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Kanaheiのデンマーク生活

糖尿病の勉強をしたくてきたデンマークでの紆余曲折な生活を日記として残しています。

行く夏、来る秋

2013年08月27日 | わたくしごと
行く夏、来る秋



 暑くて楽しかった3週間の日本帰省も終わり、すっかり秋風のコペンハーゲンです。

 行く前は9年ぶりの日本の夏ということで、「生き延びれるだろうか…」と心配だったのですが、行ってみると意外に暑さも大丈夫で、むしろイベントが多い夏が楽しくて楽しくて、H氏や息子達も色んな体験ができてよかったです。

 帰省の2週間前に失業した私は、毎日ネットを駆使して色んなプランを立て、お陰で日本でもスムーズに予定が運びましたよ。

 どんなことをしたかザッとあげてみると…

 エアロフロートでモスクワトランジット、一日モスクワ観光(1時間半行列に並んだにも関わらず、あと少しのところで閉館してしまい、展示されているレーニンの遺体は見れず!)。地元立川のユニクロでハイパワーショッピング。八景島シーパラダイスで日本の水族館堪能(デンマークに最近できたしょぼい水族館との比較のため。でも八景島もだいぶしょぼくなってた…)。私が美容院行っている間にH氏と息子達原宿ショッピング、その夜は神宮球場にてヤクルトvs阪神戦のナイター観戦(野球のルールわからないけど、雰囲気堪能)。長男Tのブラジリアン柔術教室体験入学。地元花火大会(ピクニックの準備万端で挑んだのに、史上最強のゲリラ豪雨で中止!)。秋川渓谷にてニジマス釣り&BBQ(遠くから友達が来てくれました!)。結婚記念日ディナー&カラオケ(息子達はブリトニーやらエミネムなど歌ってた)。私とH氏はMumford&sonsのライブへ、息子達は地元で映画&ファミレスディナー(ちょっと心配だったけど、二人でヒュゲリに過ごしたらしい)。長野県小谷村の古民家ゲストハウスへ。温泉にいったり、村のフィットネスで汗を流したり(雨で他にやること行くとこが無かった…)、栂池高原自然園でトレッキングしたり(4時間コースを3時間弱で制覇!)、馬刺を食べたり(シェフは太極拳マスターのお坊さん。ありがたいお話をうかがう)、野豚を見にいったり(そして山で遭難しかける)、湖でワカサギ釣りをしたり(ワカサギだと思って釣っていたのは、みんなブラックバスとかの稚魚だったと判明。唐揚げにして食べたらそれはそれでおいしかった)、他のゲストの人達とBBQしたり。長野の田舎でこれでもかとのんびりしました。その後飛騨高山に移動し、友達の働くゲストハウスへ。骨董市や地元の七夕のお祭り、友達とそのまた友達とみんなで飲みに行ったり、一緒に温泉行ったり、上高地や滝ツアーに行ったり。とにかく高山は素敵な街で、人も温かくて、すっごく楽しかった!また絶対行きたいです。

 そんなわけで、楽しかった夏が終わり、9月2日からは新しい職場でのお仕事がスタートします!

 新しい職場は、Herlev hospitaという公立病院の小児科です。首都圏内で王立病院(小児癌など重篤な患児を受け持つ)に次いで大きな小児科で、緊急入院などをメインに対応していますが、首都圏およびシェラン島の小児糖尿病のほとんどを抱えており、小児糖尿病といえば、なHerlevです。
 私は日本で小児科勤務でしたが、デンマークに来てからは「言語コミュニケーションの上で、外国人が小児科で職を得るのは難しい」と言われていたので、あきらめていましたが、ステノを辞めた今、本当にやりたいことをやってみようと、募集はしてなかったけど、飛び込み、履歴書の持ち込みでアタックしてみました。そしてドキドキの面接もなんとかクリアし、正規雇用を本当に運良くゲット!!
 勤務するのは緊急入院をメインにする病棟なので、まずはそこで1~2年はずいぶんとご無沙汰な小児看護のブラッシュアップをしていく予定ですが、ゆくゆくは小児糖尿病外来のポストに登り詰めていければ、と。
 
 そんなわけで、9月からはりきって、ちっさい人達のために働いてきまーす!!

男子攻略法

2011年05月27日 | わたくしごと
 最近体得したこと。

 ムカッときたり、イライラしたり、ケッと思う事があったら、まずそれを言う前に、それと正反対のことを言うこと。

 ネガティブだったり、こういうとこが嫌いなんだよね、ってムカムカしているときは、まず、「あなたのここが素晴らしい」、「あなたのこういうところが大好きよ」、「いつも助けてくれて嬉しい」など、その時には心にもなくても、とりあえずそういう、優しくて理解もある『ソウイウモノニワタシハナリタイ』理想の人間の口から発せられるであろう、理想的な言葉を言うようにしています。

 するとあら不思議。「このイライラの中でよく言ってのけた!私!」という誇りで、自分があたかも女神になったような錯覚とともに、不思議とうちの男子は態度が柔らかくなったり、優しくなったり、気を遣ってくれるようになる。

 デンマーク人はかなり「褒めて伸ばす」人達だとここまででわかってきた。しかも単純な男子(そこがいいんだけど)はこの優しい褒め言葉に簡単に折れる。文句とか責める言葉を先に出すと、傷ついちゃったり、逆ギレ現象が起こるので、まずは褒める。そしてむこうが聞く耳を持った時に「本当はこうしてほしい」みたいにじんわり攻める。

 あと、細かいことを一々自分の思うようにやってたら、むこうもこっちもストレスでとんでもないことになるので、最近は「大した事じゃないわ」と適当に考えるようにしています。コンタクト外して超ぼんやりしてるけど、ま、歩けるからいっか、的に、超適当に。細かいことは見ない事にしています。

 期待しすぎないこと、それを言う/する必要が本当~~にあるのか、別にそこまでこだわる必要もないんじゃないか考えて気楽にいくこと。

 それでもむかつくことは否応無しに降ってくるし、むこうや自分の体調や状態によっても色々あるので、とりあえず上記のやり方で回避出来るものは回避して、穏やかにすごせれば、と…。

