ステノに勤めていて色々いいことはありますが、何が一番すばらしいかって、同僚に恵まれていることです。
外来にはまだ出ていないので、外来のナース達とはランチの時に会話する程度だけど、病棟のナース達とは職場外でも定期的に誰かの家で晩餐会をしたりと、けっこう仲良くやっています。
みんな筋金入りのプロの糖尿病スペシャリストなだけではなく、本当に心の温かい良い人達で、仕事の上でも、人生についてでも、ちょっと年上の彼女達から学ぶことは本当にたくさんです。
そんな同僚の中でも特に、MHは私の一番大好きなナース。年齢は50歳前後で、ほんわりしつつ、いつもかわいいジョークで場を和ませてくれる彼女は、まさに私の目標とする女性です。
旦那さんと二人の息子(18歳と20歳)がいて、「あーもう、男3人の中に女が一人でいるって、いつもからかわれる宿命なのよー。彼らはいつもなにかちょっかい出す機会をうかがってるのよ…毎日!」と、愛する3人の男達に愛し抜かれてるしあわせさが、じゅわわーーっと滲み出ている感じです。
彼女の話し方、話すことは、いつも愛情に溢れてて、悩みを相談するといつもいつも温かいヒントをくれます。そのすとんと素直な彼女のヒントで私はなんど救われたことか…。
そんなMHと先日、うちの長男の問題を話していたときのこと。
長男はもともと大人しい性格で、強気で前に出たり、不服なことに対して怒りなどの感情を表に出したりすることができないタイプです(ちなみに次男は正反対)。なにか不平等を感じることや、いじめまでいかずとも、誰かの無神経な言動で嫌な目にあっても、閉口してしまい、家に帰って来てしくしく泣いて落ち込んで、誰かがなぐさめに来てくれるのを、そして誰か(たいていは両親)が彼に代わって問題を解決してくれるのを待っていたりと、かなり消極的な子です。
でも常に両親のどちらか(主に父)から「しっかり話を聞いてもらう」「なぐさめてもらう」「本人に代わって問題を解決」という感じだったので、だんだんとそういうのに慣れて、自分からは何も解決のために動かず、ただのメソメソ君にになりつつありました。
私はH氏と息子達と暮らし始めてから、この長男のメソメソ&誰かに依存癖が気になって、H氏の意識改革(離婚親の子供への罪悪感から、必要以上に擁護、肩代わりしてしまう)のために、私カウンセラー?ってくらい話し合いをしてきました。
「あなたは十二分にTのことを愛して正しく育ててきた。彼はこんなに優しい素晴らしい子に育って、学校でも優秀でしょ?全然”かわいそうな子”じゃない。ちゃんと自分がやってきたことに誇りをもって。かわいそうって言うたびに、Tはもっとみじめになって、本当にかわいそうな子になっちゃう。だから”かわいそう”はもう言わないこと」という説得の甲斐もあり、口癖かってくらい、二言目には”かわいそう”と発していたH氏も、今では長男のメンタルトレーナーのごとく、彼が自立して、きちんと自分の問題に向き合っていけるよう、なるべく自分で「どうするべきか」を考えさせるように働きかけていくよう変わってきました。
とはいえ、長男も12年間、ずっとそういう風に育ってきたわけだし、しかも元奥さんは「メソメソ擁護派」なので(この前はメソメソ君が仮病とわかっていて学校休ませちゃったしね)、なかなかすぐには変われないわけです。
で、そんなことをMHに話していたら、彼女は彼女の姑から教わったというあるヒントを教えてくれました。それは「Pyt med det」。デン語で「気にするな」とか「忘れちゃいな」とか、とにかく些細なことよ、というときに使う表現です。
「子供にはいつも、その悩みは些細なことなんだ、時として場合によって、どうしようもないことなんだ、って声をかけて、わからせていかなきゃいけないの。もちろん全てのことにたいして使うわけじゃないけど、つらかったり悩んでる真っ最中の中でも、心のどこかで”大したことじゃないんだ”ってこの言葉を置いておくことが大切なの」とMH。
