Kanaheiのデンマーク生活

糖尿病の勉強をしたくてきたデンマークでの紆余曲折な生活を日記として残しています。

すてきな休暇の日々 その3

2007年08月30日 | おもしろい人・おもしろいもの
 休暇に入ったと同時に休肝日もなく毎日誰かしらと、もしくは一人で飲み続けており、働いている方が健康的だ、と思う今日この頃です。

 そんな先日の日曜日、ホセ=ゴンザレスという人のライブへ行って来ました。

 ホセ=ゴンザレスはスウェーデン育ちのアルゼンチン人。今年のサマソニにも来日したそうですね。私とヨナスが大好きなグループ、ZARO7の3枚目のアルバムに彼の曲がアレンジされて入っていたことがきっかけで彼を知ったのですが、彼のソロCDを聴いた時から「これは・・・!」と思っていたのですが、ライブに行って、ひっさしぶりに私、ファンというものになりました。

 ライブはノアハウンという、フェリーやコンテナ船が来着する商用港の奥、たぶん元はコンテナ倉庫だったところを改造し、クラブやライブイベントができるようにした場所、「DOCK」で。
その週末は金土日と、とあるレコード会社と清涼飲料会社などがスポンサーとなった「アンダーグラウンドで気持ちいい音楽と、おいしい料理と、海」というテーマでイベントが行われており、ホセ=ゴンザレスはそのイベントのトリでした。
 
 会場についてちょっと説明すると、旧コンテナ倉庫の室内にはライブステージとレストランがあり、屋外は人工ビーチというか、砂が敷き詰めてあって、そこにビーチチェアやらが置いてあり、さすがにもう秋なのでみんなブランケットを羽織りつつ、お酒を飲みつつおしゃべりしたり、屋外DJブースからの音楽を聴いています。
 海からの風を防ぐかのように、砂浜の周りには高さ5mくらいのひな壇があり、そのひな壇の上はビーチデッキのようになっており、そこからの眺めもなた素敵で、海を眺めつつ、音楽を聴く人々を眺めつつ。
 我々は日曜日だけしか行かなかったのですが、金曜日から来たかった~とちょっと悔やまれるほど、ヒュゲリかつ素敵なイベントでした。


グレーの建物がライブ会場の倉庫で、その建物の前のテントが屋外DJブース。


ひな壇上のデッキ。デッキの外は海!

 さて、ホセ=ゴンザレスのライブですが。はじめの7~8曲くらいはデビューアルバムからの曲を弾語りで演奏してくれたのですが、中には私も一番好きなあの曲が!
 日本のみなさんは馴染みがないかもしれませんが、SONYのBRAVIAというテレビのCMのBGMとなっている「Heartbeats」という曲。たぶん、彼の曲の中で一番有名な一曲じゃないかな?日本のCMではノリノリサンバ?のBGMだったそうですが、私は断っ然あのCMは彼のあの曲あってこその完成度だと思います。

 その後、9月に発売される2ndアルバムから5~6曲演奏したでしょうか。2ndではパーカッションで2人メンバーが加わり(その内一人はなんと日本人女性)、デビューアルバムよりも勢いのある演奏です。彼の声とギターにも迫力がついているし、アップテンポな曲も多し。弾語りということもあり、静かな雰囲気のデビューアルバムとは違って、なんと言うのか、気合が入っている感じです。
 中でも鳥肌ものの、超!!!かっこよかったのが、Massive Attackの「Teardrop」のアレンジバージョン。ぞわぞわぞわ~!こんなにはまった、というか惚れた!くらいに好きになった歌手は本当に久しぶりです。

 私はかつて(今でもだけど)ブラジルはボサノヴァの神様と言われる、ジョアン=ジルベルトのファンで、彼が初来日したときはそのコンサートにも行ったほど好きなのですが(色んな意味で伝説となったあのコンサート)、なんとなく、アルゼンチンとブラジルだけど、ジョアンとホセの間に共通点がみえるというか。
 さすがに人生50年近く先輩であり、神であるジョアンには及ばないものの、でも泣きそうになるくらい切ないギターのアルペジオとか、感情的なものをわざと排除したような、でもどこまでも温かい歌声とか(無理矢理例えてみると、小田和正とスピッツの草野正宗の声質を低音にし、ウェットな部分を80%除湿したような歌声)。

 もう、とにかく聴いてください、としか言いようがないくらい、筆舌しがたい感動でした。いかにもラティーノな名前と顔なのに、かなりシャイでMC無しなところも素敵です。ああ、2ndアルバム発売が待ち遠しい!(ヨナスはネット注文でサイン入りCDを予約しました)


 ちなみにこれが、彼の曲が使われたSONY BRAVIAのCM。250,000個のスーパーボールを使って、サンフランシスコの街を1ブロック3日間貸切で撮影されたとか。カンヌ国際広告際で金賞だったそうです(コマーシャルフォトグラファーは、な、なんとデンマーク人!)。映像も音楽も素晴らしくて感動しちゃいます。

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振り回されまくり

2007年08月30日 | デンナースへの道
 アマー病院の婦長が休暇から帰ってきた月曜日、薬品庫の鍵を返したり、自分の持ち物をそろそろ取りに行きがてら、最後に挨拶にいこうと思っていた矢先、看護学校のウラ先生から電話が。

「今、アマーの婦長と電話で話したんだけど、彼女、自分の休暇中にあなたがこんな風に間違った扱われ方をされて、すごく申し訳なかったって言ってて、実習の最終評価としては問題なく合格だから、改めて厚生省への書類を作成したいって。よかったわね!看護師免許がもらえるわよ!」

