Kanaheiのデンマーク生活

糖尿病の勉強をしたくてきたデンマークでの紆余曲折な生活を日記として残しています。

死ぬかと思いました。

2016年11月02日 | 妊娠関係
 いやはや、大変な目に遭いました…。まさかの事態です。

 ホルモン補充療法を始めて、卵もすくすくと順調に育っていました。採卵の6日前には右側卵巣に7つ、左側に2つだったのが、採卵2日前にはなんと右側9つ、左側3つとさらに増え、採卵日には12個中、卵子が含まれていたのが11個と、なかなかの収穫高でした。

 採卵の日には、過去、モルヒネでめまいと吐き気でひどい目にあった経験から、看護師さんに最初は控えめなモルヒネ量でとお願いしていたのですが、それがいけなかったのかなんなのか、最初のひと突きがかなり痛く、「すいません、やっぱり痛み止め追加で…」と。処置をしてくれたドクターも私が痛がるものだから、急いで終わらせてくれて、無事にその時はおわりました。

 その後、診療台のような簡易ベッドに寝かされて休んでいたのですが、お腹の痛みが止まらないのです。処置後は生理痛のような鈍痛がある、と言われており、過去2度の時もそうだったし、でも普通の痛み止めで十分な程度でしたが、今回は明らかにもっと痛い。
 痛みで眠ることもじっとしていることもできず、唸っていると、看護師さんがボルタレン座薬を持ってきてくれたのですが、これも一瞬効いて5分ほど眠りに落ちたものの、また痛み復活。しかも今度は胃の締め付けられる痛みです。
 朝ごはんはしっかり食べたものの、この時点でもうお昼近く。緊張もあって胃酸がたくさん出ているところにボルタレンだったので、きっと胃を刺激したのでしょう。しかもお腹の痛みも痛みのスケール10のうち7か8くらいまで下がったものの、相変わらずです。でもとにかく寝心地の悪い診療台にいるよりも、家に帰って休みたい気持ちがあり、ドクターに確認のスキャンをしてもらったあと、帰宅しました。このときは、「通常採卵で起こる程度の出血はあるけど、問題はない」ということだったのですが…。

 帰宅してすぐにベッドで休んだものの、やっぱり痛い。うとうととしながら悶えつつ、頭に浮かんだのが「卵巣過敏刺激症候群」。いわゆるホルモン剤による合併症です。症状としては、お腹の痛み、そして腹水による膨満感。見れば私のお腹もみるみる膨らんでいき、腹痛も治るどころか、どんどん増していくばかりです。
 通常、卵巣過敏刺激症候群は妊娠確率時、もしくは受精卵を戻したあとに起こることが多いそうですが、最後にスキャンをしてくれたドクターは、「卵巣過敏刺激症候群リスクのボーダーラインね。慎重に経過を見ましょう」と言っていました。でもすでに症状的には似ているし、知り合いで2人、これになって(しかも重症の)しまった人がいるので、やっぱり受診することにしました。

 私は看護師で、普段から超健康体です。なので、救急(クリニックは公立病院なので夜は閉まる)に電話をするというのはかなり勇気がいります。というのも、「こんなの実は私が大げさに騒いでるだけなんじゃ…」とか、「たいしたことないのに救急かかって迷惑かけてしまうかも…」とか、他人事だったら「何言ってるの!すぐに電話しなさい!」と言えることが、自分ではなかなかできないのです…。でもさすがに、このまま夜を過ごす、しかも翌日仕事に行くとなると、「無理だな…」と判断し、首都リージョン(州)の緊急電話へかけることに。
 電話対応してくれたナースはイマイチ不妊治療や卵巣過敏刺激症候群についてわかっていないようでしたが、王立病院の婦人科に連絡をとって緊急受け入れの体制を整えてくれました。

 しかし、この緊急電話は、患者の待ち時間を減らすため、各地にある病院の中でもっとも順番の少ないところを選んで予約制にするシステムです。私がもらった予約時間は20時。この苦しんでいる時点から2時間半後です。H氏は膨らんでいく私のお腹と、苦しみようを見て、その王立病院の婦人科に電話し、「こんな状態ではとても家で待っていられない!」と説得し、すぐに王立病院へ。

 救急の婦人科では、一通りの手続きの後、ドクターの診察を待っていたのですが、あまりに苦しそうにしている私をみた看護師さんに、廊下にあったストレッチャーに横になるよう言われ、そのようにすると、途端に信じられない激痛が!!ちょうど横隔膜あたりに刺すような痛みが走り、びっくりして起き上がったものの、それはもう痛くて痛くて呼吸ができず、涙がボロボロ出て来るだけです。横になることで腹水が移動するのか、起き上がりしばらくするとやっと呼吸ができるようになる始末です。

 そこから椅子に座って、まるでお産をする妊婦さんのように口で浅い呼吸をしながら痛みをしのぎ、待つこと1時間ほど、やっとドクターがきて診察です。クールな女医さんがまずスキャンをしていくのですが、とにかくそれも痛い。最後にお腹を外からエコーで診るとき、診察台を倒さねばならず、また仰向けになったとき、例の激痛が!!!とにかく息ができないのです。悲鳴にもならない、嗚咽のような声で、痛みでパニックになって起き上がろうと必死になるのですが、痛くて痛くて起き上がれないし、地獄です…
 それまで何も言わずにエコーをみていた女医さんは、やっと起き上がってまだパニックの私に「お腹の中で出血しているみたいだから、手術をしなければいけない。今すぐに準備をするから」と冷静に説明すると、すぐに内線でオペ室と連絡を取り始めました。
 私はもう痛みのショックで血圧がどーんと下がったようで、意識朦朧(看護師さんの説明とかまったく耳に入らない)、全身冷や汗でぐっしょり、さらに気持ち悪くなって吐きまくる始末。