 

壁に豆腐を投げる女

2011年03月31日 | わたくしごと
 息子達が来ると喧嘩になるという、由々しき事態が最近ぼちぼちと起こっています(原因は様々ですが)。

 昨日は昨日でうっかり「超えてはいけないボーダー」「言ってはいけない一言」を言ってしまい、泥沼。自分でもどうしていいのかわかりません。

 息子達がいると生活はほぼ彼らを中心に回るわけで、楽しいながらもどったばったとしてゆっくり二人で話す時間もないし、せっかく二人になっても会話は息子達のことになりがち。
 まだ付き合い始めて4ヶ月、一緒に住んで2ヶ月足らずなのに、いわゆる恋人としてのラブラブ期間は、2週間ごと、子供がいない時のみ。そんな二人だけのときでも「息子達が恋しい…」と淋しそうにしているH氏。じゃあ私ってなに?と、ちょっとこちらも淋しくなったりするわけです。

 いつも金曜日に引き取るはずの息子達ですが、昨日は友達に誘われたハンドボールの試合を息子達も一緒に連れて行きたいから、と私に相談も何も無しに、2日早く引き取ることを元奥さんと既に決めており、しかも友達が買ったチケットなので私の分のチケットはなく、彼らが試合を見に行っている間はお留守番(別に誘われたらそれはそれで面倒なんだけど)。 
 
 もちろん、ここは息子達の家であり、彼らはH氏の息子であり、H氏が出来る限り息子達と一緒にいたい気持ちもわかります。
 でも、私は私でせっかくの二人だけの時間も大切だし、それを楽しみにもしている。もちろん、「息子達を早めに引き取りたいけどいい?」と聞かれたら、ダメと断ることはできないし、きっとなにか二人での約束なりがあっても私は断らないと思う。
 でも「AN(元奥さん)と話して決めたから」って通達だけされて、私にとっての二人の時間がなくなってしまったのは、淋しい。疎外感。結局私の意見なんて取るに足らないものなのね、となる。

 彼にとって息子達は唯一絶対の存在で、そんな彼だからこそ一緒にいるわけだけど、じゃあ考えなきゃいいのに、そんな風に思うことなんて意味のないことだとわかっているのに、時々どうしてもこの壁にやられます。絶対に超えられない、彼との間にある壁。絶望的に不可能なことに挑んでいる自分が情けない。考えなきゃいいのに。無理なら無視してればいいのに。

 時々、息子達が自分とH氏との子供だったらどれだけいいだろうと考えます。「君は僕らの家族だ」と言われても、彼が唯一絶対で大切にしているものを完全に共有しているわけではないというのは切ない。
 
 説明のつかないもどかしさ、自分でもどうにもできない、言ってもどうしようもないことだけど、不機嫌さがもろに出てしまう私なので、「なにがいけないんだ?」と説明を求める彼に、なんとか言葉を見つけようとしたんだけど、つい「あなたは結局息子達を選ぶし、どうしようもないけどそれが淋しい」と言ってしまい、彼の地雷にビンゴ。完全玉砕です。

 「息子と君を選ぶとかそういう質問はする前に、よく考えてから言って欲しい。彼らは僕の血であり肉であり、一生、絶対、僕は彼らを拒絶することはない。絶対に。息子達は僕の全てだ。僕はいつでも毎日毎日彼らが恋しい。一秒でもそばに置いておきたい。もし君がほんの少しでも僕のことを愛しているんなら、それをバックアップしてほしい。それがわからないんだったら、僕たちはなんでここに一緒にいて、こんなディスカッションをしているんだ?」

 叩き付けられる絶望感。そんなことは聞かなくてもわかってる。私は私のベストを尽くして、彼と彼の息子達をサポートしているし、これからもしたいと思っている。
 ただ、息子達を早めに引き取る約束を元奥さんとする前に、私にも形だけでいいから一言聞いて欲しかった。その約束ややり取りの中に、私が含まれていなかった事が淋しかった。「君や誰がなんて言おうと、僕は息子達が欲しいと思ったらそうする」って、止めやしないよ。こんなに絶望的にかなわないんだから。
 でもどうにもできないし、結局結果は同じなんだけど、その結果までの私の心情や葛藤を理解してほしかった。「愛しているなら受け入れて」って、もちろんそうするけど、世界一大好きな人に、一生かけても絶対的にナンバー2にしかなれない、かといってその彼のナンバー1を完全に共有できるものでもない、という事実を受け入れるのは、決して簡単ではないことをわかってほしかった。

 しばしば女の人ってのはそういう、見えないもの、言っても仕方ないことについて、「でもわかって!」となって、男の人、特に1から10まで説明しないとわからない(察せない)こっちの人に「どうして欲しいんだ?そんなことを言っても意味がないじゃないか」と怒らせてしまうのですが(って私だけ?)、そうやって自分でも説明のつかない気持ちに論理的に責められると、やるせなくなってしまいます。そしてキーッとなってヒス女と認定されるわけで…。
 アメリカの医療ドラマ「Grey's anatomy」で、恋人の元奥さんへの葛藤に悩む主人公メレディスが、「Choose me, pick me out, take me」と切実に願っているシーンがありますが、お気持ちよお~くわかります。要はわがままで淋しがりなだけなんですけどね。

 先日、別居中にお世話になった居候先のペニーラのところへ遊びにいき、彼女とそういった「彼と彼の連れ子、ひいては元奥さん」に関する葛藤について話したのですが、
「Kanahei、そういうものよ。あなたたちみたいな、どのカップルも、みんな同じ葛藤を持ってて、ずっと続いて行くの。でもそういうものよ」と。そういうもの、か…。まあ、表現悪いけど俗にいう「こぶ付き」を選んだ時点で、そういう葛藤は想定内なんだけど、たまにやっぱりヘビー。

