Kanaheiのデンマーク生活

糖尿病の勉強をしたくてきたデンマークでの紆余曲折な生活を日記として残しています。

挫折、転機、チャンス、そして私はラッキー。

2013年07月15日 | デンナースのお仕事
 前回のブログ投稿から、またまたずいぶん時間が経ってしまい、コメントをくださった方々にひとつひとつお返事していきたいのは山々なのですが、あれから状況がガラリと変わったこともありまして、ここで一括近況報告をお返事の代わりとさせていただければと思います。

 ずばり単刀直入に申し上げますと、わたくしKanahei、ステノを7月1日付けでなんとリストラされてしまいました。形式上は私の自主退職という形ですが、事実はリストラです。

 2010年、それまでステノのトップがこれまでのデンマーク人ドクターではなく、もっと経営を重視したアイルランド人のトップへと切り替わり、去年の秋頃でしょうか、ステノクリニック所長(デン人)の突然の解雇、その後、今年になって迎えられた新所長(スウェーデン人)の元で、「新生ステノ」として組織改革をスタートしました。
 これまでバラバラだったクリニック、研究所、ラボ、教育センターを結びつけて、ひとつのステノという組織としていくために、かなりの費用を割いてのコマーシャリング、社員教育と研修を重ねて来たわけですが、今年の5月、その組織改革の一環として、私が所属していた病床病棟が閉鎖されることになり、その関連で5名のスタッフが解雇されることになりました。
 私はそのとき外来研修中であり、直接の被害はないと思っていたのですが…。恐らくもう一人二人くらいは首を切りたかったのでしょう。というのも、逼迫する地方自治体の財政により、とくに財政問題が深刻なシェラン島南部のコムーネは、ステノに通っている患者さんの引き戻しを始めたため、ステノはさらなる診療報酬を失うことになったのです。
 景気上々のノボを親会社としていることから、ステノもそうなのではないかと思われるかもしれませんが、その辺りステノは微妙な立場でして。しかも昔と違って、今はステノの臨床研究施設としての役割もだいぶ薄くなり、新トップ達はもっと遺伝子、幹細胞の研究のために力を注いでいきたい様子。そしてそれには莫大な資金がかかるのです。

 前回の記事で愚痴っていたように、その頃私の研修はかなり難航しており(人為的な問題で)、例の中間報告の直後(ちょうど病棟閉鎖のニュースが告知された直後)から「Overhøring」という聴取が、例の相性の悪い指導者グループによって3回に分けて行われました。
 内容は、指導者グループが集めた症例について、私が糖尿病ステータス(理学&臨床所見を含めた)、治療内容のプレゼンテーション、問題点などを行っていくのですが、問題は私には一切の準備が与えられないということ。はい、この患者について説明せよ、とその場で患者のステータス表を与えられ、完全な抜き打ち試験、かつ休む間もなく専門的ディープな質問が浴びせられます。
 そのやり方にかなり不安になっていた私は、教育長になぜ準備を事前にさせてもらえないのかを聞いたのですが、「まあ、あれよー、ちょっとみんなでケースについてディスカッションしてー、お互い知識を深められればってだけだから。大したことじゃないのよ~」なんてすっかり濁されて流されて、そしてだまされました…。
 しかも毎回の聴取の後、何が正解で間違いで、どこをどう直したらいいかなどのコメントやフィードバックは一切無し。こんなの教育とはいえません。
 この頃からまたちょっと抑うつ傾向が出始め、夜不安で眠れない、朝仕事に行きたくなくてステノに向う車の中で泣く、社員食堂で突然同僚の前で泣いてしまうなど、かなり精神的に圧迫されていた症状が出始めていました。
 ノーコメントでのハードな聴取であまりにも追いつめられ、指導者の一人に「お願いだから、何か一言でいいのでコメントをください!じゃないと何をどうしたらいいか、自分が正しいのか間違えてるのか、何もわからないじゃないですか!このままで最後の聴取の後に”失格”となったりしたら、たまらないし、納得いきません!」と訴えたのですが、「気持ちはわかるけど、私一人ではどうすることもできないのよ…」と意味の分からない、しかし確実に教育長になにか権限があって、他の指導者達はなにもできない、という裏がチラホラ。
 この絶望的なやりとりの後から、「いくら優れた教育であっても、こんな思いをしながら踏みにじられてまでいる価値はあるんだろうか?」と、自分の中でも少し迷いのようなものも出てきましたが、それでもまだこのときは、しがみついて、ひたすら耐えるしかないとしか考えていませんでした。だって、これを乗り越えさえすれば、と思ってたし、永遠に続くものではないと思っていたから。