 嬉しいような、今更なんだよ、もう気分は王立病院のICUだったよ、みたいな。

 さらにウラ先生、
「婦長は”香苗はすでにアマー病院と12月まで正規雇用として契約しているから”って言うんだけど、あなたもうあんなところ戻りたくないでしょ?そんな契約、破棄しても構わないと思うわ。」って。

 うう、確かにもう戻りたくはない、でももし免許を手にしてもアマーへ戻らないとしたら、9月も目前の今から就職活動?!無理だろ!これ以上無職無給が続くのは困ります。アマーであればすでに交わした契約書を元にビザ申請がすぐにできるし、どうせ日本へ帰省するまでの3ヶ月くらいだし・・・。ていうか一番忙しい12月~1月を休ませてくれる、もしくは3ヶ月だけ勤めさせてくれるような病棟探すのはさすがに難しそうです。免許取りたてのガイジンだし。でもあの婦長の元に戻るのは癪に障る・・・。

 なのでウラ先生に「アマーの婦長の評価を無視して、ICUで実習させてもらえないですか?自分としてはアマーで育ったことにも不安だし、12月には日本へ帰省するという状況的にもちょうどいいんですけど・・・ICUも興味があるし」と言うと、甘ったれんじゃーない!と言わんばかりに、「なに言ってるの?実習で合格をもらったらそれで実習は終わりなのよ。いい?実習では実習生に指導者を付けたり、沢山手間もお金もかかるのよ・・・。デンマーク人の新卒ナースだってみんなはじめは現場へ出るのは不安なものよ」と、あっさり却下。

 はじめはそれこそ、「今から必死に履歴書書いて、糖尿病看護に関する熱い情熱をメールで送りつけ、ダメもとでステノ糖尿病センター(そこで働くのが夢)にアタックしてみようか・・・」とも思ったのですが、よくよく考えてみると、ステノに知り合いもおらず、このコネ社会のデンマーク、もしかしたらアマーの仲良い糖尿病ドクター達にコンタクトを作ってもらってからの方がいいのか?とも思ったり・・・。考え方によっては、3ヶ月まるまる使って就職活動しつつ、ステノや他の糖尿病治療に定評のある病棟への布石を打っていくのもいいのかもしれない・・・。婦長はアホだけどドクター達はなかなかだし。
 迷います。色々なことを天秤にかけつつ、どうすることがいいのか悩みますが、でもあんまり過去の苦い経験にこだわっていてもしょうがないし、今後のことを考えるともうちょっと冷静に計算もしていったほうがいいのかも知れないし・・・。どうせ3ヶ月ですし。

 てことで、まだ正式にはウラや婦長にも伝えていませんが、アマーに戻る予定です・・・。

 が!「転んでもタダでは起きるな」はうちの母の格言ですが、私もタダでは戻りませんよ。金曜日に学校のスタディーカウンセラーを交えて再度評価面接をするのですが、そこでこれまでの婦長のいい加減さを恥じてもらうべく、カウンセラーの前でそれらを一つ一つ暴露し、改善するよう約束させたいと思います。

 ああ・・・これから冬へ向かう季節、アマー病院までの片道8kmのチャリ通がまた始まります・・・。
 

すばらしき休暇の日々 その2

2007年08月27日 | デンマーク暮らしの知識
 休暇前半の今週、はじめのうちは「そんな急にこんな休みもらってもなあ、何しよう?」と考えつつTVを観ている間に昼が過ぎ、気がつけば夕方という具合にせっかくの休暇を無駄遣いしていたわけですが、これじゃーいかん、ということで始めたのが、普段後回しにし続けていた細かいところの掃除や模様替え。

 家にずっといると「あのランプ・・・いやだなあ、いつまでもあんなダサいの」とか、「もっと台所のデッドスペースを有効に使えるようにしたい」とか気になりだすもので、お金もないのに大改造計画を立てたのですが、ことごとくヨナスの反対に遭い(そして喧嘩)断念。
 でも気になっていたださいランプだけは新しいのを買おうじゃないか、と水曜日はランプ探しの旅へ。コペンハーゲン内のアンティーク~モダンまでインテリアショップをヨナスと10軒以上はしごしました。

 この日は珍しく天気も良く、自転車でショップめぐりをしつつ、その合間においしいトルコ系デリのカフェでランチをとったり、アップルパイの安くておいしいお店で夜食(!)用にアップルパイを買ったり、道草もしつつとても楽しかったです。

 結局、Elmegadeというコペンハーゲン内で今けっこう流行っているエリア(若手デザイナーブティックやおされなカフェ&バーなどが多い)にある小さなアンティークショップで70年代の木製ランプを購入。シェードがまだないので、来週はそのランプのための素敵なシェード探しにでる予定です。
 あとこの日めずらしくヨナスと私の間で好みが一致したランプも他の店で見つけたので、そちらもまた後日予約注文をしに行く予定です。

 どうにもこうにも殺風景というか、無難を選択するあまりつまらない我々のアパート。まあ、貧乏なのですぐには無理ですが、時間をかけつつ世界一自分達にとって居心地のいい部屋を作っていきたいと思います。

*この日行ったショップ(おすすめ)

Bruun's Indretning
Elmegade 24, 2200 Kbh N
有名デザイナーではないけれど、70~80年代の質のいいものが置いてある。ランプを買ったお店。

Roxy Klassik
デンマークの有名デザイナー家具を中心に集められた広ーいアンティークインテリアショップ。有名チェアも状態がよく、新品を買うよりも意外にお手ごろだったりする。

