなったら見せかけの結婚式をリノがなんとかやってくれるから・・・(by ペニーラ)」と、本当にそうなるかと心配でしたが、これでイタリアで無事結婚できます。
 その後リノとの打ち合わせどおり、大使館のそばからリノのオフィスへファックスで証明証を送り、その場でチェック(もし間違いがあった場合とかローマにいればすぐ直せるので)。リノからも「オッケー!これで問題なし!」と連絡をもらい、すべて終了!やれやれ、これでポリニャーノに旅立てます!

 みんなで駅に戻り、預けておいた荷物とレンタカーの鍵をピックアップ。当初借りる予定だったアウディのワゴンがなかったということで、どんなのかなーと指定された駐車場へ見に行くと・・・なにこれ??しょ、商用車?!よく電気工事師とかが資材載せて運転してるけど・・・ありえないほど醜悪なルノーのワゴンです。ショック!
 でももっとショックだったのは、素敵な車を運転できるのを楽しみにしていたヨナス。テンション急降下・・・。あまりにふてくされているので、めぐちゃんから「もういいじゃんヨナス!あきらめなさい!」と喝が(笑)。
 ともあれ、運転が荒い?ことで有名なイタリア、しかも都会なローマのど真ん中から、ポリニャーノへ向けて出発です!


運転手よなっさん。車はダサいが運転は余裕だぜ。


風まかせな親子。

 今回、本当にありがたいことに、ペニーラから彼らのカーナビも借りることができたため、大都会ローマからも楽々高速へ。高速にさえ入ってしまえば、あとはとてもシンプルな道程なので、一路南を目指して快調にかっ飛ばします。

 途中2度休憩をとり、日もとっぷり暮れて真っ暗な田舎道を、車内の蚊と格闘しつつ(休憩でドアを開けていたら入ってきた)、ひたすら南へ。
 そしてローマを出発してほぼ5時間、ついに道路標識にPugliaの文字が!ひゃっほー!とわくわくしつつ、再び進むこと1時間弱、来ました、Polignano a mare!!ポリニャーノに入ってからは、狭くて一方通行地獄な町の小路を、私の勘で進み、無事サマーハウスに到着。

 ああー、来ましたよー。またしてもこの素晴らしい家。この景色。ヨナスも大感激。とりあえず、無事に書類をゲットできたこと、そして無事に到着できたということで、屋上テラスにてめぐちゃん、ヨナス、私で乾杯。もう、それはそれは気分最高です。唯一つ、なぜかサマーハウスのシャワーのお湯が出ないということを除いては・・・。
 その日は結局、ビールを飲みつつ、離れていた間の出来事なんかをめぐちゃんと話してヒュゲリに過ごし、1時くらいにベッドに入ったのでした。

 はー、今思い出しつつこれを書いていて、また何度でもあの楽しかった日々のスタートに戻りたい気持ちでいっぱいです・・・。