 それでもこぶ付きH氏は、やっぱりこぶがあってこそ私が色んな人と生活を犠牲にしてでも選んだ人で、そんな彼と今後もうまくやっていくためには、どうしても「忍耐」が必要なわけで。
 言っても仕方ないことはどうしようもないし、口は災いの元。うまくガス抜きしながらくぐり抜けていくしかないのでしょう。ついでに「Me! Me! Me!」な、わがまま末っ子長女(自分がナンバー1以外になるなんてあり得ない!)な性格も矯正していかねばですが…。
 とりあえず子供達が成人するくらいまでは、この葛藤を上手くやり過ごしていかねばです。あと少なくとも9年?ひー。

 でもってどうでもいいけど、田舎に住んでいるのがいけない。愚痴れる友達が近所にいたらいいのになー。

荒らし

2011年02月21日 | わたくしごと
 またまた来たのでちょっと吊るし上げます。すいません、あまり良い内容ではないので、スルーしてくださってけっこうです。


「元気ですか? (bindeballe)
2011-02-21 09:56:49
なんだ、うまくいかなくなっちゃのか。
デンマークにすむ理由がなければ、帰国を勧める。そろそろ人のために時間を使うことを考え始めたらいいと思う。 」


 今日から子供達の冬休みで、H氏も下の階に住むお姉さん家族もみんなスウェーデンのサマーハウス(別荘)にいってしまいました。
 でも私は水曜まで仕事。しかもどうやらインフルエンザにかかったらしく、ただいま全身痛と滝のような鼻水、熱と一人闘っており、そんな孤独なときに上記のようなコメントは、なかなかあれです。はあ…。
 私のブログを読んでくれている人の99%くらいは、出会ったことも無い人も含めて本当に優しい良い人達ばかりなんだけど…。この方だけは本当にしつこい。嫌だったら読まなきゃいいのに。ストーカーかっていう。

 東京で「北欧留学センターBindeballe」と看板を上げて、北欧留学相談(私個人的には「超怪しい」と思う)、語学教室、北欧関係書籍の出版などの商売してる会社の代表者が、一個人のブログにまで来てこういうコメントを残していくってのはどうなんでしょう。「人のために時間を」って、こういう時間の使い方を他人にしている人に、説教を受ける筋は1mmもないです。

 看護師だからって、自分のことじゃなく人のことに時間を使えって、すごい職業差別。ていうか、奉仕して当然みたいな感じ?女だし、みたいな?仮にも北欧関係の仕事をしている人の言葉とは思えないですな。

 そして毎回毎回こういうコメントだけ残して逃げてますけど、なにか言いたいことがあったら、どうぞメールででも送りつけてくださいね。

生活の変化

2011年02月20日 | わたくしごと
 H氏の家に引っ越して一緒に住むようになり、まだたったの3週間なんですが、すでに2ヶ月くらい経ったような気がしてなりません。

 先週は息子さん達とはじめて1週間一緒に生活をしたわけですが、色々食事のこと(特に息子達の偏食)、H氏も私もフルタイムでの仕事と子供達のことをどう分担&スケジューリングしていくかなどで、とにかくわーっと1週間が過ぎていった感じです。付き合い始めて初めての喧嘩というか、そういうのもあったし。

 今まではふわふわとゲストな身分での滞在でしたが、今はしっかり共同生活者です。好きな時に好きなところで好きなことをしたり、自分が食べたいものを食べていた自由な身分から、いきなり子供最優先の生活へと激変です。覚悟はしていたけど、なかなかこれがしんどい。

 子供達はすごくかわいいし、日に日になついてきてくれているのもわかる。いきなり家族になんてなれるわけないし、今は距離を図りながらお互いのことを知っていく時期なんだと思うし、そのへんはゆっくりいきたいところ。
 でも離婚してからの7年間、途中お付き合いした女性はいたものの、基本的に男手一つで隔週で息子達の面倒をみてきたH氏、しかも彼の父性愛といったらハンパじゃありません。離婚して一人だったからこそ、子供達、特に長男への愛情の注ぎ方はすごいのです。

 もともと物事に対する要求が高く自分にとても厳しい人で、ものすごいパワーで仕事も育児も家事もこなす人ですが、そんな彼のファーストプライオリティーである育児には、一緒に生活していると、どうしても彼のペースでぐいぐいと進み、彼と同様のモチベーションを求められているような気がして、気がつくとどっと疲れていることがあります。
 そんなことをデン人の同僚にふともらした時、「もっと自己主張して自分のペースとスペースも確保しないと」とアドバイスもされましたが、実際その通りなんだけど、彼の絶対普遍的な子供への愛情をみていると、「これを曲げさせるのはなかなか簡単ではないぞ」と、話し合いにもちょっと尻込みしてしまいます。

 H氏に彼の家族と生活があるように、私にもこれまでの付き合いと生活があるわけで。
 そろそろ子供が欲しいね、もしくはあらできちゃった→じゃあもう夜遊びとか気楽な友人達との付き合いはほどほどにして落ち着きますかね→あら子育てって無茶苦茶大変、とてもじゃないけど育児以外に手を出してる暇なんてないわ、というプロセスを経て、子供がいる生活になったわけではなく、全部ぶっ飛ばしていきなり子供優先の生活なのです。
 もちろん、そういう子供最優先のH氏だったからこそ、この人となら良い家族を作れるだろうと思って一緒に暮らす決心をしたわけだし、H氏と付き合うことになってから、私のこれまでの付き合いや生活が180度とまではいかずとも、変革を求められるんだろうという覚悟はしていました。
 でも現実はすでに出来上がっている他人の家と家族の中(アウェー)に入り込んでいくわけで、しかも圧倒的アドヴァンテージは向こう側にあるという中で、確執を作らないように慎重に自分の居場所を確保しつつ、折り合いをつけていくというのは、かなりヘビーです。しかもまだ付き合いたてで、色々正直にすべて言うのが恐い時期でもあります。