 その後あれよあれよという間に手術の準備がされ、オペ室へ入ったのが21時ごろでしょうか。ここでもまた、座っていれば大丈夫なのに、手術台に仰向けになった際、例の発作が起こり、何も知らない麻酔科医、麻酔科ナース、オペナースがびっくりして「落ち着いて!横になって!深呼吸して!」と4人がかりで押さえつける(手術台から転げ落ちる勢いだったので)のですが、痛みで息ができない私は説明することもできず、麻酔医が慌てて鎮静剤を投与するまで、たぶん5分くらいだったとは思うのですが、私には永遠と思える拷問のような仕打ちでした…。手術後2日経った今でも、首の周りが筋肉痛で痛むのは、押さえつけられて必死に起き上がろうと抵抗したからかと思われます…。

 手術が無事おわり、目が覚めたのは、麻酔科ナースが「起きて!しっかり目を開けて!」と荒手な感じでバシバシ顔を叩いたり体をぐわんぐわん揺すりつつリカバリー室へ向かう途中でした。相当鎮静剤を投与されたようで(術前の発作のため)、また出血のせいで血圧が下がっていたため、H氏曰く、移動中、眠りに落ちるとすぐに脈拍が下がってナースがヒヤヒヤしていたそうです。

 執刀してくれたのは、診察をしてくれた女医さんで、術後の説明では、約500mlの血液を腹腔内から吸引し、出血源である右側卵巣の穴には止血の処置がされたとのことでした。仰向けになったときの痛みは、横隔膜に血液が流れ込むことで染みるような痛みが発生していたのだとのこと。
 なんと恐ろしいことに、腹腔鏡オペでも経過がよければ即日退院もある、とのことでしたが、さすがに病棟に戻ったのが24時を過ぎていたこともあり、その日は休んでいくことに。ていうかさすがデンマーク…。

 初めての入院は、2人部屋に一人だったこともあり、また、この日の急患がほとんどいなかったこともあって、とても静かでした。術直後、全身が恐ろしく浮腫んだためでしょうか、体のあちこちが痒くて、それだけが睡眠を妨げていましたが、かなり快眠でした。

 翌日は血液検査(ヘモグロビン値はやはり低かった)と回診の後、じゃああとは適当に帰っていいから、とさっくり言われ、貧血マックス(ヘモグロビン5って…なんで輸血してくれなかったんだろう…)でグロッキーな中、歩いて病院出口まで行き、車で迎えに来てくれたH氏の運転で帰宅したものの、しばらくは会話するのにも苦しいし、めまいはひどいし、20時間くらいぶっ続けで眠りに眠りました。
 
 本当ならこのまま眠り続けて回復を待ちたいところですが、執刀してくれた女医さんは「子宮にはなにも影響はないし、不妊治療を続行できるわよ」と太鼓判を押してくれたので、今日は重い体を起こして、無理やり何か栄養になるものを食べ、がんばって水を飲み、少しでもお腹の空気(腹腔鏡で見通しをよくするため腹腔内に空気を入れるので、術後膨満感が残る)を排出するため、短時間ですがライカの散歩にも出かけました。

 クリニックの卵ラボに電話すると、11個もとれた卵子なのに、受精後分裂をしたのは6つのみ。それでも十分ではありますが、やはりあんな苦労(オペ)までしたのに感はぬぐえません…。まあしょうがないけど。
 採卵後に起こったことを軽くラボに説明し、正直まだ全然体調よくないっすと伝えると、とりあえず受精卵たちはあと3日は成長を見守らなきゃいけないし、金曜日にもう一度連絡して、どうするか決めましょうとのことでした。

 本来ならここまでストレスを受けたわけだし、受精卵を全部凍結して、私の回復を待ってもいいのでしょうが、私はなんてったってナースなので、そのへんタフにできてるし、ある意味卵を戻すという目標があることで、リハビリにも気合が入ります。女医さんの「子宮は大丈夫」というお墨付きでもあるし、これまた女医さんから「卵も戻すんだから、ゆっくり2週間は休みなさい」と、病欠の書類も書いてもらいました。
 それに卵は鮮度が命。凍結後解凍した卵は、やはり着床率ががくんと落ちるのだそうです。なので、金曜日には出来る限りのベストコンディションへもっていけるようにがんばります。

 これまで、いろんな現地在住日本人の方から、いかにデンマーク医療はひどいか、ということを聞かされていましたが、今回、自分が初めてデンマーク救急医療の患者になるという体験をして、まあ、もちろん後遺症も残ってないし、ある意味軽傷の類だったこともありますが、私個人の印象では「そんなに言うほど悪くない」という感じです。
 自分が医療者の一端だから言い訳をするわけではありませんが、医療は100%じゃありません。私が出血したことも(そしてそのまま帰宅させられたことも)、きっと日本人の目から見ればそれってどうなのよ?と見えることかもしれません。それでもこの限られたリソースの中で、デンマークの医療者、とくにドクターたちは本当にがんばって、その時にできることをしています。まあでも、王立病院の近所に住んでいるというのは、やはりデンマークで救急医療を受ける際の運を分けるところではありますが…。

 と、まあそんなわけで、死ぬかと思った出血騒ぎでしたが、あとはデンマーク流の「貧血にはステーキと赤ワイン」という食事療法も取り入れつつ、リハビリに励みたいと思います!