子供にとって、彼らの抱えている問題は、どんなものでも大問題で、それが彼らの小さな世界の中ではすべてなのです。大人になるにつれて「しょうがない」と諦めたり納得できることが増えてきますが、成長過程の子供にとっては、それがまだ理解できないこともあります。どうしようもないこと、がんばってもうまくいかないことに対して、いつまでも向き合って、立ち止まってしまう子供には「Pyt med det. Gå videre.(気にするな。先へ進みなさい)」 と、促してあげることが大切なんだと。
MHは「Pyt。それは小さ~なことだってわからせるのが大事なの。だから先へ進んでも、ちゃんと問題を最後まで解決できなくても大丈夫なんだって、教えてあげるのよ」と。もちろん、ちゃんと話を聞いてあげて、その上でのPyt med detなんでしょうが、なるほどな~と思いました。こういう一言できっと安心して子供は前に進めるし、大らかになっていくのかな。
昔、オペアとして働いていた時にもオペア母ヘレさんが、学校の仲間とうまくいかない長男トビアスに対し「そんなものよ、人生。いつも望んだようにいくわけじゃないし、いつも自分が選ばれるわけでもない」と話していましたが、これもまたPyt med detのようなことなのでしょう。
どんなに子供の悩みをしっかり聞いてあげて、助けてあげたい、力になってあげたい、と思って頑張っても、大人、親だって全部を解決出来るわけじゃない。みんな大人も「まあそれはそれでしょうがない」と、色んなことを諦めたり、自分なりに妥協点をみつけて先に進んでるだけです。だから子供にもそれでいいんだよ、って教えてあげるのは大切なんです。
H氏も元奥さんも、きっと離婚して、息子達への罪悪感、不憫に思う気持ちからずっと、彼らに向き合っていこう、話を聞いてあげよう、なんとかしてあげようと、真面目にがんばってきたんだと思います。でもこれからは、自立を促すメンタルコーチとしてメソメソ改善を、そして「気~にすんなって!」と長男の背中もバシバシ叩いていこうかと思います。
あ~それにしてもプレティーンエイジャーは大変だ~。
写真:
衛生面での配慮で布生地の家具を置いてはいけないとのことで、最近ステノの患者さん用の椅子がすべてイームズチェアに変わりました。
外来にはまだ出ていないので、外来のナース達とはランチの時に会話する程度だけど、病棟のナース達とは職場外でも定期的に誰かの家で晩餐会をしたりと、けっこう仲良くやっています。
みんな筋金入りのプロの糖尿病スペシャリストなだけではなく、本当に心の温かい良い人達で、仕事の上でも、人生についてでも、ちょっと年上の彼女達から学ぶことは本当にたくさんです。
そんな同僚の中でも特に、MHは私の一番大好きなナース。年齢は50歳前後で、ほんわりしつつ、いつもかわいいジョークで場を和ませてくれる彼女は、まさに私の目標とする女性です。
旦那さんと二人の息子(18歳と20歳)がいて、「あーもう、男3人の中に女が一人でいるって、いつもからかわれる宿命なのよー。彼らはいつもなにかちょっかい出す機会をうかがってるのよ…毎日!」と、愛する3人の男達に愛し抜かれてるしあわせさが、じゅわわーーっと滲み出ている感じです。
彼女の話し方、話すことは、いつも愛情に溢れてて、悩みを相談するといつもいつも温かいヒントをくれます。そのすとんと素直な彼女のヒントで私はなんど救われたことか…。
そんなMHと先日、うちの長男の問題を話していたときのこと。
長男はもともと大人しい性格で、強気で前に出たり、不服なことに対して怒りなどの感情を表に出したりすることができないタイプです(ちなみに次男は正反対)。なにか不平等を感じることや、いじめまでいかずとも、誰かの無神経な言動で嫌な目にあっても、閉口してしまい、家に帰って来てしくしく泣いて落ち込んで、誰かがなぐさめに来てくれるのを、そして誰か(たいていは両親)が彼に代わって問題を解決してくれるのを待っていたりと、かなり消極的な子です。
でも常に両親のどちらか(主に父)から「しっかり話を聞いてもらう」「なぐさめてもらう」「本人に代わって問題を解決」という感じだったので、だんだんとそういうのに慣れて、自分からは何も解決のために動かず、ただのメソメソ君にになりつつありました。