 例えば先日の話。
 
 デンマークでは共働きが基本なので、小学生は学校の後、学童保育のようなところへいき(だいたい小学校に併設されている)、親の仕事が終るまでの時間を過ごして、親と学童側の直接のやり取りが無い限り、保護者が必ず迎えにいくことになっています。
 で、先日H氏から「一緒に次男を学童に迎えにいこう。小学校の敷地内のどのへんにあってとか、色々一度見ておいた方がいいし」と誘われたので行くことに。でも正直なところ、私的には「ちょい早いんじゃないの?」と心の中では躊躇。

 というのも、H氏は生まれも育ちも現在住んでいるT市で、近所のNetto(スーパーマーケット)に行けば、必ずといっていいほど知人や顔見知りの人に会うほど、スーパー地元人。さらに、地元T市のジョギンググループのメンバーだったり、息子達が通う私立小学校のPTA会長までしていて、小さなT市内ではしっかり顔と身元の割れた人物です。
 なので一緒に街を歩いてたりスーパーで買い物をしていると、「お?なに、新しい彼女?しかも若いアジア人?」と否応無しに好機の視線で見られるわけで。
 まあ後ろめたいものは何もないからこそ、学童でも他の保護者や教員達の前に堂々と私を連れていけるんだろうけど、でもソトモノの私としては、そういったアテンションは決して居心地の良いものではありません。
 ていうか、これが原因でもし次男が同級生達にからかわれたりしたら、と思うとそれはすごく嫌(「おまえの父ちゃんの彼女ゲイシャ~!」とか?)。
 
 そしてH氏と違って親御さんプロセスぶっ飛ばしの私は、いくらオペアでベビーシッターをしていたとはいえ、「まだ帰りたくない」とごねられたり「友達を家に連れて帰って遊んでもいいか」とかそういう事態になったとき、判断に困ったり、その連れて帰る友達の親に連絡したり、今はまだそういう責任を負うには時期尚早なのでは、と思うわけです。
 もちろん、仕事が忙しくてH氏がお迎えにいけないとか、何かあったときに私が迎えにいけたら絶対にいいはずで、それに異存はないんだけれど、一緒に住み始めた途端にそうなの?って。母親代わりにはなれないけど、業務分担は母親並という。なんか色々複雑です。
 あと、これからは子供達がいる週には、仕事の後ふらっと寄り道で友達と会うとかもできないのね…と、やや寂しい。ていうか普通の日本女性は結婚して家に入ったら子供がいなくても旦那さんや家のためにまっすぐ帰るのでしょうが…。

 なーんてことを今週のはじめはうだうだと思っていましたが(そうです、ここまで書くのにだらだら1週間弱かかっています!)、息子達がいない今週はH氏とのんびり過ごし、しっかり恋人期間をエンジョイ。
 しかも先週末は南スウェーデンのスパホテルに行き、極楽マッサージ&エステを受けさせてもらったりもしたし、なんだ、うだうだ考えてる割にちゃんとラブラブモードじゃないかと。マイナス思考は極寒の冬の天気のせいだったということにしましょう。

 てことで、次回は極楽スパホテルレポートです!

写真:
「バレンタインだなんて海外のイベントをそうそう入れてなるものか!もっと知られていないデンマークのものを祝うべきだ!」と、アンチバレンタインだったH氏ですが、女子から男子へのプレゼントを贈るという日本でのバレンタインの風習には一切触れず、「日本ではけっこう盛大なイベントだよ」と刷り込んだ甲斐あり、しっかり当日は花束を買って来てくれました。
え?ホワイトデー?もちろん無視ですよ。

雨降って地固まる途中

2011年02月14日 | わたくしごと
 この1ヶ月、本当に忙しくて、「大丈夫?生きてる?」という生存確認のメールをいただいてしまうほど、ブログなんて全然更新する暇もありませんでした…。

 産休や休職、病院機能評価だのでスタッフ不足→若くて子供いない私が夜勤を引き受ける=1ヶ月の半分以上が夜勤というあり得ない勤務で、さらに離婚協議、またまた追い打ちをかけるように究極のせっかちH氏のおかげで、離婚後即、彼の家へ引っ越しと、まさに忙殺。死ぬかと思いました…。

 1月27日には役所でヨナスと共に離婚の申請をし、無事受理されました。

 離婚と同時にガイジンな私なので、役所によって「もう婚姻関係がないので、家族ビザも取り消しで」という通達が移民局にされるわけで。
 私の家族ビザは今年の2月11日が期限だったので、どのみち更新なり新しいビザへの切り替えをしなければなりませんでした。以前からぼちぼちと永住権申請の準備もしていたので、じゃあ離婚後は永住権を申し込もう、と思っていたのですが、「世界一移民政策に厳しい国」のデンマーク。ここで問題が次々と勃発。

 まず、今年の1月1日からビザ申請に当って手数料が発生するということ。手数料って、5千円とかそんなもんじゃないっすよ。永住権申請だったら3550kr(5万円ちょっと)、結婚ビザ申請を新規でする場合は14万円くらいです。どんな手数料だよって感じですが。ビザ申請する人全員からそんだけ搾り取ったら、移民局もう1軒くらい建つんじゃないの?っていう。
 年末に日本へ帰省する前には書類はほぼ揃っていたのに、「ま、年明けでいいか」なんてのんびり構えていたのがいかんかった…。

 まあ思いっきりしゃくに障る新しい手数料ルールではありますが、払えば済むものなので500歩ゆずって良しとして、もっと大きな問題は、永住権申請をするにあたって、現在所有しているビザの更新申請も同時にしなければならないということ。現在のビザ、すなわちヨナスとの結婚ビザです。離婚が成立した今、これは更新できないし、でも現在のビザ更新無しに永住権のみを申請することはできないそうで。
 しかしこの事実に気付いたのが、永住権申請手数料3550krを支払った後。移民局は一度支払われた手数料に関し、払い戻しは一切しないと断言しており、しかも払い間違えて別のビザを新たに申請する際も、また別にその申請するビザの手数料を払わねばならないと。Sh○t!!
 つまり私の場合、最悪、永住権を申請するために、まずなんらかのビザ申請をせねばならず(離婚した今は労働ビザが一番妥当)、そのための申請手数料で再び3300krとかを払う訳で。無理ー!
 