R.O.O.M
コペンハーゲンで唯一、habitatの商品が買える店。比較的新しいデザイナーズインテリアものなら、ここにたくさんあり。

Picnic
すべてオーガニック食材を使った、ヘルシーなトルコ料理のお店。おすすめはサラダデリで、テイクアウトもできる。お店の雰囲気もかわいくて良し。

Reinh Van Hauen ApS
アップルパイが素朴でおいしい。

すばらしき休暇の日々 その1

2007年08月24日 | おもしろい人・おもしろいもの
 2週間の休暇中の私ですが、休暇に入った理由はともかく、ひさしぶりの休暇をまったくもってエンジョイしております。
 思えばデンマークに来て以来、日本へ行っている以外で長期休暇はなく(日本でも仕事してたし)、オペアの仕事が夏休みでも学校へ通わなくてはならなかったりと、休暇らしい休暇をとったことがあまりなかったような気がします。
 
 せっかく2週間も休みがあるものの、どこかに旅行へいけるほどお金もないし(無給休暇のため)、猫もいることだし家でのんびりすることにしたのですが、休暇しょっぱなの先日土曜日は、けっこうアクティブにシーカヤックなんぞをしてきました。

 そもそもきっかけは、友達カロラがウェイクボードをしたという話を先週したとき、「私もカヤックとかなにかマリンスポーツ的なことしたいな~。今年は夏らしくなかったし、何か海でしたいよ」と言ったことで、うす曇りながらも良い天気だった土曜日、カロラからお誘いが来たのでした。

 場所はコペンハーゲン南のアマー島にある、最近できたばかりのアマービーチパークです。最近まで勤めていた例のアマー病院のすぐそばです。そこではシーカヤックをはじめ、カヤックを漕いでするハンドボール?、ウェイクボード、ウィンドサーフィンなど色々出来るようです。

 まったくもってインドア派かつ体力なし運動神経なし、な私とヨナス、もちろんマリンスポーツなんてものは初めてだったわけですが、アウトドア派でいつもアクティブなカロラとだんなクラウスに導かれるまま、ウェットスーツを着込み、いざ二人乗りオープンカヤックへ。

 結論。二人の共同作業である二人乗りカヤック、まったくもってそのカップルの真の姿が出るようで、すーいすいと滑らかに漕いでいくカロラ&クラウスと正反対に、我々はオールの漕ぎ方もバラバラ、なぜかいつも左右に曲がってしまって真っ直ぐ進みません。漕ぎ方が悪いんだと人のせいにするヨナス、すぐにひーひーと言うヨナスに「体力も根性も足りない」と非難する私。なかなかどうして、想像していたような優雅なカヤックツアーになりません。

 でも、しばらくしてだいぶまともに漕げるようになり、太陽も出てきたのでヨナスに全てを任せ、私は横になって日差しをエンジョイ。ビーチの方ではその日ビーチバレー大会も行われており、その人々を眺めたり。
 しかもそんな風にのんびり休んでいると、新製品の紅茶飲料のサンプルを配るモーターボートがやってきて、「楽しんでね!」と紅茶をくれたり。気分的にはビールでしたが、。
 運動不足の我々(というかヨナス)には体力的に少々きついところもありましたが、でものんびりゆったり、ビーチそばの空港に降り立つ飛行機と、遠くの風力発電の風車を眺めつつ、穏やかに日差しと潮風を感じつつ、大好きなカロラ&クラウスとおしゃべりしつつ、本当に気持ちよかったです。

 カヤックで体力を使いおなかも空いてきた我々は、あらかじめ持参した簡易BBQセットで今度はBBQに。海を見下ろす小高い丘の芝生の上でビールを飲みつつ、またしても最高の気分です。
 前日が友達の結婚式でだいぶ飲みすぎていた私とヨナス、しかも我々の歴史上初、こんなにアクティブなことをした休日、いつもよりさらにゆる~いテンションだったのですが、それに合わせてか、カロラ達もゆる~く、お互いまったくもってリラックス。

 BBQ後一雨来そうだったため、後片付けをしてビーチからさほど遠くないところに住むカロラ&クラウス宅へ。本当はその後荷物を置いてから飲みにでもいこうかと話していたのですが、くたびれたし家でのんびり映画を観ようということで観た映画が、Team America World Police
 床に布団やブランケットをたくさん敷いて、そこで寝転がってビールとポップコーンで、アメリカ人カロラのリアクションを横目に超アメリカ的コメディ映画を観て・・・ここはどこ?なアメリカンな夜でした。最高に楽しかったー。

 カップルで楽しめる友達がいて本当によかったなあと思う一日で、この二人のお陰もあって、すっかり実習の鬱々とした気分から這い上がることができたのでした。

奈落、そしてあと3ヶ月

2007年08月19日 | デンナースへの道
 金曜日は久しぶりに号泣しました。看護学校で先生のウラから伝えられたときは、ウラもがんばってくれてるんだから、ここで泣くわけにはいかない、と我慢したものの、どうしようもできなくて、家に帰ってからスコットランドのあやちゃんに電話し、おいおいおいと話を聞いてもらったのでした。そしてラテン女の彼女の明るさのお陰で、なんとか浮上できたのでした。

 EU外からの外国人ナースが免許切り替えのために行うデンマーク厚生省の実習で、今回実習を無事修了することが出来ませんでした。1からやり直し、ではないものの、あと3ヶ月やり直しです。語るも涙、聞くも涙(というか呆れてものも言えなくなる)のこのしょうもない話、ちょっとみなさん聞いてやってください・・・。

 まず、前回の日記で、婦長が厚生省に提出するための書類を揃えずに3週間の休暇へ出てしまったことはお伝えしましたが、看護学校のウラ先生とスタディーカウンセラーのキアステン先生に相談して、結局、アマー病院の看護部長に婦長の代わりにその書類を記入してもらおうということになりました。
 私と婦長との間には、すでに7月23日の時点で評価面接が行われ(スタディーカウンセラーが同席するはずだったけど、婦長が連絡を忘れていたので実現せず)、「香苗は99%デンナースとして通用する、素晴らしいナースだ」という評価をすでにもらっていたので、それら評価がそのまま看護部長によって代筆され、厚生省へ提出されるものだと、私もウラ先生も思っていました。