 そして3回の聴取(教育にも関わらず、まるで犯人に対するようなこの”聴取”という表現もそもそもおかしい)が終わり、それに対する評価面談に呼ばれ、そこでまさしく言葉を失う、衝撃的な言葉が教育長から発せられました。

「あなたには10ヶ月間もの研修期間を設け、他のスタッフよりも長めのイントロや、特別措置をしてきましたが、この3回の聴取で、あなたがこの研修を続行できうる能力が無いと判断しました。3年も病棟にいながら、あなたの知識はまるで新卒に毛が生えたレベルだし、これからもあなたが伸びることはないと思う。本来だったら、糖尿病専門教育を持たない”ただのナース”として、あなたが元いた病棟に戻すところだけど、今となってはその病棟自体が閉鎖となってしまったので、残念ながら解雇という形になります」

 ショックで頭も身体も麻痺し、ただただ彼女が続ける「いかにあなたに能力がないか」「私達は最善を尽くした」という言葉を黙って聞きながら、人って、しかもこの人同じナースで、さらに教育長でありながら、ましてや「モチベーションコーチング」なんて専門としているのに(患者からも不評だけど)、なんでこんなにひどいことを言えるのだろう?と、ある意味で感心していたほどです。

 10ヶ月の研修のうち、3ヶ月はタイムアウト、その間この教育長が「Kanaheiがもっと自信をつけて再スタートできるように」と、特訓が行われる予定だったのに、それをことごとく、自分達の多忙を理由にキャンセルしたのはこの言い出しっぺ本人である教育長と、病棟の婦長です。結局私はその間、病棟の他の同僚達と勉強会などを開いて、自分なりにやってきましたが、それがどんな具合かもチェックせず、また外来研修へ引き戻され、研修中もイントロ以外ほぼ放置していたくせに、最善を尽くした?
 
 新卒レベルの知識と言い放ちましたが、病棟ナースの教育も彼女の責任範囲です。ちなみに私がいた3年の間、勉強会らしい勉強会もなく、月に2週間も夜勤がある病棟ナースが、外来ナース達の行ける外部の講習会や研修会に行かせてもらえる機会はほとんどありません。つまり、低レベルなナースを放置していたのは、彼女(と婦長)の責任でもあるのです。
 そもそもそんな”低レベル”なナースに、外来ナース達が取りたがらない、週末の緊急電話番を3年にわたって任せてきたのは誰か?!能無しであったならば、緊急を要する救急患者にその場で指導をしたり、急性合併症などトラブルを解決できるはずがないし、それでも放置して任せてきたのであれば、その責任は誰のものでもなく、教育長本人のものです。それを今になって、何を言うか?!

 そして何よりも一番傷ついたのが、「あなたはこれからも伸びない」と、そんな女に言われたこと。なんでそんなこと言い切れる!そんなあんたが教育長失格だ!

 あと、それまで黙って聞いているだけでしたが、「あなたはかわいらしくて愛嬌もあるし、他の場所で活躍できるわよ~」と。「そんなものは何の役にも立たないし、そんなことをあなたが言う筋合いもない」とハッキリと言い返しましたが、なんなの?この女?前からちょくちょく「いいわね~あなたはかわいいから」みたいなことを言われてたし、彼女の息子の嫁はハーフの日本人だそうで、絶対なにかその辺であるはず…。
(同僚の栄養士は、前にもこの教育長がそういう妬みをほのめかした時に「おほほー!ごめんなさいね、若くてかわいくて有能で!って言ってやりゃーよかったのよ!」と激怒していましたが…) 
 