 で、移民局の電話相談で聞いてみた結果、「とりあえず今の結婚ビザ更新書類内に、”前回の申請時から結婚生活や関係に変更があったか”という項目があるので、そこに変更事由を明記すれば大丈夫」との回答。よかった…と安心したいところですが、そこは十人十色、職員みんなが無責任に回答をして振り回しまくる移民局です。一人がオッケーと言ったからってそれで本当に正しく受理&処理されるかっていうと、そういうわけではないのです、私(と友人達)の経験上。

 なので、とりあえず結婚ビザ更新申請に「変更あり」と記入して、永住権と共に申請はしますが、念には念を重ねて、もし万が一結婚ビザ申請が却下されたときのために、労働ビザ申請書も同時に提出することに。

 過去のビザ申請では重要書類を移民局内で2度も紛失されているので(絶対故意的にやっていると思うんだけど)、それ以降毎回ビザ申請時にはきれいにファイリングして提出しているのですが、今回はこれまでで一番完璧なファイルです。
 結婚ビザ更新申請書、それに必要なドキュメントのコピー(一枚一枚ちゃんと”コピー”と赤字で判)、永住権申請書、そのドキュメントコピー(学歴、職歴、現在の労働契約、社会参画証明など項目がたくさんある)、労働ビザ申請書と雇用契約書、さらには雇用主のノボがデンマークの企業認定を受けるための申請書(絶対ノボなんてデンマーク大手企業リストに入ってるはずなんだけど)と、この全てをクリアファイルポケットに一枚ずつとじ、各項目ごとに見出しラベルをつけ、一番始めのページには項目毎の目次、なぜ労働ビザ申請書が同封されているかが説明された、担当者への手紙、ファイルの表紙と背見出しには私の名前と外国人ナンバー、CPRナンバー。
 ここまでやる人も、ていうかここまで大きなファイルで提出する人もさすがに少ないようで、移民局の申請書受理窓口の人も感心しておりました。これで書類無くしたとか言ったら承知しませんよ。

 で、離婚したこと、電話で聞いたらこのやり方で永住権申請ができると言われたのでそうしたことなど説明したのですが、石橋を百万回くらい叩いて渡って、なんとかあら探しをしてガイジンを追い出そうとしている(言い過ぎ?)移民局なので、「とりあえず問題はないとは思うけど、まずこの結婚ビザ更新申請が適切なものであるかどうかを審査にかけます」とのこと。
 なんかよくわかんないけど、親権がまとまっていなかったり、まだ裁判で争っていたり、離婚の原因(犯罪的なものが絡んでいないか)によっては却下されるそうで、窓口で私の書類を受け取った担当者は「あなたのケースでは永住権への100ポイントもあるし、離婚の状況的にも大丈夫だとは思うけど…まあ念のためにね」と。1~2週間でこの審査の回答が出るそうなので、今週当り聞いてみる予定です。

 とりあえず今は結婚ビザも切れちゃったし、これからどうなるかわからないけど、息子達が通う学校のPTA会長(黙ってはいないぜ、な性格)で、かつ友人につけられたインディアン名は「尻に火の点いた男」(究極のせっかち)なH氏もついているし、大丈夫でしょう。なるようになる気がします。

 そんなわけで、激務、離婚、ビザにまつわるカオス、引っ越しと「私を殺す気?」な嵐が過ぎ、やっと落ち着いてはきたので、またぼちぼちとブログ更新もしていけたらと思っております。はーやれやれ。


写真:たった私一人の引っ越しなのに、トレーラー一杯に荷物。しかもほとんどが洋服と本…。これでもだいぶ捨てたんだけど…。

ヒステリックで役に立たない

2011年01月13日 | わたくしごと
 久しぶりにがっつり泣いて頭が痛かった昨日。パラセタモール(鎮痛剤)と赤ワインで22時就寝、年末以来はじめて朝までぐっすり寝て、今朝はまずまずフレッシュです。

 「結婚相手をこんな風に捨てられる人間は『(映画)Nobody knows』の母親みたいになるから、子供も生むべきじゃない」「絶対に幸せになんかなれるわけがない」

 なんのために私にそういうことを言うの?と聞くと、「自分のためだ」と静かに認める彼の葛藤や苦しみは、今は痛いほどわかるので、反論せずに受けとめるだけなんだけど。
 言われたことよりも、言ってもなにもならないことを私にぶつけざるを得ない彼の苦しみを考えると、その方がつらくて悲しくさせられます。

 2011年の初夢以来、「もう戻れないの?」というテーマで彼が夢に出てくることがたびたびあり、今はヨナスのことをたくさん考えています。
 嫌いになったわけではないし、6年間支え合ってきて、「老人ホームじゃなくて、僕が面倒みてあげる」という言葉が涙がでるほどうれしくて、結婚して、色んな国を一緒に旅して、たくさんの思い出を作ってきた彼です。
 嫌いになったんじゃない。一緒にいたときは間違いなく愛していて、今でもある特別な感情で彼のことは好きで、愛していると言ってもいい。
 
 結婚式をしたイタリアで、ゲスト達がみんな帰った後、サマーハウスの屋上テラスでふたりでデッキチェアを並べて、布団と枕をもってきて、海の音を聞きつつ星を見ながら眠りました。そして新婚旅行に発つ翌朝、また海の音とすごい日の出で目覚めました。
 その朝のことを昨日突然話しだしたヨナス。コメント無しで、ただその朝のことを話し、なにもコメントがないだけに、他の誰も知らないわからない二人のそのときの気持ちが思い出されて、ここまでの色んな罵りよりも何よりもつらかったです。