 本来、この最終評価面接は、学生、職場長、第3者としてカウンセラーなどが入り、評価が適切に行われるようになっています。もし納得がいかない評価の場合、その場で話し合いというか、なぜそうなのかというコメントをもらうこともでき、相互が納得した上で評価書類に病院側と学生がサインをし、その上で厚生省へと提出されます。

 が、何を思ったのかこの看護部長、評価をした書類を私に見せることもなくそのまま厚生省へ提出。ウラ先生の元にはその評価書類のコピーが送られてきたのですが、それを見てウラ先生愕然。

「香苗は現時点で言語的に問題があり、専門的にも知識が十分とは言えない。もうしばらくのトレーニングが必要と思われる。」との評価が。

 私はその看護部長とこの7ヶ月間、ほとんど挨拶以外口を聞いたこともなければ、病棟に一日1、2度、空床を数えに来る時に顔を合わせる程度です。唯一、先日の殺人的多忙の日に「香苗一人で5人も退院患者を出したの?すごい!あなたはとてもエフェクティブね!」と褒めてもらったくらいで、ほとんどつながりもない人です。
 そんな彼女が、どこで誰と話し合った結果なのかしらないけど(話し合ってもいない様子だけど)、一体どうして私のことをそんな風に評価できるというのでしょうか??私の一体何を彼女が知っているというのでしょう??

 本来、私のような実習生は一人で患者を担当するのはもちろん、回診にも補佐役のナースが付くべきで、学校のルールとして「一人では仕事をこなしてはいけない」はずなのです。私は常に病棟の中でエクストラ要員であるはずで、学ぶ立場を保障されなければいけないはずなのです。
 私のお給料はH:Sという首都病院連合から支払われるもので、病棟からではありません。なので私が学びつつどのようにその病棟で働こうが、病院には直接的には関係がないのです。

 でも私は実習開始からおよそ3ヵ月後には一人立ちを無理矢理させられ、回診にも投薬にも退院手続きにも一人でさせられてきました。何度か婦長や学生担当ナースに改善を求めるようにも言ってきました。そのたび婦長は「じゃあ来週から私があなたに付くから」と約束したものの、一度もそれが守られたことはありませんでした。中間面接で「これとこれについてまだ曖昧だし不安なので、教えて欲しい」と頼んだことも、結局教えてくれませんでした。
 夜勤だって最後の2ヶ月は責任者ナースとして、アシスタントと一緒に仕事をしてきました。

 それらを見てきているからこそ、婦長も「デンナースとして十分やっていける」と評価していたのに、どうして何も見ていない、知らない部長が「不十分」だという評価ができるのか。

 だいたい不十分である実習生を、どうして何ヶ月も一人で働かせておいたの?矛盾してます。意味がわかりません。

 噂によると、婦長不在で事情もよくわからないし、めんどくさいこと押し付けられた部長が「えーい、とりあえず”不可”としておけ」と下した評価なのでは、と。

 正しく評価面接が行われなかったばかりか、こんな評価では厚生省の審査にパスできるはずもなく、しかもこちらに何も伝えず書類を送ってしまった部長に、ウラ先生激怒。電話で部長とどういうつもりなのかと話し合ったものの、「私は事情もよくわからないから、私ができる評価をした。今回のことで婦長がいい加減な状態で休暇に出てしまったりしたことについては残念だと思う。」とのこと。評価を修正するつもりもないとのこと。

 ていうか、事情がわからないんだったら評価するな!!残念だと思うって、残念で済むか!!人の7ヶ月間をなんだと思ってるの??謝らないデンマーク人、ここにあり。地獄に落ちろ、です。

 幸いにも、運よく厚生省の担当者が夏休みで不在だったため、この評価書類は受理されておらず、ウラの要求で差し戻しをさせることができたのですが、もしこれが受理されていたら・・・。どうなっていたのでしょう、また7ヶ月やり直しだったかも。

 結局、「本当に残念で悔しいけれど、これ以上あのバカな人たちと議論をする時間も労力ももったいないわ。今回のことはつらいけれど忘れましょう・・・。幸いにも厚生省には書類が受理されていないから、実習をやり直す必要もないし、3ヶ月だけ他のところで働いて、そこでの評価をもらいましょう。大丈夫、お給料は今まで同様でるし、あなたなら必ずそこで正しい評価が下るはずだから・・・」とウラも言うので、このアマーの病棟をすっぱり辞め、筋書き上は「7ヶ月アマーで働いてみたものの、まだ独り立ちするのに不安があるため、あと3ヶ月間他の病棟でも実習をしてみることにした」ということにするそうです。今、ウラが他の病棟を打診してくれているので、その病棟が受け入れてくれるようであれば、9月1日から3ヶ月、また実習をすることになります。

 ちなみに、今返事待ちのところはなんと、王立病院Riges HospitaletのICU、集中治療室です・・・。大丈夫なのか、そんなところ・・・?でもウラ先生曰く、「ICUは患者一人に対しナース一人でついて仕事するし、素晴らしく熟練したナースが多いから。スタッフもみんな本当に優しい人たちだし、教育することにかけてはプロよ。」とのこと。
 やっつけ仕事でほったらかしのアマーよりは、別の意味で現場は厳しいものの、100倍くらい私にとってはマシだとのこと。なので今はひたすら、その病棟で受け入れてもらえることを願うばかりです。