 そんなボディーブローを密室でずっと浴びせられながら、そういえばいつもこんなんだったんだ、この10ヶ月、と。部長や他の人が見えないところで、ずっとチクチクボスボス、体育館裏でのリンチみたいなのが続いていたんだった。でもこれに耐えれば、いつか終るし、そしたらもうこんなくだらない人と関わらずに好きな仕事を好きなようにできるんだと思っていた。

 それまでずっと隣に座っていただけの他二人の指導者が、私が押し黙っているので心配し、「誰か話したい人はいる?」と聞いてくれたので、これまでずっとずっと私を陰で支えてきてくれた同僚ナースのマリアネを呼んでもらうことに。
 食堂にいたマリアネはすぐに飛んできてくれて、彼女をみた瞬間に我慢していたものが、それはもう、ダム決壊というくらい溢れてきて、息が出来ないくらい号泣。その後マリアネはH氏にも電話をして事情を説明し、H氏も会社を早退して迎えにきてくれました。

 そこからその週の私の勤務はすべて病欠となり、2日間、痴ほう老人のようにぼーーーっと過ごし(本当に上の空で、忘れっぽい)、日に何度も泣いたり、マリアネにSMSで愚痴ったり、その度彼女からは長ーーーいSMSでこれでもかという温かい慰めの言葉が届いたり。突然の病欠、何かがあったらしいという噂(その噂を漏らしたのも、「この件に関して守秘義務があるから」と言った張本人である教育長だと後でわかったけど)で心配している他の同僚からも本当に温かい、そして私への処遇に関する怒りのSMSが届いたり。
 H氏は元祖「尻に火の点いた男」にも関わらず、この期間、本当に、本当~~に辛抱強く私の話をずーっと聞いてくれて、それだけでなく、もう100万回目くらいに「あの教育長でさえなければ!」と愚痴っていたときには、「つらい気持ちはわかる。でも彼女の評価は彼女の主観であって、彼女はたまたま君の教育や立場をどうこうできる立場にいたんだ。でも君の能力、実力とそれとは一切関係ない。今回はたまたま彼女の下にいたからだけなんだ。That' it」と、断ち切ってくれたり、その後2回に及ぶ、退職に関する部長や人事部との面談にも付き添ってくれ、本当にずっと支えてくれていました。

 みんながそうしてたくさん支えてくれて、守ってくれて、優しくしてくれるからこそ、悔しさとか悲しさは地中に埋めて、前向きにならなきゃいけない。きっと自分一人だったら絶対前向きになんてなれなかったけど、こんなに早く、教育長との面談から3日後、再度部長を交えての正式な面談の時に、前向きとは言えなくとも、あの黒々とした気持ちがなくなっていたのには、自分でもびっくりです。すべてはH氏やマリアネをはじめとした、支えてくれた人がいたからです。

 部長との面談の日、マリアネにSMSで「もうどうあがこうと、こうなってしまった結果を変えることはできないけど、これまで私がどういう思いをしてきたか、部長は知るべきだと思うし、すべてを吐き出しておかないと気が済まない」と伝え、教育長への不満やらをすっかり部長にぶちまけるつもりで挑みました。
 すべては前日の夜から仕込んであったはずなのに、ドロドロの黒いものを吐き出してくるつもりだったのに、私がこれまで出会った上司の中で一番素敵だと思う部長と一対一(マリアネも私のサポートとして同席していたけど)で向き合った時に、なんと出てきた言葉はすべて感謝の言葉で、自分でしゃべりながら、泣きながら、なんてこのステノが好きだったんだろう、とびっくりしました。

「今日はあなた(部長)に私がここまでどんな思いをしてきたか、全部、洗いざらい話すつもりできました。…でもまず、デン語もまだまだな私を6年前に拾ってくれたあなたに感謝したいです。あなたは覚えてるかわからないけど、私は6年前、全然身の程知らずも甚だしいステノのとあるポストに応募したんです。不可能なことはわかってたけど、それでも私というステノを夢見る存在に気づいて欲しかったから。あなたは真剣に私の話を最後まで聞いてくれて、結果はだめだったけど、”このまま進み続けなさい。あなたはもう片足踏み込んでるから。いつか一緒に働けるのを楽しみにしている”と言ってくれたんです。その言葉で私はここまで来れました。夢の仕事だったし、母は未だに医療関係者だけじゃなくて知り合いに会うたびに、ステノで働く私を自慢して回ってるほどです。ここのスタッフが大好きで、誇りで、ここの患者さんのことも大好きなんです。ここで働けて本当に嬉しかった。ただそれに対する感謝の気持ちでいっぱいです」