 「いつも何をしても何を言ってもKanaheiちゃんには不十分で、いつも気が重かった。恐かった。いつも自信がなかったし、自信はどんどんなくなっていった」
 いつも自分自分で、自分ばっかりが苦労をしている、ヨナスは何もしてくれないと思っていたので、彼にそんな思いをさせていたのか、私の振る舞いでそんな風に自信を失わせていたのかと思うと、本当に申し訳なかった、ひどい気の毒なことをしてきたと思います。
 一緒に暮らすことをあきらめて、違う道で生きていくと決めてから、はじめて彼が「十分な」素晴らしい人であると認められただなんて。私は本当にひどい。羊のように穏やかで優しいヨナスに対し、極悪です。
この離婚が彼にとっての「解放」となってくれたら、そのままで「十分」な素晴らしい人なんだと、彼がもう私のせいで自信を失うことなく生きていけたら、と心から願います。
 
 1月27日に家族省みたいなところで、私達の離婚協議ミーティングがあります。ここでなにごともなく離婚の同意がされれば、離婚が成立することになります。あと2週間。


Let Down



Transport, motorways and tramlines
輸送、道路、路面電車

Starting and then stopping
始動そして停止

Taking off and landing
離陸そして着陸

The emptiest of feelings
感情の深い虚無感

Disappointed people clinging on to bottles
失望した人々 ボトルにしがみついている

And when it comes it's so so disappointing
そうなると、すごくすごく残念だ



Let down and hanging around
落ち込んでそして彷徨って

Crushed like a bug in the ground
地中の虫みたいにペシャンコで

Let down and hanging around
落ち込んでそして彷徨って



Shell smashed, juices flowing
つぶれた貝殻、流れる液体

Wings twitch, legs are going
翼がもげて、足はなくなりかけてる

Don't get sentimental
感傷的になるな

It always ends up drivel
結局いつだってくだらないことになるんだ



One day I'm going to grow wings
いつかぼくは翼を手に入れる

A chemical reaction
科学反応

Hysterical and useless
ヒステリックで役に立たない



Let down and hanging around
落ち込んでそして彷徨って

Crushed like a bug in the ground
地中の虫みたいにペシャンコで

Let down and hanging around
落ち込んでそして彷徨って


You know, you know where you are with
どこにいるのかわかってるんでしょ


Floor collapsing
崩れる床

Floating, bouncing back
漂い、跳ね返る

And one day....
そしていつか

I am going to grow wings
ぼくは翼を手に入れる

元奥さん

2010年12月31日 | わたくしごと
 クリスマスイヴの家族パーティーも終わり、H氏の家で息子達とくつろいでいた25日。
 この日息子達は彼らの母親と親戚の家でのクリスマスランチ(12月25日の伝統的ランチ。オープンサンドを食べる)の約束があり、昼過ぎに出かける予定でした。

 じゃー息子達が出かけたら、久々に一緒にジョギングでもしようとH氏と話していた矢先、約束の時間になると突然H氏「これから彼らの母親が来るから」と。え!?家に上がってくるの?!「私クローゼットかバスルームに隠れた方がいい?笑」などとジョークを言いつつも、心の中は若干パニック。
 
 そうこうしているうちに「はろー!」と元気よく元奥さんがやってきて、こちらの心の準備もないうちにいきなりご対面。
 息子達の目の前なこともあり、そしてこういう緊急事態にも表向きはクールに対応する癖ができているナースの性で、にこやかに「Kanaheiです。こんにちわ」と握手。

 H氏はかねがね、「自分が金髪&碧目だからか、全然ブロンドと碧目の女性に興味がないんだよね」と言っておりましたが、元奥さんもやはりブルネット&優しそうな茶色い目のきれいな人でした。しかもなんか妙にハキハキ元気なところとか、H氏とキャラが似ています。
 息子達、特に次男のAはお母さんに会えて嬉しいのがひしひしと伝わって来て、超かわいい。元奥さんと息子達が「じゃーね~!」と出ていく際、お父さんにはハグをしていたのに、私とはなくそのまま慌ただしく行ってしまいました。

 その後、息子達がいなくなってからH氏とジョギングに出て、私は4kmくらいで先に帰って来たのですが(H氏は10kmくらい走る)、自分の中でなんともわからない悲しい気持ちでいっぱいに。

 よくわからないけど、
1、せっかくクリスマスも一緒に過ごして、H氏と一緒に息子達と仲良くヒュゲリに過ごせるようになっても、また私がいくら彼らを特別に思っても、やっぱり彼らは彼らの母親のものなんだ。
2、あんなにきれいで素敵な女性で、子供を半々で分けて育てることになっても、離婚を決めるなんて、私は彼にあきれられずに今後も一緒にいることができるんだろうか。
という、色んなもやもやで悲しい気持ちになったのかと…。
 
 「大丈夫よ~」と言いつつも、明らかにショックを受けている私を見てH氏も心配し、その日の夜に正直に気持ちを打ち明けてみたところ、「(私が言うことは)その通りだと思う。つらいだろうけど、彼らにとって母親は彼女だけで、君はそれになれないから…。僕だってなれない。たまに僕のとこに彼らがいるとき、特にAが母親を求めてぐずるんだけど、父親の僕でだって彼女の代わりに彼をなぐさめることはできないんだ。でも君は母親にはなれなくても、L(お姉さん)やCみたいに、彼らにとって家族になれる。」

 L(お姉さん)の再婚しただんなさんCは、Lの3人の息子の実の父親ではないわけで、それに関しH氏は「Cは君と立場は少し似てるから気持ちがわかると思うよ。彼がLと一緒になったとき、Lの下の双子はまだ小さくて、Cが彼らのおむつを替えたり昼も夜も必死に子育てをしたんだ。でもCが前に言っていたのは”それでも学校の保護者会とかに呼ばれるのは僕じゃないんだ”って。でも君もCと同じように、家族として子供達の成長をみることができて、家族として一緒に生きていくことができる。彼らにそのうち恋人ができたり、色々な経験をしていくことを一緒に共有できるんだ。そして君がそうやって彼らのために悩んでくれているのを、彼らはすごく嬉しく感じて、家族としてもちろん受け入れてくれるはずだよ」と。