 なんというか、散々な思いをしてくぐり抜けた7か月の末、悲惨な結末でしたが、奈落の底でも決して絶望ではないわけで。「デンナース免許」という紙切れ一枚のためにがんばってきた7ヶ月+これからどうなるのやらの追加の3ヶ月、他のクラスメイトがあと1ヶ月ほどで実習修了し免許を手にする中、私だけ最後に取り残されているのも悲しいけど(11月にはオーストラリアに帰るクラスメイトエリザベスの送別会も兼ねて、全員免許取得合格パーティをする予定だった・・・)、ウラもがんばってくれてるし、ここまで来たんだから、あと3ヶ月、がんばります・・・。本当はもうがんばりたくもない気分だけど、9月までの休暇でなんとか気分をしっかり浮上させようと思います。

 そんなわけで、「Kanaheiデンナースへの道」はまだ続くのでした・・・。みなさん応援よろしくい願いします・・・。 

*トップのロゴはデンマークナース協会のロゴ。このバッヂを手に入れるまでにはもう少しかかりそうです・・・。 

 

もう十分だ!

2007年08月15日 | デンナースへの道
 色々あった先週末から今週にかけて。一体何から語ればいいのか・・・。

 とりあえず、今日(現在時刻21時)この後再び夜勤に出かけて、それ限りでこの7ヶ月間続いたデンマーク厚生省のナース免許切り替え実習が終了します!わー!長いようで早かった!気がつけばあっという間でした。

 そして、その後も12月の日本帰省まで、同じ病棟で本採用契約をしていたのですが、もろもろの事情により、それをキャンセルし、実習終了とともに病棟を辞めることにしました。なので今日の夜勤が本当の最後。

 だいぶ慣れてきたとはいえ、今の病棟の中でも普通にナースとして機能できているとはいえ、また別の病棟で一から始めるということのストレスと、今の病棟でのストレスを秤にかけた時、そのときは後者の方が軽いと思っていたのですが、状況が変わりました。いや、変わってない、「悪い状況のまま改善の兆しが見えない」状況に正直疲れました。今までたびたび婦長らに面接などでも訴えてきたのですが、結局口約束だけだったし、状況が改善されるどころか仕事と責任、負担が増える一方です。もう疲れた。

 今回決断するに至った経緯としては、例の妊婦さんからの負担もだったけど、またしても、またしても!婦長クリスティーナと教育担当ナースのパトリシアが同時に休暇を取って病棟をカオス状態に陥れたこと。
 二人は私生活でも仲の良い女友達なのですが、先週からクリスティーナ3週間、パトリシア2週間、同時に休暇を取り、二人でユランかどこかのサマーハウスへ行っているとのこと。その間、病棟運営に関することで責任もしくはある程度の情報を知っているスタッフもおらず、完全に責任者は不在の状態です。しかも彼女達以外に休暇を取っている正規雇用ナースは4人。新人と派遣ナース&アシスタント、夏休みバイトの看護学生のみで病棟を回しています。

 クリスティーナはあり得ないシフト作りの天才で、今までも散々私はそのせいで辛酸をなめてきましたが、今週月曜日はこの7ヶ月におよぶ実習の中で最もつらかったです。

 普段スタッフ不足を理由に、病棟受け入れ患者数を12人、救急外来などがパンク状態など緊急時には15人をマックスに受け入れているのですが、月曜日に日勤で病棟へ行ってみると、夜勤のノルウェー人新人ナースと能無し(とあえて言わせてもらおう)スウェーデン人アシスタントが定員以上の患者を受け入れてしまったため、患者数16人。この夏休みで人手が到底足りない時期に!
 そして勤務表をみると、その日なんとナースはこの私たった一人。すべての回診と薬の調合、退院などもろもろの手続き、病棟運営に関するちょっとしたやりとりまで全て一人です。他には同じく新人のアシスタント、派遣アシスタント、看護学生のみ。
 しかも、その日私は7時~12時まで日勤で、その後帰宅し仮眠を取ってから23時から深夜勤です。12時まで終われるわけがないし。だいたい私が帰ったらナース誰もいないじゃん、って。

 この日は月曜日だったわけで、月曜日といえば週末に溜まりに溜まった仕事が回ってきて、週の中でも一番忙しい日です。その前の週末に、例の妊婦さんが手をつけずに放っといた患者さんの退院プランもあるし(なぜ検査も回診もない暇な週末にできることをしておいてくれないのか!)、複雑な状況の患者さんとその家族を交えたカンファレンスもあります。
 さらにストーマを造ったばかりの患者さんの傷が、朝っぱらからどばっと開いて排膿してるし。夜勤者は何を見ていたんだ!!慌てて救急外来の外科医に連絡を取ったり、パニックです。本気で。でも私が取り乱してると、周りはもっと混乱するし。
 とりあえずその患者さんのことは外科医とアシスタントにある程度任せ、私は私の仕事に取り掛かったのですが、まだ実習生の私をこんな状況に陥れた婦長に腹が立って、悔しくて泣きそうだったのですが、泣いている暇もない。

 情報収集の後、薬調合、ドクター&他職種とのカンファレンス、回診、処置、例の貧乏性悪トーンビューコミューンとの退院手続きを巡る電話でのやりとり(ほぼ喧嘩)、退院レポート作成、患者の転出手続き、などなど、狂ったようにやりこなしました。この日退院&転出をさせた患者はなんと8人(それだけ退院プランを放っとかれた患者さんも多かったということ)。
 幸いにも有能なドクターと一緒だったので出来ましたが、自分で自分を思い切りほめたいです。がんばった!看護部長に当たるナースが病棟を見回りに来たときも(どこの病棟がどの程度空床があるか見に来る)、「すごい!あなたとってもエフェクティブね!」と褒めていただきました。