 部長は私の話をニコニコしながら聞いてくれて、「もちろん覚えてるわよ!懐かしいわね、あれは6年前?!あなたはずいぶんと成長した。比べものにならないくらい、大きく立派に成長したわ…」と言い、「あなたはステノを、みんなを愛してるのね。それは私達も同じで、だからあなたを失うのが本当につらい。でもこれは部長としてだけではなく、私個人、人間として、一人のナースの先輩としても、あなたを今ここから解き放つのが必要だと思うの。この10ヶ月間、あなたとはあまり沢山の話をしてこなかったけど、それでもあなたがしがみついて、必死にもがいて闘ってるのを見てきた。でもあなたはこんな風に苦しい思いをして成長するべきではない」と。

 はじめはこの「解き放つ」の意味がわからず、「え~私はここで成長したいんですう~」と思っていましたが、それから職探しのために、さまざまなナースの求人をみていて、なるほどようやく理解できました。
 今まで「糖尿病突き詰めたるでー!」と邁進してきましたが、糖尿病看護を続けながらも、さまざまな”糖尿病以外の経験”が必要とされる場面に出会ってきました。例えば、精神科、小児科、循環器科とか、あったらよかったのに、というもの達。求人をみていると、そういった興味深い職場がたくさんあることが新たな発見として新鮮だったし、糖尿病ナースだからこそできる、みえる視点での○○看護というのがあるのです。
 ステノの他のスタッフは平均年齢45歳くらい。ステノに来るまでにも様々な経験を積んできた人も多いです。65歳?の定年まで、私はまだまだ30年もナースとしての余生があるわけで、たぶん部長はその辺のことを言いたかったんだと思います。「次のステップへと解き放つ」

 色んな組織としての事情もあっただろうし、教育長はそこに従うべく、ある意味私の教育を解雇の理由としてこじつけて来たのかもしれない(いくら若造とはいえ、自分が本当に能無しだとは考えたくない…)。どのくらいトップからの圧力があって、教育長と部長の間にどういう話し合いがなされたのかわかりません。でもあの衝撃的な面談から3週間が経ち、転機が必要だったんだ、これでよかったんだ、と思えるようになりました。
 繰り返しますが、本当に今こう思えるのも、支えてくれたH氏、マリアネはじめとする同僚達、深い理解を示して退職に関する手当なども最善を尽くしてくれた部長(次の職場のためにすばらしい推薦状も書いてくれた)、愚痴を聞いてくれて励ましてくれて笑わせてくれた友達、家族、みんながいてくれたお陰です。

 なんかの記事で読みましたが、パイオニアだかどっかの企業の面接では、「これまでの人生を振り返ってみて、自分がラッキーなタイプだったかアンラッキーだったか」と質問し、アンラッキーなタイプと答える人は採用しないようにしてたとか。
 確かに、人生の難関、危機に際して、自分の周りに助けられる、助けてもらえることができる(=助けてもらえるだけのことを、これまで他の人達にもしてきたか)、それをちゃんと「恵まれてる、ラッキーだ」と思えるってことは、そういう難関を乗り越えていく力が備わっている、持ち合わせているということ。
 なので私も、もし誰かに「あなたはラッキーなタイプかどうか」と聞かれたら、間違いなく全力で「超ラッキーです」と答える、ラッキーやろうです。

 さて、この3週間こんな具合に悩んだりしてきましたが、今はもうすでに次のステップに進みかけています。今後は新たな挑戦として、まったく違う看護の分野に飛び込みますよ。もちろん糖尿病の経験も大いに発揮できるのではないでしょうか。
 実際には各署夏休み期間中で、私も今週末から日本帰省なので、8月の後半に面接という運びになると思いますが、また決まり次第ご報告できるのを楽しみにしておりまーす!

 それでは、みなさんもよい夏をお過ごしくださいましー!