 そしてAN(元奥さん)に関しては、「彼女がどんな見た目でどんなパーソナリティーがあるかとかどうでもよくて、僕はもう彼女と一緒にいる人生自体を放棄したんだ。そこには必然的に息子達が間にくるから、ものすごいジレンマだ。彼女のことは僕の人生から葬りたい、忘れて生活したいと思っていても、息子達がいるために彼女はどうしたって僕の人生に関わってくる。本当にむかつくよ。今でも彼女の言動、特に息子達を振り回す無責任な行動にぶち切れる。一緒にいるべきじゃないのに一緒に協力して育児を未だにしなきゃけないっていうのは、かなりきつい。でも僕は君のパーソナリティーをみて、子供のことも含めて君との人生を選んだ。君とだったらANとみたいには失敗しないと思うし、直感も”これは絶対に正しい”といってるから」と。

 まあ、元奥さんショックのもやもやが完全に消えたわけではないけど、でも話を聞いてもらえて少し楽になりました。しかし家族って奥が深いものですね。

お義姉さん

2010年12月31日 | わたくしごと
 H氏にはお姉さんがいて、同じ一軒の家の一階にお姉さん一家(だんなさんと3人の息子)、二階にH氏と隔週でやってくる息子達が住んでいます(玄関は一緒だけど、各階にそれぞれバスルームやキッチンなどはあり、二世帯住宅みたいなもの)。

 H氏と付き合い始めの頃から、お姉さんの話題はしょっちゅう出て来ていたのですが、彼の表情、行動からすべてお姉さんは彼が何を考えているかすべてお見通しなのだそうです。

 そんなお姉さんだったので、会って話をする前は若干、いや、かなり不安はありました。まず「なにこの女、全然だめ!」とダメだしをされるんじゃないかという不安、そして今後もしH氏と一緒に住むことになったとき、自動的にお姉さん家族との同居にもなるし、大丈夫なんだろうか…という不安が。
 だいたい末っ子で甘やかされ、シングルワーキングマザーの母にほぼ放っておかれて育った私が、いきなり大家族スペシャルみたいなところで一緒に生活することになるなんて、想像できないことです。
 なのでH氏との将来で何が一番心配かって、息子さん達のこともあったけど、大家族との同居というのが一番心配でした。

 でも今、ペニーラの家に居候していて、意外にもかなり馴染んでいる自分に、自分でびっくりです。ペニーラの家も住んでいる家族自体は3人ですが、常に誰かゲストが来ていてにぎやかだし、一緒にごはんを食べたり、家事や家族のことを助け合ったりしつつの生活など、基本的にH氏の家と同じです。
 なので最近「君が引っ越して来たら…」「一緒に住むことになったら…」という話題がやたら多くなっているH氏なこともあり、同棲にむけてペニーラの家はいい予行練習になっています。

 そんな中、先日H氏が「L(お姉さん)に言われたんだけどね、あまりKanaheiにプレッシャーをかけないようにって。僕はほら、せっかちだから。Lも離婚経験者だからわかるんだけどね、Kanaheiに十分考える時間と、離婚で悲しい思いを受け止める時間を与えなさいって。いくら離婚の際に憎み合ってもう十分だって思っても、やっぱり結婚したほどの人と別れるのはつらいことだから。僕も息子達の母親と別れたときは、彼女に対してもう嫌だ、やっていけないと心は固まってたけど、でもそれでも別れるということは悲しかったから。だから君も僕のためにその悲しさを隠す必要はないよ。悲しいときはしっかり悲しむべきなんだ」って。
 
 そしてクリスマスの時に、お姉さんの家(一階)で団らんをしていたとき、彼らのリビングに飾られていたイタリアでの婚姻証明証(お姉さんもイタリアで結婚式をした)を私がみていると、お姉さんが「あなたも持ってる?デンマークの証明証と違って素敵よね」と言うので、「そうですね、捨てるのが本当にもったいないくらい」と答えると、「捨てる必要はないと思うよ。そりゃ、(離婚したあかつきには)壁に飾っておくようなものでもないけど、でもその証明証をもらったその時のことは真実だから。気持ちも。だから大事にしてもいいのよ」と言ってくれて、ああ、本当に深い人なんだなーと感じました。

 ヨナスと別れるにあたって、悲しかったし今でも本当に残念なのは、ヨナス姉のマリアさんとも別れることになったこと。私にとって家族であり、親友であったので。
 でもH氏のお姉さんLとのこういったやりとりを経て、この人ともまたもっと深い家族であり、親友にもなれるんじゃないかという予感がします。なれるといいな。

 イタリア大好きなH氏とお姉さん夫婦の将来の夢は、イタリアにサマーハウスを持つことで、今ぼちぼちとその準備をしていっているところです。二人には「もちろんそこにはKanaheiもいてもらわなくちゃ」と言われており、嬉しい。将来が楽しみです。

息子さん達

2010年12月31日 | わたくしごと
 そんなわけで、H氏の息子さん達との対面もすっかり遠い過去みたいに感じる今日この頃ですが。

 先日H氏と車の中で、ちょうど「色んなことがありすぎて、すっごく時間が経ってるように感じるけど、でもその色々もたったの1ヶ月くらいの間の出来事なんだよね~」という話をしていたのですが、H氏曰く「人の時間の感覚って、経験の積み重ねによって左右されるものだよね。だから老人ホームとかで毎日を同じように過ごしていると、すごく時間の経過って遅く感じるけど、僕らみたいに毎日毎時間なにか経験したり考えたりしていると、時間の経過ってすごく早く感じる」と言っていて、確かに、と。

 そんなわけで、息子さん達。長男は11歳のT、次男は先日9歳になったばかりのAです。隔週で元奥さんのところとH氏の家とを交互に住んでいます。
 元奥さんはH氏の家から400mくらいのところに住んでいるそうで、息子さん達の学校もH氏の家からわずか200mくらいのところです。これは「とにもかくにも両親が離婚という犠牲を子供に負わさざるを得なかったけれど、その他のところでは子供にはベストの環境を」と、何かあってもすぐに子供が歩いてでも自分のところに来れるよう、学校を転校したりせず済むよう、H氏の家族もたくさんいる地元で育てましょう、というH氏と元奥さんの間での取り決めだそうです。