 結局この日は16時まで一切休憩なしで仕事して(医療秘書が心配してお水を運んできてくれるほど、集中して働いていた)、買い物して帰って夕飯を食べ、また夜勤へと出かけたのでした。(でも家でも仕事の悪夢をみて安眠できず)

 これだけでも辞めたくなる理由には十分なのですが、さらに、婦長が私の免許申請に必要な、職場長の評価の書類を全く用意せずに休暇へ出てしまったのがわかったのでした。しかもこの実習の最終評価面接には、看護学校のスタディーカウンセラーが必ず同席するはずだったのに、スタディーカウンセラーが何度も婦長に電話をかけていたのに、一度も折り返し電話をしていなかったとのことも、今日スタディーカウンセラーから聞いて発覚。当然看護学校の先生、ウラは婦長に激怒しています。「あなたがこの病棟を続けたいなら、もちろんできるわよ。でもなぜ辞めないの?私は正直あの婦長の病棟をもう信用できない」と。
 
 ちなみに私の労働ビザは実習が終了する8月15日付けで切れるので、評価面接をした7月23日には婦長にそのことを伝え、婦長は「わかった、そのことについては答えをみつけて手続きしておくから」と言っていたのに。結局送られてきたのは本採用に関する書類のみで、後は無し。3週間のバカンスで電話もつながりません。結局、免許無し、ビザ無しで働くことは出来ないので、15日以降のシフトはすべてキャンセル(このせいで周りのスタッフにも迷惑がかかることが悲しい)です。

 もう十分でしょう?愛想を尽かすには。ということで、これから2週間ほど自動的に休暇となります。その間に次の職場を探したり、ちょっとのんびりします。はー、もう十分だ!

 さあでは、これから最後の夜勤へいってきます。

大物かもしれない

2007年08月13日 | 猫の話
 猫が来て1週間が経ちました。はじめはどうなることかと思いましたが、3日目以降どんどん家にも我々にも慣れてきて、今ではすっかり我が家のお猫さまとして君臨しています。

 先週金曜日ははじめて獣医さんのところへ行って来ました。初めての外出です。前にフリーマーケットで買ったキャリーに入れて、ちょっと迷ったのですがやはり自転車の後ろの荷台に載せて行くことに。獣医までの道中、ずっと「みゃあああああ」と鳴いており、道行く人に振り向かれます。ぎゃ、虐待じゃありませんってば!
 なんとか着いてみると、待合室にはブルドッグが1匹、ほかにもでかい犬が2匹。猫の匂いを嗅ぎつけて興奮しています。やばい、ただでさえトランスポートでのストレスもあったのに、犬に脅かされ、なおかつこの後にはワクチン注射が・・・ストレスで吐いたりしないかしら・・・と心配に。

 しかし、意外にも本人(本猫?)はひょうひょうとしており、診察室で先生に健康チェックをしてもらっている間中も、先生に抱っこされてちょっとうれしそうにしています。注射をされたときだけ一声鳴いたものの、その後も興味深そうに辺りをくんくん嗅ぎつつ興味深そうに歩いていたり。ともあれ心配したほど暴れたりしなかったのでよかったです。健康状態も良好で、「きれいで健康な猫になること間違いなし!」と先生からもお墨付きをいただきました。

 そして昨日、来週から休暇でスウェーデンへ行くヨナス姉マリアさんが、飼い猫ジンジャーと一緒に訪問してきました。我々はよくマリアさんが旅行で留守にする際、ジンジャーを預かっているのですが、今回はうちにも猫がいるので、相性が合うかどうか事前にチェックするためにやってきたのです。

 まずキャリーに入ったままのジンジャーとうちの猫を対面させてみたのですが、ジンジャー興奮!!激怒!!「ううううう」と低い声で唸りつつ、フーッっと威嚇しまくりです。
 しかし対するうちの猫、一瞬フリーズし、その後ちょっとふるふる震えていたものの、どうにもジンジャーから目が話せずにらみ合うことしばらく、「遊べるかもしんまい!」と急に元気になってジンジャーを挑発し始めました。怒るジンジャー、しかし気にせず「遊ぼ!遊ぼ!」とキャリーの周りをぐるぐるしつつちょっかいを出すうちの猫。「おまえ・・・ジンジャー怒ってるんだよ?わかってる?」と言いたくなるほどわかってない猫。無邪気なのか、大物なのか。
 結局その後も和解はできぬまま(でも少しジンジャーも慣れたかな?)、ジンジャーはチビ猫に不機嫌なまま帰って行きました・・・。来週からジンジャーはやってきますが、1週間どうなることやら・・・。



挑発するねこ

 そうそう、結局1週間名前を考え続け、「ねこ」が定着しつつあったのですが、昨日夜飲みにきた猫好きGさんに、考えていたけど決めかねていた「たび」という名前を「それでいいじゃん!」と賛成していただき、「たび」に決定しました。たびの由来は「足袋を履いてるみたいだから」。メス猫だったら聖書に出てくる「寡婦のタビタ」のタビタにしたかったんだけどな~。

 そんなわけで、たびです。みなさんよろしく!すっかり家にも慣れてわんぱくになっていますので、猫好きのみなさん遊びにきて(そして遊んでやって)くださいね。 

妊婦は強し

2007年08月08日 | デンナースへの道
 ドクターのハンスと前に私の今後の進路について話していたとき、「大丈夫、どこの病棟でも必ず産休のナースがいるからね。ナース(女)ってやつは常に妊娠をするものだから・・・。だからダメもとで申し込めば産休代理とかででも採用される可能性はあるよ!」と。