私はH氏と息子達と暮らし始めてから、この長男のメソメソ&誰かに依存癖が気になって、H氏の意識改革(離婚親の子供への罪悪感から、必要以上に擁護、肩代わりしてしまう)のために、私カウンセラー?ってくらい話し合いをしてきました。
「あなたは十二分にTのことを愛して正しく育ててきた。彼はこんなに優しい素晴らしい子に育って、学校でも優秀でしょ?全然”かわいそうな子”じゃない。ちゃんと自分がやってきたことに誇りをもって。かわいそうって言うたびに、Tはもっとみじめになって、本当にかわいそうな子になっちゃう。だから”かわいそう”はもう言わないこと」という説得の甲斐もあり、口癖かってくらい、二言目には”かわいそう”と発していたH氏も、今では長男のメンタルトレーナーのごとく、彼が自立して、きちんと自分の問題に向き合っていけるよう、なるべく自分で「どうするべきか」を考えさせるように働きかけていくよう変わってきました。
とはいえ、長男も12年間、ずっとそういう風に育ってきたわけだし、しかも元奥さんは「メソメソ擁護派」なので(この前はメソメソ君が仮病とわかっていて学校休ませちゃったしね)、なかなかすぐには変われないわけです。
で、そんなことをMHに話していたら、彼女は彼女の姑から教わったというあるヒントを教えてくれました。それは「Pyt med det」。デン語で「気にするな」とか「忘れちゃいな」とか、とにかく些細なことよ、というときに使う表現です。
「子供にはいつも、その悩みは些細なことなんだ、時として場合によって、どうしようもないことなんだ、って声をかけて、わからせていかなきゃいけないの。もちろん全てのことにたいして使うわけじゃないけど、つらかったり悩んでる真っ最中の中でも、心のどこかで”大したことじゃないんだ”ってこの言葉を置いておくことが大切なの」とMH。
子供にとって、彼らの抱えている問題は、どんなものでも大問題で、それが彼らの小さな世界の中ではすべてなのです。大人になるにつれて「しょうがない」と諦めたり納得できることが増えてきますが、成長過程の子供にとっては、それがまだ理解できないこともあります。どうしようもないこと、がんばってもうまくいかないことに対して、いつまでも向き合って、立ち止まってしまう子供には「Pyt med det. Gå videre.(気にするな。先へ進みなさい)」 と、促してあげることが大切なんだと。
MHは「Pyt。それは小さ~なことだってわからせるのが大事なの。だから先へ進んでも、ちゃんと問題を最後まで解決できなくても大丈夫なんだって、教えてあげるのよ」と。もちろん、ちゃんと話を聞いてあげて、その上でのPyt med detなんでしょうが、なるほどな~と思いました。こういう一言できっと安心して子供は前に進めるし、大らかになっていくのかな。
昔、オペアとして働いていた時にもオペア母ヘレさんが、学校の仲間とうまくいかない長男トビアスに対し「そんなものよ、人生。いつも望んだようにいくわけじゃないし、いつも自分が選ばれるわけでもない」と話していましたが、これもまたPyt med detのようなことなのでしょう。
どんなに子供の悩みをしっかり聞いてあげて、助けてあげたい、力になってあげたい、と思って頑張っても、大人、親だって全部を解決出来るわけじゃない。みんな大人も「まあそれはそれでしょうがない」と、色んなことを諦めたり、自分なりに妥協点をみつけて先に進んでるだけです。だから子供にもそれでいいんだよ、って教えてあげるのは大切なんです。
H氏も元奥さんも、きっと離婚して、息子達への罪悪感、不憫に思う気持ちからずっと、彼らに向き合っていこう、話を聞いてあげよう、なんとかしてあげようと、真面目にがんばってきたんだと思います。でもこれからは、自立を促すメンタルコーチとしてメソメソ改善を、そして「気~にすんなって!」と長男の背中もバシバシ叩いていこうかと思います。
あ~それにしてもプレティーンエイジャーは大変だ~。
写真:
衛生面での配慮で布生地の家具を置いてはいけないとのことで、最近ステノの患者さん用の椅子がすべてイームズチェアに変わりました。