 デンマークの男性って、だいたいもーのすごく子供の面倒をよく見るし、あやし方や躾の仕方も上手いし、いつも感心していたけど、H氏と出会って、彼が息子さん達の話をするたびに、彼の持つ父性愛の深さにびっくりします。男の人ってそういうこと感じるの!?って。
 彼は以前「いくら親権が半分半分とはいえ、自分の半分以上をもぎ取られたようなもので、はじめは本当につらかった。今でもAがうちにいるときとか”お母さんのところに帰りたい”とかぐずると、本当に悲しいし、やっぱり父親は母親にかなわないんだと思うとやりきれない。だから次にもし再婚して子供を作るとか考える時、ものすごく慎重にならざるを得ないんだ。あの苦しみと淋しさはもう二度と味わいたくないから」と言っていましたが、彼の子煩悩ぶりをみているとそれも納得です。

 で、長男のTですが、なかなかセンシティブな男子で、体格の割に(11歳にしてすでに私より背が高い)とても感受性も強く、心優しい男の子です。私と付き合う前、H氏は二人の娘がいる女性と1年ほどお付き合いをしていたそうですが、その彼女とH氏が別れることになった際、特に彼女の娘と仲良くしていたTは「なんで僕たちばかりこういう悲しい目にあうの?どうして一緒にいることができないの?」と3日くらい泣き続けたそうです。親の都合で悲しい思いをするのはやっぱり子供なんですね。
 だからH氏も最初は私を息子達に会わせるのをためらっていたようです。まあ第一に息子達のためですが、あとはいきなり二人の子供を紹介して私がドン引きするのではないか、という心配もあったようですが…。
 でも私が今年のクリスマスは一人でのんびりするよ、と言っていっていたところ、そんなことはとてもH氏的に耐えられなかったようで、「クリスマスを僕の家族と過ごさないか?そのためにはまず息子達に会ってもらわなきゃいけないんだけど…」と誘われ、おおおちょっと早いんでないかい?と思いつつも、彼が心配してくれる気持ちは嬉しかったし、なんかあれよあれよといううちに息子達と対面の段取りがされ、会うことになったのでした。

 会う前にはちょこちょことH氏は私のことも息子達に話していたようだし、しかも元奥さんにも「TとAに彼女と会わせるからね」と通達もしていたようで、息子達は私と会っても別に特に構えるわけでもなく、普通に接してくれたのでした。まあ、11歳のTはちょっとシャイなので、こちらから話しかけてもH氏の方を見ながら返答したりしていましたが。  
 ちなみにデンマークで発行されているデン語ー日本語辞書があるのですが、これが会話を盛り上げるのにものすごく役に立ちました。特にAは記憶力もいいし、学校の成績でも文系の科目が大得意とあって、日本語に興味津々。教える言葉を次々覚えていくし、自分の名前も犬の名前も熱心に練習して最後は何も見ずにかけるようになるくらい。そしてなぜかその辞書で変な言葉をひろって来てはそれをつなげて文章にするのですが、彼の選ぶ言葉は「会社」「雇用」「ネクタイ」とビジネス用語ばかり…。父親であるH氏の職業的にそういう言葉が気になるのかと思いきや、そういうわけでもないようで…。変わった子です…。

 なかなかインテリでシャイな息子さん達だったこともあり、初対面ではまあこんなもんか、でもまずまず楽しく過ごせたかな、と思いつつも、センシティブなTのこととか気になっていたのですが、H氏からその後「息子達の母親から電話があったんだけど、息子達はずーっとKanaheiの話ばかりむこうでしてるらしいよ。Tなんて僕のところでは全然君の話なんてしないのに、母親の所では君がなんて言った、これが好きだ、どういう見かけだ、とかとにかく色々話してるらしいよ」と、嬉しそうに報告があったのでした。さらにはクリスマスに私が来るんだから、私の為にクリスマスプレゼントを買いたいと彼らの母親に相談までしてくれたそうで…。うれしい。

 H氏は私が息子達に会うにあたってとても心配しているのをみて、「大丈夫だよ。君がいい人だってことは、自分の父親がしあわせそうにしているのを見たら嫌でも伝わるはずだし。7年前に離婚して以来、僕が淋しかったのは彼らが一番わかってるだろうし、とにかく君がいることで僕の機嫌は最高だから、彼らも不機嫌な父親に怒られてばかりじゃなくて嬉しいと思うよ(笑)」と。

 もちろん、これからティーンエイジャーにまっしぐらな二人の息子さん達なわけで、そんな風にいいことばかりじゃないし、ましてや隔週とはいえ、一緒に住むとなると頭の痛いこと、思わずムキーーー!となるようなこともでてくるとは思います(その辺はいつもH氏に「あのギャング達と君がやりあっていけるか…」と心配&警告もされていますが)。でも彼らと会えば会うほど、「この子達は私にとって特別だ」という思い、そしてどんどん最初に抱いていた「やっていけるんだろうか、私」という不安が薄れていく、いや、やっていく!という覚悟が固まっていくのを感じます。
 でもその彼らに対する特別な思い、覚悟が固まるほど、そこにはまた別のジレンマが生じてくるわけですが…、まあその話はまた次回。

 そんなわけで、今日はH氏と息子達が私の家まで来てくれて、一緒にランチをとった後、空港まで送ってくれたのですが、そこでやっとお別れのときにしっかりとハグをしてくれたのでした。それまではなんとなくお互い照れていてぎこちないハグだったんですけど、今回はちゃんとしっかりと。そんな小さなことなんですが、すごく幸せを感じます。
 ちなみに今年の夏休みは、なんとそんな彼らと3週間一緒に過ごします。途中キャンプなどをしつつ、車でデンマークから南イタリアまでいきますよ!ひー!3週間!