 そう、たしかにデンマークは妊婦が多く、女性の職場であれば常に産休とかで欠員がいるほどです。なのでうちの病棟も然り。一人が産休明けたと思ったら、すぐさま交代で誰かが産休入り、もしくはつわりなどの体調不良で病欠で、欠員が埋まったことはありません。

 今、うちの病棟には2人の妊娠後期の妊婦が働いておりますが、ちょっと彼女達をめぐって私には複雑なものがあります。

 お腹が大きくて苦しい、疲れやすい、気が立っている、その他もろもろの症状のため、いたわりながら働かなければならないのはわかる。大事をとって突然、もしくは長期で休む、楽なシフトを取る、それもわかる。
 子供は国の宝であるし、人類の宝であると思うので、ぜひ彼女達を「がんばって生んでね!」と応援してあげたい。
 日本での少子化の原因って、国の対策もだけど、堂々と子供を産み育てられないように仕向ける周りの反応だったりもするので、妊娠で体調も最悪なのに散々厭味を上司(しかも同性)に言われ、ノイローゼのようになってまで働いている先輩も見てきた私は、出来る限り妊婦さん&お母さん達が気兼ねなく、のびのびと働けるように配慮していきたいと思っています。

 でも!!!そうは言ってもその彼女達の穴を、仕事の肩代わりはどうしたってしなければならぬわけで、しかも!!!私のように結婚もせず子供もいない者は、他の同僚のように「うちは小さい子供がいるから」と逃げるわけにもいかない。そりゃ家族は大切ですよ、だからどうしたって独身者のプライオリティが下がるのは仕方ない。けど、けど、私だって私の生活が・・・。妊婦のようにフィジカルな負担はないものの、ガイジンってことでメンタルでの負担はそれなりにあるのよ!と言いたい。

 最近、その妊婦さんのスタッフなど病欠のスタッフが出て病棟が回らないという非常時、第一連絡先が私のところへと「暗黙の了解」でなっているのが、非常に気になります。夏休みもない私が、やっと取れた3連休の土曜日の朝っぱらから、「今日、今から来れる?だめ?じゃあ夜勤でもいいけど?」と電話をもらうことの、そして「勘弁してください・・・」と断ったときの後味の悪さ。

 しかも、こちらも色々協力しているというのに(体力を使う作業を代わりにする、彼女の担当患者の分も私がケアをする、彼女へのナースコールもできるだけ取るなど)、お礼一つなし、しかもこっちが言葉の問題&慣れないシステムのことで質問してるのに疲れているを理由にあまり協力してくれない、イライラとストレスを振りまかれても、事情がわかるだけに「いやいや、彼女が疲れる理由もわかるし・・・体調も悪いのかも知れないし・・・子供もいないし家に帰れば自由気ままだろうとかどうせ思われてるんだろうし・・・」とひたすら我慢を重ね、こうして家でブログで愚痴を載せる羽目になり、独身者の精神衛生上非常によくないです。

 妊婦への、小さな子持ちのお母さんへの独身者の叫びなんて、人類の宝を育てている彼女達にとっては取るに足らないものですが、そんなことを話してみても「あなたも生んでみれば(育ててみれば)わかるわよ」とお決まりの言葉を言われるのが目に見えていますが、時々ちょっと切ないです。
 そんなわけで今日も、我が病棟の「無敵の妊婦」のために若干憂鬱だったのですが、せめて自分がそうなったときには独身者、そして、もっとそういう意味では可哀相な男性に対し、優しい素敵な妊婦もしくは母になろうと心に誓ったのでした。 

コミューンとの戦いパート2

2007年08月08日 | デンナースへの道
 もうっ、本当に嫌になります。仕事上のストレスの40%を占めるんじゃないかというくらい、またしてもトーンビューコミューンとのやりとりで気力体力を消耗しています。

 トーンビューコミューンとは、コペンハーゲンの南、アマーという島にある、小さなコミューンで、トーンビュー市とカストラップ市(空港があるところ)が合わさったものです。
 私の勤めるアマー病院は主に、その周辺地域の患者さんを担当しているので、患者さんの退院に際し、ホームヘルパーや訪問看護を依頼するなど、トーンビューコミューンの福祉コーディネーターとファックスや電話で必ずやりとりをすることがとても多いのです。

 このやり取りの中でなにが困るって、このトーンビューコミューン、コペンハーゲンコミューンなど他のコミューンに比べて貧乏だということ。

 住所を登録した際、住民はその自分の住むコミューンに地方税を払うわけですが、トーンビューはまずコミューンとして独立して機能するには小さい、まだ未開拓の土地が多く、住民も少ないので徴収額も少ない=貧乏コミューン。
 そしてこれは声を大にしては言えませんが(ってブログで何を言うだけど)、トーンビューコミューンの住民はシェラン島の他のコミューンに比べて住民の低所得層(学歴が低い、貧乏な移民が多い、アル中や薬中の住民が多いなど)が大きいということもあり、それも貧乏に拍車をかけている、という噂。
 関係ないけど、品が無い響きの、いわゆる「アマーケンスク(アマー弁)」をしゃべるのも、このトーンビュー住民が多い気がします・・・。

 そんなトーンビューコミューン、住民に提供している介護サービスが少ないので、他のコミューンでなら無料で受けられるサービスに利用者は利用料を払わなければならなかったり、スタッフも多く雇えないのか、死ぬほど忙しいようで、介護コーディネーター達は常にヒステリック、ありとあらゆる仕事を関係ない病院の方に押し付けてきます。

 電話でホームヘルパーの予約などを話し合っていても、「はあ??」という質問をされることしばしば。私の言葉の問題で理解できないのかと思いきや、電話を代わったほかのナースも「はあ?!」となっているので、やはりおかしいのは向こうの方なようです。ちなみに今日は・・・

トーンビュー「あなたが送ったこの退院手続きレポートによると、この患者さん週に1回シャワーのお手伝いヘルパーが欲しいってありますけど」

私「ええ、お願いします」

ト「これって絶対必要ですか?患者さん自分でできないの?」

私「・・・そうですね、患者さんも望んでいることですし・・・(じゃなきゃ頼まないよ)」

ト「あなたから見てどうなんですか?彼は助けが必要だと思う?彼が自分でもできそうだったら・・・1krでもお金が浮くんですけどね?」

私「いや、無理ですよ、彼足元もおぼつかないし」

と、この後も他に依頼したサービスについて、同じように「これ必要なの?お金もったいないじゃん」的やりとりが続く。必要じゃなかったら依頼しませんってば。

また他にも・・・

ト「じゃあ患者さんはホームヘルパーが必要なんですね?トーンビューコミューンでは3つの民間ヘルパー会社があって、患者さんに選んでもらってるんですけど、どれにするか患者さんに聞いてもらえます?」

私「(え?!自分とこの公的ヘルパーいないの?!)患者さんは痴呆もあるので自分では選べないと思いますけど・・・?」

ト「そんなことはどうだっていいんですよ、とにかく患者さんがこの会社にしますって言ったという証明が契約のために必要なんですよ。いいからA、B、Cのヘルパー会社のうちどれがいいか聞いてきてください」

私「じゃあ、A、B、Cはどう違うんですか?」

ト「わからないの?!あなたたちサービス一覧表とかないの?」

私「(婦長に聞いてみるもそんなものはないと)・・・無いらしいですね」

ト「まあいいわ、ていうか内容はほとんど同じです」

私「同じなんですか?!じゃあ選ぶ必要もなにも無いじゃないですか!」

ト「だーかーらー、患者さんがこう言いました、っていう証拠を残さなきゃいけないのよ。いいから聞いてきて」

 その後、仕方ないので患者さんのところへ行き、「あのー・・・3つのヘルパー会社があるみたいで、どれにします?内容はほとんど同じらしいんですけど・・・」と聞くと、さすがに患者さんも「はあ?」となり、お年寄りなこともあって余計なこと言い出すとますます混乱を招くので、「と、とにかく、A、B、Cの中で好きなのを言ってみて!」と無理矢理言わせ、コミューンに伝えたのでした。わけわかめです。

 ナースステーションで看護師がイライラと電話対応をしているとき、そしてその電話を切った後大きなため息やスラングが思わずこぼれるときは、だいたい80%以上トーンビューコミューンとのやりとりです。
 今日のコミューンとのやりとりを他のスタッフに愚痴ったところ、「彼らはまるでやる気なし、協力する気も手伝う気もない奴らよ。本当に毎回こうなんだから」と。もう、いっそのことコペンハーゲンコミューンに入ったらどうよ?と言いたい。(ああ、でもそんな貧乏コミューンを担ぎ込んで、こっちの地方税が上がったりサービスが悪くなっては困る・・・)

 アマー病院で働いて悟ったことの中で一番大きなものは、「絶対この先トーンビューコミューンには住んではいけない(特に子育てや老後など最もコミューンにお世話になる時)」、そして引っ越すときには(家を買ったり)、よくよくそのコミューンのサービスを調べてからにした方がいい、ということです。

 ああ、明日もまた担当患者さん2人をトーンビューコミューンに送り返すため、彼らとやり合わねば・・・・。

猫生活2日目

2007年08月06日 | 猫の話
 昨日、あれだけ「この子、ちゃんと新しい生活に適応できるかしら・・・?」と心配したのもつかの間、その3時間後くらいには本棚の裏から引きずり出して抱っこしてみたら、すぐに私の腕の中でぐーすか眠り、目覚めると部屋を注意深くあちこち嗅いで調べてまわり、その後はおもちゃで遊んだり、だいぶ馴染んできていました。

 初夜(?)は、ベッドの下にもぐりこんでしまってまったく出てこず、お母さんを呼んで1時間ごとに「みゅー!みゅー!」と鳴いては眠りを繰り返し、お母さん代わりに私も「にゃー!」と応えたりで忙しく(応えないと鳴き声が激しくなるため)、安眠できませんでした。
 朝方にはようやくベッドに登ってきたものの、買ったばかりの上等なシーツをカリカリして遊んでるし(そしてなぜか私とヨナスの足の裏をぺろぺろ舐めていた)、今日が日曜で仕事もなかったから良かったものの、これがこの先も続くとなると・・・ぐったり。

 今日は昼間、寝不足がたたってか、ずっとうとうとしていましたが、さきほどから復活し、今は本棚の本の間を探索してみたり、部屋から部屋へとたったか走りまわっています。
 まだ覗き込むと身を引いてしまうものの、こちらから寄らなければ向こうからたたーっと走り寄って来ては、私に向かって「みゅー!」と話しかけてきます。ごはんもしっかり食べて、しっかりいいうんちをたくさんしています。

 うんちもおしっこもちゃーんとトイレでしてくれるし(そしてそのトイレの砂で砂浴び?をしているのが非常に気になるけど)、カリカリのキャットフードもちゃんと食べてくれます。えらいぞ!猫!(まだ名前がない)

 内向的な性格なのか、暗くてせまーい所が大好きなのですが(落ち着くらしい)、早くここを我が家としてもっと慣れて、部屋の隅っこに引き篭らないでほしいです・・・。だって出てくると体中誇りまみれなんだもん・・・(今日は良い天気なのに部屋の隅々まで掃除するのに費やしました)。


寝ては起きてを短時間で繰り返す「ねこ」。